見取り:精神分析とラカン/フェミニズム・バトラー/ポストコロニアルな批判への接続 — Epoché
解説 自己は、他者の言葉とも関わる ラカンは無意識を、無秩序な衝動の塊でなく、言葉のような関係の構造から考えた。自分だと認める像も他者の言葉や期待と関わり、意識する自我だけが主体の全てではないとする。 無意識が日本語など特定の言語そのものだという意味ではない。鏡は他者からの映し返しも含む。実験で確定した事実として読まない。 出典3 分類が、あるべき姿も定めていないか バトラーは、女性などの分類が、誰を正しい成員と認めるかという規範にもなると考えた。ジェンダーを固定した内面の核の表れより、社会の中で反復される行為から捉える。 一人が気ままに演じれば済むという意味でも、身体の存在の否定でもない。性とジェンダーの区別の扱いには反論もある。 出典2 誰が、他者を表すのか サイードは、他地域の分類や記述が支配とどう結び付いたかを分析した。スピヴァクは、排除された人に語らせれば中立な真実がそのまま出るという見方を問い直す。誰が代弁し、どう受け取るかは残る。 当事者が話す能力を持たないという意味ではない。欧州の概念を普遍とみなすことへの批判には、階級や合理性など共通の概念も役立つという反論がある。全論者を同じ思想にしない。 出典1 自己や分類を問う、違う焦点 論者 注目すること ラカン 自己と無意識・他者の言葉 バトラー 性別の分類と規範・反復 サイード/スピヴァク 他者を記述・代弁する知と支配 共通の関心と違う論点の見取り。単一の相対主義や歴史の段階図ではない。 参考文献 [1] Margaret Kohn; Kavita Reddy「Colonialism」。 出典 [2] Mari Mikkola「Feminist Perspectives on Sex and Gender」。 出典 [3] Adrian Johnston「Jacques Lacan」。 出典