哲学の分野――存在・知識・価値・論理を問う — Epoché
はじめに 総説 約 18 分 本文 約 7,500 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 存在・知識・論理・価値の 3 つ 存在 形而上学は「本当にあるのは何か」「変わっても同じであるとはどういうことか」を問う。名は、アリストテレスの死後に編者(おそらくロドスのアンドロニコス)が付けた題「自然学の後の書」に由来し、「自然を超えた神秘の学」という意味ではない。 知識・論理 認識論は「どうして知っていると言えるか」と前提の確かさを問い、論理学は「前提から結論が必ず出るか」と推論の形を問う。正しい推論は知ることの営みでもあるので、二つは隣り合う。 価値 倫理学・美学・政治哲学は「よい」「美しい」「正しい」を問う。同じ「よい」でも、よい包丁とよい人とでは物差しが違い、その違いそのものが問いになる。価値の問いも、好みの言い合いではなく理由を挙げて吟味される。 はじめに この課程の最初の課では、哲学を、問いを立て、理由を挙げ、反論で吟味する営みとして見ました。この課では、哲学の中の「分野」を見ます。形而上学・認識論・論理学・倫理学・美学・政治哲学といった名前です。ただし、名前を覚えることが目的ではありません。 手がかりにするのは、美術館に掛かる一枚の古い絵です(本教材の作例)。同じ絵を前にしても、人は違う向きの問いを立てます。「修復を重ねたこの絵は、まだ同じ絵なのか」。「本当にあの画家が描いたと、どうして分かるのか」。「署名があるから本人の作だ、という推論は正しいのか」。「この絵は美しいのか。市の税金で買ってよかったのか」。 相手はどれも同じ一枚の絵です。それでも問いの向きが違えば、答えを探す道筋も変わります。本教材は、哲学の分野を、扱う物の違いよりも問いの向きの違いとして読みます。存在を問う、知識と論理を問う(隣り合う二つを一つにまとめます)、価値を問う、の三つです。後の課で「この人は今、どの向きの問いを立てているのか」と見分けられるようになることが、この課のねらいです。 第 1 章では三つの向きを節ごとに確かめます。「原典を読む」では、古代の人の哲学の分け方をギリシア語の原文から読み、「比べてみる」では、一人で多くの分野にまたがったアリストテレスとカントを見ます。 この課の問い 美術館に掛かる一枚の古い絵を前にしても、「これは本当は何なのか」「本当にあの画家が描いたと、どうして分かるのか」「美しいのか、税金で買ってよかったのか」「その推論は正しいのか」と、向きの違う問いが立ちます。哲学の分野は、何を相手にするかよりも、どんな問いを向けるかで分かれているのではないでしょうか。 この課のことば 形而上学 「本当にあるのは何か」「変わっても同じであるとはどういうことか」を問う分野です。名は、アリストテレスの著作に後の編者が付けた「自然学の後の書」という題から来ています。 認識論 「知っている」とはどういうことか、何があれば、ただ思っているのでなく知っていると言えるかを問う分野です。 正当化 ある考えを信じてよい理由(証拠や根拠)がそろっていることです。認識論のいちばん基本の言葉の一つです。 論理学 前提から結論が正しく導かれているかを、文の中身よりも推論の形に着目して調べる分野です。今は数学の一部門でもあります。 妥当 前提がすべて正しければ、結論も必ず正しくなる、という推論の形の性質です。前提が実際に正しいかどうかとは別のことです。 価値を問う分野 「よい」「美しい」「正しい」を問う分野を、本教材ではこうまとめて呼びます。倫理学・美学・政治哲学を含みます。「よい」そのものを問う価値論も、ここに入ります。 一枚の絵に四つの問い――哲学の分野は問いの向きで分かれる 哲学の分野の名前は、ふつう「何についての学か」で説明されます。けれども同じ一枚の絵が、どの分野の相手にもなりえます。この章では、分野を「どんな向きの問いを立てるか」で見分けます。 存在を問う向き、知識と論理を問う向き、価値を問う向きの三つを、美術館の絵を共通の例にして、節を一つずつ使って確かめます。 存在を問う――本当にあるのは何か(形而上学) まず、存在を問う分野、 形而上学 から見ます。典型的な問いは、「本当にあるのは何か」「ものが変わっても同じであるとは、どういうことか」「心は身体と別のものか」「私たちは自由に選んでいるのか」といったものです。 美術館の絵で考えてみます (図 1) 。「この絵とは、画布と絵の具のかたまりのことか。それとも、画家が作った一つの作品のことか」。「修復で絵の具の大半が塗り直されても、同じ絵と言えるのか」。こう問えば、それは形而上学の問いです。 