6.3 古今異義語 三 — 動作と時の語 — Epoché
この課でできるようになること 動作を表す古今異義語十語について、古文の意味と現代語の意味を言い分けられる。 時を表す名詞・副詞十語を正しく訳し、出来事の順序を取り違えなくなる。 「やがて」「すなはち」「たちまち」のように、今も同じ形で残りながら速さの度合いが違う語を処理できる。 「まかる」「まうづ」のように、動作に敬意の向きが付いている語に気づける。 前提 : 6.2 まで。 前の二課で扱ったのは、書き手の心を表す語と、対象を測る語でした。どちらも形容詞が中心です。この課で扱うのは 動詞と、時をさす語 です。動詞と時の語を取り違えると、感情の語のときよりも被害が大きくなります。誰が何をしたのか、それがいつ起きたのかという、物語の骨組みそのものが狂うからです。 とくに危ないのが時の副詞です。「やがて」を現代語のまま「そのうち」と読むと、その場で起きたことが後日の出来事になります。一語で場面が一日ずれます。 時の語だけは、疑わしくなくても毎回止まって確かめる くらいでちょうどよいのです。この課の二十語は、動きの語十と、時の語十に分けて覚えます。 現代語に残っている形 動作と時の語は、慣用句や熟語の中に古い意味がよく残っています。まずそこから拾います。 いまの言い回し いまの意味 古い意味が残っているところ 罷(まか)り出る 退出する 「まかる」=貴人のもとから下がる 初詣 年の初めの参拝 「まうづ」=参上する・参詣する 念のため 用心のため 「念ず」=心をこめて祈る・じっとこらえる もの覚えがよい 記憶力がよい 「おぼゆ」=自然に心に浮かぶ かねてより承知 以前から 「かねて」=前もって 終日(ひねもす) 一日じゅう 「ひねもす」がそのまま残った語 「罷り出る」の「まかり」を、意味のない飾りだと思っている人が多いでしょう。もとは 「高い所から低い所へ下がる」という向きを持った動詞 で、その向きが今も敬語らしい響きだけを残しています。 古文ではこうなる 群一 心と体の動詞 おぼゆ ja おぼゆ 自然に思われる・思い出される・似る 現代語の意味 記憶する 差 ひとりでに心に浮かぶ意が薄れた ながむ ja ながむ 物思いにふける・ぼんやり見やる 現代語の意味 じっと見る 差 心の動きが目の動きだけになった 念ず ja ねんず 心の中で祈る・じっとこらえる 現代語の意味 強く願う 差 「こらえる」の意が落ちた ののしる ja ののしる 大声で騒ぐ・評判が高い 現代語の意味 悪口を言う 差 音の大きさが悪意の意味に変わった おこたる ja おこたる 病気がよくなる・(義務を)なまける 現代語の意味 なまける 差 「快方に向かう」の意が失われた 「おぼゆ」は「思ふ」に自発の助動詞が付いてできた語です。だから 自分が努力して思うのではなく、ひとりでに思われてくる のが原義。徒然草は葬送の後の人の言いぐさを 人の心はなほうたておぼゆれ [1] ——人の心はやはり嫌なものに思われる——と書きます。「ながむ」も目の働きより心の働きが主で、土佐日記は船が出せない日々を 徒に日をふれば人々海をながめつつぞある [3] と書く。景色を鑑賞しているのではなく、手持ちぶさたで物思いにふけっているのです。 「念ず」は声に出さずに祈ること、そこから 「じっとこらえる」 へ広がりました。枕草子の参詣の場面は わりなく苦しきを念じてのぼる程に [2] ——どうしようもなく苦しいのをこらえて登るうちに——です。「ののしる」はもっぱら音量の語で、枕草子は宴の様子を 物食ひ酒飲み、ののしり合へるに [2] と描き、徒然草は鬼の噂に沸く都を 「一条室町に鬼あり」とののしりあへり [1] と書きます。どちらも悪口ではありません。「おこたる」は現代語と重なる意味も持ちますが、古文で頻出するのは 病気が快方に向かう 意です。古今集の詞書に ここちおこたりてのちとふらへりけれは [6] とあります。「気分がよくなった後に見舞ってきたので」で、怠けたという話ではありません。 群二 行き来と連れ立ちの動詞 ありく ja ありく あちこち動きまわる(乗り物でも) 現代語の意味 歩く 差 移動一般が徒歩に限られた わたる ja わたる 一面に〜する・ずっと〜し続ける 現代語の意味 横切る 差 補助動詞としての広がりが消えた まかる ja まかる 貴人のもとから退出する・地方へ下る 現代語の意味 敬語の飾り 差 下向きの向きが読み取れなくなった まうづ ja もうず 参上する・(寺社に)参詣する 現代語の意味 「詣でる」のみ 差 人のもとへ参る意が落ちた ぐす ja ぐす 連れて行く・引き連れる・備える 現代語の意味 使わない 差 語ごと消えた 「ありく」は「歩く」と書きたくなりますが、古文では 手段を問わず動きまわること で、車でも船でもかまいません。