ヘラクレイトス――争い合う反対のものが一つの世界をなす(ロゴス・対立の一致・流転) — Epoché
古代 ソクラテス以前の哲学 約 19 分 本文 約 8,200 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 原理・構造・過程の 3 つ 原理 万物はロゴスに従って生じ、語り手の私ではなくロゴスに聞けば「万物は一つ」と認めるのが知恵だ、とヘラクレイトスは書きました。そして、人々はそれを聞いても分からない、とも書いています(ロゴス)。 構造 昼と夜、上り道と下り道、生と死のような反対のものは、弓や竪琴のように逆向きに引き合いながら一つにまとまっている、と彼は考えました(対立の一致)。 過程 同じ川に入る人には次々と違う水が流れてくる、という断片は、変わることでこそ同じであり続けるものがある、と語っていると読まれています。「万物は流れる」という言い回しは、プラトンの要約(万物は去り、何ものもとどまらない)をもとにした後代の標語です(流転)。 はじめに ヘラクレイトスは、小アジアのイオニア地方の町エペソスの人です。彼が生きた時代のエペソスは、ペルシアの支配下にありました [3] 。生没年は確かではありません。ディオゲネス・ラエルティオスの『哲学者列伝』は、人生の盛りを第 69 オリンピア期、つまり前 504〜前 501 年としています(IX.1) [5] 。 彼は一冊の書物を書き、エペソスのアルテミス神殿に納めたと伝えられます(IX.6) [5] 。書物そのものは残らず、後の時代の著作に引かれた 100 余りの断片だけが届いています。断片どうしはつながりにくく、格言を集めたような書物だったと見る研究者もいます。アリストテレスの弟子テオプラストスは、この書物を半ば仕上がっていないと評しました [3] 。古代から「暗い人(スコテイノス)」と呼ばれ、この課の原典を伝えるヒッポリュトスもそう呼んでいます(『全異端反駁』IX.8) [1] 。 前の課のクセノパネスも、その前の課のピュタゴラスも、ヘラクレイトスは名指しで退けました。「博識は分別をもつことを教えない。そうでなければ、ヘシオドスやピュタゴラスに、さらにクセノパネスやヘカタイオスにも教えたはずだ」というのです(DL IX.1、DK 22 B 40) [5] [3] 。編の初めに読んだミレトスの三人は、世界が「何から」できているかを問いました。この課では、変わり続け、反対のものどうしが争い合う世界が、なぜ一つの世界であり続けるのかを、ヘラクレイトス自身の言葉から読みます。 この課の問い すべてが変わり続けているのに、世界はなぜ同じ一つの世界であり続けるのでしょうか。昼と夜、生と死のように反対のものどうしは、どうして一つにまとまっていられるのでしょうか。 この課のことば 断片 失われた書物の言葉が、後の時代の著作に引用されて残ったもの。ヘラクレイトスの書物は、断片の形でしか残っていません。 DK の番号 ディールスとクランツが編んだ断片集の番号。22 がヘラクレイトスの章で、A は後代の人の報告(証言)、B は本人の言葉とされる断片です。「B 50」のように呼びます。 ロゴス ギリシア語で「言葉」「説明」「比」などを意味する語。ヘラクレイトスでは、彼が語る言葉でありながら、語り手とは別に成り立つ世界の筋道を指します。 対立の一致 反対のものどうし(昼と夜、上と下、生と死など)が、切り離せない一組として一つにまとまっているという考え。 流転 ものごとが流れるように絶えず移り変わること。「万物は流れる(パンタ・レイ)」は後代の決まり文句で、断片の言葉ではありません。 コスモス もとは「秩序」「飾り」の意味。ヘラクレイトスは、現存する文献で初めて、この語を「世界」に近い意味で使いました。 一つの世界――反対のものと変化は、どう結ばれているか ロゴス――私ではなく、ロゴスに聞け 伝え手のセクストス・エンペイリコスは、次の言葉を書物『自然について』の冒頭として引いています(『学者たちへの論駁』VII.132、DK 22 B 1) [2] 。「このロゴスはあるのに、人々は聞く前も、初めて聞いた後も分からない」。ヒッポリュトスの伝えでは「このロゴスは常にあるのに」となっていて、下の原典 1 はこちらを訳しています [1] 。「常に」の有無は、セクストスの校訂者も注に挙げています [2] 。 ここでのロゴスは、ヘラクレイトスが語る言葉でありながら、語り手とは別に成り立つ 世界の筋道 を指します。訳は「言葉」「道理」「理法」などに分かれ、SEP は Word(account, message)と英訳しています [3] 。本教材では訳さずに「ロゴス」と書きます。 筋道は、三つの断片を順に読むと見えてきます。