9.4 枕詞 — 訳さないと決まっている語 — Epoché
この課でできるようになること 枕詞が「訳さない語」だと分かり、訳から外して歌を読める。 五音で決まった語に掛かる、という枕詞の性質から、初めて見る枕詞にも気づける。 枕詞と、地名そのもの(歌枕)とを取り違えなくなる。 百人一首の一番から二十番までを、いまの音で暗誦できる。 前提 : 9.3 まで。 第 1 期の歌の課はこれで最後です。掛詞は意味を二倍にする技でした。枕詞はその反対で、 意味を足さない語 です。訳しません。訳さないと決まっている語がある、というのは初めて聞くと乱暴に思えますが、慣れると歌がずっと軽く読めるようになります。五音ぶんを読み飛ばしてよいのですから、三十一音の歌が二十六音になるのと同じことです。 すでに二つ、通り過ぎてきています。三番の「あしびきの」と、二番・四番の「しろたへの」です。この課でその二つを回収し、十六番から二十番までを読み、最後に二十首の暗誦をします。 現代語に残っている形 意味を足さずに調子を整える言い方は、いまの日本語にもあります。「言わずと知れた」「押しも押されもせぬ」——後ろに来る語はだいたい決まっていて、あっても無くても情報は変わりません。落語で本題の前に置く「まくら」も、決まった型の前置きです。 用が無いのに置かれている、という点が枕詞と同じです。 文語調の文章に生き残っているものもあります。「たらちねの母」「ひさかたの光」のような言い方は、いまでも改まった文で見かけます。「ちはやぶる」は作品の題としてよく知られていて、これが枕詞だと知らないまま口にしている人も多いはずです。 あなたはもう枕詞をいくつか知っています。 ただ、それが「神」や「母」にしか掛からない決まりだ、ということを知らないだけです。 古文ではこうなる 枕詞には三つの性質があります。第一に、 多くは五音 です。だから一句をまるごと使い、たいていは初句に置かれます。ただし初句とは限りません。二番と四番の「しろたへの」は三句にあります。第二に、 掛かる語が決まっています 。「ちはやぶる」なら神、「たらちねの」なら母。この結びつきは何百年も動きません。第三に、 訳しません 。「あしびきの山」を「足を引きずるような山」とは訳さず、ただ「山」と訳します。 なぜ訳さないのか。多くの枕詞は、生まれたときには意味があったはずですが、平安時代にはもう語源が分からなくなっていたからです。歌人たちも意味では使っていません。 その語が来たら次はあの語だ、という耳の記憶で使っています。 ですから、意味を掘り起こそうとするとかえって歌がゆがみます。 見分け方は簡単です。五音の句があって、その中身が次の語と意味の上でつながらない。それなのに置かれている。そうしたら枕詞を疑い、表で確かめる。数はそれほど多くないので、よく出るものを覚えてしまうのが早道です。 一つだけ、取り違えやすいものがあります。 地名は枕詞ではありません。 この課で読む「難波潟」「住の江」「龍田川」はどれも実在の土地の名で、その土地が歌の中身に効いています。枕詞は掛かる語のための飾りで、それ自体は景色を作りません。歌に何度も詠まれた名所を歌枕と言い、そちらは第 3 期で扱います。 五音でも、意味が生きていて景色を作っているなら、それは枕詞ではありません。 原文で確かめる まず、通り過ぎてきた二首を回収します。 足引きの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかもねむ [1] 三番・柿本人麿。初句の「あしびきの」が「山鳥」の「山」に掛かる枕詞です。訳から外すと「山鳥の垂れ下がった尾のように長い夜を、独りで寝るのだろうか」となり、これで歌は完全に立ちます。 五音まるごと訳さなくても、何も失われていません。 むしろ外したほうが、山鳥の尾から夜の長さへ、という流れがはっきり見えます。 