民主化――豊かさと民主主義の関係 — Epoché
制度と行動 政治体制の比較 約 26 分 本文 約 11,700 字 図 4・表 2 資料 1 節 この課の要点 相関・因果・例外の 3 つ 相関 豊かな国ほど民主主義の度合いが高い傾向は、今日のデータでも見えます。ただし確率の関係で、外れる国もあります。 因果 豊かさが民主化を生むのか、民主主義を長持ちさせるだけなのか、国ごとの事情を除くと消えるのかは、期間と方法で答えが分かれ、論争が続いています。 例外 産油国やシンガポール、戦前の日本のような例外は、資源の収入や、指導者の交代・敗戦のような引き金の有無から読む見方があります。 はじめに 世界地図を思い浮かべてみてください。1 人あたりの所得が高い国の多くは、選挙で政権が代わる国です。日本、西ヨーロッパ、北アメリカの国々がそうです。ところが、同じくらい豊かでも、民主主義に数えられない国があります。V-Dem の 2024 年の分類では、サウジアラビアやカタールなどペルシア湾岸の産油国は、執政の長も議会も複数政党の選挙で選ばない「閉じた独裁」です。シンガポールには複数政党の選挙がありますが、選挙の自由や公正などの条件を満たさない「選挙による独裁」に分類されています [6] 。中国は数十年にわたって急速に成長しましたが、一つの党が統治を続け、分類は「閉じた独裁」です [6] 。「国が豊かになれば、やがて民主主義になる」という見方は、どこまで当たっているのでしょうか。 この課程の『民主主義を測る』の課では、民主主義の度合いを数で表す指標を学びました。『権威主義体制』の課では、独裁者がどう生き延びるかを見ました。この課では、体制を外から動かす大きな条件として、経済の豊かさを取り上げます。経済の発展と民主主義の関係は、政治学で何度も問われ、新しいデータや統計の方法が出るたびに論争がぶり返してきた問いです [1] 。 先に、二つの問いを分けておきます。一つは、独裁の国が豊かになると民主主義に移りやすくなるのか、という「民主化」の問いです。もう一つは、いったん民主主義になった国が豊かだと倒れにくいのか、という「存続」の問いです。豊かな国に民主主義が多いという同じ事実は、どちらの理由でも生まれます。さらに、豊かさと民主主義の両方を、歴史のような別の事情が生んでいるだけかもしれません。この課では、主張の章でこの三つの読み方を順に見ます。資料の章では、2024 年の所得と民主主義の指数の散布図を自分で読みます。考えてみるの章では、中国と戦後の日本に当てはめます。 この課の問い 豊かな国ほど民主主義の国が多いのはなぜでしょうか。豊かになることが民主化を生むのか、それとも民主主義を長持ちさせるだけなのか、を考えます。 この課のことば 近代化論 経済が発展すると、工業化・都市化・教育の広がりを通じて、政治も民主的になるという考え方です。一人の学者の説ではなく、似た考え方の束を指します。 民主化と存続 民主化は、独裁の体制から民主主義の体制へ移ることです。存続は、いったん民主主義になった国がそれを保つことです。二つは別の問いとして調べられます。 固定効果 国ごとに変わらない事情(歴史や地理など)を統計の上で取り除き、同じ国の中で所得が上がったとき民主主義も上がったかを見る工夫です。 引き金 指導者の交代・経済危機・敗戦のように、体制が変わるきっかけになる出来事です。トレイスマンは、発展の効果はこうした出来事があって初めて現れると論じます。 選挙民主主義指数 V-Dem という研究計画が、選挙を通じた民主主義の度合いを 0〜1 で表した数です。この課程の『民主主義を測る』の課で扱いました。 豊かさと民主主義――豊かになれば民主化するのか 前の課では、独裁者が支配を続ける仕組みを見ました。この章では、体制を外から動かす大きな条件として、経済の豊かさを取り上げます。まず、豊かさと民主主義が一緒に見られるという事実と、その説明を確かめます。次に、その事実が「民主化」と「存続」のどちらから来るのかという論争、さらに豊かさが本当に原因なのかという論争を見ます。最後に、例外とされる国々をどう読むかを考えます。 豊かな国ほど民主的――リプセットの仮説と今日の数 出発点は、アメリカの社会学者リプセットが 1959 年に発表した論文です。リプセットは、民主主義を支える社会の条件について、いくつかの仮説を立て、手に入るデータで確かめようとしました [5] 。アセモグルらの 2008 年の論文の引用によると、リプセットは、民主主義が「近代化」という広い過程の中で生まれ、固められると考えました。そして、工業化・都市化・富・教育という要因は互いに深く結びついていると見ました [2] 。