ベーコン――知は力である(イドラ・帰納法) — Epoché
近代 ルネサンスと科学革命 約 17 分 本文 約 6,800 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 生涯・思い込み・帰納の 3 つ 生涯 大法官まで上った法律家・政治家で、1621 年に収賄で弾劾され、罪を認めて退いた。そのかたわら、学問のすべてを建て直す「大革新」を計画し、1620 年に『ノヴム・オルガヌム』を出した。「人の知と人の力は一つに重なる」(第 1 巻 3)(SEP 1・3)。 思い込み 心には 4 つのイドラが住みつく。人という種族に共通の思い込み(種族)、一人一人の育ちや好みから来る思い込み(洞窟)、言葉のやりとりから来る思い込み(市場)、学説や誤った証明の仕方から来る思い込み(劇場)である(第 1 巻 38〜44)。 帰納 経験をためこむだけの蟻でも、理屈を自分の中から紡ぐだけの蜘蛛でもなく、花から集めて自分の力で変える蜜蜂のように調べよ(第 1 巻 95)。性質のある例・無い例・度合いの例を表にして、当てはまらない候補を外していく(第 2 巻 11〜16)(SEP 2・4.2)。 はじめに フランシス・ベーコンは、エリザベス 1 世とジェイムズ 1 世の時代のイングランドで、法と政治の中心にいた人です。1618 年には大法官、つまり国でいちばん位の高い法律家になりました [1] 。 その一方で、若いころから学問の改革を考え、1591 年の手紙では「すべての知を自分の領分とした」と書いています [1] 。公務のかたわら、学問のすべてを正しい土台から建て直す「大革新」を計画し、1620 年にその一部として『ノヴム・オルガヌム』を出しました。翌年、収賄の罪で弾劾されて公の仕事を退き、残りの 5 年を著述、とくに自然誌の仕事に注ぎました [1] 。 ベーコンもモンテーニュと同じくそれまでの学問を厳しく疑いますが、新しい道具を作って先へ進もうとします。 この課の問い 前の課のモンテーニュは「私は何を知っているか」と問いました。では、疑いを越えて、自然について役に立つ確かな知を手に入れるには、どうすればよいのでしょうか。知らないうちに心に入り込む思い込みをどう取り除けば、知は力になるのでしょうか。 この課のことば イドラ(偶像) ものを正しく見るのをじゃまする、心に住みついた思い込みです。ベーコンは種族・洞窟・市場・劇場の 4 つに分けました(『ノヴム・オルガヌム』第 1 巻 39)。 帰納法 個々の事例から段を追って一般的な法則へ上る考え方です。ベーコンは例を数え上げるだけの帰納を退け、当てはまらない候補を外していく帰納を説きました(「消去による帰納」)。 三段論法 「すべての人は死ぬ。ソクラテスは人である。ゆえにソクラテスは死ぬ」のように、前提から必然的な結論を導く推論の形です。アリストテレスの論理学の中心です。 大革新(インスタウラティオ・マグナ) 学問のすべてを正しい土台から建て直すベーコンの計画です。6 部からなり、『ノヴム・オルガヌム』は第 2 部にあたります。 『ノヴム・オルガヌム』 ラテン語で「新しい道具」。アリストテレスの論理学の著作群「オルガノン(道具)」に代わるものとして名付けられました。1620 年刊。 否定の例 調べている性質(たとえば熱)があってよさそうなのに無い事例です。法則を立てるには、当てはまる例より力を持つとベーコンは言います(第 1 巻 46)。 知と力――自然を動かせる知はどう手に入るのか モンテーニュが疑いの中で自分を見つめていたころ、イングランドでは、国の法と政治の中心にいた一人の法律家が、学問を初めから建て直す計画を立てていました。この章では、①ベーコンの生涯と「大革新」の計画、②心をくもらせる 4 つのイドラ、③蜜蜂のような帰納法、を順に読みます。 大法官の哲学――知と力は一つに重なる ベーコンの生涯は、法と政治の階段を上る道と、学問を建て直す道の二本が並んで進みました (図 1) 。1607 年に法務次官、1613 年に法務長官、1617 年に国璽尚書となり、1618 年 1 月に大法官に上ります [1] 。同じころ、学問の側では 1605 年に『学問の進歩』を出し、1620 年 10 月に『大革新』の巻を出しました。この巻には、計画全体の序文と区分、そして『ノヴム・オルガヌム』2 巻などが収められています [1] 。 