3.5 されるほうの使いどころ — 日本語の が に引きずられない — Epoché
この 課 か でできるようになること されるほうの 形 かたち を、 日本 にっぽん 語 ご の を にあたる 場面 ばめん で 置ける おける 。 日本 にっぽん 語 ご なら が を 使う つかう のにギリシア 語 ご ではされるほうになる 動詞 どうし を 見分け みわけ られる。 方向 ほうこう を 言う いう のに 前置 ぜんち 詞 し が 要ら いら ない 場合 ばあい があることを 知る しる 。 前提 ぜんてい : 3.4( 否定 ひてい と 疑問 ぎもん )。 形 かたち 編 へん 1 課 か と 形 かたち 編 へん 2 課 か で、されるほうの 形 かたち —— 文法 ぶんぽう の 名前 なまえ で 対格 たいかく ——を 作れる つくれる ようになりました。この 課 か ではその 使い つかい どころ を 決め きめ ます。 基本 きほん は 日本 にっぽん 語 ご の を と 同じ おなじ ですが、 ずれるところが 二 ふた つ あります。そこがこの 課 か の 中心 ちゅうしん です。 型 かた の 骨格 こっかく — 動詞 どうし が 受け止める うけとめる 相手 あいて されるほうの 形 かたち は、 動詞 どうし の 動き うごき を 受け止める うけとめる 相手 あいて に 付き つき ます。 表 ひょう は 三 さん 行 ぎょう です。 どんな 場面 ばめん か ギリシア 語 ご では 日本 にっぽん 語 ご では 動き うごき が 及ぶ およぶ 物 もの Θέλω το βιβλίο で 本 ほん がほしい 本 ほん が、と が を 使う つかう 動き うごき が 及ぶ およぶ 人 ひと Περιμένω κάποιον で 誰 だれ かを 待っ まっ ている 誰 だれ かを、と を を 使う つかう 向かう むかう 先 さき Πηγαίνω σχολείο で 学校 がっこう へ 行く いく 学校 がっこう へ、と へ を 使う つかう 一 いち 行 ぎょう 目 め に 注目 ちゅうもく してください。 日本 にっぽん 語 ご では「 本 ほん が ほしい」と 言い いい ます。が を 使う つかう ので 主語 しゅご のように 見え みえ ますが、ギリシア 語 ご ではこれが されるほう です。ほしい がギリシア 語 ご では 動詞 どうし だからです。 形 かたち 編 へん 4 課 か で 見 み たとおり、 日本 にっぽん 語 ご が 形容 けいよう 詞 し で 言う いう ところをギリシア 語 ご は 動詞 どうし で 言う ゆう 。 動詞 どうし なら 受け止める うけとめる 相手 あいて を 取る とる ので、されるほうの 形 かたち になります。 同じ おなじ ずれが、 見える みえる ・ 聞こえる きこえる ・ 分かる わかる で 起き おき ます。 日本 にっぽん 語 ご では「 音 おと が 聞こえる きこえる 」ですが、ギリシア 語 ご では 音 おと がされるほうです。 日本 にっぽん 語 ご の が に 引きずら ひきずら れないこと ——これがこの 課 か でいちばん 大事 だいじ な 注意 ちゅうい です。 日本 にっぽん 語 ご ならどう 言う ゆう か 表 ひょう は 四 よん 行 ぎょう です。 日本 にっぽん 語 ご で 言い いい たいこと ギリシア 語 ご では ずれるところ 本 ほん がほしい Θέλω το βιβλίο 日本 にっぽん 語 ご は が、ギリシア 語 ご はされるほう 家 いえ が 見える みえる Βλέπω το σπίτι 同じ おなじ ずれ。 見える みえる は 動詞 どうし で 家 いえ を 受け止める うけとめる 私 わたくし を 助け たすけ てくれなかった Δε με βοήθησες ここは 日本 にっぽん 語 ご と 同じ おなじ 。 助ける たすける 相手 あいて はされるほう 学校 がっこう へ 行く いく Πηγαίνω σχολείο 前置 ぜんち 詞 し を 置か おか ず、されるほうだけで 方向 ほうこう を 言う ゆう 四 よん 行 ぎょう 目 め が 二 ふた つ 目 め のずれです。 行き先 いきさき を 言う いう のに 前置 ぜんち 詞 し が 要ら いら ない 場合 ばあい があります。 学校 がっこう へ 行く いく 、 家 いえ へ 帰る かえる 、 寝 ね に 行く いく ——こういう 決まっ きまっ た 行き先 いきさき では、 前置 ぜんち 詞 し を 置か おか ずにされるほうの 形 かたち だけを 置き おき ます。 