ピュタゴラスとその派――魂は生まれ変わり、世界は数の比でできている、と伝えられる(魂の輪廻・調和) — Epoché
古代 ソクラテス以前の哲学 約 18 分 本文 約 7,300 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 早い証言・後代の伝承・アリストテレスの報告の 3 つ 早い証言 魂は死なず、別の種類の生き物へ移り変わる、とピュタゴラスは説いた、と前 4 世紀のディカイアルコスが伝えています。同時代のクセノパネスのからかいの詩も、この考えを前提にしています(魂の輪廻)。 後代の伝承 耳に心地よく響く音の組(オクターヴ・5 度・4 度)が 2:1・3:2・4:3 の比に当たることを、ピュタゴラスが見つけた、と後代の伝承は語ります。ただし鍛冶屋の物語は成り立たず、比の知識をはっきり書き残しているのは前 5 世紀後半のフィロラオスの断片です。 アリストテレスの報告 「ピュタゴラス派と呼ばれる人々」は、数の要素を万物の要素とし、天の全体が調和であり数であると考えた、とアリストテレスは伝えています(調和)。 はじめに ピュタゴラス(前 570 年ごろ〜前 490 年ごろ、研究者の目安)は、サモス島で育ちました。年代は確かではありません。40 歳のころ、南イタリアのギリシア人の町クロトンへ移り、そこで多くの仲間を集めました。移住は前 530 年ごろと見積もられています [1] 。 ただし、ピュタゴラスについて確かに言えることは多くありません。本人は何も書かず、同時代の人による詳しい記録もないからです。現存する詳しい伝記は、死後約 800 年たった後 3 世紀以降のものです [1] 。同時代のクセノパネスの詩が彼に触れていますが、詩には名が出ず、彼の話とするのはディオゲネス・ラエルティオス(以下 DL)の『哲学者列伝』です。少し後のヘラクレイトスは、名を挙げてこう書きました。「博識は分別をもつことを教えない。そうでなければ、ヘシオドスやピュタゴラスに、さらにクセノパネスやヘカタイオスにも教えたはずだ」(DL IX.1、ディールスとクランツの断片集の番号〔以下 DK〕で 22 B 40) [2] [3] 。 アリストテレスは、数を原理とした人々を「ピュタゴラス派と呼ばれる人々」と呼び、前 5 世紀の人々として語ります。現存する著作で、本人を哲学の先人として扱うことはありません [1] 。この課では、その報告の中心である『形而上学』A 巻 5 章の一節を、原典として読みます。 前の課までのミレトスの三人は、世界が「何から」できているかを問いました。この課では、魂の行方を説いたと伝えられる人物と、世界の秩序を数と比で語った派を、伝わり方を分けながら読みます。 この課の問い 魂は死んだ後どうなるのでしょうか。目に見える世界の秩序は、材料ではなく数の比で言い表せるのでしょうか。そして、ピュタゴラス本人が説いたことと、後の人が彼に帰したことは、どう見分けられるのでしょうか。 この課のことば 魂の輪廻 死んだ人の魂が滅びずに、別の人や動物の体に入って生まれ変わるという考え。 協和音 二つの音を合わせたとき、よく溶け合って聞こえる組。古代ギリシアではオクターヴ・5 度・4 度の三つです。 比 二つの量の関係を、2:1 のように数どうしの関係で表したもの。ギリシア語では「ロゴス」という語が使われます。 調和(ハルモニアー) もとは「つなぎ合わせ」「組み合わせ」のこと。音楽では、決まった比に従って音を組み合わせた音の並び(オクターヴの音階)を指します。 テトラクテュス 「四つ組」の意味。1・2・3・4 の四つの数で、足すと 10 になります。ピュタゴラス派で特別に重んじられました。 「ピュタゴラス派と呼ばれる人々」 アリストテレスの呼び方。前 5 世紀に数を原理とした人々を指し、ピュタゴラス本人とは区別されます。 魂と数――ピュタゴラスの教えはどこまでたどれるか 魂の輪廻――子犬の鳴き声に友の魂を聞く ピュタゴラス本人の教えとして早い証言からたどれるのは、 魂の輪廻 です。魂は不死で、死後に別の種類の生き物へ移り変わる、という教えです。伝え手も時代も違う証言が、この教えを指しています [1] 。 同時代の詩人クセノパネスは、ピュタゴラスをからかう詩を書きました。詩によれば、子犬が打たれているそばを彼が通りかかり、憐れんでこう言った、と人々は言います。「やめろ、打つな。それは親しい男の魂なのだ。鳴く声を聞いて、それと分かった」(DL VIII.36、DK 21 B 7) [2] [3] (図 1) 。話そのものが、人の魂が犬に宿るという考えを前提にしています。 クセノパネスの詩(DK 21 B 7) やめろ、打つな。 親しい男の魂だ。 鳴く声で分かった。 