6.35 魯迅『社戲』(抄) — Epoché
この篇でできるようになること 自分の失敗を笑う語り方を、三つの場面から説明できます。 寸法と時刻の細かい数え方が生む効果を読めます。 比較と時刻を使って、物の大きさや待つ時間を書けます。 前提 :6.34「魯迅『故鄉』(抄)」。読書ページの本文は、北京での二度の芝居見物を抜いたものです。 笑いが自分へ向く 『社戲』は『吶喊』所収の作品です。ここには、後に続く子どものころの村芝居の話は含まれません。今回読むのは、大人の語り手が北京で二回見物に行き、どちらも途中で帰る話です。 座れない、友人の声が聞こえない、役者の名前が分からない。失敗の主体は一貫して「私」です。役者や観客だけを外から笑うのではなく、自分の不慣れや恥ずかしさを前へ出します。そのため、批判が自分にも返る軽い調子になります。 失敗の場面 本文の語句 語り方 高く狭い腰かけを見た時 我先是没有爬上去的勇气 自分に登る勇気がないと述べ、拷問道具まで連想する。 外へ出て友人の声を聞いた時 原来他也被我带出来了 自分だけでなく友人も連れ出していたと気づく。 役者の名前を尋ねた時 我深愧浅陋而且粗疏 隣の紳士に見下され、自分の知識の浅さを恥じる。 読編 34篇 の重い再会の場面と比べると、同じ書き手でも調子を変えていることが分かります。ここでは困った体験を並べ、自分の反応を少し大げさに書くことで、おかしみを作っています。 狭さも待ち時間も数にする 他那坐板比我的上腿要狭到四分之三 では、座板の狭さを自分の腿と比べ、分数で述べます。脚の高さも自分の下腿と比べています。ただ「座りにくい」と言うより、読者は体と腰かけの寸法を頭で合わせることになります。 四分之三 は四分の三です。分母の四を先に、 之 を挟んで分子の三を後ろに置きます。日本語の「四分の三」と同じ順で読めます。数の正確さが、ここでは窮屈な感じを具体的にしています。 本文の区間 長さ 読む効果 从九点多到十点 一時間より短い。九時何分かは決まらない。 長く待ち始める。 从十点到十一点 一時間。 まだ目当ての役者が出ない。 从十一点到十一点半 三十分。 見る刻みが細かくなる。 从十一点半到十二点 三十分。 小さく刻んでも出番が来ない。 最初の区間を一時間ちょうどと計算しないことが大切です。 九点多 は九時すぎで、何分かまでは示されていません。後半は三十分ずつに刻まれ、同じ待ち時間でも、なかなか進まないように感じられます。 この本文の時刻は 九点 、 十一点半 の形です。日本語の「時」を字だけ置き換えるのでなく、ここで使われている 点 を単位として読み、書きましょう。 校訂の注と、外の空気 本文の 毛骨悚 と 然 の間にある「一作『耸』」は、別の版の字を示す出典の注です。登場人物が言う言葉ではありません。語としては 毛骨悚然 、身の毛がよだつ、と読みます。 「一作」を一つ作るという動作として訳そうとすると、文がつながりません。これは校訂の注です。原文の表示は保ち、本文を読む時には語の途中の注と分けます。 最後は目当ての芝居を褒めるのではなく、劇場の外の夜気を心地よいと書きます。苦しい見物の後に、外でようやくよい空気に出会う。直接悪い芝居だと言い切るのではなく、何がいちばん心地よかったかを並べて見せて終わります。 一つの文に重なる型 原来他也被我带出来了。 には、 被 の受け身と 出来 の方向補語がともにあります。友人を出来事の受け手として述べ、外へ出る向きも示します。二つの説明が同じ句に当たっていても、働きは別です。 受け身は 型編 25課 、方向は 型編 18課 を手がかりにします。 忽而使我省悟到在这里不适于生存了 では、ある時刻や周囲の状況が私を気づかせるという形です。 我 は気づく人です。 街上除了专等看客的车辆之外 は、見物客を待つ車を例外として先に取り分けています。後ろに人通りの少なさを続けるので、何を除いて言っているかを先に押さえます。 語表 語 品詞 意味 日本語との差 例文 訳 兴致勃勃 形容詞 興味と意欲に満ちる うきうきした様子 于是都兴致勃勃的跑到什么园 二人とも張り切って何とかいう園へ走った 长凳 名詞 長い腰かけ 背もたれのない腰かけ 原来是一条长凳 実は長い腰かけだった 坐板 名詞 座る板 腰かけの座面 他那坐板比我的上腿要狭到四分之三 その座板は私の腿より四分の三も狭い 四分之三 数詞 四分の三 日本語と同じ順(分母→分子) 要狭到四分之三 四分の三も狭い 刑具 名詞 拷問の道具 語り手の大げさな連想 接着便联想到私刑拷打的刑具 続いて私刑や拷問の道具を連想する 诧异 形容詞 けげんだ・驚く 意外に思う 他很诧异的说 彼はたいそうけげんそうに言う 劝募人 名詞 