9.3 掛詞 — 一つの音に二つの意味 — Epoché
この課でできるようになること 掛詞が何をしている技かを説明できる。一つの音に二つの語を重ね、一首に二つの筋を同時に通す技だと分かる。 掛詞のありそうな場所を三つの手がかり(仮名書きの語・地名・意味の浮く語)で探せる。 代表的な掛詞——「ふる」「ながめ」「まつ」「あふ」——を、出てきたときに気づける。 掛詞の無い歌に無理に掛詞を見つけようとしなくなる。 前提 : 9.2 まで。 前の課で二度、「仕掛けがある」と言って先送りにしました。その仕掛けが掛詞です。一つの音に二つの語を重ね、一首の中で二つの話を同時に進めます。これは装飾ではありません。 三十一音という狭さの中で、言いたいことを二倍にするための工夫です。 ただ、最初に釘を刺しておきます。掛詞は珍しい技ではありませんが、どの歌にもあるわけではありません。この課で読む五首のうち、掛詞があるのは一首だけです。「和歌には掛詞がある」と身構えて読むと、無いところに見つけてしまい、かえって歌が読めなくなります。 この課の後半は、掛詞を見つける練習であると同時に、無いと判定する練習でもあります。 現代語に残っている形 同じ音に二つの意味を持たせる遊びは、いまも生きています。数字の語呂合わせ、店の名前のしゃれ、駅の掲示の言葉遊び。合格の知らせに「桜咲く」と書くのも、咲いた花と喜びを一つの言葉に重ねる言い方です。 ただし、いまのしゃれと和歌の掛詞には違いがあります。しゃれは 笑わせるため に音を重ね、意味は片方だけが本筋です。掛詞は 二つの筋を両方とも本筋として走らせます 。花のことを言いながら、同時に自分の身の上を言う。どちらかが飾りなのではなく、両方が本気で、どちらの読みでも一首が成り立ちます。ここを取り違えると、掛詞のある歌が「うまいことを言っただけの歌」に見えてしまいます。 もう一つ、いまの日本語にも残っているものがあります。同音の語の多さです。「かける」「とる」「たつ」——一つの音にいくつも語がある。この重なりの多さは古文でも同じで、だからこそ掛詞という技が成り立ちました。 古文ではこうなる 掛詞は、同じ音の二語を一か所に重ねる技です。訳すときは 両方を訳に出します 。片方だけを訳すと、一首の半分が消えます。 探し方には手がかりが三つあります。第一に、 仮名で書かれている語 。校訂本で漢字が当てられていない語は、書き手がどちらか一方に決めたくなかった語である可能性があります。第二に、 地名 。「あふさか」「いなば」「みをつくし」「うぢ」のように、地名は同時にふつうの語としても読めることが多く、掛詞の温床です。第三に、 意味を取ると浮く語 。ふつうに訳すと据わりが悪い、前後がねじれる、そういう場所には二つめの意味が隠れています。 代表的なものを四つ挙げます。「ふる」は「降る」と「経る」。雨が降ることと、時が過ぎることを一語で言います。「ながめ」は「長雨」と「眺め」。降り続く雨と、ぼんやり物思いにふけることです。「まつ」は「松」と「待つ」。「あふ」は「逢ふ」と地名の「逢坂」。この四つは頻度が高く、覚えておくと得をします。 反対に、掛詞が 無い と判定する目も要ります。判定の順序はこうです。まず素直に一通りに訳してみる。それで骨がきれいに通るなら、掛詞は要りません。通らない、あるいは一語だけが浮いて残る——そのときに初めて、その語の同音の語を探します。 先に掛詞を探すのではなく、先に訳して、余ったところを疑う。 この順番が大事です。 原文で確かめる まず、前の課で先送りにした二首を片づけます。 花の色は 移りにけりな 徒に 我が身世にふる ながめせしまに [1] 九番・小野小町。この歌は掛詞の教科書です。四句の「ふる」は「降る」と「経る」、結句の「ながめ」は「長雨」と「眺め」。二つを両方生かすと、一首が二重になります。花の側で読めば「長雨が降っている間に、花の色はむだにあせてしまった」。我が身の側で読めば「物思いにふけって過ごすうちに、私はいたずらに年を重ねてしまった」。 