8.149 人知原理論 — 当たり前の一歩から、飛ぶ — Epoché
この篇でできるようになること ★ 術語を順に定義していく 書き方が読める。 ★ 語の意味を問い直す ことの力が分かる。 ★ 読む人の常識を、先に名ざす 形が読める。 ★ どこで飛んだか を自分で探せる。 前提 : 8.148 まで。型は 3.48 まで。 読む前に ★ 先に、結論を言ってしまいます。 ★ この本の結論は 「在るとは、知覚されることである」 ——★ ラテン語で esse is percipi です。 ★ つまり、 誰も見ていない机は、無い ということになります。★ ふつうに考えれば、おかしい です。 ★ けれども、 そこへ至る道は一歩ずつ当たり前 です。 ★ この課の仕事は、 どこで飛んだのかを探すこと です。 どう読むか なぜ ★ 結論に驚いて止まらない ★ 止まると道が見えない ★ 一文ずつ「認めるか」と自分に問う ★ 認められなくなった一文が、飛んだところ ★ 8.141 読編 で「問いのどれか一つに『いいえ』と答えられないか試す」と置きました。 ★ ここが、その本番 です。 原文 原文は別の文書にあります(作品ページの「原文」)。本文は 1299 語、文は 44 本、一文の平均は 29.5 語、いちばん長い一文は 121 語です。 ★ 「観念」が 16 回、「知覚する」が 27 回 出ます。★ この二語だけで、本の骨ができています。 ★ 本文には、 版元が付けた印 が入っています —— 1. OBJECTS OF HUMAN KNOWLEDGE.-- のような★ 大文字の小見出し と、★ [Note.] という注の印 です。★ 8.146 読編 と同じで、 本文ではありません 。 全訳 原文の全訳です。この課程のために、原文に沿って訳しました。番号は原文の段落の番号で、原文と行き来できます。 一 人が知るものの対象。――人が知るものの対象を見渡す人なら誰にでも明らかなことですが、それらは、実際に感覚に刻まれた 観念 であるか、心の情念やはたらきに注意を向けることで知覚されるものであるか、あるいは最後に、記憶と想像の助けで作られる観念――先に述べた仕方でもともと知覚されたものを、組み合わせたり、分けたり、ただそのまま思い浮かべたりするもの――であるか、のいずれかです。視覚によって、私は光と色の観念を、そのさまざまな度合いや変化とともに得ます。触覚によって、私は硬いと柔らかい、熱いと冷たい、動きと抵抗を知覚し、そのすべてについて、量や度合いの多い少ないを知覚します。嗅覚は私ににおいを与え、舌は味を与え、聴覚は音を、そのあらゆる調子と組み立ての多様さとともに心へ運びます。そして、これらのいくつかがたがいに伴い合うと観察されると、それらは一つの名で呼ばれるようになり、そうして一つのものと見なされるようになります。たとえば、ある色、味、におい、形、固さがいっしょに現れると観察されると、それらは一つの別個のものと数えられ、 りんご という名で表されます。ほかの観念の集まりは、石、木、本、そのほか同じような感覚で捉えられるものを作ります――そしてそれらは、快いか不快かに応じて、愛、憎しみ、喜び、悲しみなどの情念をかき立てます。 二 心――霊――魂。――しかし、こうした観念、つまり知るものの対象の果てしない多様さのほかに、それらを知る、あるいは知覚するもの、そしてそれらについて、意志する、想像する、記憶するといったさまざまなはたらきをするものも、同じようにあります。この知覚し、はたらく存在こそ、私が 心 、 霊 、 魂 、あるいは 私自身 と呼ぶものです。これらの語で私が指しているのは、私の観念のどれか一つではなく、観念とはまったく別のもの、 観念がそのなかに存在するもの 、あるいは同じことですが、観念がそれによって知覚されるもののことです――というのも、観念の存在は、知覚されることにあるからです。 三 世間の人の同意はどこまで認められるか。――私たちの思いも、情念も、想像によって作られる観念も、心の 外に は存在しないということは、 誰もが認めるでしょう 。そして、感覚に刻まれたさまざまな感覚や観念も、どれほど混ぜ合わされ組み合わされていようと(つまり、どんな対象を作っていようと)、それらを知覚する心の なかに しか存在しえないということも、それに劣らず明らかに思われます。感覚で捉えられるものに当てはめたとき、 存在するという語で何が意味されているか に注意を向ける人なら誰でも、このことについて直観的な知識を得られると私は思います。私が書きものをしているこの机は存在する、と私は言います。つまり、私はそれを見て、触れているのです。