権威と正統性――人はなぜ命令に従うのか — Epoché
基礎 権力と国家 約 26 分 本文 約 11,300 字 図 4・表 2 資料 1 節 この課の要点 区別・類型・現代の 3 つ 区別 権力は相手の抵抗に逆らってでも従わせる力、権威はその命令が正しいと受け入れられた関係であり、正統性はその受け入れの根拠を指します。 類型 ウェーバーは正統性の根拠を、伝統・カリスマ・合法性の三つの純粋型に分けました。現実の支配は、その組み合わせとして読めます。 現代 現代の民主政の正統性は、決め方の正しさ(手続き)と暮らしへの成果の両方に支えられ、どちらかが崩れると揺らぎます。 はじめに 夜、車も来ない交差点で、赤信号に止まったことはありますか。警察官も見ていません。それでも多くの人は、青になるまで待ちます。罰を受けるのが怖いからだけでしょうか。税金を納めることも、届け出の期限を守ることも、選挙の結果を受け入れることも同じです。私たちの暮らしは、強制されなくても守られている命令や決まりであふれています。 一方で、刃物で脅されて従うこともあります。強盗に財布を渡す人も、信号で止まる人も、外から見れば「従っている」点では同じです。けれども二つの服従は、中身がまったく違います。強盗が立ち去れば、従う理由は消えます。信号の決まりは、見張る人がいなくても守られ続けます。この違いを言い表すのが、権威と正統性という二つの概念です。 この課では、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーの考えを軸にします。ウェーバーは、人が支配に従う内側の理由を、伝統・カリスマ・合法性の三つに分けました。この区別はいまも、政治学の基本の道具として使われています。まず力と権威の違いを確かめ、次に「正統性」という語の二つの意味を区別します。そのうえで三つの類型を学び、最後に、現代の民主政の正統性が何に支えられているかを考えます。 資料では、ウェーバーが1919年の講演で三つの類型を名指した8つの文を、原文から訳して読みます。考えてみるでは、家業・企業・役所・部活動といった身近な組織に当てはめます。読み終えたとき、「人はなぜ命令に従うのか」という問いに、自分の言葉で答えられることを目指しましょう。 この課の問い 人は、強制されなくても政府や法の命令に従うことが多いのです。それはなぜでしょうか。従わせる「力」と、従うに値すると受け入れられた「権威」とは何が違い、その受け入れ(正統性)は何に支えられているのでしょうか。 この課のことば 権力 相手が嫌がっても、こちらの思うとおりに動かせる力。刃物で脅すのも権力の一つの形です 権威 命令が「従うのが当然」と受け入れられている状態。脅しも説得も要らずに従われます 正統性 支配が正しいと信じられていること、または正しいと認められる理由。正当性とも書きます 支配 ウェーバーの語で、命令すれば一定の人々が従う見込みのある関係。会社や役所の指示もその例です カリスマ 並外れた資質を持つと信じられた個人への帰依。もとは「神の恵みの賜物」の意味です 合法的支配 人ではなく、正しい手続きで定められた規則と職務に従う支配。役所の窓口が典型です 権威と正統性――力に従うことと、正しいと認めて従うこと 前の課では、人を動かす力としての権力を見ました。この課では、力で脅されなくても人が従う理由、つまり権威と正統性を考えます。軸にするのは、ウェーバーの支配の三類型です。四つの節で、力と権威の区別、正統性の二つの意味、三類型、現代の民主政の正統性の順に進みます。 力と権威の違い――強盗に従うことと、信号に従うこと ウェーバーは、相手が抵抗しても自分の意志を通す見込みを「権力(Macht)」と呼びました。これに対し、ある命令を出せば一定の人々が従う見込みを「支配(Herrschaft)」と呼んで区別しています [2] 。権力は、どんな手段でも、誰に対してでも成り立つ、広い概念です。支配は、命令と服従という決まった形を持つ関係に絞った概念です。そしてウェーバーは、支配が長く安定して続くのは、従う側がそれを正しいものと信じているときだと考えました [1] [3] 。 強盗に財布を渡す 力が去れば終わる服従 赤 誰もいない交差点で止まる 決まりを受け入れた服従 図 1 どちらも「従っている」点は同じです。一つ目の絵は力が去れば終わる服従、二つ目の絵は決まりを正しいと受け入れた服従です(本教材の作例)。 図1の一つ目の絵の人は、強盗にナイフを向けられて財布を渡しています。強盗を正しいと思っているわけではありません。傷つけられたくないから従うのです。強盗が去れば、従う理由も一緒に消えます。二つ目の絵の人は、車も警察官もいない交差点で赤信号に止まっています。