チャーマーズ――意識にはハードプロブレムがある(意識の難問・哲学的ゾンビ) — Epoché
現代 心の哲学と技術の哲学 約 17 分 本文 約 6,800 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 問題・論証・応答の 3 つ 問題 心の働き(見分ける・注意する・報告する)を脳の仕組みで説明する「易しい問題」と、その働きになぜ経験が伴うのかを説明する「ハードプロブレム」とは種類の違う問題だ、とチャーマーズは論じた(「意識の問題に向き合う」1995)。働きを全部説明しても、後の問いは残る。 論証 物理的には私たちと同じで経験だけを欠くゾンビは、理想的な考察を尽くしても矛盾が退けられないという意味で思い描ける。そう思い描けることは在りうる。在りうるなら、物理の事実は意識の事実を決めておらず、物理主義は偽である、とチャーマーズは論じた(『意識する心』1996)。 応答 ゾンビは本当は思い描けない(デネットら)、思い描けても在りうるとは言えない(後から分かる必然・現象的概念の戦略)、と物理主義の側は応じ、チャーマーズはさらに答えた。どちらの側の議論も精密になったが、決着はついていない。 はじめに デイヴィッド・チャーマーズ(1966〜)は、オーストラリア出身の哲学者です。1995 年の論文「意識の問題に向き合う」で、脳の働きの説明で片づく「易しい問題」と、物理的な過程からなぜ経験が生じるのかという「ハードプロブレム」とを分けました [1] [3] 。翌年の著書『意識する心』では、「ゾンビ」を使って物理主義に反対する議論を組み立てました [2] [4] 。 パトナムは心の状態を働きで定め [5] 、ネーゲルは、働きをすべて書き出しても、その生き物であることが「どのようなことか」が抜け落ちると問いました [3] 。前の課のサールは、記号を形だけで操作しても意味の理解には届かない、と論じました。 チャーマーズは、ネーゲルが示した溝に名前を付けて問いの形をはっきりさせ、さらに、溝は世界そのものの溝であり物理主義は偽だ、と一歩踏み込みます [2] [4] 。 この課の問い 脳が光を受け取り、色を見分け、「赤い」と答えるまでの仕組みを、神経科学がすべて解き明かしたとします。それでも、なぜその働きに「赤が見えている」という感じが伴うのか、という問いは残るのでしょうか。残るなら、世界は物理の事実だけではできていないのでしょうか。 この課のことば 易しい問題(イージープロブレム) 刺激を見分ける、注意を向ける、言葉で報告する、といった心の働きを、脳の仕組みで説明する問題です。解くのが簡単という意味ではありません。 ハードプロブレム(意識の難問) そうした働きを行う物理的な過程に、なぜ・どのようにして「どのような感じか」という経験が伴うのかを、分かる形で説明する問題です。 ゾンビ(哲学的ゾンビ) 体と脳のありさまが分子の一つ一つまで私たちと同じで、同じように振る舞い話すのに、経験をまったく持たない者です。映画の怪物とは関係がありません。 思い描ける(考えうる) そのことに矛盾が無いと、経験に頼らない理想的な考察を尽くしても退けられないことです。今のところ矛盾が見つからない、というだけでは足りません。 物理主義 心のことも含めて、世界の事実はすべて物理の事実で決まる、という立場です。 性質二元論 世界にあるものは物理的なものでよいが、経験の性質は物理の性質に尽きない別の性質だ、という立場です。 意識のハードプロブレム――働きを説明しても何が残るのか パトナムは心の状態を働きで定め、ネーゲルは、働きを書き尽くしてもその生き物であることが「どのようなことか」が残る、と問いました。チャーマーズは、この問いを「易しい問題」と「ハードプロブレム」の区別にまとめ直し、ゾンビという思考実験で物理主義そのものに挑みました。この章では、二つの問題の区別、ゾンビの議論の組み立て、物理主義の側の応答とチャーマーズの答えを順に読みます。 易しい問題とハードプロブレム――働きの説明と経験の説明 チャーマーズは、意識をめぐる問題を二つの種類に分けました(「意識の問題に向き合う」第 2〜3 節) [1] 。一つは、刺激を見分ける、情報をまとめる、注意を向ける、自分の状態を言葉で報告する、といった働きを説明する問題です。これは、その働きを行う脳の仕組みを示せば済むので、「易しい問題」と呼ばれます。もう一つは、そうした働きに、なぜ・どのようにして経験が伴うのかを説明する問題で、これが「ハードプロブレム」です [1] [3] (図 1) 。 