2.4 第一活用の動詞の現在 — 六つの語尾 — Epoché
この 課 か でできるようになること 第 だい 一 いち 活用 かつよう の 動詞 どうし の 現在 げんざい を、 六 むい つの 人称 にんしょう すべてで 作れる つくれる 。 主語 しゅご を 言わ いわ ずに、 語尾 ごび だけで 誰 だれ のことかを 伝え つたえ られる。 否定 ひてい と 問い とい を、 語順 ごじゅん を 変え かえ ずに 作れる つくれる 。 前提 ぜんてい : 2.3( 中性名詞 ちゅうせいめいし の 三 みっ つの 型 かた と、 形容 けいよう 詞 し の 一致 いっち )。 ここから 動詞 どうし です。 名詞 めいし の 側 がわ は 2.3 で 区切り くぎり ました。この 課 か と 次 つぎ の 課 か で 現在 げんざい の 活用 かつよう を 片づける かたづける と、 自分 じぶん で 短い みじかい 文 ぶん が 作れる つくれる ようになります。 名詞 めいし と 冠詞 かんし だけでは 文 ぶん になりませんが、 動詞 どうし が 一 ひと つ 入れ はいれ ば 文 ぶん になる。しかもギリシア 語 ご では、 動詞 どうし が 一 いち 語 ご あればそれだけで 完全 かんぜん な 文 ぶん です。 ギリシア 語 ご の 動詞 どうし は 二 ふた つの 活用 かつよう に 分かれ わかれ ます。この 課 か で 扱う あつかう のが 第 だい 一 いち 活用 かつよう で、 辞書 じしょ に 載る のる 形 かたち がオで 終わり おわり 、 強勢 きょうせい が 語尾 ごび に 来 こ ない 型 かた です。 書く かく 、 読む よむ 、 住む すむ 、ほしい—— 日常 にちじょう でよく 使う つかう 動詞 どうし の 大半 たいはん がこちらに 入り はいり ます。もう 一方 いっぽう の 第 だい 二 に 活用 かつよう は 2.5 で 扱い あつかい ます。 六 むい つの 語尾 ごび の 表 ひょう 書く かく という 動詞 どうし で 六 むい つの 人称 にんしょう を 並べ ならべ ます。 表 ひょう は 六 ろく 行 ぎょう で、 左 ひだり が 誰 だれ のことか、 真ん中 まんなか がギリシア 語 ご 、 右 みぎ が 語尾 ごび の 音 おと です。 語幹 ごかん は 動き うごき ません。 動く うごく のは 語尾 ごび だけです。 誰 だれ のことか ギリシア 語 ご 語尾 ごび の 音 おと 私 わたくし が 一人 ひとり γράφω で 私 わたくし が 書く かく オで 終わる おわる あなたが 一人 ひとり γράφεις で あなたが 書く かく エイスで 終わる おわる あの 人 ひと が 一人 ひとり γράφει で あの 人 ひと が 書く かく エイで 終わる おわる 私 わたくし たち γράφουμε で 私 わたくし たちが 書く かく ウメで 終わる おわる あなたたち γράφετε で あなたたちが 書く かく エテで 終わる おわる あの 人 ひと たち γράφουν で あの 人 ひと たちが 書く かく ウンで 終わる おわる 六 むい つの 語尾 ごび は、どの 第 だい 一 いち 活用 かつよう の 動詞 どうし にも 同じ おなじ ように 付き つき ます。 読む よむ という 動詞 どうし なら 語幹 ごかん はディアヴァズ、 住む すむ という 動詞 どうし なら 語幹 ごかん はメン。そこに 同じ おなじ 六 むい つを 付ける つける だけです。 動詞 どうし ごとに 表 ひょう を 覚え おぼえ 直す なおす 必要 ひつよう はありません。 覚える おぼえる のは 語幹 ごかん と、この 六 むい つの 語尾 ごび だけです。 並び ならび をよく 見る みる と、 六 むい つのうち 四 よん つが エかウの 音 おと を 含ん ふくん でいます 。エの 組 くみ が 二 に 人称 にんしょう と 三 さん 人称 にんしょう の 単数 たんすう と 二 に 人称 にんしょう の 複数 ふくすう 、ウの 組 くみ が 一 いち 人称 にんしょう と 三 さん 人称 にんしょう の 複数 ふくすう 。エなら 相手 あいて か 第 だい 三 さん 者 しゃ の 一人 ひとり 、ウなら 複数 ふくすう 寄り より ——ざっとそう 掴ん つかん でおくと、 聞い きい たときの 当たり あたり が 早く はやく なります。 日本 にっぽん 語 ご との 表 ひょう — 主語 しゅご を 言わ いわ ないこと ギリシア 語 ご は 主語 しゅご の 代 だい 名詞 めいし をふつう 置き おき ません。 