募金を勧める人 劝募(寄付を勧め集める)+人 对于劝募人聊以塞责的 募金を勧める人への申し訳程度 聊以塞责 成句 申し訳程度に責めをふさぐ(形だけ義理を果たす) 「聊」はひとまず、「塞责」は責めをふさぐ 本是对于劝募人聊以塞责的 もとは募金を勧める人への申し訳程度だった 延宕 動詞 先へ延ばす 時を遅らせる 延宕到九点钟才出去 九時まで延ばしてようやく出かける 老旦 名詞 老女役 芝居の役柄 看一个老旦在台上唱 舞台で老女役が歌うのを見る 小旦 名詞 若い女性役 芝居の役柄 于是看小旦唱 そこで若い女性役が歌うのを見る 花旦 名詞 はなやかな女性役 芝居の役柄 看花旦唱 はなやかな女役が歌うのを見る 老生 名詞 年配の男性役 芝居の役柄 看老生唱 老年の男役が歌うのを見る 斜瞥 動詞 横目でちらりと見る 視線の向きと短さ 斜瞥了我一眼 私を横目でちらりと見る 浅陋 形容詞 知識が浅い 自分の無知を恥じる語 我深愧浅陋而且粗疏 私は自分の浅学と粗雑さを深く恥じる 粗疏 形容詞 おおざっぱで粗い 細かな注意を欠く 我深愧浅陋而且粗疏 私は自分の浅学と粗雑さを深く恥じる 定章 名詞 定めた決まり ここでは自分への戒め 制出了决不再问的定章 二度と尋ねまいという決まりを作る 省悟 動詞 はっと悟る 急に気づく 忽而使我省悟到在这里不适于生存了 急に私に、ここでは生きていけないと気づかせた 拧转 動詞 ねじって向きを変える 体を回す動作 我同时便机械的拧转身子 同時に機械のように体をねじる 清爽 形容詞 すがすがしい 外の空気の心地よさ 然而夜气很清爽 しかし夜気はすがすがしい 沁人心脾 成句 心にしみわたる 爽快さが内まで届く 真所谓「沁人心脾」 まさに心にしみわたるというものだ 対訳 私はここから逆にさかのぼった二十年のあいだに、中国の芝居をたった二回しか見たことがない。はじめの十年はまったく見なかった。見る気も機会もなかったからだ。その二回はどちらも後の十年のうちだが、どちらも何も見えないうちに帰ってきてしまった。 一回目は民国元年、私がはじめて北京に来たときのことだ。当時ある友人が私に言った。北京の芝居はいちばんよい、世間を見に行かないか、と。私は思った。芝居はおもしろいものだ、まして北京ではなおさらだろう。そこで二人ともうきうきと張りきって、なんとかいう園まで走っていった。芝居はもう始まっていて、外にいるうちからどんどんと鳴る音が聞こえていた。押し分けて門を入ると、赤や緑が目の前でちらちらし、それから舞台の下がびっしり人の頭で埋まっているのが見えた。気を落ち着けて四方を見ると、真ん中にまだいくつか空席があった。押し分けて行って座ろうとすると、また誰かが私に文句を言う。私は耳がもうがんがん鳴りひびいていたので、注意して聞いてやっと、それが「人がいる、だめだ」と言っているのだと分かった。 私たちは後ろへ下がった。すると弁髪のつやつやした男が来て、私たちを横手へ案内し、一つの場所を指し示した。その場所というのが、じつは一本の長い腰かけなのだ。しかもその座板は私の腿より四分の三も狭く、その脚は私の脛より三分の二も長い。私はまずそこへよじ登る勇気がなく、続いてリンチや拷問の道具を連想して、思わず身の毛がよだって出てきてしまった。 しばらく歩いたところで、ふいに友人の声が聞こえた。「いったいどうしたんだ」。振り返ってみると、なんと彼も私に連れ出されていたのだ。彼はたいそうけげんそうに言った。「どうして歩いてばかりで、返事をしないんだ」。私は言った。「すまない、耳がどんどんがんがん鳴っているばかりで、君の話は何も聞こえていなかったんだ」 そのあと思い出すたびに、私はひどく不思議に思った。この芝居はよほどよくないのか——でなければ、私が近ごろ舞台の下では生きていけなくなったのか。 二回目は何年だったか忘れたが、とにかく湖北の水害の寄付を募っていて、譚叫天がまだ死んでいないころだった。寄付のしかたは、二元で芝居の切符を一枚買い、第一舞台へ見に行けるというものだ。演じるのは名のある役者ばかりで、その一人が小叫天である。私が切符を一枚買ったのは、もともと寄付を募る人にとりあえず義理を果たすためだった。ところがものずきが機に乗じて、叫天は見ないわけにいかないという大した理屈をいくつも並べてくれた。それで私は数年前のどんどんがんがんの災難を忘れて、とうとう第一舞台まで出かけていった。もっとも半分は、高い値で買った大事な切符を、どうしても使わないと落ち着かなかったからでもある。私は叫天の出は遅いのだと聞いて確かめてあったし、第一舞台は新しい造りで席を争う必要もないというので、安心して、九時まで先へ延ばしてから出かけた。ところが例のごとく、人はもういっぱいで、足の踏み場さえない。