ポピュリズム――「人民」対「エリート」 — Epoché
思想 イデオロギー 約 30 分 本文 約 13,300 字 図 4・表 2 資料 1 節 この課の要点 核の考え・分かれ・民主主義の 3 つ 核の考え ミュデらの最小の定義では、ポピュリズムは「純粋な人民」「腐敗したエリート」「一般意志」の三つを核とする薄いイデオロギーで、三つがすべてそろって初めてそう呼ぶ 分かれ 核が少ないため左右どちらの思想とも組み合わさる。ミュデらが比べた四つの例では、ヨーロッパの二例は主に排除型、ラテンアメリカの二例は主に包摂型だった 民主主義 見過ごされた声を政治に届ける是正にも、人民主権を掲げて抑制と均衡を崩す脅威にもなりうる。どちらに傾くかは例ごとに確かめる はじめに 「あの政治家はポピュリストだ」という言い方は、多くの場合、相手を批判するために使われます。中央公論新社が水島治郎の本に付けた紹介文も、ポピュリズムは「大衆迎合主義」とも訳され、民主主義の脅威と見られがちだ、と書いています [6] 。では、人気のある政策を掲げる政治家は、みなポピュリストなのでしょうか。減税を約束する人も、給付を約束する人も、ポピュリストになるのでしょうか。 この言葉のむずかしさは、記述と評価が混ざりやすいところにあります。「ポピュリスト」と呼ぶことが非難を兼ねるなら、ある人をそう呼ぶかどうかは、その人の政策に賛成か反対かで決まってしまいかねません。そこで政治学では、まず何をもってポピュリズムとするかを定義し、次にその定義に当てはまるかを確かめ、良いか悪いかの評価はそのあとで別に行う、という順序を取ります(本教材の整理)。この課も、その順序で進みます。 この課では、そうした日常の使い方からいったん離れ、政治学の一つの定義を物差しにします。政治学者カス・ミュデとクリストバル・ロビラ・カルトワッセルの「最小の定義」です。二人は、この定義がヨーロッパや、しだいにラテンアメリカの研究でも使われる多くの定義に近い、と述べています [1] 。物差しがあれば、ある政治家や党を「ポピュリスト」と呼べるかどうかを、好き嫌いでなく理由をつけて論じられます。 この編のこれまでの課では、自由主義・保守主義・社会主義・ファシズム・アナキズムと環境思想を見てきました。どれも、社会のさまざまな問いに答えようとする思想の束でした。ポピュリズムはそれらと違い、少数の核の考えしか持たない「薄い」考えの型だとされます。そのため、右の思想とも左の思想とも組み合わさって現れます [1] 。 この課では、まず定義の三つの核を確かめ、次に 19 世紀末の米国から、ラテンアメリカ、ヨーロッパへと続く歴史をたどります。続いて、移民を外す型と貧しい人を迎え入れる型の違いを見ます。最後に、定義をめぐる争い、支持を説明する研究、民主主義との関係を考えます。資料では、1892 年に米国の人民党が掲げた綱領を英語の原文から読み、「人民」と「エリート」の線引きを自分で見つけます。考えてみるの章では、2005 年に衆議院を解散したときの首相の会見に定義を当て、当てはまると読む手がかりと、当てはまらないと読む手がかりを分けて並べる練習をします。 この課の問い ポピュリズムとは、人気取りの政治のことなのでしょうか。それとも、「人民」と「エリート」の対立で政治を語る、一つの考えの型なのでしょうか。その型は、民主主義を立て直すのでしょうか、それとも傷つけるのでしょうか。 この課のことば ポピュリズム 社会を「純粋な人民」と「腐敗したエリート」の二つに分け、政治は人民の意志の表れであるべきだと考える考えの型。この課ではミュデらの最小の定義を使います 薄いイデオロギー 社会のすべての問いに答える体系ではなく、少数の核の考えだけを持ち、ほかの思想と組み合わさって現れる考えの束。ナショナリズムも例に挙げられます 一般意志 共同体のすべての人が意志を一つにまとめたもの。18 世紀の思想家ルソーに由来する言葉です 多元主義 社会は考えと利害の違う多くの集団から成り、政治は妥協と合意でそれらをできるだけ多く反映すべきだ、とする見方 排外主義 国はもとからの住民だけのものであるべきで、よそから来た人や価値は国を脅かす、とみる考え。英語ではネイティヴィズムと言います ポピュリズム――「人民」と「エリート」の対立で、政治をどう語るのか この章では、イデオロギーの課の型に沿って、核の考え、歴史の文脈、内部の分かれ、現代の順に見ていきます。どの節でも、ある現象をポピュリズムと呼ぶときに何を確かめればよいかを意識してください。 核の考え――三つの核と、薄いイデオロギー ミュデとロビラ・カルトワッセルは、ミュデが 2004 年に示した定義を引き、ポピュリズムを「中心の薄いイデオロギー」と定めます。