ガザーリー――原因と結果の結びつきは必然ではない(哲学者の矛盾) — Epoché
中世 イスラームとユダヤの哲学 約 16 分 本文 約 6,500 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 生涯・批判・因果の 3 つ 生涯 バグダードのニザーミーヤ学院の教授として名声の頂点にあった 1095 年、職を捨てて町を去った。のちに自伝『誤りから救うもの』で、確かな知を求めた懐疑とスーフィーの道への転回を語った。 批判 『哲学者の自己矛盾』で、哲学者たちの 20 の説が、彼らの誇る論証で示されていないことを示した。そのうち世界の永遠・神は個物を知らない・体の復活の否定の 3 つを、不信仰とした。 因果 第 17 問題で、火だけが燃やすとする立場に、綿を燃やすはたらきの主は神だと答えた(天使を通してか直接かは決めない)。観察は二つが一緒に起こることしか示さず、結びつきの必然を証明できない。 はじめに 火のついたマッチを綿に近づけると、綿は燃えます。私たちはこれを「火が綿を燃やした」と言って疑いません。前の課のイブン・スィーナーは、世界のすべては第一の必然存在から必然に生じると説きました。この考えでは、火が綿を燃やすことも必然の出来事です。 この課で読むガザーリーは、そこに待ったをかけました。『哲学者の自己矛盾』で、哲学者たちが「論証で示した」と誇る説を一つずつ点検し、その第 17 問題で、原因と結果の結びつきは必然ではないと論じたのです [1] 。 彼は、火を近づけても綿が燃えないことがある、と言ったのではありません。目で確かめられるのは、火に触れたときに綿が燃えるという、二つの出来事が一緒に起こることだけだ、と言うのです。では、燃やしているのは何なのでしょうか。ガザーリーの答えは、神です [1] 。 この課の問い 火が綿を燃やすのは必然なのでしょうか。私たちが見ているのは、本当に「火が燃やす」ことでしょうか。それとも「火に触れたとき燃える」ことだけでしょうか。 この課のことば ファルサファ アリストテレスと新プラトン派に学んだ、アラビア語の哲学の流れです。この課では、おもにファーラービーとイブン・スィーナーを指します。 論証(ブルハーン) 疑いの余地のない前提から、結論を必ず導く証明です。哲学者たちは、自分たちの説がこの仕方で示されていると考えていました。 不信仰(クフル) イスラームの外に出たと判定されることです。ただの誤りや「新奇な説(ビドア)」よりも、ずっと重い判定です。 アシュアリー派 ガザーリーが属した神学の学派です。神の力がすべてに及ぶことを強く守ります。学祖アシュアリーの古典的な機会原因論では、物に「本性」も、他を動かす力も認めません。 機会原因論 火と綿のように原因に見えるものは、神が結果をつくる「折(機会)」にすぎない、という考えです。結果をつくるのはいつも神です。名前は、のちの西洋の哲学の呼び名を当てたものです。 神の習い(アーダ) 神がいつも同じ順で出来事をつくる、そのいつものやり方です。私たちが「自然の法則」と呼ぶものは、この習いにあたります。 哲学者たちへの問い――火は本当に綿を燃やすのか イブン・スィーナーが没して半世紀余り後、イスラーム世界で最も名高い学者が、哲学者たちの議論を内側から点検しました。この章では、名声を捨てた学者の生涯、『哲学者の自己矛盾』の 20 の説と 3 つの不信仰、火と綿の例で示される因果の問いを、順に読みます。 名声の頂点で職を捨てる――懐疑とスーフィーの道 ガザーリーは、イラン北東部の町トゥースに生まれました。中世の歴史家は生年を 1058 年か 1059 年とします。しかし本人の手紙と自伝にある年齢の記述からは、1055 年か 1056 年と考えられます [1] [3] 。故郷で学んだ後、近くの町ニーシャープールのニザーミーヤ学院で、アシュアリー派の神学者ジュワイニーに学びました。これによって、セルジューク朝の宮廷に近づきます [1] 。 1055/56 年ごろ トゥースに生まれる(伝承では 1058/59 年) 1085 年まで ニーシャープールで ジュワイニーに学ぶ 1091 年 バグダードのニザーミーヤ学院に 任じられる 1093 年ごろ スーフィーの書に学び、暮らしを 変え始める 1095 年 職を捨ててバグダードを去る 1096 年 巡礼。のちトゥースに学校と 修道場を開く 1106 年 ニーシャープールの学院で 再び教える 1111 年 12 月 トゥースで没する 図 1 ガザーリーの生涯の年表です [1] [3] 。二つの主著が書かれた年は、ここでは確かめていないので載せていません。 1091 年、宰相ニザーム・アル=ムルクは、ガザーリーをバグダードのニザーミーヤ学院に任じました。