多数の専制――自由主義と民主主義の緊張 — Epoché
思想 民主主義 約 29 分 本文 約 13,000 字 図 4・表 2 資料 2 節 この課の要点 問題・守り方・反論の 3 つ 問題 トクヴィルは、すべての権力の起源を多数の意志に置きながら、多数が何でもしてよいという考えを退けた。ミルは、意見と感情による社会的専制を、多くの政治的抑圧より逃げ道の少ないものと見た 守り方 憲法の改正に単純多数を超える賛成を求めること、権利を憲法に書いて裁判所が審査することが、多数を縛る代表的な仕組みである 反論 ウォルドロンら民主的な批判者は、選挙で選ばれない裁判官が最後に決める強い型の審査を退ける。議会に最後の判断を残す弱い型の審査という中間の案もある はじめに クラスの出し物を多数決で決める場面を思い浮かべてください。劇か合唱かを決めるのなら、多数決に不満を言う人は少ないでしょう。では、同じ多数決で「あの子とは口をきかない」と決めたらどうでしょうか。手続きは同じでも、多くの人はおかしいと感じるはずです。多数で決めることが民主主義の基本だとしても、多数が決めてはならないことがあるように思えます。 この違和感に、19 世紀の二人の思想家が名前を与えました。フランスのトクヴィルは、1831 年に政府の命で合衆国の監獄制度を調べに渡り、翌年 2 月に帰国しました。その見聞をもとに『アメリカのデモクラシー』を、第 1 巻を 1835 年、第 2 巻を 1840 年に出しました [8] 。第 1 巻の一章で、彼は「多数の専制」を論じています [1] 。英国のミルは『自由論』で、この言葉が社会の警戒すべき悪の一つに数えられるようになったと書き、さらに法律の外にある専制へ目を向けました [2] 。 この課程の『代表制』の課では、選ぶことと任せることを見ました。この課では、選ばれた多数そのものが少数を押しつぶす危険を考えます。民主主義は「多数で決める」ことを、自由主義は「個人の自由を守る」ことを大事にします。二つはふだん手を組んでいますが、多数が個人の自由を奪おうとするとき、ぶつかります。この課の題の「緊張」は、そのぶつかりを指します。 二人の議論からは、大事な区別が二つ出てきます。一つは、法律を通した専制と、世論や付き合いを通した専制の区別です。もう一つは、多数が決めてはならないことを、民主主義そのものの理屈から引き出すのか、民主主義とは別の価値から引き出すのか、という区別です。どちらの区別も、現代の政治哲学と憲法の議論に引き継がれています。 この課では、まずトクヴィルとミルが何を危険と見たかを読みます。次に、憲法で多数を縛る仕組みと、その仕組みへの民主主義の側からの反論を並べます。最後に、多数が決めてはならないことの範囲をどう引くかという争点を整理し、日本の憲法と最高裁判所の決定に当てはめます。どの立場が正しいかを、本教材は決めません。考えるための道具をそろえることが目的です。 この課の問い 多数で決めることが民主主義の基本なら、多数が決めてはならないことはあるのでしょうか。あるとすれば、それを誰が、どんな仕組みで守るのでしょうか。 この課のことば 多数の専制 多数派が数の力で、少数派の自由や権利を押しつぶすこと。法律を通して起こることも、世論や付き合いの圧力を通して起こることもあります 社会的専制 法律や刑罰ではなく、周りの意見・感情・付き合いの圧力で、人の考えや生き方を型にはめること。ミルが『自由論』で使った言葉です 立憲主義 憲法で政府の権力に限りを設け、その限りを、ふつうの多数決では簡単に変えられないようにしておく考え。後の課『憲法と立憲主義』で詳しく扱います 違憲審査 裁判所が、法律などが憲法に合っているかを判断すること。日本国憲法では最高裁判所が終審の裁判所です 固定化した少数派 投票のたびにいつも負けてしまう少数派。多数派に悪意がなくても生じることがあります 多数の専制――多数が決めてはならないことはあるか 民主主義は、多数の意志に権力の根拠を置きます。では、その多数の力に限りはあるのでしょうか。この章では、問題を立てたトクヴィルとミル、多数を縛る仕組み、その仕組みへの反論、争点の整理と日本の順に見ていきます。 トクヴィルの問題提起――多数の全能 トクヴィルは、民主的な政府では多数の支配が絶対になるのは、その性質そのものだと書きます。民主政では、多数の外に抵抗するものが何もないからです [1] 。しかもアメリカの憲法の多くは、この自然の力を人為的に強めた、と彼は見ました。立法部の議員を人民が直接、しかも短い任期で選ばせたのは、議員を有権者の大きな考えだけでなく、日々の情念にも従わせるためだった、と言います。