二つの訳のどちらも完全な文になっていて、しかも同じ三十一音から出てきます。 骨は「私が、色あせた花を見て、自分の衰えを嘆く」でしたが、掛詞まで見ると、花と我が身がどこで結ばれているのかまで分かります。結び目が「ふる」と「ながめ」の二か所にあるのです。なお「ふる」も「ながめ」も、この本文では仮名で書かれています。手がかりの第一が効いています。 これや此の 行くも帰るも 別かれては 知るも知らぬも 逢坂の関 [1] 十番・蝉丸。「逢坂」は山城と近江の境の地名ですが、同時に「逢ふ」と読めます。手がかりの第二、地名です。だからこの結句は「逢坂の関」であると同時に「人が逢う坂の関」でもある。上の句が「別かれては」と別れを言っているので、結句の「逢ふ」がそこに応じます。 別れと出会いが同じ場所の名前の中に入っている。 地名を持つ歌に出会ったら、その地名がふつうの語として読めないかを一度は試してください。 ここから十一番から十五番までです。今度は掛詞があるかどうかを、あなたが判定する番です。まずは素直に読んでみます。 わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人にはつげよ あまの釣舟 [1] 十一番・参議篁。読み: わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと ひとにわつげよ あまのつりぶね。骨は「私が、島々をめざして漕ぎ出しながら、都の人にそう伝えてくれと釣舟に呼びかける」。作者は罪を得て隠岐へ流される途中です。四句の「つげよ」が命令形なのでそこで切れ、結句は呼びかけの相手を置いた体言止めになります。三句「こぎいでぬと」は六音の字余りです。掛詞はありません。 素直に訳して骨がきれいに通り、浮く語が一つもないからです。 天つ風 雲のかよひぢ 吹きとぢよ をとめの姿 しばし留めむ [1] 十二番・僧正遍昭。読み: あまつかぜ くものかよいじ ふきとじよ おとめのすがた しばしとどめん。骨は「私が、舞う少女たちを天女に見立てて、その姿をもう少し留めておきたいと風に頼む」。三句の「吹きとぢよ」が命令形で三句切れ。ここにも掛詞はありません。この歌が使っているのは別の技で、目の前の舞姫を天女と見なして詠む 見立て です。 筑波嶺の 峯より落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる [1] 十三番・陽成院。読み: つくばねの みねよりおつる みなのがわ こいぞつもりて ふちとなりぬる。骨は「私が、山から落ちる川が淵をつくるように、積もった恋の深さを思う」。上の三句は川の描写で、それが下の句の「つもりて淵となる」を導くための前置きになっています。これは 序詞 という別の技で、次の期で扱います。掛詞ではありません。「ぞ〜ぬる」は係り結びです。 陸奥の しのぶもぢずり 誰故に みだれ初めにし 我ならなくに [1] 十四番・河原左大臣。読み: みちのくの しのぶもじずり たれゆえに みだれそめにし われならなくに。骨は「私が、乱れ模様の布のような心の乱れを、誰のせいかと問う」。五首のうち掛詞があるのはこの歌です。「しのぶもぢずり」は陸奥国信夫の地でつくられた、草木を摺りつけた乱れ模様の布のこと。この「しのぶ」に、人目を 忍ぶ という意味が重なります。地名がふつうの語としても読める——手がかりの第二です。布の模様の「みだれ」が心の「みだれ」に重なるのも同じ仕掛けで、この歌は上の句全体が下の句を導く序詞にもなっています。 技が二つ重なっているので、一首の中で布の話と恋の話が最初から最後まで並走します。 君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ [1] 十五番・光孝天皇。読み: きみがため はるののにいでて わかなつむ わがころもでに ゆきわふりつつ。骨は「私が、あなたのために若菜を摘み、袖に雪が降りかかるのを受けている」。掛詞はありません。