1561 年 ロンドンに生まれる 1573〜75 年 ケンブリッジの トリニティ・カレッジで学ぶ 1576〜79 年 大使に従いフランスに滞在 1581 年 議会に議席を得る(1621 年まで) 1591 年 手紙「すべての知を自分の 領分に」 1605 年 『学問の進歩』を出す 1607〜18 年 法務次官・法務長官・国璽尚書を 経て大法官 1620 年 『大革新』( 『ノヴム・オルガヌム』を含む) 1621 年 収賄で弾劾され、罪を認めて退く 1622〜23 年 自然誌の巻を出す 1626 年 ハイゲイトで没する 1627 年 『ニュー・アトランティス』刊 (没後) 図 1 ベーコンの生涯の年表です。法と政治の階段と、学問の仕事が並んで進み、1621 年の弾劾のあとは著述に専念しました。年は SEP によります [1] 。『ニュー・アトランティス』の刊行は 1627 年です。 ベーコンは若いころから、知を「もっとも値打ちのある力」と呼んでいました [1] 。その例として挙げたのが、印刷術・大砲・羅針盤です。どれも、王が財宝で買うことも、軍で命じることもできないものを人にもたらしました。人の主権は知の中に隠れている、とベーコンは書きます [1] 。『ノヴム・オルガヌム』第 1 巻 129 でも、印刷術・火薬・羅針盤が世界の姿を変えたと述べています [2] 。 では、その力はどうすれば手に入るのでしょうか。『ノヴム・オルガヌム』の初めでベーコンは、人は「自然の召使いであり解き明かし手」だと言います。人は、自然の秩序について観察した分だけしか、することも知ることもできません(第 1 巻 1) [2] 。そして第 1 巻 3 で、「人の知と人の力は一つに重なる」と書きます [1] [2] 。原因を知らなければ、結果を生み出すことはできません。だから自然は、それに従うことによってでなければ征服されない、というのです [2] 。 この知を手に入れる仕組みとして考えられたのが「大革新」です。①学問の区分、②新しい論理(『ノヴム・オルガヌム』)、③自然誌、④知性のはしご、⑤先駆け、⑥これからの哲学、の 6 つの部分からなります [1] 。自然誌とは、自然や技術の事実と実験を集めて整理した記録のことで、ベーコンはこれを哲学の「材料」と見ました [1] 。ただし計画は大きすぎ、書き上げたのは一部です。第 5 部は序文しか書かれませんでした [1] 。 ここで間違えやすい 「知は力」を、知識があれば他人を支配できる、という意味に取らないようにしましょう。ベーコンの言う力は、自然の原因を知って結果を生み出す力で、その知は自然に従うことで得られます。知の目的は「人の暮らしを助けること」で、それを愛(慈愛)の中で用いるべきだとも言います [1] 。また、『ノヴム・オルガヌム』第 1 巻 3 の文は「人の知と人の力は一つに重なる」という形です。「知は力なり」という短い言い回しがどこで初めて現れたかには諸説があり、本教材では確かめていません。 4 つのイドラ――心に住みつく思い込み 自然に従うには、まず自然をありのままに見なければなりません。ところが人の心はもう空ではない、とベーコンは言います。イドラと誤った観念が知性を占めて根を張り、学問を建て直すときにもまた現れてじゃまをします(第 1 巻 38) [2] 。ベーコンはこれを 4 つの種類に分けて名を付けました (表 1) 。 この表で分かること: 4 つのイドラは、出どころが人の本性か、一人一人か、言葉か、学説かで分かれます。 イドラ 出どころ ベーコンのたとえ 身近な例(本教材) 種族のイドラ 人という種族の本性 でこぼこの鏡 当たった占いだけ覚えている 洞窟のイドラ 一人一人の性質・育ち・読書 一人一人の洞窟 好きな先生の説ばかり信じる 市場のイドラ 人どうしの言葉のやりとり 市場の人の言葉 言葉の定義で議論が空回りする 劇場のイドラ 哲学の学説・誤った証明法 作りものの芝居 有名な学説を確かめず受け入れる 表 1 4 つのイドラの出どころとたとえ(『ノヴム・オルガヌム』第 1 巻 41〜44) [2] 。身近な例は本教材の作例です。 種族のイドラ は、人という種族そのものに根ざします。人の知性は、でこぼこの鏡のように、自分の性質をものに混ぜてゆがめます(第 1 巻 41) [1] [2] 。 洞窟のイドラ は、一人一人の思い込みです。人はそれぞれ自分の洞窟を持ち、生まれつきの性質や育ち、読んだ本や敬う人の権威が、自然の光を曲げます(第 1 巻 42) [1] [2] 。 市場のイドラ は、人が交わり言葉をやりとりすることから生まれ、いちばん厄介だとされます。言葉は世間の人の分かり方に合わせて付けられているので、知性を押しまげ、むなしい言葉の争いを生みます(第 1 巻 43・59) [1] [2] 。 劇場のイドラ は、哲学の学説や誤った証明のきまりから入り込みます。受け入れられた哲学の数だけ、作りものの世界を舞台にのせた芝居がある、というのです(第 1 巻 44) [2] 。