アセモグルらは、所得と民主主義の統計上の結びつきを、影響力の大きい近代化論の「礎石」と呼んでいます [2] 。 リプセット自身は、この結びつきを新しい発見だとは考えていませんでした。政治学者トレイスマンの引用によると、リプセットはこれを、政治の体制と社会を結びつける一般化のうち「おそらく最も広まったもの」と書いています [1] 。また、トレイスマンは、リプセットがこの関係を「確率の関係」として述べており、例外が出ることは初めから見込まれていた、と読んでいます [1] 。 では、今日のデータではどうでしょうか。2024 年の 1 人あたりの所得(世界銀行の推計)と、V-Dem の選挙民主主義指数の両方が分かる 168 の国・地域を、所得で四つの帯に分けてみます。指数の中央値は、1 万ドル未満の 58 の国・地域で 0.309、1 万〜2 万ドルの 36 で 0.497 でした。2 万〜4 万ドルの 30 では 0.567、4 万ドル以上の 44 では 0.823 です(本教材の集計) [6] [7] 。帯が上がるほど中央値も上がります。資料の章の散布図 (図 4) で、一つ一つの国の位置を確かめられます。 なぜ豊かさが民主主義につながるのでしょうか。トレイスマンは、これまでの説明を、人々が権力を求める側(需要の側)と、統治者が権力を分ける側(供給の側)に分けて整理しています [1] 。図 1 は、その経路を並べたものです。経路は互いに順番につながるものではなく、別々の説明として出されてきました。 経済の発展 所得が上がり、 工業化・都市化・教育が進む 需要:労働者の組織 都市の労働者が組合や抗議を組織できる 需要:教育 技能・効力感・新聞の市場・大学生が 生まれる 供給:再分配への恐れ 富が十分なら多少の再分配を許せる (リプセット) 供給:課税の交渉 取り上げにくい資産に、税と引き換えの 発言権 図 1 経済の発展が民主化を後押しするとされる経路。トレイスマン 2020 の整理による [1] 。上の二つは人々が権力を求める側(需要の側)、下の二つは統治者が権力を分ける側(供給の側)の説明で、順に起きる段ではなく別々の説明として出され、それぞれ研究で争われている。体制が変わるには引き金が要るという見方は、第 3 節の条件つきの近代化論。 需要の側から見ます。工業化は、村で暮らしていた農民を工場と都市に集めます。地主や教会から離れた労働者は、不満を分かち合い、組合をつくり、ストライキや抗議を組織できるようになります。ただし、労働者の役割は「誇張されている」という見方もあり、労働者の要求は政治の改革より賃金に向かうことが多い、とも指摘されています [1] 。教育も大きな経路とされます。学校は、意見を伝え、集団をまとめ、法律を使う技能を教えます。読み書きのできる人が増えると、新聞の市場が生まれます。トレイスマンの紹介によると、マーティンとワチアーグは 2014 年の研究で、1870〜2000 年の世界の民主主義の上昇の半分は初等教育の広がりによると推定しています [1] 。 供給の側の説明もあります。トレイスマンの引用によると、リプセットは、国に十分な富があって「多少の再分配が起きても大差がない」とき、上流の人々は権力を分ける気になると述べました [1] 。また、富が土地から工場、さらに知識や技能へと移ると、統治者は資産を取り上げにくくなります。税を集めるには、見返りに発言の権利を与える交渉が必要になる、という説明です [1] 。ただし、トレイスマン自身は、再分配への恐れを中心に置く説明には弱点があると批判しています。民主化の多くは、豊かな支配層が同意して起きたのではなく、革命や軍の離反で起きたからです [1] 。なお、どの経路も、それだけで体制が変わるとは考えられていません。発展の効果は指導者の交代などの引き金があって初めて現れる、というトレイスマンの条件つきの仮説は、第 3 節で見ます [1] 。 ここで間違えやすい 「豊かになれば必ず民主主義になる」と読むのは誤りです。リプセットの仮説は確率の関係で、図 4 にも豊かな独裁や、所得の低い民主的な国があります。また、帯ごとの中央値の違いは、豊かさが原因だということまでは示しません。 生まれるのか、生き残るのか――プシェヴォスキとリモンギの問い 豊かな国に民主主義が多い、という事実には二つの読み方があります。豊かになった独裁の国が、民主主義に移りやすいからでしょうか。それとも、民主主義はどこでも同じように生まれるけれど、豊かな国では倒れにくいので残っていくからでしょうか。政治学者のプシェヴォスキとリモンギは、1997 年の論文でこの問いをはっきり立てました [3] 。 二人は、1950〜1990 年に存在した 135 か国のデータを調べました。