「ふる」が出てきますが、ここでは雪が降っているだけで、「経る」と読んでも文が通りません。 同じ語形でも、掛詞になっている場所とそうでない場所があります。 九番の「ふる」と見比べてください。九番は「我が身世にふる」で、「世を経る」と読めるから二重になったのです。語を覚えるのではなく、通るかどうかで決める——これが判定の要です。 読み上げと音読 十一番から十五番までは 原文の文書 にまとめてあります。文書を切り替えて、五首を通しで聞き、通しで音読してください。先に読み直した九番と十番は 歌編 2課 の原文の文書にあります。 現代語訳の文書 では、掛詞のあるところが二つの意味とも訳に出ています。 掛詞のあるところは、読むときに急がないでください。「ふる」「ながめ」「しのぶ」は、そこで二つの意味が同時に鳴っている場所です。少し置くように読むと、聞いている人にも二重底が伝わります。逆に掛詞の無い十一番・十二番・十五番は、素直に流して読みます。 どこを置いて読むかが決められることが、掛詞を見つけられたということです。 七首を、読み上げを聞いてから自分の声で通してください。 練習 十一番から十五番までのうち、掛詞のある歌はどれですか。その語を挙げ、二つの意味を書いてください。残りの四首については、掛詞が無いと判定した理由を一文で書いてください。 九番の「ふる」と十五番の「ふる」は同じ音です。片方だけが掛詞になるのはなぜですか。両方の歌の四句を引きながら説明してください。 九番を、花の側の訳と我が身の側の訳の二通りで声に出して言ってから、原文を三回音読してください。二回目からは読み上げを止め、「ふる」と「ながめ」で少し間を置いて読んでください。 この課のまとめ 覚えておくと得をする掛詞です。 音 一つめの意味 二つめの意味 出てくる歌 ふる 降る(雨・雪) 経る(時が過ぎる) 九番 ながめ 長雨 眺め(物思い) 九番 あふ 逢ふ 逢坂(地名) 十番 しのぶ 信夫(地名) 忍ぶ(人目を避ける) 十四番 まつ 松 待つ 次の課の十六番 うぢ 宇治(地名) 憂し(つらい) 八番 判定の手順も一枚にします。上から順に当てます。 順 すること 結果 一 素直に一通りに訳す 骨が通り、浮く語も無ければ掛詞は無い 二 浮いた語・仮名書きの語を拾う そこが候補 三 地名があれば、ふつうの語として読めるか試す 読めれば候補 四 候補の二つめの意味で、もう一通り訳してみる その訳も完全な文になれば掛詞 掛詞は一つの音に二語を重ね、一首に二つの筋を同時に通す技。訳では両方を出す。 手がかりは、仮名書きの語・地名・訳すと浮く語の三つ。 先に掛詞を探さない。先に訳して、余ったところを疑う。 掛詞の無い歌のほうが多い。無いと判定できることも力のうち。 次の課へ 9.4 は枕詞です。掛詞が意味を二倍にする技だったのに対して、枕詞は 訳さない 語です。五音で、決まった語にしか掛からない。三番の「あしびきの」がそれでした。第 1 期の歌の課はこれで最後になります。十六番から二十番までを読み、二十首すべてを暗誦できるところまで持っていきます。 答え 掛詞があるのは十四番。 しのぶ が地名の「信夫」と「忍ぶ」の二つ。十一番は素直に訳して骨が通り浮く語が無い。十二番も同じで、使われているのは見立て。十三番の上の句は下の句を導く序詞で、二つの意味が同じ語に重なってはいない。十五番の ふる は雪が降る意味だけで、「経る」と読むと文が通らない。 九番は 我が身世にふる で、「世を経る」と読んでも「長雨が降る」と読んでも文になるから掛詞。十五番は わが衣手に雪は降りつつ で、主語が雪なので「経る」では文にならない。同じ音でも、周りの語が二通りの読みを許すかどうかで決まる。 音読の答えはありません。二通りの訳が言えていれば正解です。 参考文献 藤原定家撰『小倉百人一首』9 番〜15 番(Wikisource 版)。パブリックドメイン。漢字は通行の字体に改めた(戀→恋)。出所: https://ja.wikisource.org/wiki/小倉百人一首