11.66 柳宗元 小石潭記 — 其の境の清に過ぐるを以て、久しくは居る可からず — Epoché
この篇でできるようになること 音、淵、魚、川筋、座った時、同行者という順を示せます。 名詞でたとえる形と、魚の数をおよそで示す形を現代語にできます。 長くいられない理由と、気持ちが変わる所を本文で確かめられます。 前提 :11.65「柳宗元 捕蛇者說」。同じ永州で書かれた、山水の記へ移ります。 小丘の西に見つけた淵 題を詳しく言うと『至小丘西小石潭記』で、小丘の西にある小石潭へ至った記です。柳宗元が永州の山水を書いた永州八記の、四番目とされます。 記は場所や出来事を書き留める文章で、この篇は最後に同行者の名を挙げて結びます。 見る順は、 從小丘西行百二十步 で道を進む所から、 潭中魚 、 潭西南而望 、 坐潭上 へ変わります。移動し、見て、座るという体の動きと、描く対象を対応させます。 見る前に、音で心が動く 竹やぶを隔てて水音を聞き、 如鳴珮環 と、玉の飾りが鳴るようだと受け取ります。まだ淵は見えていませんが、 心樂之 で、心にそれを楽しいと思います。 樂之 は、それを楽しいと思う意動用法です。対象を伴う動詞として読めば、何に心を動かされたのかが分かります。形容詞だけの文として読まないでください。 次に竹を伐って道を付け、下に小さな淵を見ます。 伐竹取道 は、新しく道を作って進んだ動作です。 一枚の岩を底にし、岸近くでその岩が水面に出て、洲、小島、さまざまな岩になります。木とつるが覆い、絡み、揺れ、つながる姿を置いてから、魚へ目を移します。 百匹を数えられる、ではない 潭中魚可百許頭 は、淵の魚が百匹ほどいるということです。 可 は数の前、 許 は数の後にあり、およその数を示しています。 頭 は、この文では魚を数える量詞です。現代語では 条 を使います。 型編 7課 の数詞と量詞の形に直す時も、百匹ちょうどという数にしないでください。 この 可 を、できる、と読んで、百匹を数えられる、としないでください。 百許頭 という数のまとまりとともに、百匹ほど、と受け取ります。 小さな淵をのぞき、およその魚の数を述べます。 魚、光、影から澄み方を読む 皆若空游無所依 では、魚がみな宙を泳ぎ、何にも支えられていないように見えます。 無所依 は、よりかかる所がないというまとまりです。本当に空気中を泳ぐ魚の話ではありません。 続く 日光下澈,影布石上 は、日の光が下まで通り、魚の影が石の上に広がることです。魚と光と影を書き、水そのものを繰り返し名指さずに、その澄み方を見せています。 前の段には、水がとりわけ澄んで冷たいという説明もあります。その後の魚の段で、澄んでいると重ねて言う代わりに、何が見えるかを示す書き方になっています。 日光下澈 の 下 は下へという方向を、動詞の前で示します。 影布石上 では、石の上という場所が動詞の後にあります。現代語へ直す時は、何がどこへ届くかを保ちます。 止まる魚と、急に動く魚 佁然不動 では、魚がじっと動きません。次に 俶爾遠逝,往來翕忽 と、突然遠くへ去り、素早く行き来します。止まる時と動く時を、句を切り替えて見せます。 似與游者相樂 は、遊びに来た人とともに楽しんでいるようだということです。魚の心を確かめたという断定でなく、見ている側がそのように受け取る形です。 初めの 心樂之 と、 相樂 には同じ楽しむ字があります。ただし前者はそれを楽しいと思う意動用法、後者はともに楽しむ意味です。字が呼び合うことと、文法が同じであることを分けましょう。 名詞を置いて、川と岸の形を見せる 淵の西南を望むと、 斗折蛇行 とあります。北斗七星のように折れ、蛇のように進むという川筋です。見えたり隠れたりしながら続きます。 其岸勢犬牙差互 は、岸の形が犬の牙のように食い違うことです。 斗 ・ 蛇 ・ 犬牙 という名詞が動詞の前にあり、どんな形で動き、並ぶかを示します。 これが名詞の状語用法です。ここには、ように、に当たる別の字を付けていません。一方、音の 如鳴珮環 や魚の 皆若空游 には、たとえを示す 如 ・ 若 があります。 現代語では 像 と 一样 を立てて、名詞が示す形を言えます。どれもたとえではありますが、原文が名詞だけを前に置くか、たとえの字を使うかは違います。 座ってから、寒々しさへ変わる 坐潭上 からは、四方を竹や木が囲み、ひっそりと人けがないと描きます。その後の 淒神寒骨,悄愴幽邃 で、心が寒々しく、骨まで冷え、静かで悲しく奥深い感じになります。 動いて見ていた時の楽しさが、座っている時には寒さへ変わったと読めます。