SEP の整理では、はじめの 2 つは人の本性に、あとの 2 つは社会に根ざします [1] 。 種族のイドラの例として、ベーコンは神殿の話を挙げます(第 1 巻 46) [2] (図 2) 。難破から助かった人々の奉納の板を見せられ、これでも神々の力を認めないのかと迫られた人が、誓ったのに死んだ人々の絵はどこにあるのかと聞き返しました。人は当たった例に目をとめ、外れた例はずっと多くても見すごします。占星術や夢占いの迷信はみなこの形だ、とベーコンは言います [2] 。 当たった例(目にとまる) これでも神々の 力を認めないのか 誓ったのに 死んだ人の絵は? 神官 旅人 板は原典の例・描き方は本教材 外れた例(見すごされる) 描かれない板 外れた例は板にならず はじめから数に入らない 図 2 『ノヴム・オルガヌム』第 1 巻 46 の神殿の話を絵にしたものです(本教材の絵)。一つ目の絵では、助かった人の板が壁に並び、神官が神々の力を説きます。二つ目の絵では、誓ったのに沈んだ人々の板は描かれず、はじめから数に入りません。板と問いは原典の例で、神殿の形や人の数は本教材の描き方です。 ここで間違えやすい イドラを、気をつければ一度で捨てられる個人の偏見だと取らないようにしましょう。種族のイドラは人の本性そのものに根ざしていて、ベーコンは、イドラは学問を建て直すときにもまた現れると言います(第 1 巻 38・41)。イドラを指し示すのは、詭弁の型を知っておくのと同じく備えのためで、追い払う本当の手立ては帰納です(第 1 巻 40) [2] 。また「劇場のイドラ」は芝居そのものの批判ではなく、学説を作りものの舞台にたとえたものです。 蜜蜂の帰納――集めて、外して、段を上る では、イドラを追い払う帰納とはどんなものでしょうか。ベーコンは、真理を探す道は二つあると言います。一つは、感覚と個々のものから、いきなりいちばん一般的な原理へ飛び、そこから下を判定する道で、今使われている道です。もう一つは、段を追って絶えず上り、最後にいちばん一般的なものに着く道で、正しいがまだ試されていない道です(第 1 巻 19) [1] [2] 。 この歩き方を、ベーコンは三つの生き物でたとえます (図 3) 。経験だけの人は、蟻のように集めて使うだけです。理屈だけの人は、蜘蛛のように自分の中から網を紡ぎます。蜜蜂は、庭や野の花から材料を集め、それを自分の力で変えてこなします。哲学の本当の仕事もそうでなければならない、というのです(第 1 巻 95) [1] [2] 。 哲学する人の三つの型 そのまま積む 自分の中から 花から集める 蟻 経験だけ 蜘蛛 理屈だけ 蜜蜂 集めて変える 比喩は原典・描き方は本教材 図 3 『ノヴム・オルガヌム』第 1 巻 95 の、蟻・蜘蛛・蜜蜂のたとえを絵にしたものです(本教材の絵)。蟻は外の材料をそのままためるだけ、蜘蛛は自分の中から網を紡ぐだけ、蜜蜂だけが外から集めた材料を自分の力で蜜に変えます。たとえと役割は原典、巣や花の描き方は本教材です。 集めた材料は、どうこなすのでしょうか。ベーコンは、例をただ数え上げる帰納を「子どもじみたもの」と退けます。反対の例が一つ出れば崩れるからです(第 1 巻 105) [2] 。学問に要るのは、経験をほどいて分け、きちんと外し退けて、必然の結論に着く帰納です [1] 。そのために 3 つの表を作ります。調べたい性質(たとえば熱)が現れる例を並べた「有の表」、似ているのに性質の現れない例の「無の表」、性質が増えたり減ったりする例の「度合いの表」です(第 2 巻 11〜13) [1] 。 ベーコン自身の例で見てみましょう。熱の形相(その性質を生み出す本当の仕組み)を調べます。有の表には「太陽の光」を入れ、無の表には、似ているのに熱の無い「月の光」を入れます。どちらも光なのに、熱は片方にしかありません。だから「光」は熱の形相の候補から外せます [1] 。こうして外し終えたあとに残るものが、確かな形相になります(第 2 巻 16) [1] 。正しい法則を立てるとき、否定の例のほうが大きな力を持つ、とベーコンが言うのはこのためです(第 1 巻 46) [2] 。原理を得るたびに、実験で事物へ下りて確かめ、新しい仕事と実験を生むことも求めました(第 1 巻 117) [1] 。 ここで間違えやすい ベーコンの帰納法を、事実をたくさん集めれば法則が自然に出てくる、という考えだと取らないようにしましょう。それはベーコンが「蟻」と呼んで退けたやり方です。ベーコンは、集めた材料を表にして、当てはまらない候補を外していく手順を説きました。逆に、実験を軽んじたと取るのも誤りです。SEP は、ベーコンが望遠鏡や顕微鏡などの道具に関心を持っていたと伝えています [1] 。 原