官邸主導――首相の力はなぜ強まったか — Epoché
国際と日本 日本の政治 約 22 分 本文 約 9,600 字 図 4・表 2 資料 1 節 この課の要点 権限・補佐・人事の 3 つ 権限 1999年の内閣法改正で首相が閣議に基本方針を発議できることが明文化された 補佐 内閣官房と内閣府の会議が首相のもとで政策を練る場になった 人事 2014年から幹部人事は首相・官房長官との協議に基づいて行う はじめに ニュースでは「官邸主導」や「官邸の意向」という言葉をよく耳にします。官邸とは首相が仕事をする建物のことで、転じて首相と、そのすぐそばで首相を支える人々を指します。では、首相の力はいつ、どのような仕組みで強まったのでしょうか。 日本国憲法は、施行された1947年から首相に国務大臣を任命し、罷免する権限を与えています [1] 。それでも、首相の力が大きく強まったと論じられるのは、主に1990年代以降の改革の後のことです。政治学者の竹中治堅は、多くの研究者が1994年の政治改革と2001年の省庁再編の結果、首相の権力が拡大したと論じてきたと整理しています [10] 。 この課では、首相の力を三つの面に分けて見ていきます。閣議に何をかけるかを決める権限、首相のもとで政策の案を作る補佐の組織、そして各省の幹部を選ぶ人事です。この三つの分け方は本教材の整理です。前の「政治改革」の課では選挙制度の改革を扱いました。この課では、その後に進んだ行政の側の改革を、法令の条文から確かめます。 強い首相には、決めたことを素早く進められるという期待がかかります。他方で、官僚が首相の顔色をうかがうようになるという心配も、国会で野党だけでなく与党の議員からも出されました [11] 。どちらの見方にも根拠があることを、章の最後の節で並べて考えます。 この課の問い 日本の首相の力は、どの法令の改正によって、どの面で強められたのでしょうか。強まった力には、どんな条件と限界があるのでしょうか。 この課のことば 官邸 首相が仕事をする建物(首相官邸)のこと。転じて、首相と、首相を直接支える官房長官や秘書官などの集まりを指します。 内閣官房 内閣に置かれ、首相をいちばん近くで支える組織。長は内閣官房長官で、記者会見で政府の考えを伝える役も担います。 閣議 首相と大臣が集まって内閣の方針を決める会議。会社でいえば役員会にあたります。 縦割り行政 仕事を省ごとに分け、ほかの省と連携しにくくなっている状態。例えば、同じ子どもの支援が複数の省に分かれ、窓口がばらばらになることです。 幹部人事の一元管理 各省の局長などの幹部を選ぶとき、首相と官房長官があらかじめ協議を受ける仕組み。2014年に始まりました。 官邸主導――首相の力はどこから強まったのか この章では、憲法と内閣法が描く首相の姿から出発し、1999年の内閣法の改正、2014年の内閣人事局の設置へと、時代の順に進みます。最後に、強まった力がどこまで及ぶのか、どのように評価されているのかを見ます。 背景――憲法の首相と「調整役」の首相 日本国憲法は、首相に強い権限を与えています [1] 。首相は国務大臣を任命し、任意に罷免することができます。ただし、任命する大臣の過半数は国会議員でなければなりません。さらに首相は、内閣を代表して議案を国会に出し、行政各部を指揮監督します [1] 。 ただし、首相は国民が直接選ぶのではありません。国会議員の中から、国会の議決で指名されます [1] 。そして内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負います [1] 。本教材の整理では、首相の力は国会の多数の支えがあってはじめて働く仕組みになっています。 この支えが失われたときの定めもあります。内閣は、衆議院で不信任の決議案が可決されたとき、または信任の決議案が否決されたときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職しなければなりません [1] 。つまり首相は、衆議院で不信任が可決されれば、10日以内に解散しない限り地位を失います。与党が少数でも、不信任が可決されなければ内閣は続きます。ただ、法案や予算を通して政権を安定して運ぶには、多数の支えが欠かせません。首相が強い権限を持つことと、議会の多数を敵に回せないことは、同じ仕組みの表と裏だといえます。これは本教材の整理です。 一方、内閣法は首相の動き方に枠をはめています。内閣が職権を行うのは閣議によるとされ、首相が行政各部を指揮監督するのも、閣議にかけて決定した方針に基づいて行います [2] 。また各大臣は、主任の大臣として行政事務を分担管理します [2] 。外交は外務大臣、教育は文部科学大臣というように、仕事は省ごとに分かれているのです。 