罰が怖いだけなら、誰も見ていない場面で止まる理由はありません。信号という決まりに従うのが当然だと受け入れているから止まるのです。前者は力だけの関係、後者は権威の関係です(本教材の作例)。 なぜこの区別が大切なのでしょうか。力だけの支配は高くつくからです。人々が命令を正しいと思っていなければ、支配者は見張りと罰を絶えず用意しなければなりません。見張りの目が届かない所では、命令はすぐに破られます。反対に、命令が正しいと信じられていれば、多くの人は見張られなくても従います(本教材の整理)。ウェーバーも、正統性を社会科学の大事な説明の道具としました。正しいと信じられた秩序は、利益の計算やただの習慣よりも安定した規則性を生む、と考えたのです [3] 。 権威は説得とも違います。説得は、理由を示して相手が納得したときに成り立ちます。権威のある命令は、中身を一つ一つ確かめなくても「この決まりが言うのだから」と従われます。哲学者のラズは、権威のある命令は、従う人が自分で比べるはずのほかの理由に取って代わる理由になる、と論じました [7] 。政治思想家のアーレントも、権威は力による強制とも、議論による説得とも違うものだと述べています [9] 。 日本の例で考えてみましょう。2020年4月7日、政府は新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づいて緊急事態宣言を出しました [11] 。このとき求められた外出の自粛や休業は、罰則のない「要請」でした。それでも多くの人と店が応じました。ここから「政府の要請に従うのが当然と受け止められた、つまり権威があった」と読むこともできます。ただし、これは一つの仮説です。感染を避けたいという自分の判断、周りの目を気にする同調、休業への支援など、応じた理由はほかにも考えられます。どの理由がどれだけ効いたかは、応じたという事実だけでは分かりません(本教材の整理)。 その後、2021年2月13日に施行された法改正で、それまでの「指示」を「命令」に改め、命令に違反したときの過料を付け、まん延防止等重点措置を設けました。緊急事態宣言のもとでの命令違反は30万円以下、まん延防止等重点措置のもとでの命令違反は20万円以下です [10] 。過料の対象は命令への違反であり、要請に応じないこと一般ではありません。権威だけでは足りない場面で、力の裏づけが加えられた例として読めます。 ここで間違えやすい 「権威」を「えらい人」や「権威主義」の意味と混ぜないようにしましょう。この課の権威は、命令が正しいと受け入れられている関係のことで、民主政の法にも権威はあります。また、権威があれば力が要らない、というわけでもありません。多くの支配は、権威と力の両方に支えられています。 正統性の二つの意味――信じられていることと、正しいと言えること 「正統性」という語は、二つの違う意味で使われます。一つは記述の意味です。ある体制が正統だとは、そこに暮らす人々がその体制を正しいと信じている、という事実を指します。ウェーバーの正統性はこの意味で、人々の「正統性の信仰」に注目し、規範の基準を持ち込みません [3] 。もう一つは規範の意味です。ある体制が正統だとは、その体制が力を使うことや命令する権利が、実際に正当化できることを指します (図 2) [3] 。 記述の意味 規範の意味 人々が正しいと 信じていること 実際に正当化できる こと 調べ方:世論調査や 従う行動 調べ方:理由を 吟味する 問い:実際に 信じられているか 問い:力や命令の 権利は正しいか 代表:ウェーバー 代表:ロールズ、 ラズ 図 2 正統性の二つの意味です。ビーサムは、二つを切り離しすぎることを批判し、人々の信念に照らして正当化できるかを問いました。 規範の意味の中でも、何を正当化するのかで見方が分かれます。ロールズは、国家が強制力を使うことの正当化として正統性を論じました。ラズのように、命令する権利、つまり権威の正当化として論じる立場もあります。この立場では、国家が事実として従われていても、それだけでは正統な権威とは言えません。実際に命令する権利を持つときに、はじめて正統な権威になります [3] [7] 。 二つの意味は、ずれることがあります。人々に信じられていても正当化できない支配もありえますし、正当化できるのに信じられていない支配もありえます。そこで、二つを切り離しすぎることへの批判も出ました。ビーサムは、ウェーバーの定義は人々が何を根拠に信じるのかを見落としている、と批判しました。そして、権力の関係が正統なのは、人々がその正統性を信じるからではなく、人々の信念に照らして正当化できるからだ、と言い直しています [3] [4] 。 ずれの例を、歴史から確かめます(本教材の作例)。