著者の要旨によると、結果は次のとおりです。経済発展の水準は、民主主義への移行の確率に影響しません。しかし、豊かさは民主主義を安定させます。豊かさと民主主義の安定の関係は単調で、豊かになるほど安定します。中程度の発展の国で民主主義が崩れるのは、南アメリカの南端に近い国々(南米南部)に特有の現象です。二人は、近代化は民主主義を生まなくてもよいが、民主主義は近代的な国で生き残る、と結論しました [3] 。トレイスマンの紹介によると、プシェヴォスキらは 2000 年の本でも、近代化論には「ほとんど説明力がない」と結論しています [1] 。 存続の読み 出現の読み (内生的な民主化) 豊かさは移行の 確率を変えない 発展は移行の確率を 上げる 豊かな国の 民主主義は 倒れにくい 安定への効果より 強い(19 世紀半ば〜大戦) プシェヴォスキと リモンギ(1997) ボイシュと ストークス(2003) 期間は 1950〜1990 年(135 か国) 分析は 19 世紀半ば 以降(戦後も含む) 図 2 豊かな国に民主主義が多いことの二つの読み方。プシェヴォスキとリモンギ 1997、ボイシュとストークス 2003 の著者の要旨による本教材の整理 [3] [4] 。 この結論には反論が出ました。ボイシュとストークスは 2003 年の論文で、経済発展は民主主義への移行の確率を上げると論じました。二人は、どの国と年を標本に入れるかという選び方と、統計のモデルの立て方の問題を扱えば、結果が変わると主張します。二人の分析は 19 世紀の半ばから戦後の数十年までに及びます。そのうち 19 世紀の半ばから第二次世界大戦までの約 100 年では、発展が移行に与える効果は大きく、民主主義の安定に与える効果より強かった、というのが二人の要旨です。より最近の数十年についても、発展したのに独裁のままの国の一部は、発展のために民主化が見込まれると論じています [4] 。論文の題は「内生的な民主化」で、民主化が経済の内側の変化から生まれるという見方を表しています [4] 。 トレイスマンは、2020 年の時点でこの論争を整理し、1820 年以来のデータで確かめ直しました。所得の高さは、10〜20 年の中期で見ると、民主化とも民主主義の存続とも強く一貫して結びつきます。しかし、1〜5 年の短い期間では必ずしもそうではありません [1] 。数の例を挙げます。統計のモデルには、国と年の固定効果が入っています。そのモデルで、権威主義の国が次の 20 年で、少なくとも最低限の競争のある選挙の体制に移る確率を推定しました。所得 1 万ドルの国の方が、1,000 ドルの国より 0.69 高いという結果です。民主主義の側では、20 年後も民主主義である確率が、所得 2,000 ドルから 1 万ドルの間で、ほぼ 0 からほぼ確実へと上がります [1] 。どちらも、トレイスマンの使う過去の所得の推計(2011 年のドルで表した値)と、その研究の民主主義の基準での数です。 南米南部の例は、この論争の具体的な姿を見せます。トレイスマンによると、1970 年代には、ラテンアメリカで経済の最も進んだ国々を軍の政権が握りました [1] 。こうした例から、近代化には民主主義でない別の道もある、という理論が生まれました。しかし、アルゼンチン・チリ・ウルグアイは、その後数十年、民主主義を続けています [1] 。トレイスマンは、アルゼンチンを例に、中程度の豊かさの国では体制が民主主義と権威主義の間を行き来しうると述べています [1] 。 ここで間違えやすい 「豊かさは民主主義を守るだけで、民主化は生まない」を決着した事実と覚えるのは誤りです。どの期間を見るか、どれくらいの長さで変化を測るかで、答えが分かれます。プシェヴォスキとリモンギの結論は 1950〜1990 年のデータについてのものです。 豊かさは原因か――国ごとの事情を除くと、そして引き金 もう一つの論点は、豊かさが本当に原因なのか、です。アセモグル、ジョンソン、ロビンソン、ヤレドの 2008 年の論文は、二つの問題を指摘しました [2] 。一つは、逆向きの因果です。民主主義が所得を上げているのかもしれません。もう一つは、もっと大事だとされる、隠れた第三の要因です。歴史のような別の事情が、政治の体制と経済の伸びの両方を決めているのかもしれません [2] 。 論文の例で考えます。アメリカはコロンビアより豊かで、より民主的です。この 2 つを並べると、所得が民主主義を生むように見えます。しかし、二つの国は歴史がまったく違います。そこで、国の固定効果を入れて国ごとの変わらない事情を取り除き、「コロンビアが相対的に豊かになったとき、相対的に