私はしかたなく遠くの人ごみにもまれながら、老女役が舞台の上で歌うのを見た。その老女役は口もとに火をつけたこよりを二本さしていて、そばには地獄の下役が一人いる。私は思案を使い果たしてやっと、これは目連の母ではないかと思いあたった。あとで僧も出てきたからである。しかしその名のある役者が誰なのかは分からなかったので、左隣に押しこまれていた太った紳士に聞いてみた。彼はたいそう見下すようにちらりと私をひと目見て、こう言った。「龔雲甫だ」。私は自分の学の浅さとおおざっぱさを深く恥じ、顔がかっと熱くなった。と同時に、頭の中に二度と聞くまいというおきてもこしらえた。それから若い女役が歌うのを見、はなやかな女役が歌うのを見、老年の男役が歌うのを見、何の役どころか分からないものが歌うのを見、大勢が入り乱れて立ち回るのを見、二、三人がたがいに打ちあうのを見た。九時すぎから十時まで、十時から十一時まで、十一時から十一時半まで、十一時半から十二時まで——それでも叫天はとうとう出てこなかった。 私はこれまで、何かをこんなに辛抱して待ったことがない。まして、このそばの太った紳士のはあはあという息づかい、この舞台の上のどんどんがんがんという打ち鳴らし、赤や緑のゆらゆらした揺れ、そのうえ十二時である。それが急に私に、ここでは生きていけないとはたと気づかせた。私は同時に機械のように体をねじって向きを変え、力をこめて外へ向かってひと押ししたが、背中はもうぎっしり詰まっているのを感じた。おおかたあの弾力のある太った紳士が、とうに私のあいた場所へ自分の右半身をふくらませていたのだろう。私は後ろに戻る道がないので、当然、押しに押して、とうとう表の門を出た。通りには見物客を待つ車のほかは、通行人もほとんどいない。それでも門口には十人あまりが頭を上げて演目を見ており、別にひとかたまりの人が、何を見るでもなく立っていた。私は思った。あれはおおかた、芝居がはねたあとに出てくる女たちを見る人たちだろう。そして叫天はまだ出てこない…… しかし夜の空気はたいそうすがすがしく、まさに「心にしみわたる」というものだった。北京でこんなによい空気に出会ったのは、思えばこれがはじめてのようだった。 練習 笑いと数を読む 自分の失敗を示す三場面を挙げ、笑いがどちらへ向くか説明してください。 九時すぎから十二時までの区切りの長さを説明してください。また外の空気で終わることは、芝居の体験をどう見せますか。 本文の形を入れる 被・比・使・除了 から空欄に合う語を入れ、語句全体を書いてください。 原来他也_我带出来了 被・比・使・除了 から空欄に合う語を入れ、語句全体を書いてください。 他那坐板_我的上腿要狭到四分之三 被・比・使・除了 から空欄に合う語を入れ、語句全体を書いてください。 忽而_我省悟到在这里不适于生存了 被・比・使・除了 から空欄に合う語を入れ、語句全体を書いてください。 街上_专等看客的车辆之外 長く待った経験を、 从 と 到 で三文以上書いてください。後の文ほど時間の区切りを短くします。 身近な二つの机の長さを、 比 と倍の数で中国語にしてください。 二本のひもの長さを、 比 と分数を使う中国語で比べてください。 戻り語 気持ちや動作の語を使い、二回目の見物をした「私」の様子を書いてください。 无聊 を使い、長く待つ語り手の気持ちを想像して中国語で書いてください。 着急 を使い、役者がまだ出ない時の反応を想像して中国語で書いてください。 舒适 を使い、外へ出た後の感じを中国語で書いてください。 音読 九時すぎから十二時まで時刻が続く箇所を ▶ で聞いて読みます。速さを変えず、細かい区切りが続くことによる待ち時間の長さを感じてみましょう。 この篇のまとめ 失敗を自分の側へ集めることで、笑いの向きを作っています。 寸法と時刻を数で書き、窮屈さと待つ長さを具体的にします。 最後に外の空気を褒め、劇場での体験を間接的に評します。 次の篇へ 次の6.36は郁達夫『春風沉醉的晚上』の抄です。貧しい下宿で隣の女工と出会う場面に、ためらいがちな語り方を見ます。 答え 腰かけに登れず逃げること、友人まで連れ出していたこと、役者を知らず恥じることです。失敗を自分の側へ引き受けるため、観客や役者だけを笑う語りではありません。 最初は一時間未満、次は一時間、次の二つは三十分ずつです。外の空気を最も心地よく感じる結末が、中での苦しい体験を間接的に評します。 原来他也被我带出来了 他那坐板比我的上腿要狭到四分之三 忽而使我省悟到在这里不适于生存了 街上除了专等看客的车辆之外 我从八点等到九点。 / 我从九点等到九点半。 / 我从九点半等到九点四十。 这张桌子比那张长一倍。 这根绳子比那根短三分之一。 我等得很无聊。 他