11.28 列子 湯問 — 伯牙、琴を鼓す — Epoché
この篇でできるようになること 文末の哉を、感嘆と反語に分けて訳せます。 二つの言い当てで、同じ形と替わる語を示せます。 善と動詞の組を、上手であるという現代語へ直せます。 前提 :11.27「莊子 逍遙遊 — 北冥に魚有り」。大きな景色のたとえから、音を山や川にたとえる言葉へ進みます。 弾くことと、聴くこと 列子の湯問篇から、琴を弾く伯牙と、聴く鍾子期の話を読みます。相手の心を理解する友をいう知音の語のもとになった話の一つです。ただし、この本文そのものに知音の語はありません。 初めの 伯牙善鼓琴,鍾子期善聽。 は、弾くのが上手な人と、聴くのが上手な人を並べます。 善 の後ろに動作が来ると、そのことが得意だという意味になります。現代語の 善于 ・ 很会 が手がかりです。 続く 志在登高山 は、高い山に登ることを思うと、という意味です。 在 の後ろに、登るという動詞のまとまりが置かれ、思いの向かう先を示します。流れる水への思いと並べ、音に表れる景色を、聴く側がどう言葉にするかを追います。 同じ形で、山と川を言い当てる 山の言葉 読み 川の言葉 読み 違い 峨峨 がが 洋洋 ようよう そびえる高さと水の広がり 兮 読まない(置き字) 兮 読まない(置き字) 同じ所で調子を区切る 若泰山 たいざんのごとし 若江河 こうがのごとし たとえる先が山と川に替わる 若 の後ろが、たとえる相手です。日本語では、泰山のようだ、と相手を先に読みます。現代語の 像 を使う形とも比べ、どの語が景色を示すかをつかんでください。 二度の言い当てを同じ形で置くため、一度だけ偶然当たったのではなく、聴き取る力があると受け取れます。 感嘆の結びと、歌の調子 善哉 は、みごとだなあ、という感嘆です。同じ善でも、後ろに動詞を続けて得意なことを述べる初めの形とは違います。文末の 哉 が気持ちの動きを結びます。 峨峨兮若泰山 の 兮 は xī と読み、歌の調子を区切る字です。日本語訳へ、であるよ、などの意味を追加する必要はありません。高くそびえ、泰山のようだという内容を訳し、音読では軽く伸ばします。 この字が、聴く側の言葉にも音楽のような調子を作っています。音の景色を当てるだけでなく、言葉の響きでも琴に応じていると読めます。 兮の一字ごとに、新しい意味の語を訳し足さないでください。内容を増やす字ではなく、ここでは言葉の調子を区切ります。 思った中身を受ける 伯牙所念 は、伯牙が思うもの、というまとまりです。動詞の前の 所 が、その動作の向かう中身を取り出します。 特別編 7篇 で見た形を使って読めます。 次の 鍾子期必得之 では、鍾子期が必ずそれを受け取ります。 之 の指すものは、前の伯牙の思った中身です。短い字を訳すときも、どこから受けた対象かを確かめてください。 鍾子期輒窮其趣 も、曲を奏でるたびに、その趣を知り尽くすことです。 輒 は、そのたびにきまって、の意味で、後ろの動作へつながります。繰り返し理解されることが、最後の伯牙の言葉へ進む根拠になります。 雨の場面で音が変わる 後半は 卒逢暴雨 と、にわかに激しい雨に遭う場面です。 卒 は、ここでは突然という意味です。ついに終わったと読むのでなく、山の北側で急に雨に降り込められた出来事を読みます。 岩かげに止まり、悲しくなって琴を引き寄せます。長雨や山の崩れる音を曲にしても、鍾子期は分かります。前半は山や水へ思いを向ける演奏でしたが、後半は雨に遭った悲しみから出る演奏です。思わず表れた心まで届いてしまう、と読むことができます。 乃舍琴 の 舍 は、すてるではなく、琴を置くという意味です。 舍 は 捨 に通じ、手から放して置くことです。弾く手を止めて言葉に移る動作です。 卒は、長く待った末についに、ではありません。急な雨がきっかけとなり、弾く人の気持ちと曲が変わります。 どこにも音を逃がせない 子之聽夫 の 夫 は、ここでは文末の感嘆の語気詞です。夫という人を新しく出しているわけではありません。あなたの聴きようは、と驚く言葉を結びます。 続く 志想象猶吾心也 は、伯牙が鍾子期に向かって言う句です。あなたが思い描くものは、私の心と同じだ、という意味です。