第一に、B1 の続きは、すべてがこのロゴスに従って生じているのに、人々は経験のない者に似ている、と言います(「すべて」の語はヒッポリュトスの伝えにだけあります) [1] [2] 。第二に、ロゴスは誰にでも「共通のもの」なのに、多くの人は自分だけの考えを持っているかのように生きています。だから共通のものに従わなければならない、と彼は言います(B2、セクストス VII.133) [2] 。第三に、「私ではなく、ロゴスに聞いたのなら、万物は一つであると同意するのが知恵である」と言います(B50、ヒッポリュトス『全異端反駁』IX.9.1) [1] 。 要は B50 の「私ではなく」です。ロゴスは彼の言葉でも、彼の発明ではなく、世界のあり方に即した筋道として語られます [3] 。研究者は、宇宙を治める法則のような秩序で、難しくはあっても人間に理解できるものと読みます [8] 。なお、B50 の「ロゴス」は校訂者の直した読みです(下の原典 1 の読み解き 1)。 分からない人々を、彼は眠っている人にたとえます。B1 の結びは、ほかの人々は目覚めていても自分のしていることに気づかない、眠っているあいだにしたことを忘れるように、と言います [2] 。聞いても分からない人は耳の聞こえない人に似ていて、「その場にいながら不在だ」ということわざが当てはまる、とも書いています(B34) [3] (図 1) 。 目覚めている者 1 ロゴスに聞く 共通のものに従う B2 2 万物は一つと同意 それが知恵 B50 共通の一つの世界に生きる 眠っている者 1 自分の考えに頼る 自分だけの分別 B2 2 聞いても分からない 耳の聞こえない者に似る B34 めいめい自分の世界へ 図 1 ロゴスに聞く者と、聞いても分からない者。B1・B2・B34・B50 をもとに本教材が描きました。下端の二行は B89 に拠ります。プルタルコス『迷信について』3 は、「目覚めている者には一つの共通の世界があるが、眠っている者はめいめい自分だけの世界へ向かう」とヘラクレイトスの言葉として伝えます [7] 。ただし間接話法で伝えているので、どこまでが本人の言葉かは確かではありません。 ここで間違えやすい ロゴスを、ヘラクレイトスが自分で考え出した「学説」と読まないようにしましょう。彼は「私ではなく」と言っています [3] 。ヨハネによる福音書の冒頭の「ことば」や、ストア派の「宇宙の理性」と同じものと読むのも誤りです。原典を伝えるヒッポリュトスはキリスト教の著作家で、その要約には「父と子」のような言葉が混じります(Wendland 版の注) [1] 。「万物は一つ」も、区別が何もないという意味ではありません。 対立の一致――弓と竪琴の張り合い では、「万物は一つ」とはどういうことでしょうか。彼はこう書きます。「仲違いしているものが、どのようにして自分自身と一致しているのかを、人々は分かっていない。それは、弓や竪琴のような、逆向きに向かう調和である」(B51、ヒッポリュトス IX.9.2) [1] 。 弓では、弦が両端を内へ引き、しなった本体は外へ戻ろうとします。 逆向きの力が張り合っているから 、弓は矢を放てます。竪琴も、張った弦と枠が引き合うから鳴ります (図 2) 。ただし、力の向きで説明するのは本教材の読み方で、断片は「逆向きに向かう調和」としか言いません。Diels は、逆向きに反る二本の木を組み合わせた、弓と竪琴の作りを指すと見ています [7] 。 弓 内向きの矢印:弦が両端を引く 外向きの矢印:弓が戻ろうとする 竪琴 弦と枠が 引き合う 逆向きに張り合って、一つの働き 矢を放つ/音が鳴る 図 2 弓と竪琴(B51)。断片が言うのは「逆向きに向かう調和」(παλίντροπος ἁρμονίη)だけで、力の向きで描いたのは本教材の読み方です。Diels は、逆向きに反る二本の木を組み合わせた作りを指すと読みます [7] 。 反対のものが一つである仕方を、本教材では三つに分けてみます。第一は、見る相手によって反対になる場合です。海の水は最も清く、最も汚れています。魚には飲めて命を守り、人には飲めず命を損なうからです(B61、ヒッポリュトス IX.10.5) [1] [3] 。第二は、移り変わって入れ替わる場合です。生と死、目覚めと眠り、若さと老いは私たちのうちで同じものだ、と彼は言います。これが移り変わってあれになり、あれが移り変わってこれになるからです(B88) [3] 。表 1 の四つ目の昼と夜(B57)も、この型に入ります [1] [3] 。第三は、一つのものの二つの向きです。上り道と下り道は、一つの同じ道です(B60、ヒッポリュトス IX.10.4) [1] [8] 。 