説明したい働き 見分ける・注意を向ける・言葉で 報告する 仕組みを示す 働きを行う脳の仕組みを示せば、易しい 問題は済む それでも残る問い なぜその働きに、熱さや香りの感じが 伴うのか ハードプロブレム 働きの説明だけでは答えが出ない 図 1 易しい問題とハードプロブレムの関係です。働きの仕組みを示せば二つ目の段で易しい問題は済みますが、三つ目の段の問いが残ります。点線の段は、働きの説明では届かないことを示します。区別はチャーマーズ「意識の問題に向き合う」により、熱さや香りの例は本教材の作例です [1] 。 「易しい」は、簡単という意味ではありません。注意や報告の仕組みを脳で解き明かすのは、何十年もかかる大仕事です。それでも、何を示せば説明が済むかははっきりしています。科学の説明の多くは、まず説明したい性質を働きの条件として言い直し、次にその条件を満たす仕組みを示す、という二段で進みます [3] 。たとえば水が液体であることは、ある温度の H2O 分子の集まりが、液体であるための条件を満たすことを示せば説明できます。 経験は、この型に収まらないように見えます。見分ける・報告するといった働きを行う仕組みをすべて示した後でも、「では、なぜそれが、内側で何かが感じられながら行われるのか」と問うことが、意味のある問いとして残るからです [1] 。ネーゲルは、主観的な経験を客観的な記述で捉える概念が今は無い、と言いました。チャーマーズは、片づく問題と片づかない問題を切り分け、脳の出来事と経験をつなぐ分かる説明が無いこと(説明の溝)を、解くべき問題の名にしたのです [3] 。 教材の作例です。ロボット掃除機は、床のごみを見分け、障害物を避け、電池が減ると充電台へ戻ります。どの働きも、センサーと回路の仕組みを示せば説明し尽くせます。人が熱い鍋に触れて手を引っ込め、「熱い!」と言うのも、神経の信号の流れとして説明できるかもしれません。けれども人の場合には、その間に熱さが感じられています。手を引っ込める仕組みをすべて説明した後にも、なぜそこに熱さの感じが伴うのか、という問いが残ります。これがハードプロブレムです。 ここで間違えやすい 「ハードプロブレム」を、今の科学ではまだ難しすぎる問題、という意味に取らないようにしましょう。チャーマーズの区別は、難しさの度合いではなく問いの種類の違いです。易しい問題も難しいけれど、仕組みを示せば済みます。ハードプロブレムは、仕組みをすべて示した後に残る問いです [1] [3] 。 ゾンビの議論――思い描けることから、在りうることへ チャーマーズは『意識する心』で、ゾンビを使った議論を組み立てました [2] 。ゾンビは、分子の一つ一つまで私たちと同じで、同じように振る舞い話すのに、経験をまったく持たない者です。振る舞いが同じなだけでは足りません。物理的にまったく同じでなければ、物理主義への反例にならないからです [4] 。また、問われているのは、ゾンビがこの世界にいるかではありません。問いは、もっと広い意味でゾンビが在りうるか、です [4] (図 2) 。 香りが感じられている あなた ああ、いい香り! 鼻の細胞・脳の信号・声 何も感じられていない ゾンビの双子 ああ、いい香り! 測れるものは一つ目と同じ 図 2 一つ目の絵の「あなた」と二つ目の絵の「ゾンビの双子」は、鼻の細胞・脳の信号・口にする言葉まで同じです。違うのは心の吹き出しの中身だけで、一つ目には香りが感じられ、二つ目は空白です。ゾンビの考えはチャーマーズ『意識する心』により、コーヒーの香りの例は SEP の例によります。台所と吹き出しの描き方は本教材の作例です。 なぜこれが物理主義を試すのでしょうか。SEP は、クリプキのたとえで説明します [4] 。神が世界を造るとき、物理の世界をすべて造り終えたら、意識のためにもう一仕事要るでしょうか。物理主義者は「要らない」と答えなければなりません。物理の事実を決めれば心の事実も決まる、というのが物理主義だからです。ゾンビの世界が在りうるなら、もう一仕事が要ることになります [4] 。 論証は、①ゾンビは思い描ける、②思い描けることは在りうる、③だからゾンビは在りうる、という三段です。在りうるなら、物理の事実は経験の事実を決めておらず、物理主義は偽です [4] 。ここでの「思い描ける」は、ぼんやり想像できることでも、今のところ矛盾が見つからないことでもありません。チャーマーズは、一見そう思えることと、理想的な考察を尽くしても矛盾が退けられないこととを区別し、議論に使うのは後者だとします [6] 。 教材の作例です(SEP が挙げるコーヒーの例によります)。あなたと、あなたのゾンビの双子が、並んで焙煎中のコーヒー豆の香りをかぎ、二人とも「ああ、いい香り!」と言います。鼻の細胞も脳の信号も声帯の動きも、測れば寸分違いません。違うのは、あなたには香りが感じられているのに、双子の内側では何も感じられていない、という一点だけです [4] 。