政策の実施――現場の裁量が政策を決める — Epoché
制度と行動 政策と政治経済 約 26 分 本文 約 11,500 字 図 4・表 2 資料 1 節 この課の要点 実施・見方・裁量の 3 つ 実施 決まった政策は見込みにもとづく計画で、実際に行われて初めて試される 見方 決める側から調べる上からの見方と、現場から調べる下からの見方がある 裁量 第一線の職員の判断の余地は避けられず、資源の不足が対処の型をつくる はじめに ある市が「生活に困っている人が相談しやすい窓口にする」と決めたとします。決まった方針は同じでも、窓口がどれほど混んでいるか、職員がどんな順で何を説明するかによって、市民が実際に受け取るものは変わりうるでしょう。この場面は本教材の作例ですが、政治学が「実施」と呼ぶ問題の入口をよく表しています。 窓口の場面をもう少し続けてみましょう。午後の窓口に相談の人が列をつくり、職員は閉まる時刻までに全員の話を聞かなければなりません。一人ひとりの事情を丁寧に聞くほど、列の後ろの人は待たされます。そこで職員は、よくある相談には決まった順で説明し、書類のそろった人から手続きを進める、といった型をつくるかもしれません。こうした型は仕事を回すために役立つ一方、型に収まらない事情をもつ人を見落とすおそれもあります。決定の文面には書かれていないこの判断の積み重ねが、市民にとっての政策の中身になっていきます。 この課程の『政策過程――課題はどう選ばれるか』の課では、社会の問題がどのように政府の課題に選ばれ、決定に至るかを見ました。この課は、その決定の後に何が起きるかを扱います。研究者のあいだでは、政策の実施とは、問題の解き方が決まり、担当の機関がその政策を実際に行うよう求められた後に続く段階を指す、と形式上は定義されます [1] 。 ただし、この定義を示した研究者たち自身が、現実の政治はこれより入り組んでいると断っています [1] 。 法律や予算が決まれば、あとは役所が粛々と進めるだけだ、と考える人は少なくないでしょう。しかし実施の研究は、決定と結果のあいだに、多くの機関の同意、資源の限り、現場の職員の判断がはさまることを明らかにしてきました。とくに、市民と直に接する職員がどう判断するかは、政策が市民にとって何であるかを左右します。 この課ではまず、実施という段階がなぜ研究の対象になったかを見ます。次に、実施を決める側から調べる見方と、現場から調べる見方を比べます。そのうえで、リプスキーが「ストリートレベルの官僚」と呼んだ第一線の職員の議論を読み、最後に日本の生活保護の窓口を定める条文で、法律が現場にどんな判断を委ね、どんな枠をはめているかを確かめます。 この課の問い 決まった政策は、なぜ決めたとおりに動くとは限らないのでしょうか。現場の職員の判断は、政策が市民に届く形をどこまで左右するのでしょうか。 この課のことば 実施 決まった政策を、担当の機関が実際に行う段階。法律ができた後、役所が基準を定め、窓口で一人ひとりに当てはめるまでを含みます。 裁量 決まりを当てはめる人に残された判断の余地。好き勝手にしてよいという意味ではなく、法律が見越せない場面で誰かが判断しなければならない幅のことです。 上からの見方・下からの見方 実施を、決定とその目的から調べるか(上から)、現場の担い手とその状況から調べるか(下から)、という分析の出発点の違い。 第一線の職員(ストリートレベルの官僚) 警察官・教師・福祉の窓口の職員のように、仕事の中でいつも市民と直に接し、判断にかなりの独立性をもつ公務員。 決まった手順(ルーティン) 仕事を毎回同じ型で進めるやり方。忙しい職場で判断を速くする一方、一人ひとりの事情を見落とすことがあります。 申請保護の原則 生活保護は、本人や家族の申請にもとづいて始める、という生活保護法の原則。急迫した状況では申請がなくても保護できます。 政策の実施――決めたとおりに動かないのはなぜか 政策は、決まった瞬間に市民へ届くわけではありません。この章では、決定と結果のあいだで何が起きるかを見ていきます。順に、決定の後の過程が研究の対象になったいきさつ、実施を調べる二つの見方、第一線の職員の判断、日本の生活保護の窓口を定める条文を取り上げます。 決定と結果のあいだ――実施という段階 実施は長いあいだ、政策を決めた後に機械的に進む、政治と関わりのない過程だと見られてきました [1] 。 セイガーらの整理によれば、この見方は 1960 年代に大きく変わり、行政の担い手もそれ自体が政治の担い手だと気づかれるようになりました [1] 。 実施は、法律の文言を機械に流し込むように進むものではない、と考えられるようになったのです。 