この表で分かること: 表の四つの断片では、反対のものが「一つ」であることに、誰にとってか、いつか、どちら向きかの条件が付いています。だから同時に同じ点で反対だという主張ではない、と読む研究者がいます(Graham)。 反対のものの組 断片 一つである仕方 清い水・汚れた水 B61(海) 魚には命の水、人には毒の水 目覚め・眠り、生・死 B88 移り変わって入れ替わる 上り道・下り道 B60 一つの同じ道の二つの向き 昼・夜 B57 昼が夜に、夜が昼に入れ替わる一続き 表 1 反対のものが一つである仕方(ヒッポリュトス IX.10.2・4・5 [1] 、SEP §3.2・§5 [3] )。B57 は、昼と夜を別々の者として描いたヘシオドスを、両者が一つであることを知らなかったと責める断片です。 このせめぎ合いを、彼は「戦い」とも「争い」とも呼びます。戦いは共通のものであり、正義は争いであり、万物は争いと必然に従って生じる、と知らねばならない、と言います(B80) [3] 。「戦いは万物の父であり、万物の王である」とも書きました(B53、ヒッポリュトス IX.9.4) [1] 。 反対のものが「同じ」と言うのは、矛盾を認めることでしょうか。アリストテレスは、同じものが同時にあり、かつあらぬとは考えられないと述べ、彼がそう言うと思う人々もいるが、と添えます(『形而上学』Γ 巻 3 章 1005b23–25) [4] 。プラトンとアリストテレスは彼を、矛盾律(同じ点で「そうだ」と「そうでない」を同時には言えないという原則)に反する人と見ました。SEP によれば、Barnes は、彼が「魚には」のような条件を落として矛盾に陥ったと読みます。SEP の筆者 Graham は、B61 は条件を明示し、B88 は時の違いを前提にするので、矛盾を負わせなくてよいと読みます [3] 。 ここで間違えやすい 「反対のものは同じだ」を、矛盾をそのまま認めた主張だと決めつけないようにしましょう。海の水は「魚には」「人には」と条件を付けて反対になり、目覚めと眠りは同じ時に重ならず移り変わります。Barnes のように矛盾を読み取る研究者もいますが、断片自身が条件を書いていることは押さえておきましょう [3] 。「争いが正義」も戦争の勧めではありません。反対の力のせめぎ合いがなければ、世界は生きた変化のない一様なものになる、という世界の見方です [3] 。 流転――同じ川に、違う水が流れる 「万物は流れる」は有名ですが、この言い回しは断片の中にはありません。もとになったのは、プラトンの『クラテュロス』の一節です。ヘラクレイトスは万物は去り、何ものもとどまらないと言う、とプラトンは書きます。ものを川の流れにたとえて、同じ川に二度入ることはできないと言う、とも続けます(402a = DK 22 A 6) [6] 。 伝わる川の言葉を比べると、別の姿が見えてきます (図 3) 。第一に、川の言葉は三つ伝わります。B12 は下で読む断片です。B49a は「同じ川に、私たちは入り、また入らない。私たちはあり、またあらぬ」と言います。B91 は、プラトンと同じく「同じ川に二度入ることはできない」と言います [3] 。このうち、語の多義や音の響きという彼らしい語り口をもつのは B12 だけです。SEP によれば、Kirk(1954)や Marcovich(1967)らは、B49a と B91 を後代の言い換えと見ます。この見方は Reinhardt(1916)にさかのぼります [3] 。第二に、その B12 は「同じ川に入る者には、次々と違う水が流れてくる」と言います(エウセビオス『福音の準備』XV.20 が引くアレイオス・ディデュモス) [7] 。第三に、ここで川は「同じ」とされています。水が流れ続けるから川であり、流れが止まれば湖か、干上がった川床になります。変化は、 同じであることの条件 になっているのです [3] 。 プラトンの要約 同じ川に二度は入れない 万物は去り、何もとどまらない 『クラテュロス』402a 変化が、同じであることを壊す 断片 B12 同じ川に、違う水が流れる 流れているから川である 止まれば湖か川床になる 変化が、同じであることを支える 図 3 同じ川の話の二つの形。左のプラトンの要約では変化が同一を壊し、右の B12 の有力な読みでは変化が同一を支えます。 同じ見方は、火の断片にも読み取れます。「この世界の秩序(コスモス)は、すべてのものにとって同じで、神も人も作ったものではない。それは常にあったし、今あり、これからもある。決まった量だけ燃え、決まった量だけ消える、永遠に生きる火である」(B30、クレメンス『雑録集』V.105) [3] [7] 。B31 では、火は海に、海の半分は土に、半分は火の嵐(プレーステール)に変わります。土は