日本 にっぽん 語 ご で「 学校 がっこう 行く いく 」と 助詞 じょし を 落とし おとし て 言う いう のに 似 に ていますが、ギリシア 語 ご のほうは くだけた 言い いい 方 かた ではなく 標準 ひょうじゅん です。 ただし、どの 行き先 いきさき でもそうできるわけではありません。 決まっ きまっ た 言い いい 方 かた に 限ら かぎら れ、それ 以外 いがい は 前置 ぜんち 詞 し を 使い つかい ます。 前置 ぜんち 詞 し のほうは 3.10 で 扱い あつかい ます。 いまは、 前置 ぜんち 詞 し が 無く なく ても 方向 ほうこう を 言える いえる 場合 ばあい があると 知っ しっ ておけば 足り たり ます。 聞い きい たときに 前置 ぜんち 詞 し を 探し さがし て 迷わ まよわ ないためです。 実 じつ 文 ぶん で 確かめる たしかめる 十 じゅう 文 ぶん あります。 最初 さいしょ の 四 よん つは 日本 にっぽん 語 ご なら が を 使う つかう ところ、 続く つづく 三 みっ つは 日本 にっぽん 語 ご と 同じ おなじ を、 最後 さいご の 三 みっ つが 方向 ほうこう です。 訳 わけ は 本 ほん 課程 かてい で 起こし おこし た 日本 にっぽん 語 ご です。 文 ぶん 訳 わけ 見る みる ところ Θέλω το βιβλίο. [1] その 本 ほん がほしい。 日本 にっぽん 語 ご は が。ギリシア 語 ご はされるほう Βλέπω το σπίτι. [2] その 家 いえ が 見える みえる 。 同じ おなじ ずれ。 見る みる という 動詞 どうし が 受け止め うけとめ ている Θέλω την αλήθεια. [3] 本当 ほんとう のことが 知り しり たい。 ほしい が 受け止める うけとめる 相手 あいて 。 冠詞 かんし も 一緒 いっしょ に 動く うごく Ξέρω τα πάντα. [4] 何 なん でも 知っ しっ ている。 すべてのこと が 中性 ちゅうせい のたくさんでされるほう Περιμένω κάποιον. [5] 誰 だれ かを 待っ まっ ています。 ここは 日本 にっぽん 語 ご と 同じ おなじ を Δε με βοήθησες. [6] きみは 助け たすけ てくれなかった。 助ける たすける 相手 あいて はされるほう。 日本 にっぽん 語 ご も を を 使う つかう Έχω την απάντηση. [7] 答え こたえ は 分かっ わかっ ています。 持つ もつ が 受け止める うけとめる 相手 あいて 。 日本 にっぽん 語 ご は は で 言う ゆう Πηγαίνω σχολείο. [8] 学校 がっこう へ 行き いき ます。 前置 ぜんち 詞 し なし。されるほうだけで 方向 ほうこう を 言う ゆう Πάω κάθε πρωί σχολείο. [9] 毎朝 まいあさ 、 学校 がっこう へ 行き いき ます。 同じ おなじ 作り つくり に いつものこと を 足し たし た 形 かたち Έτρεξα σπίτι. [10] 家 いえ まで 走り はしり ました。 これも 前置 ぜんち 詞 し なし。1.6 で 出 で た 文 ぶん 七 なな つ 目 め の 文 ぶん は 日本 にっぽん 語 ご との 差 さ が 大きい おおきい 例 れい です。 答え こたえ を 持っ もっ ている、と 言っ いっ て「 答え こたえ は 分かっ わかっ ている」を 表し あらわし ます。 形 かたち 編 へん 5 課 か の 正し ただし さを 持っ もっ ている と 同じ おなじ 作り つくり で、 ギリシア 語 ご は 状態 じょうたい を「 持つ もつ 」で 言う いう のを 好み このみ ます 。 日本 にっぽん 語 ご なら 動詞 どうし や 形容 けいよう 詞 し で 言う いう ところを 名詞 めいし にして、 持つ もつ と 組ま くま せる。この 型 かた は 語 ご 編 へん で 語彙 ごい を 増やす ふやす ときにも 何 なん 度 ど も 出 で てきます。 よくある 誤り あやまり 表 ひょう は 三 さん 行 ぎょう です。 どんな 誤り あやまり か やってしまう 形 かたち 直し なおし た 形 かたち 日本 にっぽん 語 ご の が に 引きずら ひきずら れる ほしい の 相手 あいて をするほうの 形 かたち にする されるほうにする。ほしい は 動詞 どうし だから 冠詞 かんし を 動かし うごかし 忘れる わすれる 名詞 めいし だけ 変え かえ て 冠詞 かんし をそのままにする 冠詞 かんし も 一緒 いっしょ に 動く うごく 。 