そして、もし私が書斎の外にいたなら、それは存在した、と言うでしょう――その意味は、もし私が書斎にいたらそれを知覚できるだろう、あるいはほかの何かの霊が実際にそれを知覚している、ということです。〔注〕においがあった、つまり、それは嗅がれた。音があった、つまり、それは聞かれた。色や形があった、そしてそれは視覚や触覚で知覚された。こうした言い方や同じような言い方で私が理解できるのは、これだけです。というのも、考えないものが、知覚されることとまったく関わりなく絶対的に存在する、と言われることについては、まったく理解できないように思われるからです。それらの 在ること は 知覚されること であり、それらを知覚する心、つまり考えるものの外に、それらが何らかの存在をもつことはありえません。 〔注:著者の説を支える第一の論証。〕 四 世間の意見は矛盾を含む。――たしかに、家も、山も、川も、ひとことで言えば感覚で捉えられるあらゆる対象が、知性によって知覚されることとは別に、自然な、あるいは実在の存在をもっている、という意見は、人々のあいだに 奇妙にも 広く行きわたっています。しかし、この原理が世の中でどれほど大きな自信と黙従をもって受け入れられていようとも、心の底からそれを疑ってみようとする人なら誰でも、私の思い違いでなければ、それが明らかな矛盾を含んでいることに気づくでしょう。というのも、先に挙げた対象は、私たちが感覚で知覚するもの以外の何でしょうか。そして、私たちは 自分自身の観念や感覚のほかに何を知覚する というのでしょうか。そして、これらのどれか一つが、あるいはそれらの組み合わせが、知覚されずに存在するというのは、明らかに矛盾していないでしょうか。 五 この広く行きわたった誤りの原因。――この教えを徹底的に調べてみれば、おそらくそれは、つきつめれば 抽象観念 の学説に依っていることが分かるでしょう。というのも、感覚で捉えられる対象の存在を、それが知覚されることから区別して、知覚されずに存在していると考えることほど、精妙な抽象のはたらきがありうるでしょうか。光と色、熱と冷たさ、広がりと形――ひとことで言えば、私たちが見たり触れたりするもの――は、それだけの数の感覚、概念、観念、あるいは感覚に刻まれた印象以外の何でしょうか。そして、これらのどれかを、たとえ考えのなかでであっても、知覚から切り離すことができるでしょうか。私としては、あるものをそれ自身から切り離すのと同じくらいたやすいことだと思います。たしかに私は、もしかすると感覚によってそのように分かれた形では一度も知覚したことのないものを、考えのなかで分けたり、たがいに切り離して思い浮かべたりすることはできます。たとえば、私は人の体の胴を手足なしに想像したり、ばらの香りを、ばらそのものを考えずに思い浮かべたりします。そこまでは、認めないわけではありませんが、私は抽象することができます――ただし、実際に別々に存在しうる、あるいは実際に別々に知覚されうる対象を、別々に思い浮かべることにしか及ばないものを、本来 抽象 と呼んでよいのならの話です。しかし、私の思い浮かべる力、想像する力は、実在の存在や知覚の可能性を越えては及びません。それゆえ、あるものを、そのものの実際の感覚なしに見たり触れたりすることが私にとってできないのと同じように、感覚で捉えられるものや対象を、その感覚や知覚から区別して考えのなかで思い浮かべることも、私にはできないのです。〔注〕 〔注:「実のところ、対象と感覚は同じものであり、それゆえたがいから抽象することはできない――一七一〇年版。」〕 六 真理のなかには、心にとってあまりに近く明らかなので、目を開けさえすれば見えるものがあります。この重要な真理もその一つだと私は考えます。すなわち、天のすべての星々も、地のすべての備えも、ひとことで言えば世界の壮大な骨組みを作るすべての物体は、心がなければ何の存立ももたないということ、それらの 在ること(エッセ) は知覚されること、あるいは知られることであるということ、したがって、それらが私によって実際に知覚されていないかぎり、あるいは私の心やほかの何かの 造られた霊 の心のなかに存在していないかぎり、それらはまったく存在をもたないか、 さもなければ何かの永遠の霊の心のなかに存し続けている かのどちらかでなければならない、ということです――それらのどの一部分にであれ、霊から独立した存在を帰すことは、まったく理解できないことであり、抽象のあらゆるばかばかしさを含んでいるからです〔注〕。このことを確信するには、読者はただ省みて、感覚で捉えられるものの在ることを、それが知覚されることから、自分の考えのなかで切り離そうと試みさえすればよいのです。 