アリストテレス――ものは質料と形相からなる(実体・四原因) — Epoché
古代 アリストテレス 約 22 分 本文 約 9,300 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 実体・合成・原因の 3 つ 実体 『カテゴリー論』によれば、あるものは実体・量・性質・関係など十の範疇に分かれ、なかでも「この人間」「この馬」のような個々のもの(第一実体)が基になる。白さや知識は、いつも何かの「中に」あり、それだけでは存在できない。第一実体がなければ、ほかのものは何もないことになる(『カテゴリー論』2a–2b)。 合成 この課で扱う、生じてくる自然物や人工物は、質料(それから出来ているもの)と形相(それが何であるか)の合成体である。作る人は、質料も形相も作らず、形相を質料の中に入れて合成体を作る(『形而上学』Z8。原典の例は青銅の球)。生じたものは質料の名でなく、石の像なら「石製の」と呼ばれる(Z7)。形相が個物の外の別の世界にない、と読むのはプラトンと比べた本教材の読み方で、形相が個別か普遍かには解釈の分かれがある。 原因 アリストテレスは「なぜ」への答え方を四つに分ける。何から出来ているか(質料)、何であるか(形相)、変化はどこから始まるか(始動)、何のためか(目的)である(『自然学』II.3、194b–195a)。青銅の像には四つがそろって関わり、始動の原因として最も正確なのは、職人その人より、その身につけた技術だとされる。 はじめに 目の前に一頭の馬がいます。毛は白く、背は高く、いまは草を食べています。「白い」「高い」「食べている」は、どれもこの馬について言われることです。では、白さや高さは、馬と同じ意味で「ある」のでしょうか。白さが馬から離れて、ひとりで歩き回ることはありません。アリストテレスは、この素朴な観察から、あるものすべてを分ける体系を組み立てました。 この編の洞窟の課で読んだプラトンは、移ろう見えるものの奥に、変わらないイデアを置きました。見える馬は、「馬そのもの」の似姿だというのです。前の課で、アリストテレスは「すべての人間は動物である」のような言明を、中身を抜いた形で調べました。けれども、言明の項になる「人間」「動物」と、目の前の一人の人間とでは、どちらが先にあるのでしょうか。 アリストテレスの答えは、目の前の個々のものから始めることでした。この課では三つの段で読みます。まず『カテゴリー論』で、個々のもの(第一実体)がほかのすべての基にあることを見ます。次に『形而上学』で、個々のものが質料と形相から成ることを見ます。最後に『自然学』で、「なぜ」への答えが四つあることを、アリストテレス自身の文で読みます。 途中で、本人の言葉と、解説書(SEP)の説明の例を分けて読みます。たとえば「金の像」の例は解説書のもので、原典の該当箇所の例は石の像です。誰の言葉なのかに気をつけることも、この課の練習の一つです。 この課の問い 目の前の一頭の馬、一体の青銅の像は、何によって「それ」であるのでしょうか。そして「なぜそうなっているのか」と問われたとき、答え方はいくつあるのでしょうか。 この課のことば 実体(ウーシア) ほかのものに頼らずに、それ自身で成り立っているもの。白さや大きさは、いつも何かの白さ・大きさとしてしかありません。その「何か」にあたるものです。手ざわりのある物質のことではありません。 第一実体 「この人間」「この馬」のように、指さして「これ」と言える個々のもの。「人間」「動物」のような種と類は「第二実体」と呼ばれます。 質料(ヒュレー) 何かがそれから出来ていて、出来たものの中に残っているもの。像の青銅、家の煉瓦。音節 BA に対する文字 B と A のように、目に見える材料に限りません。 形相(エイドス) それが何であるかを決めるもの。像なら像の形ですが、一般にはそのものの本質のことです。質料と形相が一つになった個々のものを「合成体」と呼びます。 原因(アイティオン) 「なぜ」と問われたときの答えにあたるもの。押したり引いたりして結果を起こすものより、ずっと広い意味です。 本質(ト・ティ・エーン・エイナイ) 字どおりには「それであるとは何であったか」。そのものがそのものであることを言う説明のことで、過去の話ではありません。 質料と形相――個々のものは何からなり、なぜそうあるのか プラトンは、変わらないイデアのほうを先に置きました。アリストテレスは向きを逆にして、目の前の個々のものから始めます。この章では、まず何が「基になるもの」なのかを『カテゴリー論』で確かめます。次に、その個々のものが何から成るのかを『形而上学』で、最後に、それがなぜそうなっているのかを『自然学』で見ていきます。 