この考えは、社会が究極的には、同質で互いに敵対する二つの集団、「純粋な人民」と「腐敗したエリート」に分かれているとみなします。そして、政治は人民の一般意志の表れであるべきだと論じます(定義の文は本教材の訳) [1] 。二人はこれを、少ない特徴だけで多くの例に当てはめられる「最小の定義」として示しています [1] 。 まず「薄い」の意味です。この言葉はマイケル・フリーデンの概念から借りたものです。「厚い」イデオロギーは、多くの概念を組み合わせて、社会が直面するあらゆる政治の問いに答えを出そうとします。この編で見た自由主義や社会主義を思い浮かべるとよいでしょう(本教材の例)。これに対して薄いイデオロギーは、少数の核の概念しか持たず、その意味も文脈に大きく左右されます。二人はナショナリズムとポピュリズムをその例に挙げます [1] 。だからポピュリズムは、たいてい別の思想と組み合わさって現れます。ポール・タガートは、これを「カメレオンのような性格」と呼びました [1] 。 次に三つの核です。一つ目と二つ目は「純粋な人民」と「腐敗したエリート」です。この区別は道徳の区別で、人民は同質で徳のある共同体として、エリートは同質だが病んだものとして描かれます [1] 。ただし、誰が人民で誰がエリートかは決まっていません。二人は両者を、担い手がそれぞれのしかたで中身を埋める「空の器」と呼びます [1] 。エリートは富豪のこともあれば、政党の幹部や知識人のこともあります。 三つ目は一般意志です。共同体のすべての人が意志を一つにまとめられ、人民の主権こそが政治権力の唯一の正統な源だ、という考えです。二人は、これがルソーの自己統治の理想に響くと述べ、研究でしばしば見落とされてきた核だと強調します [1] 。 人民の意志は一つだ 上の連中は腐っている 善と悪の線 純粋な人民 語り手 腐敗したエリート 図 1 ポピュリズムの三つの核を一つの場面にしたもの(本教材の作例)。演説する人物は、群衆を「純粋な人民」、ビルの人々を「腐敗したエリート」として、あいだに道徳の線を引き、人民の意志は一つだと訴えます。三つがそろうことが、ミュデらの定義の条件です。 大事なのは、三つが「必要十分の条件」とされていることです。三つがすべてそろって初めて、ある現象をポピュリズムと呼びます [1] 。ですから、反エリートの言葉だけを使う政治家や党は、この定義ではポピュリストに入りません。逆に、人民主権や人民の意志を擁護する言説が、すべてポピュリズムの例になるわけでもありません [1] 。民主主義を語る演説の多くは人民主権を口にしますが、それだけでは足りないのです。 この定義のもう一つの工夫は、反対の極を示したことです。二人は、ポピュリズムの直接の反対を二つ挙げます (表 1) 。一つはエリート主義です。人民とエリートを分ける点は同じですが、道徳が逆向きで、人民は不誠実で俗っぽく、エリートが文化・知・道徳で優れているとみます。専門家である「守護者」が統治すべきだとしたプラトンの議論が例です [1] 。もう一つは多元主義です。社会は考えと利害の違う多くの集団から成るとみて、権力の中心が多いことを好み、妥協と合意でできるだけ多くの集団の選好を反映すべきだとします。この見方では、人民の「一般意志」のようなものは生み出せません [1] 。 この表で分かること: 人民とエリートをどう見るかで、ポピュリズムはエリート主義とも多元主義とも区別される 考え 人民の見方 エリートの見方 政治の決め方 ポピュリズム 純粋で一つにまとまる 腐敗した一つの集団 人民の一般意志の表れ エリート主義 不誠実で俗っぽい 文化・知・道徳で優れる 優れた少数が統治する 多元主義 考えと利害の違う多くの集団 多くの権力の中心の一つ 妥協と合意で多くを反映 表 1 ポピュリズムとその二つの反対の極(ミュデとロビラ・カルトワッセルの整理 [1] を本教材が表にしたもの)。 身近な作例で確かめましょう(本教材の作例)。生徒会の選挙で、ある候補が「先生と今の執行部は自分たちの都合しか考えていない。ふつうの生徒の声は一つだ。その声をそのまま実行する」と訴えたとします。ここには、ふつうの生徒(人民)、自分の都合で動く執行部(エリート)、一つの声(一般意志)の三つがそろっています。一方、「購買のパンを増やします」とだけ約束する候補は、どんなに人気があっても、三つの核のどれにも当たりません。 ここで間違えやすい ポピュリズムを「人気取り」「大衆迎合」と同じだと考えるのは、この課の定義とは違います。人気のある政策を掲げることは、三つの核のどれにも当たりません。反対に、反エリートの言葉を使うだけでもポピュリズムとは呼びません。