本教材の解釈では、ここに条文の上の強い首相と、実際には調整役になりやすい首相とのずれが生まれる余地がありました。首相が何かを進めたくても、案を練るのは担当の省であり、決めるのは閣議です。首相が自分の考えで動こうとすると、担当の大臣と省を通す必要がありました。 政治学者の飯尾潤は、この状態を「官僚内閣制」と呼びました。清水唯一朗の書評によれば、飯尾は議院内閣制を、本来は権力の集中を可能にする制度とみます。そして戦前戦後の日本は、その不全の形である「官僚内閣制」の歴史だったと捉えます [9] 。省庁はそれぞれの領域でパイプを通じて、民意の代弁と利益の媒介を担ったとされます [9] 。さらに、与党が政府とは別の立場を表明することが、議院内閣制からの逸脱を生んでいるという飯尾の指摘を、清水は重要だと評しています [9] 。 本教材の作例で考えてみましょう。ある業界が補助金の拡充を望むとき、その要望は担当の省と与党の議員の間で話し合われ、案がまとまってから閣議に上がってくる、という流れが考えられます。この流れでは、首相の出番は最後に案を束ねる段になります。条文の上の権限は大きくても、政策の中身を最初から形づくる場が首相の手元に少ない、というのが改革の前に問われたことでした。 ここで間違えやすい 「日本の首相は憲法上の権限が弱かった」と考えるのは誤りです。大臣を任命し罷免する権限は、1947年から憲法にあります。改革で問われたのは、その権限を使うための閣議の運び方、首相を支える組織、幹部の人事の仕組みでした。 1999年の内閣法改正と省庁再編――首相が案を出せるようになる 改革の出発点は、1997年12月3日の行政改革会議の最終報告です。中央省庁等改革基本法は、この報告の趣旨にのっとって内閣機能の強化などを進めると定めました [3] 。この基本法は、1998年の平成10年法律第103号です [4] 。 1997年12月 行政改革会議が最終報告(3日) 1998年 中央省庁等改革基本法(法律 第103号) 1999年7月 内閣法改正を公布、首相の発議権 (16日) 2001年1月 中央省庁再編を施行(6日) 2014年4月 国家公務員法等の改正を公布 (18日) 2014年5月 内閣人事局を設置(30日) 2020年 コロナ対応で首相と知事に齟齬 図 1 首相の力を強めた主な改革の年表です。強調したのは、内閣法の改正の公布、中央省庁再編の施行、内閣人事局の設置です。 基本法は方針の第一に、内閣の機能を強化し、首相の国政運営上の指導性をより明確にし、内閣と首相を補佐し支援する体制を整えることを掲げました [3] 。新しい体制への移行は、遅くとも施行後5年以内、できれば2001年1月1日を目標とするとされました [3] 。 これを受けた内閣法の改正が、1999年7月16日に公布された法律第88号です [4] 。主な点を表にまとめました (表 1) 。第一に、第4条第2項に後段が加えられ、首相が閣議で基本方針などを発議できることが条文に明記されました [4] 。もとになった基本法も、首相が基本方針を閣議にかけられることを「法制上明らかにする」と定めていました [3] 。現行の内閣法も、首相は「内閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件を発議することができる」と定めています [2] 。 第二に、内閣官房の仕事が書き直され、重要政策の基本方針について「企画及び立案並びに総合調整」を行うと定められました [4] 。本教材の読みでは、首相のすぐそばで政策の案そのものを作り、各省の間を取りまとめる役目が条文に書き込まれたことになります。内閣官房副長官補3人も新しく置かれました [4] 。現行の内閣法では、首相の企画・立案を補佐する首相補佐官を、内閣官房に5人以内置くことができます [2] 。 第三に、国務大臣の数の規定が改められました。それまでの「二十人以内の」という言葉が改められ [4] 、国務大臣は14人以内、特別に必要がある場合は3人を限度に増やして17人以内とされました [4] 。第四に、第1条に「国民主権の理念にのつとり」という言葉が加わりました [4] 。 この表で分かること: 1999年の内閣法改正で、首相の発議と内閣官房の企画立案が条文に書き込まれた 条 改正で加わった・改まった点 読み取れること(本教材の整理) 第1条 「国民主権の理念にのつとり」 内閣の拠り所を書き込む 第2条 大臣は14人以内(特に要れば17人) それまでの20人以内を改める 第4条第2項 首相は基本方針などを発議できる 首相が閣議に議題を出せる 第12条第2項 内閣官房が基本方針を企画・立案 首相のそばで案を作る 表 1 内閣法の一部を改正する法律(平成11年法律第88号)の主な点 [4] 。 