実体とは何か――「これ」と指せる個々のものが、ほかのすべての基にある 『カテゴリー論』は、あるもの(タ・オンタ)を十の大きな類に分けます。実体・量・性質・関係・場所・時・姿勢・状態・能動・受動です(第 4 章、1b25–2a4) [2] 。この類を 範疇 (カテゴリー)と言います。「状態」はここでは、靴を履いている、武装している、のような身につけている状態のことです。 あるもののあいだには、二つの関係があります。一つは、範疇をまたぐ「中にある」関係です。アリストテレスはこれを、部分としてでなく何かの中にあり、それが中にあるものから離れては存在できないこと、と定めます(1a24–25) [2] 。個別の白さは物体の中に、個別の文法の知識は魂の中にあり、それだけで存在することはできません [1] [2] 。ここでの「中」は、箱にしまうような空間の中ではありません。 もう一つは、同じ範疇の中での「について言われる」関係です。「人間」は一人の人間について言われ、「動物」は「人間」について言われます。だから「動物」は一人の人間についても言われます(1b10–15) [1] [2] 。SEP の整理では、各範疇は逆さにした木の形をしています [1] (図 1) 。いちばん上に最も一般的な類があり、そこから種へ枝分かれし、先端に個々のものが来ます。性質の範疇でも「色」から「白」へ、そしてこの白へと、同じ形になります。 実体の範疇 性質の範疇 類:動物 類:色 種:人間・馬 種:白 第一実体:この馬 個別:この白 量・関係など、ほかの範疇も同じ形の木になります。 第一実体がなければ、ほかのものは存在しません (2a34–2b6 付近)。 図 1 『カテゴリー論』の範疇を「逆さの木」として見た図です(SEP の整理による本教材の図)。各列の上の語は、下の語「について言われ」ます。右の「この白」は、左の「この馬」の中にあり、それだけでは存在できません。 では、どれが基になるのでしょうか。「この人間」「この馬」は、何か(基体)の中にあるのでもなく、何かについて言われるのでもないものです。アリストテレスはこれを 第一実体 と呼びます(第 5 章、2a11–14) [2] [5] 。種と類は、結局は個々のものについて言われます。性質は、どれかの個々のものの中になければ存在しません。だから、第一実体がなければ、ほかのものは何も存在しないことになります(2a34–2b6 付近) [1] [2] 。 私たちもふつう、「白いもの」より先に、白い馬があると考えます。範疇の説は、この日常の見方を、あるものすべてを分ける体系にしたものと言えます(本教材の読み方)。ただし『形而上学』Z 巻で、アリストテレスはこの基準をそのままは受け取りません。「あるとは何か」という古くからの問いは「実体とは何か」という問いだと言います(Z1、1028b2–4) [2] 。SEP によれば、彼はさらに、どれが実体かでなく、何がそれを実体にしているのかを問い直します [1] 。その答えが次の節の質料と形相です。 ここで間違えやすい 二つの誤解に気をつけましょう。一つは、「実体」を、今の日本語の「実体がない」の実体、つまり手ざわりのある物質の塊だと取ることです。アリストテレスの実体は、ほかのものがそれについて言われ、それの中にある、基になるもののことです。もう一つは、範疇をことばの分類(品詞のようなもの)にすぎないと取ることです。SEP は『カテゴリー論』を、語の分析を含みつつも、あるものそのものを分ける説明として読みます [1] 。 質料と形相――青銅に像の形が入って、一体の像ができる 『形而上学』で、アリストテレスは個々の実体を、 質料 と 形相 の合成体として捉え直します。ここで扱うのは、像や家のような作られるもの、植物や動物のような自然に生じるものです。見えない実体があるかどうかは、Z2 で候補を並べたうえで、後で検討する問いとして先へ送られています(1028b8–32 付近) [1] [2] 。 作られるものも自然のものも、生じるときの条件は同じです。私たちは質料を作るのでも、形相を作るのでもありません。形相を質料の中に入れて、合成体を作るのです(Z8、1033a30–b9) [1] [2] (図 2) 。もし質料を作るなら、その質料を何から作るのかとまた問われ、きりがなくなります。形相についても同じです。だから、ある制作が始まるときには、質料と形相がすでになければなりません(Z9、1034b12) [1] [2] 。 前:青銅と、心の中の形 青銅(前からある) 像の形(職人の心の中に) 職人 後:生じたのは青銅の像 生じたのは青銅の像 形を青銅の中に入れた 青銅も形も新たに作らない 職人 図 2 青銅の像ができる前と後の絵です(『形而上学』Z7–9 の議論による本教材の絵)。