いくつかの州では司法まで多数の選挙に委ね、どの州でも立法部の代表者に毎年裁判官の給与を決める権利を残して、司法の存立をいわば立法部に頼らせた、とも書いています [1] 。 ここで大事なのは、トクヴィルが多数決そのものを否定していない点です。彼は、統治では多数が何でもする権利をもつという考えを「忌まわしい」と退けながら、すべての権力の起源は多数の意志にあるとも言います [1] 。これは矛盾ではない、と彼は答えます。各国民の多数よりも上に、人類の多数が作ったか受け入れた一般の法があり、それが正義だからです。正義が各国民の権利の限界になる、と彼は書きます [1] 。だから不正な法に従わないことは、多数の命じる権利を否定することではありません。「人民の主権」から「人類の主権」に訴えることだ、と彼は言います。 理由の段はこう続きます。多数とは、集団としてみれば、意見と利害をもつ一人の個人のようなものです。その利害は、少数という別の個人の利害としばしば対立します。全能を与えられた一人の人間がその力を敵に向けて濫用しうるのなら、多数も同じだろう、とトクヴィルは問います [1] 。人が集まれば性格が変わるわけではありません。だから、一人の人間に与えない「何でもする力」は、多くの人にも与えない、というのが彼の結論です。 では、権力を分け合わせればよいのでしょうか。トクヴィルは、いくつもの原理を一つの政府の中で本当に対立させる「混合政体」は空想だと退けます。どの社会でも、最後には一つの原理が他を支配するからです [1] 。そのうえで彼は、社会のどこかに他に優る権力を置くことは避けられないと認めます。危ういのは、その権力が自分の歩みを止める障害に何も出会わず、自らを和らげる時間を持てないときだ、と彼は言います [1] 。全能はそれ自体が悪く危険で、人の力を超えている、と彼は考えます。だから、人民と呼ばれようと王と呼ばれようと、何でもする権利と力を与えられた権力に、彼は専制の芽を見ました [1] 。 では、アメリカで不正を受けた人はどこに訴えればよいのでしょうか。トクヴィルの答えは厳しいものでした。世論に訴えても、世論こそ多数をつくっています。立法部は多数を代表し、それに従います。執政は多数に選ばれてその受け身の道具となり、公の武力は武器をもった多数にほかなりません。陪審は判決を下す権利をもった多数であり、いくつかの州では裁判官も多数に選ばれます [1] 。どこに訴えても、多数に行き着くのです。 反対に、多数を代表しながら情念の奴隷にはならない立法部、固有の力をもつ執政、他の二つから独立した司法を思い描いてみよう、と彼は言います。そうすれば、政府は民主的なままで、専制の機会はほとんどなくなる、というのです [1] 。トクヴィルの処方は民主政をやめることではなく、民主政の中に歯止めを組み込むことでした。 ここで間違えやすい トクヴィルは、当時のアメリカで専制がしばしば行われている、とは言っていません。彼が言ったのは、専制に対する保障が見つからないということです。統治が穏やかな理由は、法よりも状況と習俗に求めるべきだ、とも書いています [1] 。「アメリカは多数の専制の国だった」と言い切ると、この区別が落ちます。 法の外の専制――意見の力とミルの社会的専制 トクヴィルが最も強く驚いたのは、法律ではなく思想への多数の力でした。ヨーロッパの絶対君主でさえ、自分に敵対する考えがひそかに広がるのを止められません。ところがアメリカでは、多数がまだ定まらないうちは人々は話すのに、いったん多数が決まると皆が黙る、と彼は書きます [1] 。王の力は行為にしか届かず、意志には届きません。多数の力は物理的であると同時に道徳的でもあるので、行為と同時に、行為しようとする欲求まで止めてしまう、というのです [1] 。 そこで彼は、多数が思想のまわりに恐るべき円を描くと言います (図 1) 。円の内側にいる書き手は自由です。外へ出ても処刑されはしません。しかし政治の道は閉ざされ、同じ考えの人も、勇気がないので黙って離れていきます [1] 。一人の絶対的な支配の下の専制は、魂に届こうとして体を荒々しく打ったが、民主的な共和国の専制は体をそのままにして魂へ向かう、と彼は書きます。「あなたは私と違う考えをもってよい。命も財産もそのままだ。だが今日から、あなたは私たちの中のよそ者だ」という言葉で、彼はその姿を描きました [1] 。 多数が描いた円 みんな同じ考えだ 円の内側:話すのは自由 私は違う 円の外: よそ者扱い 刑罰はなくても、公職も付き合いも遠のく 図 1 トクヴィルの「思想のまわりの円」をたとえにした絵(本教材の作例)。円の内側では人々が同じ意見を自由に話しています。円の外へ出た人は、法による刑罰は受けないものの、政治の道も付き合いも遠のき、よそ者として扱われます [1] 。 