11.72 蘇軾 前赤壁賦 — 其の變ずる者より之を觀れば、天地も曾て一瞬なる能はず — Epoché
この篇でできるようになること 舟遊び、歌と笛、客の嘆き、蘇子の答え、夜明けの流れを示せます。 見る立場を表す対句を、現代語で言い換えられます。 確かめの問いと受け身、否定の強さを読み分けられます。 前提 :11.71「歐陽脩 五代史伶官傳序」。盛衰を対にした序の後、水と月を二つの側から見る賦を読みます。 黃州の舟から始まる問答 蘇軾、号を東坡という作者が、黃州に流されていた時の賦です。壬戌の年の秋、赤壁の下で客と舟を浮かべる場面から始まります。11.61の核舟記で彫られていた赤壁の舟遊びとつながります。 この赤壁と三国時代の赤壁の戦いの場所との関係には、説の違いがあります。黃州の赤壁は戦いの場所とは別とする説が多くあります。 文章は主客の問答で進みます。客を作者の心の一方として読む見方も、同行者として読む見方もあります。どちらかを人物の正体として決める前に、本文で客が何を嘆き、蘇子が何を答えるかを追います。 舟が浮き、心も浮く 七月既望 の 既望 は、望の翌日、旧暦の十六日です。今の暦の七月十六日へそのまま置き換えません。風がゆっくり来て波は立たず、月が出ると水の光が空につながります。 小舟に行くままを任せ、空を踏んで風に乗るように感じます。 羽化而登仙 では、羽が生えて仙人となり昇るような感覚まで述べます。舟の浮く姿から、体や心の浮く感じへ進んでいます。 船べりをたたいて歌う段の 渺渺兮予懷 には 兮 があります。歌の句の途中で息を継ぐ調子を作る字です。日本語訳で一語ずつ意味を補うより、歌と散文の調子が変わる所として読みます。 洞簫の音で、気分が変わる 客の洞簫が歌に合わせて鳴ります。 如怨如慕,如泣如訴 は、恨むよう、慕うよう、泣くよう、訴えるよう、という四つのたとえです。音を人の感情や行動に結び付けます。 さらに 舞幽壑之潛蛟,泣孤舟之嫠婦 と、谷の水中にひそむ蛟を舞わせ、舟にいるやもめを泣かせる、と音の力を大きく描きます。 ここでの 舞 と 泣 は、それぞれ舞わせる、泣かせるという使い方です。笛が自分で舞い、自分で泣く、と動作の主体を取り違えないでください。 蘇子は顔色を変え、姿勢を正して、なぜそのような音なのかと客へ問います。軽やかな舟遊びから悲しげな音へ、その理由を聞く問答へとつながります。 英雄を大きく描き、今を問う 客は曹操の詩を挙げ、 此非曹孟德之詩乎 と、曹操の詩ではないか、と確かめます。次に目の前の地形を述べ、曹操が周瑜に苦しめられた所ではないか、と問いを重ねます。 相手も知る歴史へ景色をつなぐ、確かめの問いです。 客は船の列と空を覆う旗を描きます。川に臨んで酒を飲み、矛を横たえて詩を作る曹操も描きます。それほどの英雄を大きく見せてから、 而今安在哉 、今はどこにいるのか、と落とします。 困於周郎 は周瑜に苦しめられるという受け身です。周瑜の所で困る、という場所だけの説明ではありません。現代語の 被 を使う 型編 25課 と比べ、苦しめる側と苦しめられる側を確かめます。 自分たちは、海の一粒 曹操から自分たちへ移ると、川で漁や木こりをし、魚やえびを仲間とし、鹿を友とする暮らしを述べます。 侶魚鰕而友麋鹿 の 侶 と 友 は、仲間とする、友とするという働きです。 舟は木の葉のように小さく、自分たちは天地の間のかげろう、大海の一粒の粟のようです。英雄の大きな姿から、小さな自分たちの短い生へ、視野を移しています。 長江は尽きないのに自分の命は短い、と悲しみます。仙人と遊び、月を抱いて長く生きることはすぐ得られないので、その思いを笛の音に託したというのが、客の答えです。 変わる側と、変わらない側 蘇子は水と月を例に答えます。水は流れ去っていくが、川として去り尽くしたことはありません。月は満ち欠けしても、結局増えも減りもしない、と二つの見方を置きます。 自其變者而觀之 では、変わる側から見ると、天地でさえ一瞬もとどまれません。 自其不變者而觀之 では、変わらない側から見ると、物も自分も尽きることがない、と続きます。 自 は場所からの出発だけでなく、見る立場を示しています。同じ形の中に否定の 不 を加えて、視点を変えます。現代語なら 从 を使い、どんな角度から見るかを先に言えます。 水の流れや月の満ち欠けという事実そのものを取り消していません。変化する面だけで嘆く客に、別の面からも見られると答えます。介詞は 型編 9課 の現代語と比べてください。 同じ否定でも、働きが違う 未嘗往 は一度も去っていない、 卒莫消長 は結局増減しない、という否定です。後者の 莫 はここでは、しない、という働きで、何かが存在しないという意味ではありません。 