枕草子には 思ふ事なげにて歩みありく人こそ、いみじくうらやましけれ [2] とあり、こちらは「歩み」を添えて徒歩だと示しています。 わざわざ「歩み」を足すということは、「ありく」だけでは徒歩に決まらない という証拠です。 「わたる」は本動詞なら「渡る」ですが、他の動詞の下に付いて「一面に〜する」「ずっと〜し続ける」を表す使い方が多い。徒然草の春の描写 やや春深くかすみわたりて [1] は「あたり一面に霞んで」です。「まかる」と「まうづ」は向きが正反対の一対で、まかるは下がる、まうづは上がる。徒然草は自分の外出を そのころ東山より、安居院へんへまかり侍りしに [1] とへりくだって言い、石清水の法師については ただ一人かちよりまうでけり [1] ——たった一人徒歩で参詣した——と書きます。「ぐす」は連れ立つことで、 ささやかなる童一人をぐして [1] のように使います。 群三 時の長さを言う語 やがて ja やがて そのまま・すぐに 現代語の意味 そのうち・まもなく 差 間をおかない意が、間をおく意に反転した つとめて ja つとめて 早朝・(何かがあった)翌朝 現代語の意味 努めて(別語) 差 名詞の「つとめて」が消えた ひねもす ja ひねもす 一日じゅう 現代語の意味 文章語にだけ残る 差 口語から消えた としごろ ja としごろ 長年の間・数年来 現代語の意味 年齢のころあい 差 期間が年齢の意になった ひごろ ja ひごろ 数日来・ここ何日か 現代語の意味 ふだん・平生 差 限られた日数が習慣の意になった この五語のうち「やがて」がいちばん恐い。古文の「やがて」は 間をおかないこと で、現代語の「少し時間をおいて」とは反転しています。徒然草の 名を聞くより、やがて面影はおしはからるる心ちする [1] は、名前を聞いた その瞬間に 顔立ちが想像される、という意味です。「そのうち想像がつく」では話になりません。 「つとめて」は名詞で、早朝、または前の晩に何かがあった場合はその翌朝です。枕草子の 冬はつとめて [2] は「冬は早朝がよい」。現代語の「努めて」とはまったく別の語です。「ひねもす」は一日じゅうで、土佐日記に 然れどもひねもすに浪風たたず [3] ——それでも一日じゅう波風は立たなかった——とあります。「としごろ」「ひごろ」は 年齢や習慣ではなく、期間の長さ です。石清水の法師は参詣を終えて 年ごろ思ひつる事はたし侍りぬ [1] ——長年思っていたことを果たしました——と言い、徒然草の別の段は主君の態度が変わったことを 日ごろの御気色もたがひ [1] ——ここ数日のご機嫌も違い——と書きます。 群四 時の前後の語と、化石になった二語 すなはち ja すなわち すぐに・そのとき・とりもなおさず 現代語の意味 つまり 差 時の副詞が言い換えの接続語になった たちまち ja たちまち 即座に・その場で 現代語の意味 短時間のうちに 差 「立ち待つ間」の即時性がゆるんだ かねて ja かねて 前もって・以前から 現代語の意味 「かねてより」の中だけ 差 単独で使えなくなった かたみに ja かたみに 互いに・かわるがわる 現代語の意味 使わない 差 語ごと消えた(「形見」と無関係) さらぬ ja さらぬ そうでない・それ以外の/避けられない 現代語の意味 使わない 差 「然らぬ」「避らぬ」の二つが同じ形 「すなはち」は現代語では言い換えの接続語ですが、古文ではまず 時の副詞 です。徒然草の 狂人のまねとて大路をはしらば、すなはち狂人なり [1] は「狂人のまねだと言って大路を走るなら、その時点でもう狂人だ」。「つまり」と訳しても通じてしまうところが厄介です。「たちまち」は「立ち待つ間」から出た語で、古文では今よりも即座の感じが強い。方丈記の火事の記述 或は炎にまぐれてたちまちに死しぬ [4] は、その場で息絶えたということです。 「かねて」は前もって。徒然草の有名な一節 死は前よりしも来らず、かねてうしろにせまれり [1] は、死は正面から来るのではなく、前もって背後に迫っている、という意味です。「かたみに」は「互いに」で、「形見」とは関係ありません。百人一首の 契りきな かたみに袖を しぼりつつ [5] は「約束しましたね、互いに涙で濡れた袖をしぼりながら」。 ここを「形見に」と読むと、恋の歌が遺品の歌になります。 「さらぬ」は二つの語が同じ形になったもので、「然らぬ(そうでない)」と「避らぬ(避けられない)」があります。徒然草は葬送の場所を 鳥部野、舟岡、さらぬ野山にも [1] ——それ以外の野山にも——と書き、雑事を えさらぬことのみいとどかさなりて [1] ——避けられない用事ばかりが重なって——とも書きます。