上の絵では、青銅は作業台にあり、像の形は職人の心の中にあります。下の絵で生じたのは像で、青銅も形も新しく作られてはいません。 ただし、この「すでにある」は、その制作に対しての話です。青銅そのものも、別の過程では生じたものです。青銅がどんな過程でも作られない、という意味ではありません。 形相はどこにすでにあるのでしょうか。技術による制作では、「形相は魂の中にある」と言われます(Z7、1032b23) [1] [2] 。Z9 では、建築の技術が家の形相だとも言われます(1034a24) [2] 。SEP は、建築家が家の設計を心に持ち、それを煉瓦の中に実現する、と敷衍しています [1] 。自然の生成では、形相は親の中にあり、「人間が人間を生む」のです(Z8、1033b29–32) [2] 。生む者と生まれる者は、数の上では別ですが、形相の上では一つです。 生じたものは、質料の名でなく形相の名で呼ばれます。原典が挙げる例は石の像です。石から作られた像は「石」でなく「石製の」と呼ばれます(Z7、1033a5–7 付近) [2] [5] 。同じ章では、木・青銅・煉瓦についても同じ言い方が出てきます。SEP はこれを金の像の例で説明していますが、金は解説の例で、本人の例ではありません [1] 。像が生じる前から石はそこにあったので、生じたのは石ではなく像です。 そして、合成体の本質は形相です。「形相とは、各々のものの本質であり第一の実体のことだ」と言われます(Z7、1032b1–2) [2] 。ここで一つ問いが残ります。『カテゴリー論』では個々のものが第一実体でした。『形而上学』では形相が「第一の実体」と呼ばれます。形相は個別のものか、普遍のものか。これは研究者の間で解釈が分かれる問題で、SEP も一つの節を当てています [1] 。この課では答えを決めません。 ここで間違えやすい 形相を、ものを外から見た「形(かたち)」だけのことだと取らないようにしましょう。像では形が形相にあたりますが、一般には「それが何であるか」、つまり本質です。また質料を、手でさわれる材料に限るのも誤りです。音節 BA に対しては、文字 B と A が質料にあたります [3] 。質料と形相は、ものの中に入った二つの部品ではありません。一つのものを見る二つの観点です。 四つの原因――「なぜ」に答える四つの仕方 アリストテレスは、私たちが何かを知っていると思うのは、その「なぜ」をつかんだときだと言います(『自然学』II.3、194b17–20) [3] [4] 。SEP によれば、彼以前からの「自然についての探究」は、ものがなぜ生じ、なぜ滅び、なぜあるのかを問うものでした [3] 。この言い方は、プラトン『パイドン』でソクラテスが若いころの関心として振り返る言葉です(96a6–10)。だから 原因 (アイティオン)は、「なぜ」への答え、一種の説明と考えるとよい、と SEP は言います [3] 。 アリストテレスは原因を四つの仕方に分けます(194b–195a) [4] (表 1) 。一つ目は、何かがそれから生じ、その中に残っているもので、像の青銅、杯の銀です。二つ目は形相と範型、つまり本質を言う説明で、オクターヴの二対一です。三つ目は変化の最初の始まりで、助言した人、子の父です。四つ目は終わり、「そのためのもの」で、散歩に対する健康です。 この表で分かること: 四つの原因は、同じ一つのものについて「なぜ」に答える四つの問いに対応し、アリストテレスは像のほかにも、杯・音階・子・散歩の例で示します。 原因 答える問い 『自然学』II.3 の言い方 像の例 ほかの例 質料因 何から出来ているか それから生じ、中に残るもの 青銅 杯の銀 形相因 それは何であるか 形相・範型、本質の説明 像の形 オクターヴの二対一 始動因 変化はどこから始まるか 変化の最初の始まり 鋳造の技術 助言した人、子の父 目的因 何のためか 終わり、そのためのもの 出来上がる像 散歩に対する健康 表 1 四つの原因の一覧。「質料因」などの名は後の呼び名で、問いの形は SEP の整理によります [3] 。像の始動因を技術とするのは 195a の本人の文で、それを「最も正確」とするのは建築の例を像に当てはめた SEP の解説です [3] [4] 。 SEP は四つを問いの形に言い直します [3] 。何から出来ているか、それは何であるか、変化はどこから来るか、何のためか。「質料因」「目的因」などの名は、本人の言い方を後の伝統がラテン語の名詞にまとめたものです。 像に当てはめてみましょう (図 3) 。青銅は質料で、溶かされ、流し込まれて新しい形を受け取ります。その形が形相です。始動の原因として最も正確なのは、職