セイガーらの整理では、実施を正面から扱った最初期の研究の一つが、プレスマンとウィルダフスキーの『実施』(初版 1973、第 3 版 1984)です [1] 。 この本は、アメリカの連邦制のもとでの社会政策の事業の実施を分析しました [1] 。 この本は「ワシントンの大きな期待はいかにオークランドで打ち砕かれるか」という題をもちます。セイガーらは、この題が、実施の段階で働く仕組みが事業の成否を決め、政策を決める人はその仕組みに限られた影響しか及ぼせないことを示唆していた、と読みます [1] 。 同じ整理では、この本が政策の実施を新しい研究分野として始めたとされます [1] 。 二人は初版の序文で、政策はふつう目標とそれを実現する手段の両方を含む、と述べました [2] 。 目標だけでなく手段も政策の一部なので、手段がうまく働かなければ、目標が正しくても政策は果たされません。第 3 版に加わった章では、権威をもって採られた政策も実施の前には「言葉の集まりにすぎない」とするバーダックの言葉が引かれます [2] 。 政策はせいぜい実施する者どうしの駆け引きの出発点だ、という彼の見方も紹介されています [2] 。 立法 国会が法律を定める 基準 厚生労働大臣が保護の基準を定める 機関 福祉事務所が人と手順を整える 窓口 現業員が事実を調べ、要件への 当てはめを判断する 決定 実施機関が要否を決め、書面で通知する 市民 保護を受け取る・受け取らない 図 1 決定から市民まで、政策が通る段(本教材の整理。生活保護を例にした場合) なぜ決定だけでは足りないのでしょうか。セイガーらによれば、決まったばかりの政策は、見込み(仮説)にもとづく計画にすぎません [1] 。 例えば燃料の税を上げる政策は、車の運転者が運転を減らすか電気の車に替える、という見込みの上に立っています [1] 。 ここには、問題を起こしているのは誰かについての仮説と、どの手段がその人々の行動を変えるかについての仮説の二つが含まれる、とされます [1] 。 そして現実の試しは、政策が実際に行われるまで来ません。二つの仮説がともに正しい場合でも、実施が失敗すれば政策は失敗する、と彼らは述べます [1] 。 失敗の見分け方も大切です。リンダーとピーターズ(1987)は、政策の失敗を「考えの失敗」と「実施の失敗」に分けたと紹介されています [1] 。 考えが悪ければ、どれほどうまく実施しても目標には届きません [1] 。 本教材の作例で当てはめてみましょう。燃料税が予定どおり上がったのに、運転を減らす、電気の車に替えるといった見込んだ行動の変化が起きなかった場合は、見込みの誤り、つまり考えの失敗を疑うことになります。反対に、税を上げる仕組みが整わず実際には上げられなかったなら、それは実施の失敗です。 実施の難しさを、本教材の作例で計算してみましょう。ある事業が 10 の機関の同意を順に得なければならず、それぞれの同意が 9 割の見込みで得られるとします。各機関の判断が互いに無関係だと仮定した場合、すべてがそろう見込みは 0.9 を 10 回掛けた約 0.35 にとどまります。一つひとつの関門は高い見込みで通るのに、関門が重なると全体は 3 割あまりに下がるのです。実施の研究が、決定の後の過程に目を向けてきた理由の一端が、ここに見えます。 ここで間違えやすい 政策がうまくいかなかったとき、すぐに「現場の実施がまずかった」と決めつけるのは早すぎます。セイガーらが紹介するリンダーとピーターズの区別では、考えの失敗と実施の失敗は別のものです [1] 。 どちらの失敗だったかは、見込みと実施の過程を分けて調べて初めて言えます。 上から見るか、下から見るか――二つの見方 実施の研究は、やがて理論をつくる段に入ります。セイガーらの整理では、理論をつくる第二の世代は 1980 年代に始まり、上からと下からの二つの対照的な分析の型を含みます [1] 。 上からの見方(トップダウン)は、決める側、つまり階層の上の視点をとります [1] 。 この見方では、特定の政策の決定を出発点に、実施する者の活動が決定の目的にどこまで沿っているかを中心の問いにします [1] 。 そのため、実施の単位がもつ裁量は、決定に従わせるという統制の問題と見なされます [1] 。 サバティエとマズマニアン(1980)の「実施が成功する枠組み」は、上からの見方の最も知られた代表の一つとされます [1] 。 下からの見方(ボトムアップ)は、実施にかかわる状況の要因に注目し、政策を決める人が実施の過程を統制できる程度は限られている、と考えます [1] 。 下からの見方の一部では、政策の実施は政府の最も下の階層の担い手の目標・活動・戦略を分析して初めて理解できる、と前提されます [1] 。 