〔注:「このことを、公理のもつあらゆる明るさと明らかさをもって示すには、読者の省みる心を呼び覚まし、言葉のあらゆるもつれや、受け入れられている誤りへの先入観から自由に、とらわれずに、読者が自分の言いたいことを公平に眺め、主題そのものに考えを向けるようにできさえすれば、それで十分だと思われる。」――一七一〇年版〕 七 第二の論証。〔注〕――これまで述べたことから、 霊、つまり知覚するもののほかには、どんな実体もない ということが出てきます。しかし、この点をもっと十分に証明するために、感覚で捉えられる性質とは、色、形、動き、におい、味など、つまり感覚によって知覚される観念だ、ということを考えてみてください。さて、観念が知覚しないもののなかに存在するというのは明らかな矛盾です。 観念をもつことは、知覚することとまったく同じ だからです。それゆえ、色や形やそれに類する性質がそのなかに存在するものは、それらを知覚しなければなりません。このことから、それらの観念の 考えない 実体、つまり 基体 はありえない、ということは明らかです。 語釈 帯の外の語は 58 語です。★ 大文字の語の多くは、 版元の小見出しの語 です。★ 拾ってほしいのは esse (在ること)と percipi (知覚されること) ——★ どちらもラテン語 で、★ この本でいちばん有名な二語 です。 語(品詞) 意味 注 ABSTRACTION en 名 抽象(版元が付けた節の見出し) ASSENT en 名 同意(版元が付けた節の見出し) CONCEDED en 動 認めた(版元が付けた節の見出し) ESSE en 動 「在る」。ラテン語 ETERNAL en 形 永遠の PERCIPI en 動 「知覚されること」。ラテン語 PREVALENT en 形 広く行きわたった STRANGELY en 副 奇妙にも SUBSIST en 動 存し続ける SUBSTRATUM en 名 下に横たわるもの。基体 UNTHINKING en 形 考えない VULGAR en 名 一般の人びと( the vulgar ) WHEREIN en 接 そのなかで absurdity en 名 ばかげていること The old judge quickly saw the absurdity of the merchant's claim. その老いた裁判官は、その商人の主張のばかげていることにすぐに気づきました。 acquiescence en 名 黙って従うこと Her silent acquiescence surprised everyone who expected a fierce argument. 彼女の黙って従うことは、激しい言い争いを予想していた誰もを驚かせました。 aforesaid en 形 前に述べた The aforesaid field shall remain the property of the eldest son. 前に述べた畑は、長男の財産のままとします。 assurance en 名 揺るがぬ自信 His calm assurance convinced the frightened crew that the ship was safe. 彼の落ち着いた揺るがぬ自信は、おびえた乗組員たちにその船が安全だと確信させました。 asunder en 副 ばらばらに The old bridge was torn asunder by the sudden spring flood. その古い橋は、突然の春の洪水でばらばらに引き裂かれました。 awaken en 動 目ざめさせる The rooster's crow would awaken the whole farm before sunrise. そのおんどりの鳴き声は、日の出前に農場じゅうを目ざめさせました。 blended en 動 混ぜ合わされた The colors blended smoothly as the painter mixed her fresh pigments. その画家が新しい絵の具を混ぜると、色は滑らかに混ぜ合わされました。 choir en 名 一群( choir of heaven =天の星々) The small choir practiced every evening before the winter festival. その小さな聖歌隊は、冬祭りの前に毎晩練習しました。 consistence en 名 固さ。つじつま The old cook judged the sauce's consistence with a single careful taste. その老いた料理人は、そのソースの固さを一度の注意深い味見で判断しました。 c