曲の景色を当てるだけでなく、弾く人の心と同じものを思い描いている、と伯牙は認めています。 最後の 吾於何逃聲哉 は、私はどこへ自分の音を逃がせようか、どこにも隠せない、という反語です。逃げるのは音の方で、音から逃げるのではありません。 於何 では、介詞の後に場所を問う語が来ます。現代語の 在哪儿 とも比べられます。 直前には、みごとだという感嘆がありますが、最後の一句は単純なほめ言葉ではありません。心を音にすれば、相手に届いてしまい、逃げ場がないという言い方です。理解される喜びだけでなく、隠せなくなる感じも読む余地があります。 語釈 語 品詞 意味 日本語との差 例文 訳 善 動詞 得意である 感嘆のみごとだと分ける 善鼓琴 琴を弾くのが上手だ 峨峨 形容の語 高くそびえる様子 山の高さをいう 峨峨兮若泰山 高くそびえて泰山のようだ 洋洋 形容の語 広々と豊かな様子 流れる水をいう 洋洋兮若江河 広々として江河のようだ 兮 助詞 歌の調子を区切る 訳語を足さない 峨峨兮若泰山 高くそびえて泰山のようだ 卒 副詞 にわかに ここでは突然の出来事 卒逢暴雨 にわかに激しい雨に遭う 霖雨 名詞 長く続く雨 曲の題材 霖雨之操 長雨の曲 輒 副詞 そのたびにきまって 繰り返す反応 輒窮其趣 そのたびに趣を知り尽くす 舍 動詞 置く ここでは置く 乃舍琴 そこで琴を置く 夫 語気詞 感嘆を結ぶ ここでは文末の語 子之聽夫 あなたの聴きようは 哉 語気詞 感嘆・反語を結ぶ 文全体で働きを分ける 吾於何逃聲哉 私はどこへ自分の音を逃がせようか 練習 空欄を埋めて本文のまとまりを書いてください。 善_!峨峨兮若泰山 空欄を埋めて本文のまとまりを書いてください。 峨峨__泰山 空欄を埋めて本文のまとまりを書いてください。 伯牙_念 空欄を埋めて本文のまとまりを書いてください。 鍾子期_窮其趣 空欄を埋めて本文のまとまりを書いてください。 吾於何逃聲_ 鍾子期の山と川の言葉は、書き下しでは「峨峨として泰山のごとし」「洋洋として江河のごとし」と読みます。この二つを本文の字の順へ戻して書いてください。替わる語も挙げます。 伯牙善鼓琴,鍾子期善聽。 を、二人がそれぞれ何をするのが上手か分かる現代語にしてください。 本文の 哉 を、感嘆と反語に分けてください。 前半と後半の演奏の違いと、最後の言葉が単純なほめ言葉ではない理由を説明してください。 前の課で学んだ 诗人 ・ 宁静 ・ 激动 ・ 感兴趣 を使い、琴の曲を聴いた人の気持ちを現代語の文で二つ書いてください。どちらの文にも、聴いた場面か曲を入れます。 峨峨兮若泰山 を訳し、 兮 が訳に出ないことを確かめてください。 音読:次の原文の句を ▶ で聞き、声に出して読んでください。 峨峨兮若泰山! ▶ の手本を聞き、 兮 を軽く伸ばして音読してください。 この篇のまとめ 弾く人と聴く人を、同じ形の言い当てから読みました。哉の働きを文全体で分け、歌の調子を作る字と、突然の場面転換を受け取ります。 次の篇へ 次の11.29からは戰國策に進みます。畫蛇添足を読み、余計なことを足して失う場面から、反語と、今にも動こうとする形を確かめます。 答え 善哉!峨峨兮若泰山 峨峨兮若泰山 伯牙所念 鍾子期輒窮其趣 吾於何逃聲哉 峨峨兮若泰山 洋洋兮若江河 峨峨 ・ 洋洋 と 泰山 ・ 江河 が替わります。 伯牙很会弹琴。 钟子期很会听琴。 書き言葉では、 很会 の代わりに 善于 も使います。 善哉 は感嘆、 吾於何逃聲哉 は反語です。 前半は山や水へ思いを向けて弾き、後半は突然の雨で悲しくなって弾きます。その心まで言い当てられ、伯牙は 志想象猶吾心也 と、鍾子期の思い描くものが自分の心と同じだと認めます。そのため最後には、自分の音(心)をどこにも隠せないと言うのです。 诗人在山下听琴,很激动。 这首曲子很宁静,我很感兴趣。 高くそびえて、泰山のようだ。 峨峨 (高くそびえる)と 若泰山 (泰山のようだ)だけを訳し、 兮 は調子を区切る字なので訳に出ません。書き下し「峨峨として泰山の若し」でも読みません。 参考文献 列禦寇(伝)『列子 湯問』。パブリックドメイン(著者没後70年経過)。本文は抄。 出所: 当館所蔵の文書