7.1 Η μέρα μου(私の一日) — Epoché
この 篇 へん でできるようになること 辞書 じしょ を 引か ひか ずに、 既習 きしゅう 語 ご だけの 文章 ぶんしょう を 通し とおし て 読める よめる 。 一 いち 日 にち の 流れ ながれ を、 現在 げんざい の 形 かたち と 副詞 ふくし ( Το πρωί Μετά Το βράδυ )だけで 追える おえる 。 弱形 じゃっけい の 代 だい 名詞 めいし が 動詞 どうし の 前 まえ 、 持ち主 もちぬし が 名詞 めいし の 後ろ うしろ に 立つ たつ ことを、 実際 じっさい の 文章 ぶんしょう で 確かめ たしかめ られる。 前提 ぜんてい : 4.4( 食べ物 たべもの と 飲み物 のみもの )。 第 だい 1 期 き の 語 ご 編 へん を 終え おえ た 直後 ちょくご です この 文章 ぶんしょう について 読 どく 編 へん の 最初 さいしょ の 篇 へん です。 文章 ぶんしょう は 本 ほん 課程 かてい が 書い かい た 統制 とうせい 作文 さくぶん で、ここまでの 課 か で 出 で た 語 ご と、そこに 出 で た 機能 きのう 語 ご だけでできています。 範囲 はんい 外 がい の 語 ご は、 人名 じんめい の Γιούι と 地名 ちめい の Ιαπωνία Αθήνα Ελλάδα の 四 よん つだけです。 統制 とうせい 作文 さくぶん だけは 本 ほん 課程 かてい が 自分 じぶん で 書き かき ます。ほかの 篇 へん はすべて 実在 じつざい の 文章 ぶんしょう から 採り とり ますが、 最初 さいしょ の 一 いち 篇 へん だけは 知ら しら ない 語 ご がゼロの 文章 ぶんしょう が 要る いる 。 辞書 じしょ なしで 最後 さいご まで 読み よみ 通せ とおせ たという 経験 けいけん が、 次 つぎ の 篇 へん へ 進む すすむ 足場 あしば になるからです。 自作 じさく を 許す ゆるす 条件 じょうけん は 一 ひと つで、 範囲 はんい 外 がい が 本当 ほんとう に 0% だと 機械 きかい で 確かめ たしかめ られること です。 本 ほん 課程 かてい は 語形 ごけい を 一 ひと つずつ、 投入 とうにゅう 済み ずみ の 課 か の 語 ご 表 ひょう と 機能 きのう 語 ご の 白 しろ 名簿 めいぼ で 解い とい て 確かめ たしかめ ています。 解け とけ ない 語 ご が 一 ひと つでもあれば、この 篇 へん は 本番 ほんばん に 入り はいり ません。 実際 じっさい に 一 いち 度 ど 落ち おち て、 聞く きく という 動詞 どうし の 複数 ふくすう 形 けい が 縮まる ちぢまる ことを 3.8 の 語釈 ごしゃく に 書き足し かきたし ました。 文章 ぶんしょう は 九 きゅう 段落 だんらく 、 二百 にひゃく 二十 にじゅう 六 ろく 語 ご 。 語り手 かたりて はアテネで 学ぶ まなぶ 日本 にっぽん 人 にん の 学生 がくせい です。 文法 ぶんぽう メモ この 文章 ぶんしょう の 型 かた は 全部 ぜんぶ 、 形 かたち 編 へん と 型 かた 編 へん 3.1〜3.8 の 範囲 はんい です。 新しい あたらしい 型 かた はありません。どの 課 か の 型 かた が 文章 ぶんしょう のどこにあるかを 確かめ たしかめ てください。 弱形 じゃっけい の 代 だい 名詞 めいし は 動詞 どうし の 前 まえ ( 型 かた 編 へん 6 課 か )— 名乗り なのり の Με λένε がその 形 かたち です。 私 わたくし を・ 呼ぶ よぶ の 順 じゅん で、 日本 にっぽん 語 ご と 同じ おなじ 並び ならび になります。 本文 ほんぶん では Με λένε Γιούι がその 形 かたち です。 持ち主 もちぬし は 名詞 めいし の 後ろ うしろ ( 型 かた 編 へん 7 課 か )— το σπίτι μου 「 το πρωινό μου 」 η μητέρα μου 。 冠詞 かんし ・ 名詞 めいし ・ 持ち主 もちぬし の 順 じゅん で、 日本 にっぽん 語 ご とは 逆 ぎゃく になります。 冠詞 かんし は 消え きえ ません。 本文 ほんぶん では Το σπίτι μου είναι μικρό がその 形 かたち です。 形容 けいよう 詞 し は 主語 しゅご の 性 せい に 合わせる あわせる ( 形 かたち 編 へん 3 課 か )— 語り手 かたりて は 女性 じょせい なので、 疲れ つかれ た という 形容 けいよう 詞 し が κουρασμένη になります。 