同じ一枚の絵に、四つの問い 市立美術館 所蔵 塗り直しても 同じ絵? この画家の作 と、どうして 分かる? 美しい? 税金で買って よかった? 署名がある、 だから本人の 作。正しい? 存在 知識 価値 論理 図 1 美術館の一枚の絵に向かう四つの問い(本教材の作例で、実在の作品ではありません)。相手は同じ一枚の絵ですが、問いの向きが違えば、形而上学・認識論・価値を問う分野・論理学という別々の分野の問いになります。四人の問いに上下の序列はありません。 これらは、実験や観察を重ねれば答えがそのまま出る問いではありません。どれほど精密に絵の具を分析しても、「何がどれだけ残れば同じ絵か」は分析の結果だけでは決まらないからです(本教材の説明)。 「形而上学(メタフィジックス)」という名にも、誤解されやすい由来があります。アリストテレス自身は、この語を知りませんでした [1] 。死後少なくとも百年たってから、著作の編者(おそらくロドスのアンドロニコス)が、十四巻の書物に「タ・メタ・タ・フュシカ」、つまり「自然学の後の書」という題を付けたのです [1] 。自然についての書物を学び終えてから読むように、という案内だったと考えられています [1] 。 アリストテレス自身はこの学を「第一哲学」「知恵」などと呼び、その対象を、ある所では「存在としての存在」、別の所では「第一の原因」と述べました [1] 。六つの分野について、一枚の絵に向ける問いと問いの形を並べておきます (表 1) 。 この表で分かること: 同じ一枚の絵に、分野ごとに向きの違う問いが立ちます。問いの形(「同じか」「どう分かるか」「必ず出るか」「よいか」)を見れば、どの分野の問いかが見分けられます。 分野 一枚の絵に向ける問い 問いの形 形而上学 塗り直されても同じ絵か 〜は何か・同じか 認識論 この画家の作だと、どう分かるか どうして知っていると言えるか 論理学 署名から作者を導く推論は正しいか 前提から必ず出るか 倫理学 贋作を本物と偽って売るのはなぜ悪いか すべきか・悪いか 美学 この絵は美しいか 美しいとは何か 政治哲学 税金で買い、皆に見せるべきか 誰が何に基づき決めるか 表 1 一枚の絵に向ける六つの分野の問い。本教材の作例と整理です。 ここで間違えやすい 「メタ」を「超える」と読み、形而上学を、物理学の扱う事柄を「超えた」何かを扱う学と考えないようにしましょう。SEP は、この印象は誤りだと説明します [1] 。また、形而上学は「変わらないもの」だけを扱う学でもありません。すべては変化すると説いたヘラクレイトスの主張も、今の意味では形而上学の主張です [1] 。 知識と論理を問う――どうして正しいと言えるか(認識論・論理学) 次に、知識を問う 認識論 と、推論を問う論理学です。二つは隣り合っているので、一つの節で見ます。認識論の典型的な問いは、「知っているとはどういうことか」「正しく思い込んでいるのと知っているのとは、どこが違うか」「何を証拠にすれば信じてよいか」です。 SEP の認識論の項は、この分野を、発見のような「知ることの成功」を調べる分野として描きます。成功の担い手は、キュリー夫人のような一人の人のことも、研究所のような集まりのこともあります [2] 。 論理学の典型的な問いは、「前提から結論が必ず出ると言えるのは、どんな場合か」です。SEP の古典論理の項によれば、論理学は今日、数学の一部門であり、哲学の一部門でもあります。哲学から見れば正しい推論の研究に深く関わり、推論は知ることの営みなので、論理学は認識論と結びつきます [4] 。 絵の例に戻ります。署名・古い売買の記録・絵の具の分析のどれが、この画家の作だという証拠になるのでしょうか。それを問うのが認識論です。「署名があれば本人の作だ。署名がある。だから本人の作だ」という推論の形が正しいかを問うのが、論理学です (図 2) 。 ① 証拠 署名・古い売買の記録・絵の具の分析 認識論の問い その前提は本当に知られているか (正当化) ② 前提 本人の署名があれば、この画家の作だ。 この絵には本人の署名がある 論理学の問い 前提から結論は必ず出るか(妥当) ③ 結論 だから、この画家の作だ 図 2 一つの推論の中で、認識論と論理学が問う場所の違いです(本教材の作例)。強調した二つの段が、それぞれの分野の問いに当たります。論理学は推論の形を、認識論は前提の確かさを見ます。 本教材の作例で、二つの推論を比べます。①「この画家の作なら、隅に署名がある。この絵の隅には署名がある。だから、この画家の作だ」。②「隅に本人の署名があれば、この画家の作だ。この絵の隅には本人の署名がある。だから、この画家の作だ」。 ①は、前提が二つとも正しくても結論が外れることがあります。