日本では1945年の法改正まで、女性は国政の選挙で投票できませんでした。その制度は当時の法として通用し、人々に従われていました。記述の意味では、その制度にも一定の正統性があったと言えます。けれども、今日の規範の基準から見れば、人口の半分を決め方から締め出す制度を正当化するのは難しいでしょう。逆に、正当化できる理由を持つ新しい制度が、導入の当初は人々に受け入れられないこともあります。記述の問いと規範の問いを分けておくと、「多くの人が従っているから正しい」とも、「正しいのだから従われるはずだ」とも言わずにすみます。 例で確かめましょう(本教材の作例)。ある国の政府が国営放送と検閲で反対の声を消し、世論調査で9割の支持を得ているとします。この数だけで、記述の意味の正統性が高いと言えるでしょうか。言えません。記述の意味の正統性も、人々が支配を正当だと信じていることを指します。罰を恐れて「支持する」と答えた人が、そう信じているとは限りません [3] 。判定するには、まず自由に答えられる調査かどうかを確かめます。次に、政府の仕事ぶりへの評価と、その政府が統治する権利を持つという信念とを分けて尋ねる必要があります。9割という数だけでは、正統性は判定できないのです。 正統性は、正義とも区別されます。ロールズは、正統性と正義は同じ政治的な価値に基づくけれども、正統性の方が弱い要求だと論じました。正義にかなわない点のある制度でも正統でありえますが、正義にかなう制度は必ず正統です [3] 。たとえば、ある税の仕組みに不公平な点があると考える人も、議会が正しい手続きで決めた税である限り、それを正統な決定として受け入れることがあります(本教材の作例)。 ここで間違えやすい 「正統性」と「正当性」を別の概念だと思い込まないようにしましょう。日本語の文献では、ドイツ語の Legitimität の訳に両方が使われます。また、記述の正統性(信じられている)を確かめることと、規範の正統性(正当化できる)を主張することを、一つの文の中で混ぜないようにします。 支配の三類型――伝統・カリスマ・合法性 ウェーバーは、支配の内的な正当化の根拠を、原理として三つに分けました [1] 。人々が何を正しいと信じて従うのかで分けたものです (表 1) 。 この表で分かること: 三類型は、何に従うか・誰が担うか・何で崩れるかが違います 類型 正統性の根拠 従う相手 担い手の例 弱点 伝統的支配 昔からの慣習の神聖さ 伝統が定めた人 家父長・世襲の君主 変化に応じにくい カリスマ的支配 並外れた資質への帰依 その個人 預言者・英雄・大衆指導者 資質を示せないと崩れる 合法的支配 正しく定めた規則への信頼 規則と役職 近代の官僚・公務員 形式に流れやすい 表 1 ウェーバーの支配の三類型です。弱点の列は本教材の整理です。 第一は伝統的支配です。根拠は「永遠の昨日」、つまり昔からそうしてきたという慣習の神聖さです。家父長や、国を自分の家のように治める昔ながらの君主が典型です [1] 。人々は伝統が定めた人に従いますが、支配者自身も伝統に縛られます。伝統に背く命令は、かえって支配者の正統性を損ないます。そのため、新しい事態に応じにくいという弱点を持ちます(本教材の整理)。 第二はカリスマ的支配です。カリスマとは、もとは神の恵みの賜物を指す語で、ウェーバーは並外れた個人の資質への帰依の意味で使いました。預言者、選ばれた戦争の指導者、人民投票による支配者、大衆を引きつける扇動政治家、政党の指導者が例に挙がります [1] 。人々は規則や慣習ではなく、その人を信じて従います。そのため、資質を示し続けられないと、信じる気持ちが冷めて崩れやすくなります [2] 。 第三は合法的支配です。根拠は、正しい手続きで定められた規則が効力を持つことへの信頼です。人々は人そのものではなく、規則が定めた役職の権限に従います [1] 。市役所の職員の指示に従うのは、その職員を慕うからではありません。法令がその職に権限を与えているからです。役職を離れれば、同じ人の言葉でも命令の力はありません。近代の官僚制がその典型です。 表1の弱点の列も見ておきましょう(本教材の整理)。合法的支配は、人の好みではなく規則で動くので、誰に対しても同じ扱いができ、結果を予測しやすいという強みがあります。その反面、規則を守ること自体が目的になり、規則が何のためにあるのかが見失われることがあります。窓口で「書類の形式が違う」と受け付けてもらえない経験は、その小さな例です。また、規則への信頼が根拠なので、規則が不公平だと受け止められたり、手続きが守られていないと知られたりすると、合法的支配の正統性はそこから揺らぎます。 三類型は純粋型、つまり現実を測るための物差しです。ウェーバー自身、純粋な型は現実にはまれで、現実の支配は