私 わたくし が 書く かく 、と 言う いう のに「 私 わたくし 」は 要ら いら ない。これは 日本 にっぽん 語 ご と 同じ おなじ です。しかし 同じ おなじ 理由 りゆう ではありません 。 表 ひょう は 三 さん 行 ぎょう です。 くらべるところ 日本 にっぽん 語 ご では ギリシア 語 ご では 主語 しゅご を 言う ゆう かどうか 言わ いわ なくても 通じる つうじる 言わ いわ なくても 通じる つうじる 。ここは 同じ おなじ 誰 だれ のことかの 示し しめし 方 かた 文脈 ぶんみゃく と 敬語 けいご から 読み取る よみとる 動詞 どうし の 語尾 ごび が 誰 だれ かを 言い切る いいきる 言わ いわ なかったときの 曖昧 あいまい さ 誰 だれ のことか 揺れる ゆれる ことがある 揺れ ゆれ ない。 語尾 ごび で 一 ひと つに 決まる きまる 日本 にっぽん 語 ご で 主語 しゅご を 落とす おとす と、 聞き手 ききて は 文脈 ぶんみゃく をたどって 誰 だれ のことかを 決め きめ ます。ギリシア 語 ご では 語尾 ごび がすでに 答え こたえ を 言っ いっ ている ので、たどる 必要 ひつよう がありません。だから 主語 しゅご の 代 だい 名詞 めいし を 置く おく のは、 強調 きょうちょう したいときだけです。 私 わたくし が 書い かい たんだ、と 言い張る いいはる ときには 置き おき ます。ふだんは 置き おき ません。 この 違い ちがい は、 聞き取り ききとり の 練習 れんしゅう の 仕方 しかた を 変え かえ ます。 日本 にっぽん 語 ご 話者 わしゃ は 文 ぶん の 頭 あたま で 主語 しゅご を 探す さがす 癖 くせ がありますが、ギリシア 語 ご ではその 情報 じょうほう は 文 ぶん の 末尾 まつび 近く ちかく 、 動詞 どうし の 語尾 ごび に 入っ はいっ ています。 頭 あたま が 空 そら でも 慌て あわて ない——これがギリシア 語 ご を 聞く きく ときの 構え かまえ です。 読み よみ 方 かた — シグマがまた 効く きく 六 むい つの 語尾 ごび のうち、 二 ふた つは 一 いち 字 じ しか 違い ちがい ません 。 表 ひょう は 四 よん 行 ぎょう で、 聞き分け ききわけ の 手がかり てがかり を 並べ ならべ ます。 聞き分ける ききわける ところ ギリシア 語 ご 何 なん が 違う ちがう か あなたが 一人 ひとり γράφεις で あなたが 書く かく 最後 さいご にスの 音 おと が 付く つく あの 人 ひと が 一人 ひとり γράφει で あの 人 ひと が 書く かく スの 音 おと が 無い ない 。それだけの 違い ちがい 私 わたくし たち γράφουμε で 私 わたくし たちが 書く かく ウの 音 おと のあとにメが 来る くる あの 人 ひと たち γράφουν で あの 人 ひと たちが 書く かく 同じ おなじ ウの 音 おと だがンで 終わる おわる 一 いち 行 ぎょう 目 め と 二 に 行 ぎょう 目 め に 注目 ちゅうもく してください。 語末 ごまつ のシグマがあるかないかだけで、あなたなのかあの 人 ひと なのかが 決まり きまり ます。 2.2 で、 男性名詞 だんせいめいし のするほうとされるほうがシグマ 一 いち 字 じ で 分かれる わかれる と 学び まなび ました。ここでも 同じ おなじ 一 いち 字 じ が 働い はたらい ています。ギリシア 語 ご の 語末 ごまつ のシグマは、それだけ 多く おおく の 仕事 しごと を 受け持っ うけもっ ています。 日本 にっぽん 語 ご 話者 わしゃ はここで 必ず かならず つまずきます。 日本 にっぽん 語 ご には 語末 ごまつ の 子音 しいん がほとんど 無い ない ので、 スを 言い切ら いいきら ずに 飲み込ん のみこん でしまう 。そうすると、あなたが 書く かく と 言っ いっ たつもりで、あの 人 ひと が 書く かく と 聞か きか れます。 主語 しゅご を 置か おか ない 言語 げんご なので、 取り違え とりちがえ を 直す なおす 手がかり てがかり が 他 ほか にありません。 語末 ごまつ のスは、はっきり 出し だし てください。 もう 一 ひと つ、 強勢 きょうせい について。 第 だい 一 いち 活用 かつよう の 動詞 どうし は 強勢 きょうせい が 語幹 ごかん から 動き うごき ません 。