この定義が見るのは、人民とエリートを道徳で分け、人民の意志を一つとみる考えの型がそろっているかどうかです。 歴史の文脈――米国の農民から、ラテンアメリカとヨーロッパへ ポピュリズムの初期の例としてよく挙げられるのが、19 世紀末の米国の人民党です。ポピュリスト党とも呼ばれました [3] 。人民党は、独立宣言の 116 周年の日、つまり 1892 年 7 月 4 日に、最初の全国大会で綱領を採択しました。オマハ綱領と呼ばれる文書です [3] 。前文は、腐敗が投票箱から議会、裁判所にまで及び、何百万もの人の労苦の実りが少数の巨富のために盗まれている、と告発します。そして共和国の政府を「素朴な人々」の手に取り戻すと宣言します。この前文の一部を、資料で確かめるの章で原文から読みます。 綱領の要求は具体的でした。累進所得税、鉄道の政府による所有と運営、電信と電話の政府による所有、銀と金の自由で無制限の鋳造などです [3] 。綱領の外の決議では、国民発議と住民投票の仕組みを推し、上院議員を人民の直接の投票で選ぶことを求めました [3] 。「富はそれを生む者のもの」とし、農村と都市の労働者の利害は同じで、敵も同じだ、とも書いています [3] 。ここには、働く人々を人民とし、金融や独占の勢力をエリートとする線引きがはっきり表れています。 ただし同じ決議は、「望ましくない移民」のいっそうの制限も求めています [3] 。人民を広く迎え入れる面と、よそ者を外す面とが、一つの文書に同居しているのです。この両面は、後で見る排除型と包摂型の議論につながります。また、ミュデらは、この「もともとの米国のポピュリスト」にはカリスマ的な指導者がいなかったことを指摘しています [1] 。この点も後で、定義をめぐる争いの節で使います。 1892 米国の人民党が最初の全国大会で 綱領を採択 1940〜60年代 ペロン・ヴァルガスらの 古典的ポピュリズム 1980年代 欧州でポピュリスト急進右派の 党の家族 1990年代 フジモリ・メネムらの新自由 主義の型 2000年代〜 チャベス・モラレスらの 急進左派の型 2005 小泉首相が郵政民営化を問い 衆議院を解散 2016 イングルハートとノリスが支持の 説明を検証 図 2 ポピュリズムの歩み(この課で扱う主な出来事)。ラテンアメリカの三つの波とヨーロッパの急進右派の時期は、ミュデらの論文の整理によります。 ラテンアメリカでは、20 世紀の初めからポピュリズムの指導者・運動・党が豊かな伝統を作ってきた、とミュデらは書きます [1] 。二人は既存の概観を引いて、三つの波を挙げています [1] 。第一は 1940〜60 年代の古典的ポピュリズムで、アルゼンチンのペロンやブラジルのヴァルガスが例です。第二は 1990 年代の新自由主義のポピュリズムで、ペルーのフジモリやアルゼンチンのメネムが例です。第三は 2000 年代以降の急進左派のポピュリズムで、ベネズエラのチャベスやボリビアのモラレスが例です [1] 。同じ地域の中でも、経済政策の中身や指導者の役割は大きく違います [1] 。市場を重んじる改革を進めた指導者も、国家の役割を広げた指導者も、ポピュリストと呼ばれてきたのです。 ヨーロッパでは事情が違います。ミュデらによれば、ヨーロッパでポピュリズムが目立つようになったのは比較的新しく、1980 年代に「ポピュリスト急進右派」と呼ばれる党の家族ができてからです。この家族の党は、排外主義・ポピュリズム・権威主義の三つの特徴を共有します [1] 。ヨーロッパの主流の党のほとんどは多元主義の価値を守るため、ポピュリズムの考えが根づきにくい土地だとも二人は言います。2013 年の論文では、当時の状況について、左派で選挙に成功したポピュリズムは少ないとし、ドイツの左翼党をその数少ない例に挙げています [1] 。二人はこの状況を、当時のヨーロッパでポピュリズムが急進右派と「便宜上の結婚」をしているようだ、と表現しています [1] 。 担い手の形にも地域の違いがあります。ミュデらによれば、ヨーロッパの政治の仕組みの多くは、ある程度よく組織された政党を中心とする議院内閣制です。これに対してラテンアメリカでは大統領制が多く、強い個人の指導者と、その人に結びついた、しばしば組織の弱い運動や党が中心になります [1] 。そのため二人は、ヨーロッパでは主に党を、ラテンアメリカでは主に指導者を見て比べました [1] 。ポピュリズムが指導者の個人の魅力と結びつけて語られやすいのは、こうした制度の違いとも関わっていると考えられます(本教材の整理)。 ここで間違えやすい ポピュリズムを 21 世紀の新しい現象だと考えたり、右派だけのものだと考えたりするのは誤りです。初期の例とされる米