彼はスルタンの宮廷とも、バグダードのカリフの宮廷とも深く結びつき、時代で最も影響力のある学者になります。その彼が 1095 年、突然に職を捨てて町を去りました (図 1) [1] 。 理由について、SEP は次のように整理します。ガザーリーは去る 2 年前から、スーフィー(イスラームの神秘家)の書の影響で暮らしを変え始めていました。そして、徳のある宗教の暮らしは、スルタンや宰相に仕えることと両立しないと悟りました。権力者の富を受ければ、その不正な支配に手を貸すことになるからです [1] 。バグダードを去った彼はダマスクスとエルサレムに向かい、ヘブロンのアブラハムの墓で、二度と権力に仕えず国の学院で教えないと誓いました [1] 。 1096 年に巡礼を果たした後、故郷トゥースに戻り、小さな学校とスーフィーの修道場を開きます。1106 年には誓いを破り、かつて学んだニーシャープールの学院で再び教えました。弟子たちには、世の中の神学の混乱と宮廷からの圧力のためだと説明しています [1] 。1111 年 12 月、トゥースで没しました [1] 。 後年の自伝『誤りから救うもの』で、ガザーリーはこの歩みをみずから語ります。そこでは、感覚も理性も確かな知を保証できないのではないか、という疑いに陥ったと述べます。そしてその病は、論証によってではなく、神が胸に投げ入れた光によって癒えた、と書いています。 ここで間違えやすい 二つの誤解に気をつけましょう。一つは、『誤りから救うもの』を、その時々の出来事を記した日記として読むことです。自伝は後年に書かれ、自分の歩みを一つの筋にまとめて示す書です(本教材の読み方)。もう一つは、職を捨てた理由を懐疑の病だけに帰すことです。SEP は、権力に仕えることへの倫理の上の疑いを挙げています [1] 。 『哲学者の自己矛盾』――20 の説と 3 つの不信仰 『哲学者の自己矛盾( Tahāfut al-falāsifa )』は、ガザーリーが哲学者たちへの「反駁」と自ら呼ぶ書です [1] 。哲学者たちは、自分たちの知り方である論証は、啓示とその解釈に拠る神学の知よりも上だと信じていました。ガザーリーは彼らの 20 の主要な説を取り上げ、どの説を支える議論も、哲学者自身が掲げた論証の基準を満たしていないことを示そうとしました [1] 。 ガザーリーの見るところ、それらの議論は、哲学者の仲間うちでだけ認められた、証明されていない前提に頼っています。彼らは学派の祖の教えを、確かめずにくり返しているにすぎない、というのです [1] 。20 の説のうち 16 は形而上学(神と存在の学)の説、4 は自然学の説です。最も長いのは、世界の永遠を論じる第 1 問題です (図 2) [1] 。 20 の説 形而上学 16・自然学 4。論証で 示されているかを点検 残りの 17 論証されていない。 宗教の上では 重くない(多くは 新奇な説) 不信仰とされる 3 世界の永遠・神は 個物を知らない ・魂は体に戻らない 図 2 『哲学者の自己矛盾』の 20 の説の分かれ方です。左は論証の不足を示すにとどまる説、右は結びで不信仰とされた説で、3 つともイブン・スィーナーの説です [1] 。 本教材の作例で、この批判の形を見ておきます。ある人が「この橋は絶対に落ちない。計算で証明した」と言うとします。点検する人は、橋が落ちると言うのではありません。その計算が、本当に「絶対」と言えるだけの証明かを確かめるのです。実際ガザーリーは、自分も正しいと認める説についても、それが論証されていないことを示しています [1] 。 書の終わりで、ガザーリーは 20 の説が宗教の法と衝突するかを問います。多くは誤りでも、宗教の上では重くない「新奇な説」だとします。しかし 3 つは不信仰だとしました (表 1) 。3 つともイブン・スィーナーの説で、啓示はその反対を示し、人々に宗教の法を軽んじさせるおそれもあるからです [1] 。法学者としてのガザーリーは、3 つを公に教える者は不信仰者だという短い法の判断を書き添えました [1] 。 この表で分かること: 不信仰とされた 3 つは、どれも神が世界にどうかかわるかの説で、啓示の教えと正面からぶつかります。 説 哲学者たちの説(ガザーリーの要約) 啓示の教え 論じる問題 世界の永遠 世界に時の始まりはない 神が時の中で世界を創った 第 1 問題 神の知 神は類だけを知り、個物を知らない 神は一人ひとりの行いを知る 第 13 問題 体の復活 死後、魂は体に戻らない 死後に体がよみがえる 第 20 問題 表 1 『哲学者の自己矛盾』の結びで不信仰とされた 3 つの説です [1] 。 表の「神の知」の説は、ガザーリーが批判のためにまとめた形です。