男性 だんせい なら 語尾 ごび が 変わり かわり ます。 本文 ほんぶん では Είμαι κουρασμένη がその 形 かたち です。 中動態 ちゅうどうたい は 自分 じぶん に 向かう むかう 動き うごき ( 語 ご 編 へん 3 課 か )— 服 ふく を 着る きる ・ 休む やすむ ・ 思い出す おもいだす ・ 眠る ねむる 。 四 よん つとも 語尾 ごび がマイで 終わり おわり ます。 本文 ほんぶん では Κάθομαι στην καρέκλα και ξεκουράζομαι がその 形 かたち です。 決まっ きまっ た 行き先 いきさき に 前置 ぜんち 詞 し が 要ら いら ない ( 型 かた 編 へん 5 課 か )— 学校 がっこう へ 行く いく 、 家 いえ へ 帰る かえる 。 名詞 めいし をそのまま 置き おき ます。 本文 ほんぶん では Πηγαίνω σχολείο がその 形 かたち です。 否定 ひてい は 動詞 どうし の 前 まえ に 一 いち 語 ご ( 型 かた 編 へん 4 課 か )— Δεν είμαι Δεν αργώ Δεν πίνω 。 語順 ごじゅん は 変わり かわり ません。 本文 ほんぶん では Δεν πίνω κρασί がその 形 かたち です。 対訳 たいやく 私 わたくし はユイといいます。 日本 にっぽん から 来 き ました。いまはアテネに 住ん すん でいます。 学生 がくせい です。 私 わたくし の 家 いえ は 小さい ちいさい けれど、すてきです。 部屋 へや が 一 ひと つ、 台所 だいどころ が 一 ひと つ、 浴室 よくしつ が 一 ひと つあります。 朝 あさ は 早く はやく 起き おき ます。 疲れ つかれ てはいません。 顔 かお を 洗っ あらっ て、 服 ふく を 着 き ます。 台所 だいどころ で、 牛乳 ぎゅうにゅう と 砂糖 さとう を 入れ いれ たコーヒーを 飲み のみ ます。パンにチーズをのせて 食べ たべ ます。 私 わたくし の 朝食 ちょうしょく は 軽い かるい ものです。 そのあと 扉 とびら を 開け あけ て 外 そと へ 出 で ます。 道 みち は 広い ひろい です。 太陽 たいよう がきれいです。 道 みち で 猫 ねこ を 一 いち 匹 ひき 見かけ みかけ ます。その 猫 ねこ は 黒い くろい です。 学校 がっこう へ 行き いき ます。 遅れる おくれる ことは 決して けっして ありません。 学校 がっこう では 読ん よん だり 書い かい たりします。 先生 せんせい が 話し はなし 、 私 わたくし たちは 聞き きき ます。 先生 せんせい に 質問 しつもん すると、 答え こたえ てくれます。 毎日 まいにち ギリシア 語 ご を 読み よみ ます。この 言語 げんご はきれいです。 友だち ともだち の 一人 ひとり が、 自分 じぶん の 家族 かぞく に 手紙 てがみ を 書い かい ています。 そのあと、おなかがすいて、のどが 渇き かわき ます。パンとチーズとりんごを 一 ひと つ 食べ たべ ます。 水 みず を 飲み のみ ます。ワインは 飲み のみ ません。 私 わたくし の 友だち ともだち は 何 なん も 食べ たべ ません。 家 いえ へ 帰り かえり ます。 椅子 いす に 座っ すわっ て 休み やすみ ます。ギリシアについての 本 ほん を 一 いち 冊 さつ 読み よみ ます。そのあと 部屋 へや を 掃除 そうじ して、 洗濯 せんたく をします。 夜 よる は 料理 りょうり をします。 上手 じょうず ではありませんが、 料理 りょうり はおいしいです。テレビを 見 み ます。 家族 かぞく のことを 思い出し おもいだし ます。 母 はは と 父 ちち は 日本 にっぽん にいます。 明かり あかり を 消し けし て、ベッドへ 行き いき ます。 窓 まど を 開け あけ ます。 道 みち の 音 おと が 聞こえ きこえ ます。 疲れ つかれ ています。よく 眠れ ねむれ ます。 仕事 しごと のない 日 ひ もあります。 友だち ともだち と 町 まち へ 行き いき ます。アテネは 大きく おおきく て、きれいです。ギリシアが 好き すき です。 読み よみ どころ この 文章 ぶんしょう の 読み よみ どころは、 知ら しら ない 語 ご が 一 ひと つも 無い ない のに、ギリシア 語 ご らしく 読める よめる ことです。 