ここで、発議と決定を分けて理解することが大切です。内閣が職権を行うのは閣議による、という第4条第1項はそのまま残っています [2] 。首相が議題を出せることは明記されましたが、内閣として決めるのは閣議です (図 2) 。各大臣も、案件を首相に出して閣議を求めることができます [2] 。 首相が発議 重要政策の基本方針などの案件を閣議に 出す(第4条第2項) 閣議にかける 閣議で決定 内閣が職権を行うのは閣議による (第4条第1項) 方針に基づく 指揮監督 閣議で決めた方針に基づき行政各部を 動かす(第6条) 図 2 首相の発議から行政各部の指揮監督までの流れです。首相は案を出せますが、決めるのは閣議です(内閣法第4条・第6条)。 改正法は、施行の日を「別に法律で定める日」としました [4] 。中央省庁の再編は、森喜朗内閣のもとで2001年1月6日に施行されています [8] 。現行の内閣府設置法は、内閣府の本府に、首相または官房長官を長とする「重要政策に関する会議」として経済財政諮問会議などを置いています [5] 。この会議は、首相の諮問に応じて、予算編成の基本方針などの重要事項を調査審議します [5] 。予算の大枠を、首相が長を務める場で議論できる形になったのです。 ここで間違えやすい 「1999年の改正で、首相は閣議で何でも一人で決められるようになった」は誤りです。明文で加わったのは発議の権限で、内閣として決めるのは今も閣議です。首相が出した案でも、閣議で決定されてはじめて内閣の方針になります。 2014年の内閣人事局――幹部人事に首相が関わる 二つ目の大きな変化は人事です。2014年4月18日に公布された国家公務員法等の一部を改正する法律(法律第22号)は、内閣官房に内閣人事局を置きました [7] 。施行は、公布から6か月を超えない範囲で政令が定める日とされました [7] 。内閣人事局は、2014年5月30日に設置されています [8] 。 仕組みの中心は、国家公務員法第61条の4です。幹部職への任命などを行うのは、各府省の任命権者です [6] 。ただし任命権者は、あらかじめ首相と官房長官に協議したうえで、その協議に基づいて任命しなければなりません [6] 。任命する人と協議を受ける人が別だという点が、この制度を読む鍵になります。 例外もあります。災害その他緊急やむを得ない理由で事前に協議する時間がないときは、任命権者は協議をせずに任命できます [6] 。その場合は首相と官房長官に通知し、遅滞なく協議したうえで、その協議に基づいて必要な措置をとらなければなりません [6] 。逆に首相や官房長官の側から、適切な人事管理のために必要と認めるときは、幹部の昇任や転任などについて協議を求めることもできます [6] (図 3) 。 幹部職への任命など 行うのは各府省の任命権者 通常の場合 あらかじめ首相・官房長官に協議し、 協議に基づいて行う 緊急の場合 協議の時間がなければ先に行い、 通知し、協議に基づく措置をとる 首相の側から 必要と認めれば、昇任・転任などの 協議を求められる 図 3 幹部職への任命などの手続きです。三つの場合のどれでも、任命を行うのは任命権者です(国家公務員法第61条の4)。 すべての官職に当てはまるわけでもありません。人事院、検察庁、会計検査院の官職などには、この協議の規定は適用されません [6] 。また内閣人事局の長は、首相が内閣官房副長官の中から指名する人が務めます [2] 。 政府はこの制度の目的をどう説明したのでしょうか。菅義偉官房長官は、2019年3月6日の衆議院内閣委員会で答弁に立ちました。政府の答弁によれば、幹部人事の一元管理は、縦割り行政の弊害を排除し、内閣の重要政策に応じた戦略的な人事配置を実現することを目標に導入したと答弁しました [11] 。成果の例として、海上保安庁長官に初めて同庁採用の生え抜きを登用したことを挙げています [11] 。女性の登用については、審議官が16名から32名になったと答弁しました [11] 。これらは政府の側が示した例と数です。 研究者の竹中治堅は、2014年に公務員制度改革が行われたことで、首相の権力はさらに強化されたと述べています [10] 。なお、首相の人事の力は、内閣人事局を通じたものに限りません。竹中は、首相が大規模な金融緩和を行うために、人事権を行使して日銀総裁に黒田東彦氏を起用したことを例に挙げています [10] 。日銀総裁の人事は、各府省の幹部の人事とは別の話です。 ここで間違えやすい 「内閣人事局が各省の幹部を任命する」は誤りです。任命するのは今も各府省の任命権者で、首相と官房長官はあらかじめ協議を受ける立場です。ただし任命は協議に基づいて行うと定められているので、協議の相手の考えは人事の結