署名をまねた贋作にも、署名はあるからです。「ならば」の後ろの部分(後件)が成り立つことから前の部分を導くこの誤りは、後件肯定と呼ばれ、見つけるのは論理学の仕事です。②は形として正しい、つまり 妥当 です。それでも「この署名は本当に本人のものか」が確かでなければ、結論を知っているとは言えません。こちらを問うのが認識論です。 ここで間違えやすい 「論理的に正しい(妥当)」を「結論が事実として正しい」と取り違えないようにしましょう。妥当な形でも、前提が誤っていれば結論は誤りえます。また、認識論は、脳がどう学ぶかを調べる心理学とは違います。問うのは、どんな条件がそろえば「知っている」と言えるかという基準です。その難しさは、この課程のゲティアの課で見ます。 価値を問う――よい・美しい・正しいとは何か(倫理学・美学・政治哲学) 最後に、価値を問う分野です。倫理学は「どう生き、どう行為すべきか」、美学は「美しいとはどういうことか」、政治哲学は「権力や法は何に基づけば正しいか」を問います。本教材では、この三つをまとめて「価値を問う分野」と呼びます。 絵の例では、「この絵は美しいか」が美学、「贋作を本物と偽って売るのはなぜ悪いのか」が倫理学、「市の税金でこの絵を買い、誰もが見られるようにすべきだったか」が政治哲学の問いになります。 SEP の価値論の項は、「よい」の主な使い方を四つ挙げます [3] 。「快楽はよい」のように、あるものがよいと言う使い方があります。「あなたが来てくれてよかった」のように、ある事態が端的によいと言う使い方もあります。「彼女と話すのは彼にとってよい」のように、その人の幸せを言う使い方と、「それはよい包丁だ」のように、「よい」が後の語にかかる使い方もあります [3] 。 最後の使い方は、哲学者ギーチ(1956 年)にならって「限定的」な使い方と呼ばれます [3] 。四つのうちどれをどれで説明できるかは争われており、何かがよいのはつねに誰かにとってよいからだ、と考える論者もいます [3] 。 限定的な「よい」を、二つの場面で比べます (図 3) 。一つ目の絵の「よい包丁」は、トマトを潰さずに薄く切れる包丁です。よさは「包丁は切るための道具だ」ということから決まります。では二つ目の絵のように、駅の階段で年配の人の重い荷物を持ち上げる若者を「よい人」と呼ぶとき、その「よい」は何から決まるのでしょうか(本教材の作例)。 よい包丁 切る 物差しがはっきりしている うん 包丁として、よく切れる よい人 ? 結果 規則 人柄 人として、よい? 図 3 同じ「よい」の物差しの違い(本教材の作例)。一つ目の絵の包丁では、物差しは「切る」という働きからはっきり決まります。二つ目の絵の若者では、物差しが行為の結果か、守るべき規則か、その人の人柄かがはっきりせず、それ自体が倫理学の問いになります。 人には、包丁にとっての「切る」に当たる働きがあるのでしょうか。それとも、行為の結果や、守るべき規則、その人の人柄から決まるのでしょうか。アリストテレスは人間に固有の働きから人間のよさを考えたとされ、この課程のアリストテレスの倫理学の課で読みます。同じ一語の中に、倫理学の大きな論争の入口があるのです。 ここで間違えやすい 価値の問いを「人それぞれの好みだから、議論しても仕方がない」と考えないようにしましょう。「なぜよいのか」と理由を挙げれば、反論で吟味できます。逆に、一つの正解がすでに決まっていると考えるのも早すぎます。何を物差しにするかで、ベンサムの功利主義、カントの倫理学、徳の倫理のように答えが分かれます。 歴史の注意:「存在論」という語 形而上学の中心には、「ある」とはどういうことかを問う 存在論 があります。この語は古代からあったものではありません。SEP によれば、17 世紀に、心と身体の関係や意志の自由といった問題が形而上学へ移され、そのころ「存在としての存在」の学を指す名として「存在論」という語が作られました [1] 。分野の名前と範囲は、時代とともに動いてきたのです。 原典を読む 第 1 章では、今の分け方で哲学の分野を見ました。では、古代の人は哲学をどう分けていたのでしょうか。ディオゲネス・ラエルティオスは、古代ギリシアの哲学者たちの生涯と学説を一つの書にまとめた人です。その序の一節を、ギリシア語の原文から本教材が訳して読みます。 ディオゲネス・ラエルティオス『著名な哲学者たちの生涯と学説』第1巻 序 17–18 哲学の部分は三つ 直前でディオゲネスは、哲学者たちの呼び名が、町の名や先生の名などから付いたことを並べています。訳はその列挙の最後の一文から始め、序 18 の後半にある倫理学の十の学派の列挙は省きました。 1 そして、自然についての研究から「自然学者」と呼ばれた人々がお