ミルはまず、自由をめぐる考えの移り変わりを振り返ります。かつて自由を愛する人々は、支配者の権力に限りを設けることを求めました。やがて、支配者を選挙で選び、いつでも辞めさせられる代理人にすればよいと考えるようになります。支配者が国民と一体になれば、国民は自分の意志から守られる必要はない、という考えです [2] 。しかし民主的な共和国が地上の大きな部分を占めるようになると、この考えの欠点が見えてきた、とミルは書きます [2] 。 ミルは『自由論』の第 1 章で、この見方をさらに進めます。権力を振るう「人民」は、権力を振るわれる人々と同じとは限りません。「自治」とは各人が自分を治めることではなく、他の全員が各人を治めることです。人民の意志とは、実際には最も数の多い部分、または最も活発な部分の意志だ、と彼は言います [2] 。だから、人民が自分の一部を抑圧しようとすることもありえます。ほかの権力の濫用と同じように、それへの備えが要る、と彼は書きます [2] 。ミルの解説者ブリンクは、ここでミルが、民主政には一人や少数ではなく多数の専制という固有の脅威がある、と示したとまとめています [5] 。 ミルの独自の点は、専制の手段を役人の行為に限らなかったことです。社会は自分の命令を自分で実行できます。社会が誤った命令を出したり、口を出すべきでない事柄に命令を出したりすれば、それは「社会的専制」になります。ミルは、それを多くの種類の政治的抑圧より恐ろしいと言いました。ふつうは極端な罰を伴わないけれども、逃げ道が少なく、生活の細部に深く入り込み、魂そのものを隷従させるからです [2] 。二つの専制の違いを図 2 にまとめます (図 2) 。 政治的な専制(法と 役人) 社会的な専制 (意見と感情) 手段は 法律・刑罰・役人の 行為 手段は世論・非難・ 付き合いの拒否 罰は重いことが多い 罰は軽く見えても 逃げ道が少ない 守り:政府の権力を 制限する 守り:意見の 干渉にも限界を引く 図 2 政治的な専制と社会的な専制(ミル『自由論』第 1 章をもとにした本教材の整理) [2] 。 では、どこに線を引くのでしょうか。ミルの答えは、この課程の『言論の自由』の課で見た危害原理です。文明社会の成員に、その意志に反して権力を正当に振るえる唯一の目的は、他人への危害を防ぐことだ、と彼は言います [2] 。ここで「権力」には、法による罰だけでなく、世論による道徳的な強制も含まれます [2] 。本教材の作例で言えば、校則に違反していないのに「みんなと同じでない」というだけで生徒を孤立させることは、ミルの基準では正当化しにくい干渉に当たります。 ここで間違えやすい 危害原理は、人に意見を言うことまで禁じてはいません。ミルは、本人のためになるという理由は、忠告し、道理を説き、説得し、懇願する理由にはなるが、強制したり罰を加えたりする理由にはならない、と書いています [2] 。批判の声そのものと、罰として働く圧力とを分けて考えましょう。 多数を縛る仕組みと民主的な反論――誰が最後に決めるか 多数の専制への備えとして、まず挙がるのが立憲主義です。立憲主義を論じる研究者の多くは、政府の権力を制限する規範が何らかの形で固定されていることを重視します [4] 。多くの成文憲法には改正の手続きがありますが、それは大統領の命令や議会の単純多数だけで変えられるものではありません。憲法会議、特別多数の議決、国民投票、連邦では一定数の州の同意などを求めます [4] 。制限される側の機関が、その制限を思いのままに変えられるなら、本当に制限されているとは言いにくいからです [4] 。 ただし、固定には難しい問いも残ります。改正の手続きを定めた規則そのものは、どうすれば変えられるのでしょうか。スタンフォード哲学百科事典の「立憲主義」の項は、次のような条件つきの推論を紹介しています。三つの前提があります。政府と主権を区別すること、究極の主権が人民にあること、主権は自分自身を制限できないことです。この三つを認めるなら、憲法は主権者である人民の行為に対しては固定できず、固定すべきでもない、という結論に導かれうる、というものです [4] 。三つの前提のどれを認めるかで、結論は変わります。 次に違憲審査です。裁判所が、法律が憲法に合うかを判断します。審査の強さは国によって違います。米国では裁判所が法律を無効にでき、その判断は最終です。英国の裁判所は議会の法律を無効にできませんが、1998 年人権法の 4 条によって、法律が人権法と両立しないと正式に宣言できます。カナダでは最高裁判所が法律を無効にできます。ただし、議会や州議会がその判断を覆せる場合があります。権利自由憲章の 2