田子の浦に 打出でてみれば 白妙の ふじの高嶺に 雪は降りつつ [1] 四番・山部赤人。三句の「しろたへの」が枕詞です。もとは楮の繊維で織った白い布のことで、「衣」「袖」「雪」「雲」に掛かります。二番では「衣」に掛かっていました。この歌では雪の白さに掛かります。訳さなくてよい語ですが、 白さがそのまま景色の中心になっている歌なので、白いという感じは残しておいたほうが歌が生きます。 枕詞は訳さないのが原則で、原則には例外があります。 ここから十六番から二十番までです。枕詞のある歌は一首だけです。 立別れ いなばの山の 嶺におふる まつとし聞かば 今帰り来む [1] 十六番・中納言行平。読み: たちわかれ いなばのやまの みねにおうる まつとしきかば いまかえりこん。骨は「私が、任国へ発つにあたって、待つと聞いたらすぐ帰ろうとあなたに告げる」。枕詞はありません。あるのは掛詞で、しかも二つ重なっています。「いなば」は地名の因幡と「往なば」(行ったならば)。「まつ」は山に生える松と「待つ」。前の課の手がかりのとおり、どちらも地名と仮名書きの語です。 この歌は五音の初句を持ちますが、「立別れ」は意味が生きているので枕詞ではありません。 ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川 から紅に 水くくるとは [1] 十七番・在原業平朝臣。読み: ちはやぶる かみよもきかず たつたがわ からくれないに みずくくるとわ。骨は「私が、紅葉に染まった龍田川を見て、神代にもこんなことは無かったと驚く」。初句の「ちはやぶる」が「神代」の「神」に掛かる枕詞です。もとは勢いの激しいさまを言う語だったと考えられていますが、訳には出しません。二句の「聞かず」が打消の言い切りで、ここで切れます。二句切れです。三句の「龍田川」は実在の川の名で、紅葉の名所として知られていました。 枕詞と地名が一首の中に並んでいる歌なので、見比べるのにちょうどよい歌です。 住の江の 岸に寄る浪 よるさへや 夢の通ひ路 人目よくらむ [1] 十八番・藤原敏行朝臣。読み: すみのえの きしによるなみ よるさえや ゆめのかよいじ ひとめよくらん。骨は「私が、夢の中でさえあなたが人目を避けることをいぶかる」。枕詞はありません。「住の江」は摂津の海辺の地名です。上の句は「よる」を導くための前置きで、波が岸に「寄る」と「夜」が同じ音で重なります。掛詞です。 難波潟 短き葦の ふしのまも あはで此の世を すぐしてよとや [1] 十九番・伊勢。読み: なにわがた みじかきあしの ふしのまも あわでこのよお すぐしてよとや。骨は「私が、葦の節ほどの短い間さえ逢わずに一生を過ごせというのかと訴える」。枕詞はありません。「難波潟」は地名です。ここでも掛詞が働いていて、「ふし」は葦の節と「臥し」、「よ」は葦の節と「世」に重なります。 葦という一つのものが、恋の言葉に丸ごと置き換わっていきます。 侘びぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても 逢はむとぞ思ふ [1] 二十番・元良親王。読み: わびぬれば いまはたおなじ なにわなる みおつくしても あわんとぞおもう。骨は「私が、思いわびたあげく、身を滅ぼしてでも逢おうと思い定める」。枕詞はありません。「みをつくし」は難波の水路に立てた標識の澪標と、「身を尽くし」の掛詞です。この歌は 歌編 2課 で見た型の逆で、 景色から入らず、最初から最後まで心だけでできています。 目に映るものは澪標だけ、それも掛詞の片側として出てくるだけです。結句は「ぞ〜思ふ」の係り結びで、思い定めた気持ちを強く結んでいます。 読み上げと音読 十六番から二十番までは 原文の文書 にまとめてあります。