前 まえ と 後ろ うしろ の 二 に 重 じゅう が 原則 げんそく 方向 ほうこう にいつも 前置 ぜんち 詞 し を 置く おく 決まっ きまっ た 行き先 いきさき にも 前置 ぜんち 詞 し を 置く おく 学校 がっこう ・ 家 いえ ・ 寝床 ねどこ などは 前置 ぜんち 詞 し なしでよい 二 ふた つ 目 め は 形 かたち の 問題 もんだい ですが、 実際 じっさい にはこれがいちばん 多い おおい 誤り あやまり です。 形 かたち 編 へん 1 課 か で 見 み たとおり、ギリシア 語 ご は 役目 やくめ を 冠詞 かんし と 語尾 ごび の 二 に 重 じゅう で 示し しめし ます。 片方 かたほう だけ 変える かえる と、 言い いい たいことは 通じ つうじ ても、 聞き手 ききて には 引っかかる ひっかかる 。 慣れる なれる までは、 名詞 めいし を 置く おく ときに 冠詞 かんし から 先 さき に 決める きめる 癖 くせ をつけると 早い はやい です。 広げる ひろげる — 二 ふた つ 受け止める うけとめる 動詞 どうし 動詞 どうし のなかには、 受け止める うけとめる 相手 あいて を 二 ふた つ 取る とる ものがあります。 誰 だれ かに 何 なん かをあげる、 誰 だれ かに 何 なん かを 言う ゆう 。 日本 にっぽん 語 ご なら に と を で 分ける わける ところです。 ギリシア 語 ご では、 物 もの のほうがされるほう、 人 ひと のほうが 持ち主 もちぬし の 形 かたち になります。 日本 にっぽん 語 ご の に にあたるのが 持ち主 もちぬし の 形 かたち だというのは 意外 いがい に 見え みえ ますが、ギリシア 語 ご では「その 人 ひと にとって」という 関係 かんけい を 持ち主 もちぬし の 形 かたち で 表す あらわす からです。 彼 かれ にネクタイを 買っ かっ た、と 言う いう とき、ネクタイ がされるほう、 彼 かれ が 持ち主 もちぬし の 形 かたち になります。 この 型 かた は 3.7 で 持ち主 もちぬし の 形 かたち を 扱っ あつかっ たあと、 弱形 じゃっけい の 代 だい 名詞 めいし と 組み合わせ くみあわせ て 出 で てきます。 いまは、 日本 にっぽん 語 ご の に がいつも 同じ おなじ 形 かたち になるわけではない と 知っ しっ ておいてください。ギリシア 語 ご には 日本 にっぽん 語 ご の に にあたる 単一 たんいつ の 形 かたち がなく、 場面 ばめん ごとに 違う ちがう 形 かたち を 使い分け つかいわけ ます。 練習 れんしゅう 練習 れんしゅう 1 — どちらの 形 かたち か 次 つぎ の 日本 にっぽん 語 ご で、 下線 かせん の 語 ご はギリシア 語 ご ではするほうとされるほうのどちらになりますか。 答え こたえ はこの 課 か の 最後 さいご にあります。 本 ほん がほしい。 家 いえ が 見える みえる 。 父 ちち が 来 き た。 誰 だれ か を 待っ まっ ている。 練習 れんしゅう 2 — 冠詞 かんし ごと 動かす うごかす 次 つぎ のするほうの 句 く を、されるほうに 直し なおし てください。 冠詞 かんし も 名詞 めいし も 動き うごき ます。 το βιβλίο ( 本 ほん が) ο δρόμος ( 道 みち が) η αλήθεια ( 本当 ほんとう のことが) οι φίλοι ( 友だち ともだち が) 練習 れんしゅう 3 — 音読 おんどく 実 じつ 文 ぶん の 十 じゅう 文 ぶん を、 音声 おんせい のあとについて 声 こえ に 出し だし てください。 冠詞 かんし と 名詞 めいし を 一 ひと つの 塊 かたまり として 読む よむ こと 。 八 よう つ 目 め から 十 じゅう 番 ばん 目 め までは 前置 ぜんち 詞 し がありません。 何 なん も 足さ たさ ずに 名詞 めいし だけを 置く おく という 作り つくり を、 口 くち で 覚え おぼえ てください。 この 課 か のまとめ されるほうの 形 かたち は、 動詞 どうし の 動き うごき を 受け止める うけとめる 相手 あいて に 付く つく 。 基本 きほん は 日本 にっぽん 語 ご の を と 同じ おなじ 。 ずれの 一 ひと つ 目 め 。 日本 にっぽん 語 ご が が で 言う いう ほしい・ 見える