彼 ディオゲネス・ラエルティオス は、ピュタゴラスの話とする 同時代の詩人のからかい。 しかも「〜と人々は言う」という伝聞 図 1 クセノパネスの詩の場面(せりふは原文の言い換え)。 前 5 世紀のヘロドトスは、次の説をエジプト人に帰します。魂は不死で、体が滅びると別の生き物に入り、陸・海・空の生き物を 3,000 年で巡り終えると、再び人の体に入る、というものです。この説を自分のもののように使ったギリシア人の名は、知っていても書かない、と言います(『歴史』II.123) [5] 。その「前の」人をピュタゴラス、「後の」人をエンペドクレスとみるのは、研究者の推定です。説をエジプト人に帰すことも、エジプトの信仰のほかの証拠と合わず疑われています [1] 。 前 4 世紀の報告は、ポルピュリオスがディカイアルコスに拠って伝えます。ディカイアルコスは、仲間の沈黙がなみなみならぬもので、ピュタゴラスが何を語ったかは誰も確かには言えない、とまず断ります。そのうえで、最もよく知られた教えに、魂の不死と別の種類の生き物への移り変わりを挙げます。かつて起きたことがある周期ごとにまた起こり、まったく新しいものはないこと、生き物はみな同族とみなすべきことも挙げます(『ピュタゴラス伝』19) [4] 。19 章をディカイアルコスに帰すのは多数説で、異論もあります [1] 。前 5 世紀のキオスのイオンも、ピュタゴラスを死後の魂の識者として詠みます(DL I.120、表 1) [2] [1] 。 この表で分かること: 死後の魂の行方は、別々の書き手がピュタゴラスと結びつけています。ただし、名の出し方も、別の体に移ると言うかどうかも、伝え手ごとに違います。 伝え手 時代 伝えること ピュタゴラスの名 クセノパネス 前 6〜5 世紀(同時代) 子犬の声に友の魂を聞いた(からかい) 詩では「彼」。DL が彼の話とする キオスのイオン 前 5 世紀 死んだペレキュデスの魂は楽しく生きる 出す(「本当に賢いなら」) ヘロドトス 前 5 世紀 魂は不死で、生き物を巡り人に戻る 出さない(名は知るが書かない) ディカイアルコス 前 4 世紀 魂は不死で、別の種類の生き物に移る 出す(ポルピュリオスが引く) 表 1 死後の魂についての早い証言。イオンの詩は死後の魂の幸せを語りますが、生まれ変わりそのものは語りません。 ここで間違えやすい 何年で人に戻るか、生まれ変わりの輪から抜け出せるかといった細部は、ピュタゴラスの説として語れません。3,000 年の巡りはヘロドトスがエジプト人に帰した説で、エンペドクレスやプラトンの詳しい描写も彼には帰されていません。「生き物はみな同族」から、肉食をすべて禁じたとも言い切れません。証言が割れています [1] 。 協和音と数の比――発見の物語と、確かめられること オクターヴ・5 度・4 度の 協和音は、2:1・3:2・4:3 の整数の比に当たります 。後代の伝承は、この発見をピュタゴラスに帰します(イアンブリコス『ピュタゴラス的生き方』115–116、ニコマコス『ハルモニア提要』6 に拠る) [6] [1] 。 本教材では、研究者の検討に沿って、物語とその検討と確かめられる線とを分けて読みます [1] 。物語では、ピュタゴラスは鍛冶屋の前で、槌の音にオクターヴ・5 度・4 度を聞き分けます。そして槌の重さを量り、比を見つけたといいます [6] 。しかしこの物語は、物理の点で成り立ちません。槌の音の高さは、槌の重さに比例しないからです。早い時期に比の発見を本人に結びつけるのは、プラトンの学園(初期アカデメイア)のクセノクラテスだけです。その学園こそ、後の誇張の出どころの一つでした [1] 。確かめられるのは、別の線です。前 5 世紀前半のヒッパソスに帰される実験なら実際に成り立ちます。前 5 世紀後半のピュタゴラス派フィロラオスの断片(断片 6a)には、比の知識がはっきり書かれています。比は、楽器、とくに管楽器の作り手が先に知っていた見込みが高いとされます [1] [7] 。 ピュタゴラス派の口伝の問答(アクースマタ)の一つに、「デルポイの神託とは何か。テトラクテュス。それは、セイレーンたちのいる調和である」とあります。同じ箇所には「最も知恵あるものは何か。数」ともあります(『ピュタゴラス的生き方』82) [6] 。この問答はアリストテレスの失われた書に拠ると見られ、本人にさかのぼる可能性があります [1] 。三つの協和音の比は、どれもテトラクテュスの 1〜4 の数で書けます (図 2) 。 ギターのような弦楽器で弦の真ん中を押さえて鳴らすと、何も押さえない音とよく溶け合う、オクターヴ上の音が出ます。弦の長さは 2:1 です。3 分の 2 の長さなら 5 度(3:2)、4 分の 3 なら 4 度(4:3)です。