ただし、座った後には周囲を囲む木々や静けさも新しく描かれています。座ったことだけが理由とは言い切れません。 以其境過清,不可久居 は、その場があまりに清冷なので、長くはいられないという理由と結果です。 以 は道具でなく理由を示し、現代語の 因为 に言い換えられます。 この 以 を、何かを使って、という道具の意味にしないでください。後ろに、その場が清冷すぎる、という理由の中身があります。だから長くいられない、と続きます。 澄んだ水が楽しいというだけで閉じず、清冷さが立ち去る理由にもなります。見る者の気持ちが移る所まで書いた記として、初めの楽しさと並べます。 最後に、一緒にいた人の名を置く 乃記之而去 で、書き留めて去ります。竹を伐る、淵のほとりに座る、書き留めて去るという句には、その都度、誰が、という主語を出していません。前後の動作から、見る人の流れを追います。 その後で、吳武陵、龔古、弟の宗玄という同行者と、付き従った二人の名を挙げます。ここは、この旅に誰がいたかを記す本文の結びです。 景色と気持ちの文を読んだ後、この篇では最後に人の名が残ることを確かめます。 語釈 語 品詞 意味 日本語との差 例文 訳 篁竹 名詞 竹やぶ 水音を隔てるもの 隔篁竹 竹やぶを隔てて 珮環 名詞 玉の飾り 音のたとえ 如鳴珮環 玉の飾りが鳴るようだ 樂 意動の語 楽しいと思う 相樂の楽しむと分ける 心樂之 心にそれを楽しいと思う 許 概数の語 〜ほど 正確な数ではない 潭中魚可百許頭 淵の魚は百匹ほどである 佁然 様子の語 じっとしているさま 次の急な動きと対にする 佁然不動 じっとして動かない 俶爾 副詞 突然 魚が動き始める 俶爾遠逝 突然遠くへ去る 斗 状語の名詞 北斗七星のように 川の曲がり方 斗折蛇行 北斗七星のように折れ蛇のように進む 犬牙 状語の名詞 犬の牙のように 岸の食い違い方 犬牙差互 犬の牙のように食い違う 居 動詞 とどまる ここでは永住でない 不可久居 長くとどまれない 練習 斗折蛇行 、 犬牙差互 、 如鳴珮環 、 皆若空游 から、たとえの字を使わず名詞だけで形を示す二つを選んでください。 字を原文どおりに補って書いてください。 潭中魚_百_頭 字を原文どおりに補って書いてください。 皆若空游無_依 字を原文どおりに補って書いてください。 _其境過清,不可久居 潭中魚可百許頭 と 影布石上 を、現代語に言い換えてください。 以其境過清,不可久居 を、現代語の 因为 ・ 所以 を使って言い換えてください。 皆若空游無所依 を、支える所がないように見える点を残して現代語にしてください。 淵の周りを思い浮かべ、 树林 ・ 松树 ・ 植物 ・ 宁静 ・ 寒冷 ・ 浅 を使う短い現代語の三文で書いてください。 心樂之 の後で気持ちはどこで変わりますか。 淒神寒骨,悄愴幽邃 を引き、二文で説明してください。 各段の最初の句( 從小丘西行 ・ 潭中魚 ・ 潭西南而望 ・ 坐潭上 ・ 同游者 )を本文の順に並べ、それぞれ何を描く段かを書いてください。 音読:次の原文の句を ▶ で聞き、声に出して読んでください。 日光下澈,影布石上,佁然不動;俶爾遠逝,往來翕忽 佁然不動 はゆっくり、 俶爾遠逝,往來翕忽 は速く読んでください。 この篇のまとめ 水を見る前に音で楽しみ、魚と影から澄み方を読みました。名詞のたとえと概数を分け、座った時の清冷さが去る理由になる結びを確かめました。 次の篇へ 次の11.67では種樹郭橐駝傳を読みます。木の性質に任せる植木の名人の答えから、役人の干渉を考える話へ移ります。 答え 斗折蛇行 と 犬牙差互 です。北斗七星、蛇、犬の牙という名詞を前に置きます。 潭中魚可百許頭 皆若空游無所依 以其境過清,不可久居 潭里大约有一百条鱼。 鱼影落在石头上。 因为太冷,所以不能久留。 鱼好像都在空中游,没有什么可以依靠。 树林里有松树,很宁静。 岸边的植物很茂盛。 水很浅,四周很寒冷。 淵のほとりに座り、周囲の木と静けさを述べた後、 淒神寒骨,悄愴幽邃 と寒々しさへ変わります。動いて見る楽しさから座った時の寒さへ移ったと読めますが、座ったことだけが変化したとまでは言えません。 從小丘西行 は水音と淵と岩、 潭中魚 は魚と影、 潭西南而望 は川筋と岸、 坐潭上 は座ってからの寒々しさ、 同游者 は一緒にいた人の名を描く段です。 参考文献 柳宗元『至小丘西小石潭記』。パブリックドメイン(著者没後70年経過)。出所: https://zh.wikisource.org/wiki/至小丘西小石潭記