イブン・スィーナー自身は、神は個々の物を、普遍的で時を超えた仕方で知ると論じました。ただの無知を説いたのではありません [4] 。 ここで間違えやすい 『哲学者の自己矛盾』を、宗教の熱心家が哲学そのものを退けた書と読まないようにしましょう。この読み方は、イブン・ルシュドの反論『矛盾の矛盾』を通して西洋で長く続きました。しかしいまでは、ある種類の哲学を論破する、それ自体が哲学の書だと認められています [1] 。また、20 の説がすべて不信仰とされたのでもありません。不信仰とされたのは 3 つだけです。 綿と火――見ているのは一緒に起こることだけ 第 17 問題は、因果に反対するために書かれたのではありません。クルアーンが伝える預言者の奇跡がありうることを、哲学者たちに認めさせるのがねらいです [1] 。冒頭でガザーリーは、ふだん原因と信じられているものと結果と信じられているものの結びつきは、「私たちによれば」必然ではない、と立場を示します。結びつきは、二つを並べてつくる神の先立つ決定によるのであって、それ自体で必然だからではない、というのです [1] [2] 。 続いて、火だけが燃やすとする第一の立場(イブン・スィーナーの説ではありません)への反論で、火と綿の例が出ます。綿が火に触れて燃えるとき、綿を黒くし、ばらばらにし、炭や灰にするはたらきの主は神であり、天使を通してか直接にかである、とガザーリーは言います (図 3) [1] [2] 。観察が示すのは、火に触れた「その時に」燃えることで、火「によって」燃えることではない、とも書きます [1] 。 第一の立場:火だけが燃やす 火が燃やす(必然) 綿 炎 火だけの力だ 見える出来事:触れて、燃える ガザーリーの反論:燃やすのは神 神 天使を通して か、直接か 綿 炎 見えるのは、触れた 時に燃えることだけ 触れた時に、神が燃やす 図 3 一つ目の絵は、火だけが燃やすとする第一の立場の見方です。二つ目の絵は、それへのガザーリーの反論で、同じ出来事を、触れた時に神が燃やすと説明します。目に見える出来事はどちらも同じです。火と綿の例は第 17 問題のもので、燭台・光・翼は本教材の描き方です。 大切なのは、ガザーリーが結びつきがあることを否定してはいない点です。否定したのは、それが必然だという考えです [1] 。神の力の内には、食べずに満ち足りることも、首を深く切られて生き続けることもある、と冒頭は続けます [1] 。火が綿を燃やさない世界も、心の中で思い描けます。思い描けるなら、その結びつきは必然ではありません。ガザーリーにとって、この世界は神の自由な選びの結果でした [1] 。 では、神はどう燃やすのでしょうか。イブン・スィーナーの説を扱う第二の立場への反論で、ガザーリーは二つの道を示します。一つ目の道は物の本性を認めず、神がそのつど直接に出来事をつくると説きます。私たちが見ているのは、その神の習いです。二つ目の道は物の本性を認めたうえで、私たちの知らない原因がまだあるかもしれない、と説きます [1] 。 ここで間違えやすい ガザーリーが「明日は火が燃やさないかもしれない」と説いた、と取らないようにしましょう。神は自分の習いを変えないとクルアーンが告げる、と彼は後の著作で書き、この世の秩序が変わらないことを認めています。通常の経験に反する奇跡も、神の計画の外にあるのではありません [1] 。また、機会原因論だけを説いたとも決められません。そこから離れなかったと読む研究者(マルムラ)と、二つの説明をどちらもありうるとしたと読む研究者(グリフェル)がいます [1] [3] 。 原典を読む アラビア語版ウィキソースには第 17 問題と結論までの転写がありますが、底本が示されず、本文に編集の見出しが混じります。そこで原文は載せず、SEP が引く英訳の箇所をもとに、本教材の言葉で要約します。訳ではありません。 ガザーリー『哲学者の自己矛盾』第 17 問題 燃やすのは火か、神か 第 17 問題は、相手の三つの「立場」を順に取り上げます。ここでは冒頭の文と、火だけが燃やすとする第一の立場への反論を扱います [1] 。 1 ガザーリーはまず、ふだん原因と結果と呼ばれるものの結びつきを、自分の学派は必然と認めない、と述べます。 2 二つが一緒に起こるのは、神が前もって決めて並べてつくるからだ、とします。 3 そして、食べずに満ち足りることも神の力の内にある、と続けます。 4 火だけが燃やすという第一の立場に対し、綿を黒くし灰にするはたらきの主は神で、天使を通してか直接かだ、と答えます。 5 観察で確かめられるのは、火に触れた時に燃えることまでだ、とします。 原典 1 ガザーリー『哲学者の自己矛盾』第 17 問題の冒頭と第一の立場への反