弦の長さで示すのは本教材の作例で、本人がこの方法を使ったという確かな証言はありません。 オクターヴ 2:1 5 度 3:2 4 度 4:3 テトラクテュス 1+2+3+4=10 三つの比は、どれも 1〜4 の数で書ける 弦の長さで示すのは本教材の図解 図 2 三つの協和音と比。各列の上の線が弦の全長、下の太い線が短くした弦です。テトラクテュスを点の三角で描くのは後代に広まった表し方で、早い時期の形は確かめられていません。 この問答とセイレーンの「調和」から、天体が動きながら音楽を奏でるという考え(後の「天球の音楽」)がピュタゴラスにもあったかもしれない、と見る研究者がいます。ただし、本人が天を球として考えたかは疑わしく、これは可能性にとどまります [1] 。 ここで間違えやすい 「ピュタゴラスが音律の比を発見した」とは言い切れません。本人が比を知っていたとしても、見つけたり確かめたりしたとまでは言えません。ピュタゴラス派ではない同時代人ラソスも、この関係を知っていたらしいとされます [1] 。また、ここでの「調和」は今の和音の理論ではなく、比に従って音を組み合わせた音の並びのことです。 天の全体は調和であり数である――アリストテレスが伝える「ピュタゴラス派」 アリストテレスによれば、「ピュタゴラス派と呼ばれる人々」は、 天の全体が調和であり数である としました(『形而上学』A 巻 5 章 985b23–986a3) [8] 。 本教材では、アリストテレスが伝える筋道を四段に分けて読みます (図 3) 。一段目に、数学を初めて推し進め、その中で育ったので、数学の原理を万物の原理だと考えました(985b23–26)。二段目に、数学のものの中で本性上いちばん先にある数の中に、火・土・水よりも多くの「似たもの」を見ました。数のある性質が正義、ある性質が魂と知性、というようにです(985b26–31)。三段目に、音の調和の性質と比も、数の中に見ました(985b31–32)。四段目に、そこから、数の要素が万物の要素であり、天の全体が調和であり数だと結論しました(985b32–986a3) [8] 。 すべて『形而上学』985b–986a 1 数学に親しんだ その原理を万物の原理と考えた(b23–26) 2 数の中に似たものを見た 正義・魂と知性・好機(b26–31) 3 音の調和の比も数にある 協和音の性質と比(b31–32) 4 天の全体は調和であり数 数の要素=万物の要素(985b32–986a3) 直後の批判 5 10 に合わせ、対地星を足した とアリストテレスは批判する(986a8–12) 図 3 アリストテレスが伝える推論の順。太い枠の 4 段目が結論です。点線の先の 5 段目について、対地星は派の説ですが、それを 10 に合わせて足したものと見るのはアリストテレスの批判です。 アリストテレスはすぐ後で、この人々は数と調和に合うものを集めて天に当てはめ、足りなければ無理にでも筋を通そうとした、と批判します(986a3–8)。その例が「対地星」(アンティクトーン)です。10 は完全な数で、数の本性をすべて含むと思われたので、天を巡るものも 10 個あるとされました。ところが見えるのは 9 つなので、10 番目に対地星を立てた、とアリストテレスは伝えます(986a8–12) [8] 。 では、この人々にとって数は、世界の「材料」だったのでしょうか、「秩序」だったのでしょうか。アリストテレスは、数を質料(材料)としても、性質や状態としても原理にした、とまとめます(986a15–17)。数の要素は偶数と奇数で、一方は限られたもの、他方は限りのないものだ、とも報告します(986a17–21) [8] 。他方、前 5 世紀のフィロラオスの断片では、限りのないものと限るものが比に従って「つなぎ合わされ」、これが調和です。数は、ものが知られることを可能にするものとして語られます(断片 4「知られるものはすべて数をもつ」) [7] 。アリストテレスが伝える限りと無限の対は、この断片にも見えます [1] 。 ここで間違えやすい 「万物は数である」という決まり文句は、この形では A 巻 5 章にありません。5 章の主語は、前 5 世紀の「ピュタゴラス派と呼ばれる人々」です。986a29 に一度だけ本人の名が出ますが、後の書き込みとみられています [1] 。ただし 6 章(987b27–28)は派の説として「数がもの自体」とも伝えるので、「アリストテレスはそう言っていない」とも言い切れません [8] 。また、すべてを計算で説明するという今の数理科学の主張とも違います。 歴史の注意:ピュタゴラス伝説はどうふくらんだか 最初の詳しい記述は死後約 150 年の前 4 世紀に書かれましたが、断