ヒューペらによれば、プレスマンとウィルダフスキーの上からのとらえ方の後、ヤーンとポーター(1981)やバレットとファッジ(1981)が、下からの見方の挑戦を示しました [2] 。 上からの見方 下からの見方 出発点:特定の 政策の決定 出発点:現場の 担い手と状況 問い:現場は決定の 目的に沿うか 問い:現場で何が なぜ起きるか 裁量:統制の問題 裁量:実施を 形づくる力(一部の 論者) 代表:サバティエと マズマニアン 代表:リプスキー、 ヤーンとポーター 図 2 実施を調べる二つの見方(セイガーら 2024・ヒューペら 2014 の整理による) 下からの見方を支える考えとして、エルモア(1980)の「後ろ向きの写像」があります。ヒューペらの読みでは、これは新しい政策を、すでにほかの政策や慣行で混み合った場に入ってくるものと見る考えで、政策づくりは政策が決められた後も続いていることを意味します [2] 。 また、マトランドによれば、あいまいさが政策にもともと備わっている場合があり、そのとき実施する者はあいまいさを解く慣行をとらざるをえず、場所ごと・場面ごとの違いが生まれます [2] 。 マトランド(1995)とブロドキン(2007)は、政策の目標がしばしば根本からあいまいで、当事者のあいだの争いを強めることを示したと紹介されています [2] 。 マトランドはさらに、あいまいさと対立の二つの次元を組み合わせ、対立の少ないあいまいさのもとでの「実験的な実施」と、あいまいさと対立が重なる「象徴的な実施」を対比したとされます [2] 。 目標のあいまいさは、現場の工夫の余地にもなれば、争いの種にもなりうるのです。 二つの見方は、ずっと対立したままではありません。セイガーらの整理では、二つを互いに排除し合うものとして並べるより組み合わせるほうが有望だと認められ、実施研究の第三の世代が生まれました [1] 。 例えば、窓口の待ち時間が長いという問題を調べるなら、上からは「通知の定める手順が守られているか」を、下からは「窓口で申請の前に何が起きているか」を問うことができます。二つの問いの答えを合わせると、決定と現場のどこでずれが生じたかが見えやすくなります。 実施の研究は、次に学ぶ政策評価とも区別されます。ヒューペらによれば、評価の本質は「何が起きるべきだったか」という価値の判断で、実施の研究は「何が起きたか」を説明することにかかわる、と言えます [2] 。 待ち時間がなぜ長いかを説明するのは実施の研究、その長さが許されるかを判定するのは評価、と分けて考えるとよいでしょう。 ここで間違えやすい 上からの見方は「現場を軽んじる考え」、下からの見方は「現場の判断こそ正しいという考え」と読むのは誤りです。二つは、実施をどこから調べ始めるかという分析の出発点の違いで、それ自体は「現場を従わせるべきだ」「現場に任せるべきだ」という規範の主張ではありません。上からの見方でも、裁量は「統制の問題」として正面から扱われます [1] 。 第一線の職員――リプスキーのストリートレベル官僚制 下からの見方の中で最も知られた流れが、リプスキーのストリートレベル官僚制の考えだとされます(書物は 1980 年、増補版 2010 年) [1] 。 ここでは、その考えの早い版である 1969 年の論文を読みます。リプスキーはこの論文で、第一線の官僚(ストリートレベルの官僚)を三つの点で定めました。政府に雇われ、仕事の中でいつも市民と接し、仕事の判断にかなりの独立性をもち、相手の生活に大きな影響を与えうる人々です [3] 。 論文が主に扱うのは警察官・教師・下級裁判所の裁判官ですが、それだけに限らないとも断っています [3] 。 ここでの「独立性」と「裁量」の関係に気をつけましょう。リプスキーの定義では、判断の裁量は独立性の一つの部分ですが、仕事の上の独立性は裁量に限られません [3] 。 例えば生活保護の窓口では、資産や収入の事実を確かめ、法律の要件に当てはまるかを見る場面に判断の余地があります。ただし、要件を満たす人への保護を任意に拒めるわけではなく(生活保護法 2 条)、要否を決めて通知するのは実施機関です(24 条) [4] 。 一方、相手にどんな態度で接し、どれほど丁寧に説明するかは、決定とは別に、職員にゆだねられた独立性に含まれます。 リプスキーは、次の三つの条件が目立つ場合を論じると述べます。一つ目は使える資源が足りないこと、二つ目は身体や心への脅威があるか、職員の権威がたびたび挑まれるか(両方の場合も含む)です [3] 。 三つ目は、仕事への期待があいまいか矛盾している(両方の場合も含む)うえに、達せない理想を含む場合です [3] 。 ただし、これらの条件はいつも成り立つ