グラフォ、グラフィス、グラフィ、グラフメ——どれも 最初 さいしょ の 音節 おんせつ に 山 やま があります。だから 六 むい つを 続け つづけ て 読ん よん でも、 拍 はく の 位置 いち が 変わら かわら ない。これが 第 だい 一 いち 活用 かつよう の 目印 めじるし で、2.5 で 扱う あつかう 第 だい 二 に 活用 かつよう ではここが 逆 ぎゃく になります。 否定 ひてい と 問い とい 否定 ひてい は 動詞 どうし の 直前 ちょくぜん に 一 いち 語 ご を 置く おく だけです。 語順 ごじゅん は 変わり かわり ません。 読む よむ 、の 前 まえ に 否定 ひてい の 語 ご を 置け おけ ば、 読ま よま ない、になる。 日本 にっぽん 語 ご なら 語尾 ごび を 変える かえる ところを、ギリシア 語 ご では 前 まえ に 一 いち 語 ご 足し たし ます。この 語 ご は 次 つぎ に 来る くる 音 おと によってンが 落ち おち 、 二 ふた つの 形 かたち で 書か かか れますが、 意味 いみ は 同じ おなじ です。 問い とい も 簡単 かんたん で、 語順 ごじゅん は 変え かえ ません 。 声 こえ を 上げる あげる だけです。 書き かき ますか、と 聞き きき たければ、 書き かき ます、をそのまま 上げ あげ 調子 ちょうし で 言う ゆう 。 英語 えいご のように 語 ご を 入れ替える いれかえる 必要 ひつよう はなく、 日本 にっぽん 語 ご で「 読む よむ ?」と 上げ あげ て 言う いう のと 同じ おなじ 感覚 かんかく です。 書か かか れたものでは、 文 ぶん の 終わり おわり に 置く おく 印 しるし がギリシア 語 ご だけ 違う ちがう 形 かたち をしています—— 英語 えいご のセミコロンと 同じ おなじ 形 かたち の 印 しるし を 使う つかう ので、 初めて はじめて 見る みる と 戸惑い とまどい ますが、あれが 疑問 ぎもん の 印 しるし です。 そして 二 に 人称 にんしょう の 複数 ふくすう は、 丁寧 ていねい な 言い いい 方 かた も 兼ね かね ます 。 相手 あいて が 一人 ひとり でも、 初 はつ 対面 たいめん や 目上 めうえ なら 複数 ふくすう の 形 かたち を 使う つかう 。 日本 にっぽん 語 ご の 敬語 けいご ほど 段階 だんかい はありませんが、 二 に 段階 だんかい の 使い分け つかいわけ は 確実 かくじつ にあります。この 課程 かてい では、 練習 れんしゅう では 単数 たんすう 、 店 みせ や 役所 やくしょ の 場面 ばめん では 複数 ふくすう 、と 使い分け つかいわけ ていきます。 頻出 ひんしゅつ 語 ご で 通す とおす 十 じゅう 文 ぶん あります。 最初 さいしょ の 五 いつ つは 住む すむ という 同じ おなじ 動詞 どうし で、 語尾 ごび だけが 変わり かわり ます。 続け つづけ て 聞く きく と、 語尾 ごび の 違い ちがい だけで 誰 だれ のことかが 決まる きまる のが 分かり わかり ます。 訳 わけ は 本 ほん 課程 かてい で 起こし おこし た 日本 にっぽん 語 ご です。 文 ぶん 訳 わけ 見る みる ところ Εδώ μένω. [1] ここに 住ん すん でいます。 私 わたくし が 一人 ひとり 。 語尾 ごび はオ Εδώ μένεις; [2] ここに 住ん すん でいるの。 あなたが 一人 ひとり 。 語尾 ごび にスが 付く つく Που μένει αυτός; [3] あの 人 ひと はどこに 住ん すん でいるの。 あの 人 ひと が 一人 ひとり 。スが 無い ない 。 強調 きょうちょう のため 代 だい 名詞 めいし を 置い おい た 形 かたち Δεν μένουμε εδώ. [4] 私 わたくし たちはここに 住ん すん でいません。 私 わたくし たち。 否定 ひてい の 語 ご が 動詞 どうし の 前 まえ に 立つ たつ Εδώ μένετε; [5] ここにお 住まい すまい ですか。 あなたたち。 相手 あいて が 一人 ひとり でも 丁寧 ていねい ならこの 形 かたち Ο αδελφός γράφει. [6] 兄 あに が 書く かく 。 別 べつ の 動詞 どうし の 三 さん 人称 にんしょう 。 語尾 ごび は 同じ おなじ Οι αδελφοί γράφουν. [7] 兄 あ