曾不能以一瞬 の 曾 は否定を強めます。11.61の、わずかな長さにも満たないという表現と同じく、まったく、という強さを読みます。 曾 を、かつて、と過去の経験に取らないでください。ここは昔の天地の話ではなく、変化の側から見れば、天地でさえ一瞬もとどまれないという説明です。 取之無禁 は、取ることに禁じるものがないという形です。四つの否定を一律にないと訳す前に、経験、動作、強さ、禁止の有無を区別します。 風と月を、ともに楽しむ 物には持ち主があり、自分の物でなければ取らない、と蘇子は続けます。そのうえで風と月を挙げ、耳が受けて音になり、目が出会って色になる、と述べます。 取之無禁,用之不竭 は、取っても禁じられず、使っても尽きないという対です。手に入れて独占する所有とは違い、風や月を感じて楽しむことへ話を進めています。 吾之所有 は自分の持つもの、 吾與子之所共適 は自分と客がともに楽しむものです。 所 が後ろの動作を受け、ものというまとまりを作ります。 型編 4課 の修飾と比べられます。 この本文の 適 は、本によって 食 (味わう)と書かれ、意味が少し変わります。 喜んで笑い、夜が明ける 客は喜んで笑い、杯を洗ってまた酒を飲みます。食べ物が尽き、杯や皿が散らかり、舟の中で互いを枕にして眠ります。 論の勝ち負けを言い切る文ではなく、くつろぐ行動を置いて終わります。東の空がすでに白んだことにも気付かない、という結びに、問答の後の気分が表れています。 語釈 語 品詞 意味 日本語との差 例文 訳 既望 名詞 旧暦の十六日 望の翌日 七月既望 旧暦七月十六日 馮 動詞 よりかかる・乗る(píng と読む) この句では空に乗る 如馮虛御風 空に乗り風を御するよう 洞簫 名詞 縦笛 客が吹く楽器 客有吹洞簫者 客に洞簫を吹く者がいる 嫠婦 名詞 やもめ 音が泣かせる人 泣孤舟之嫠婦 一人舟にいるやもめを泣かせる 侶 動詞 仲間とする ここでは名詞を動詞に使う 侶魚鰕而友麋鹿 魚やえびを仲間とし鹿を友とする 須臾 名詞 ほんの短い間 人の生の短さ 哀吾生之須臾 自分の生の短さを悲しむ 曾 副詞 まったく ここでは過去ではない 曾不能以一瞬 まったく一瞬もとどまれない 適 動詞 楽しむ 本によって別の字がある 吾與子之所共適 私とあなたがともに楽しむもの 練習 原文の字を補って書いてください。 _其變者而觀之 原文の字を補って書いてください。 此_曹孟德之詩乎 原文の字を補って書いてください。 孟德之困_周郎者 原文の字を補って書いてください。 而今安_哉 自其變者而觀之,則天地曾不能以一瞬 と 自其不變者而觀之,則物與我皆無盡也 を、現代語で見る立場と結論が分かるように言い換えてください。 此非孟德之困於周郎者乎 を現代語の受け身の疑問文にしてください。 诗人 ・ 划 ・ 宁静 ・ 放松 ・ 醒 ・ 做梦 を使い、舟遊びの夜を想像した短い現代語の三文を書いてください。 本文の 未嘗往 、 卒莫消長 、 曾不能以一瞬 、 取之無禁 を、一度もない・しない・まったくできない・禁止がない、に分けてください。 蘇子は水や月の事実を変えていますか。二つの例を挙げて二文で説明してください。 七月既望 の 既望 は、旧暦の何日ですか。 音読:次の原文の句を ▶ で聞き、声に出して読んでください。 相與枕藉乎舟中,不知東方之既白。 相與枕藉乎舟中 で一度切り、 不知東方之既白 を静かに、落として読んで終えてください。 この篇のまとめ 舟遊びの軽さが笛と客の嘆きで変わり、水と月を見る立場を変える答えへ進みました。事実を消さずに別の面を見る対句と、ともに風や月を楽しんで寝入る結びを読みました。 次の篇へ 次の11.73は蘇軾の石鐘山記です。山の名の由来を夜の舟で確かめ、目で見ず耳で聞かずに決めてよいか、と問う記を読みます。 答え 自其變者而觀之 此非曹孟德之詩乎 孟德之困於周郎者 而今安在哉 从变化的角度来看,天地没有不变的时候。 从不变的角度来看,万物和我们都是无穷无尽的。 这里不是曹操被周瑜打败的地方吗? 诗人划船,江面宁静。 他很放松,夜里做了个好梦。 早上他在船上醒来。 未嘗往 は一度も去っていない、 卒莫消長 は結局増減しない、 曾不能以一瞬 はまったく一瞬もとどまれない、 取之無禁 は禁止がない、です。 水は流れても川は去り尽くさないと述べ、流れる事実を消すのでなく、見方を変えています。月も満ち欠けする一方で増減しないという面を示し、変化だけを見る客に別の立場を示しています。 十六日です。望(十五日)の翌日です。 参考文献 蘇軾『前赤壁賦』。パブリックドメイン(著者没後70年経過)。 出所: https://zh.wikisource.org/wiki/古文觀止/卷11