文 ぶん は 全部 ぜんぶ 短く みじかく 、 型 かた は 型 かた 編 へん の 前半 ぜんはん だけ。それでも 一 いち 日 にち が 朝 あさ から 夜 よる まで 語ら かたら れています。 第 だい 1 期 き の 到達 とうたつ 点 てん を、まず 目 め で 確かめ たしかめ てください。 段落 だんらく の 頭 あたま に 注目 ちゅうもく してください。 Το πρωί Μετά Το βράδυ —— 時 じ を 表す あらわす 語 ご が 段落 だんらく を 区切っ くぎっ ています。ギリシア 語 ご の 動詞 どうし の 現在 げんざい は、いましていることといつもしていることの 両方 りょうほう を 担う になう ので、この 文章 ぶんしょう がどちらの 話 はなし なのかは これらの 副詞 ふくし だけが 決め きめ ています 。 副詞 ふくし を 全部 ぜんぶ 取り去る とりさる と、 同じ おなじ 文 ぶん が「ある 日 ひ の 話 はなし 」にも「 毎日 まいにち の 話 はなし 」にも 読め よめ てしまう。3.3 で 言っ いっ たことが、まとまった 文章 ぶんしょう で 確かめ たしかめ られます。 もう 一 ひと つ、 語り手 かたりて が 女性 じょせい だと 分かる わかる ところが 二 に か所 かしょ あります。「 μαθήτρια, κουρασμένη 」の 二 に 語 ご です。 日本 にっぽん 語 ご の 訳 わけ では 性 せい が 消え きえ ますが、ギリシア 語 ご では 自分 じぶん の 具合 ぐあい を 言う いう だけで 自分 じぶん の 性 せい を 宣言 せんげん している 。4.1 で 扱っ あつかっ たことが、ここでも 同じ おなじ 形 かたち で 出 で ています。 最後 さいご に、この 文章 ぶんしょう には 過去 かこ の 形 かたち が 一 ひと つも 出 で てきません。 型 がた 編 へん 3.8 で 過去 かこ を 学び まなび ましたが、 一 いち 日 にち を 語る かたる のに 過去 かこ は 要ら いら なかった。 現在 げんざい の 形 かたち だけで、これだけの 長 なが さの 文章 ぶんしょう が 書ける かける ——これは 日本 にっぽん 語 ご 話者 わしゃ にとって 心強い こころづよい 事実 じじつ です。 練習 れんしゅう 練習 れんしゅう 1 — 読み取る よみとる 原文 げんぶん を 読ん よん で、 次 つぎ に 答え こたえ てください。 ユイは 朝 あさ 、 何 なん を 食べ たべ て、 何 なん を 飲み のみ ますか。 ユイの 友だち ともだち は 昼 ひる に 何 なん を 食べ たべ ますか。 ユイは 家 いえ に 帰っ かえっ てから、 何 なん を 三 みっ つしますか。 この 文章 ぶんしょう から、 語り手 かたりて が 女性 じょせい だと 分かる わかる ところはどこですか。 二 に か所 かしょ あります。 練習 れんしゅう 2 — 音読 おんどく 原文 げんぶん の 文書 ぶんしょ を、 第 だい 一 いち 段落 だんらく から 最後 さいご まで 声 こえ に 出し だし て 読ん よん でください。 文 ぶん が 短い みじかい ので、 一 いち 文 ぶん ずつ 区切っ くぎっ て 読み よみ ます。 Με λένε το σπίτι μου 「 το πρωινό μου 」は、 弱形 じゃっけい の 語 ご を 前後 ぜんご の 語 ご に 寄りかから よりかから せて、 一 ひと つの 塊 かたまり として 鳴らし ならし ます。 切っ きっ て 読む よむ と、そこを 強調 きょうちょう していることになります。 読み よみ 終え おえ たら、 原文 げんぶん の 文書 ぶんしょ の 読み上げ よみあげ を 聞い きい て、 自分 じぶん の 切り きり 方 かた と 比べ くらべ てください。 この 篇 へん のまとめ 既習 きしゅう 語 ご と 型 かた 3.1〜3.8 だけで、 一 いち 日 にち が 朝 あさ から 夜 よる まで 語れる かたれる 。 時 とき を 表す あらわす 副詞 ふくし ( Το πρωί Μετά Το βράδυ )が 段落 だんらく を 区切り くぎり 、 現在 げんざい の 形 かたち がいつのことかを 決め きめ ている。 弱形 じゃっけい の 代 だい 名詞 めいし は 動詞 どうし の 前 まえ 、 持ち主 もちぬし は 名詞 めいし の 後ろ うしろ 。 二 ふた つの 位置