一番から二十番までを通しでやるときは、 音編 8課 の原文の文書を使ってください。 この課の音読には仕上げがあります。二十首の暗誦です。読書ページの 本文を隠して再生 を使ってください。音だけを聞き、聞こえたとおりに口を動かし、それから本文を出して合っているかを見ます。かるたの読み札を耳で覚えるのと同じやり方です。 枕詞のある句は、暗誦の助けになります。「あしびきの」と来れば次は山、「ちはやぶる」と来れば次は神。 枕詞は、歌を思い出すための取っ手でもあります。 もともと口で覚え、口で伝えるための技だったのですから、当然といえば当然です。二十首を五首ずつ四回に分けて、まず読み上げに合わせて、次に自分の声だけで、最後は本文を隠して。この順で通してください。 練習 十六番から二十番までのうち、枕詞のある歌はどれですか。その枕詞と、掛かっている語を挙げてください。残りの四首については、代わりにどんな技が使われているかを一つずつ書いてください。 三番と四番の枕詞を挙げ、それを訳から外して現代語に訳してください。外したことで意味が欠けるかどうかも書いてください。 一番から二十番までを、五首ずつ四回に分けて音読してください。最後の一回は本文を隠して再生し、聞こえた音だけで復唱してから本文と見比べてください。 この課のまとめ よく出る枕詞を十二だけ挙げます。掛かる語のほうから思い出せるようにしておくと、歌の中で見つけやすくなります。 枕詞 掛かる語 あしびきの 山・峰 ちはやぶる 神・宇治 たらちねの 母・親 ひさかたの 光・天・空・月 しろたへの 衣・袖・雪・雲 くさまくら 旅 ぬばたまの 黒・夜・闇・夢 あをによし 奈良 からころも 着る・裁つ・袖 あづさゆみ 引く・張る・射る あらたまの 年・月・春 ももしきの 大宮 十二のうち、字と読みがずれるのは三つだけです。「しろたへの」はしろたえの、「あをによし」はあおによし、「あづさゆみ」はあずさゆみ。どれも音編の規則がそのまま働いています。残りの九つは書いてあるとおりに読みます。 枕詞は訳さない。多くは五音で、掛かる語が決まっている。 初句とは限らない。三句に置かれることもある。 地名は枕詞ではない。意味が生きて景色を作っているなら、それは別のもの。 枕詞は暗誦の取っ手になる。掛かる語のほうから思い出せるようにしておく。 次の課へ 次は 13.1、第 1 期の門です。門は試験ではなく、通れるかどうかを自分で確かめる場所です。ここまでに置いてきた道具——読む音の八つの規則、活用の六つの形、過去・完了・打消の助動詞、係り結び、意味の動いた語——を一枚ずつ並べ直し、『徒然草』と『竹取物語』の書き出しをその全部の目で通します。そして二十首の暗誦を確かめます。通れば第 2 期に進み、そこから助動詞の家族が増え、敬語が入ってきます。 答え 枕詞があるのは十七番の ちはやぶる で、「神代」の「神」に掛かる。十六番は掛詞( いなば が因幡と往なば、 まつ が松と待つ)。十八番は掛詞( よる が寄ると夜)と、上の句がそれを導く序詞。十九番は掛詞( ふし が節と臥し、 よ が節と世)。二十番は掛詞( みをつくし が澪標と身を尽くし)。 三番は あしびきの で「山鳥」の「山」に掛かる。訳は「山鳥の垂れ下がった尾のように長い夜を、独りで寝るのだろうか」。意味は欠けない。四番は しろたへの で雪に掛かる。訳は「田子の浦に出てみると、富士の高嶺に雪が降り続いている」。こちらは白さが景色の中心なので、「真っ白な」を残したほうが歌に近い。 音読と暗誦の答えはありません。本文を見ずに二十首が言えれば、第 1 期の門の一つ目は通っています。 参考文献 藤原定家撰『小倉百人一首』3 番〜4 番・16 番〜20 番(Wikisource 版)。パブリックドメイン。漢字は通行の字体に改めた。出所: https://ja.wikisource.org/wiki/小倉百人一首