前に「え」があれば後者です。 原文で確かめる まず徒然草の名高い一段の書き出し。「ありく」が出ます。 九月二十日のころ、ある人にさそはれ奉りて、明くるまで月見ありくこと侍りしに、おぼしいづる所ありて、あないせさせて入りたまひぬ。 [1] 訳: 「九月二十日ごろ、ある人にお誘いいただいて、夜が明けるまで月を見て歩きまわったときに、その方が思い出される家があって、案内させてお入りになった」。徒歩とは限らず、あちこち動きまわったのです。 仁和寺にある法師、年よるまで石清水ををがまざりければ、心うくおぼえて、ある時思ひたちて、ただ一人かちよりまうでけり。 [1] 訳: 「仁和寺のある法師は、年をとるまで石清水八幡宮を拝まなかったので、情けなく思われて、あるとき思い立って、たった一人徒歩で参詣した」。「おぼゆ」と「まうづ」が一文に入っています。「かち」は徒歩のことです。 冬はつとめて。雪の降りたるはいふべきにもあらず。 [2] 訳: 「冬は早朝がよい。雪が降っているのは言うまでもない」。四季それぞれの時間帯を挙げる有名な段の一節です。 死は前よりしも来らず、かねてうしろにせまれり。 [1] 訳: 「死は前方から来るのではない。前もって背後に迫っているのだ」。無常を説く一段の結びに近い一文です。 読み上げと音読 読み上げは現代の音で鳴ります。「まうづ」は「もうず」、「すなはち」は「すなわち」、「思ふ」は「おもう」、「侍りしに」は「はべりしに」です。この課の音読では、 時の語のところで区切って読んでください 。「やがて」「つとめて」「かねて」「すなはち」は文全体の時間軸を決める語なので、そこで一拍おくと、その語が文のどこに掛かっているかが耳で分かります。とくに「やがて」は、間をおかない意味なのに現代語の癖で間をおいて読みがちです。 「やがて」は速く、続けて読む と覚えてください。 練習 次の傍線部を現代語に訳してください。ア「やがて面影はおしはからるる心ちする」 イ「年ごろ思ひつる事はたし侍りぬ」 ウ「わりなく苦しきを念じてのぼる程に」 エ「すなはち狂人なり」 「ありく」を「歩く」と訳すと不正確になるのはなぜですか。枕草子が「歩みありく」と書いていることを手がかりに、一文で説明してください。また「かたみに」を「形見に」と取ると何が起きるかも書いてください。 上の四つの原文を、現代の音で三回ずつ音読してください。時の語のところで一拍おき、「やがて」だけは続けて速く読みます。二回目からは読み上げを止めて自分の声だけで読んでください。 この課のまとめ 心と体の動詞——おぼゆ(自然に思われる)・ながむ(物思いにふける)・念ず(こらえる)・ののしる(大声で騒ぐ)・おこたる(病気がよくなる)。 行き来の動詞——ありく(動きまわる)・わたる(一面に〜する)・まかる(退出する)・まうづ(参上する)・ぐす(連れて行く)。 まかると まうづ は向きが逆の一対。 時の長さ——やがて(すぐに)・つとめて(早朝)・ひねもす(一日じゅう)・としごろ(長年)・ひごろ(数日来)。 時の前後——すなはち(すぐに)・たちまち(即座に)・かねて(前もって)。かたみに(互いに)・さらぬ(それ以外の/避けられない)。 時の語を誤ると 出来事の順序が狂う 。訳文の時間の流れがおかしいときは、まず時の副詞を疑う。 次の課へ 6.4 では、語編の最後の二十語——人と物を表す名詞と、決まり文句を扱います。「ことわり」「けしき」「あるじ」「な〜そ」——一語ではなく型で覚える言い回しが入るので、ここまでの三課とは少し毛色が変わります。 答え ア 「名を聞いたとたんに顔立ちが想像される気がする」。イ 「長年思っていたことを果たしました」。ウ 「どうしようもなく苦しいのをこらえて登るうちに」。エ 「その時点でもう狂人である」。 「ありく」は徒歩に限らず動きまわることなので、「歩く」と訳すと手段を狭めてしまう。枕草子がわざわざ「歩み」を添えているのは、「ありく」だけでは徒歩に決まらないからである。「かたみに」を「形見に」と取ると、互いに袖をしぼった二人の恋の歌が、遺品をめぐる歌に変わってしまう。 読みの目安: ながつき はつかの ころ、あるひとに さそわれ たてまつりて、あくるまで つきみありく こと はべりしに。/しは まえよりしも きたらず、かねて うしろに せまれり。 参考文献 兼好法師『徒然草』(國文大觀)。パブリックドメイン。漢字は通行の字体に改め、踊り字を開いた。出所: https://ja.wikisource.org/wiki/徒然草_(國文大觀) 清少納言『枕草子』。パブリックドメイン。漢字は通行の字体に改めた。出所: ht