この光景に本当に矛盾が無いなら、香りの感じは物理の事実のどこにも書き込まれていないことになります。 ここで間違えやすい チャーマーズが、周りの誰かがゾンビかもしれない、と言ったと取らないようにしましょう。議論が問うのはゾンビが在りうるかだけで、この世界にいるとは言いません [4] 。また、ネーゲルの議論と同じでもありません。ネーゲルは、物理主義がどう真でありうるかを今は理解できない、にとどまりました。チャーマーズは、思い描けることから在りうることへ進み、物理主義を偽とします [3] [4] 。 応答と答え――ゾンビは本当に思い描けるか、在りうるか 物理主義の側は、ゾンビの議論の二つの前提を、それぞれ退けようとしてきました。SEP の整理に沿って見ます [4] (図 3) (表 1) 。 ゾンビの議論 ①考え抜いても思い描ける ②思い描ければ在りうる ③だから 物理主義は偽 ①を退ける 本当は思い描けない (デネット・ストルジャー) ②を退ける 思い描けても在りえない(後から分かる 必然など) 受け入れる 経験の性質は物理に尽きない (チャーマーズ) 図 3 ゾンビの議論への応じ方の分かれ道です。上の二つの枝は物理主義の側で、それぞれ前提の①か②を退けます。一番下の枝がチャーマーズの立場です。分け方は SEP の整理により、三つに並べたのは本教材の読み方です。どの枝にも決着はついていません [4] 。 この表で分かること: ゾンビの議論への応答は、どの前提を退けるかで分かれます。チャーマーズは二つの前提とも認め、物理主義を偽とする側に立ちます。 立場 ①思い描けるか ②思い描ければ在りうるか 物理主義 デネット 思い描けない (問わない) 真 ストルジャー 正しくは思い描けない (問わない) 真でありうる 後から分かる必然の論者 思い描ける 在りうるとは限らない 真 現象的概念の戦略 思い描ける 溝は概念の溝だけ 真 チャーマーズ 思い描ける 在りうる 偽 表 1 ゾンビの議論への立場の分かれ。位置づけは SEP の整理によります [4] 。 一つ目は、ゾンビは本当は思い描けない、という応答です。デネットは、ゾンビを思い描けると言う人は思い描く作業を甘く見ている、と言います。意識は切り離せる一つの不思議なものではなく、情報を扱う多くの能力の集まりだからです。ストルジャーは、私たちは物理の事実をすべては知らないので、ゾンビを正しく思い描くことはできない、と言います [4] 。 二つ目は、思い描けても在りうるとは言えない、という応答です。「水は H2O である」は調べて後から分かったことですが、分かった以上、水が H2O でない世界は在りえません。経験と脳の状態が同じであることも、こうした後から分かる必然かもしれません。また、経験を捉える概念(「この甘さ」)が物理の概念と特別に違うせいで、世界に溝があるように見えるだけだ、という応答もあります(現象的概念の戦略) [4] 。 チャーマーズは、思い描けることの意味を一次と二次に分け [6] 、水の例のような後から分かる必然はゾンビには当てはまらない、と答えました [4] 。現象的概念の戦略には、その特別さを物理で説明できてもできなくても物理主義の助けにならない、という両刀の問いで応じた、と SEP は紹介します [4] 。そのうえでチャーマーズは、経験の性質は物理の性質に尽きず、両者は根本の法則で結びついている、と考えます。これを自然主義的な二元論と呼びます [1] [3] 。 物理の事実だけで意識を持つ私たちの複製(反ゾンビ)も、思い描けそうです(SEP の例)。思い描けることが在りうるなら反ゾンビも在りえますが、反ゾンビとゾンビは両方は在りえません。だから②の前提が怪しい、と物理主義の側は言います。チャーマーズの側は、反ゾンビは本当は思い描けない、と答えることになります [4] 。 ここで間違えやすい チャーマーズが、心は体と別の魂だという、デカルトのような実体の二元論を唱えたと取らないようにしましょう。チャーマーズの二元論は、経験の性質が物理の性質に尽きない、という性質の二元論で、心を自然の法則の外に置くものではありません [1] 。また、議論は決着していません。SEP は、どちらへの引力も強いまま残る、と結びます [4] 。 原典を読む 第 1 章の一つ目の節で見た、二つの問題を分ける箇所を、要点の形で読みます。 チャーマーズ「意識の問題に向き合う」 第 2〜3 節 働きをすべて説明しても、問いが残る 論文は 1995 年に Journal of Consciousness Studies 第 2 巻に載りました [1] 。下の三つの段は、前半の二つの節の論を、主張・理由・たとえの順にまとめ