6.39 날개(翼)抄 — Epoché
前提 ぜんてい : 6.38 まで。 この 篇 へん でできるようになること 語りかける かたりかける 文末 ぶんまつ と 物語 ものがたり の 文末 ぶんまつ を 見分け みわけ 、 今 いま の 文体 ぶんたい に 言い換え いいかえ られる。 「 私 わたくし 」が 分から わから ないと 言う いう 事柄 ことがら を 挙げ あげ 、 意志 いし と 推量 すいりょう を 区別 くべつ できる。 二 ふた つの 部屋 へや と 日ざし ひざし を 比べ くらべ 、 貯金 ちょきん 箱 ばこ の 筋 すじ を 短い みじかい 文 ぶん でまとめられる。 この 文章 ぶんしょう について 李箱 りそう の『 翼 つばさ 』の 冒頭 ぼうとう から 貯金 ちょきん 箱 ばこ の 挿話 そうわ までを 抄 しょう で 読み よみ ます。 冒頭 ぼうとう は 読者 どくしゃ への 語りかけ かたりかけ のような 断章 だんしょう で、その 後 あと に 三十 さんじゅう 三 さん 番地 ばんち の 暮らし くらし が 現れ あらわれ ます。 最初 さいしょ は 三十 さんじゅう 三 さん 番地 ばんち の 段 だん から 読み よみ 、 部屋 へや と 妻 つま と「 私 わたくし 」の 関係 かんけい をつかんでから 冒頭 ぼうとう へ 戻っ もどっ てもよいでしょう。 冒頭 ぼうとう の 굿바이 は 四 よん 回 かい 現れ あらわれ 、 話題 わだい を 切る きる 響き ひびき を 作り つくり ます。 外来語 がいらいご のウィットやパラドックスの 隣 となり に 漢語 かんご の 四 よん 字句 じく が 並ぶ ならぶ 、 言葉 ことば の 取り合わせ とりあわせ にも 注目 ちゅうもく します。 語釈 ごしゃく — 部屋 へや の 品物 しなもの 語 ご 本文 ほんぶん での 意味 いみ 위트 ・ 패러독스 ・ 포우즈 機知 きち ・ 逆説 ぎゃくせつ ・ポーズ。 筋 すじ を 追う おう よりも、 語り かたり の 姿勢 しせい を 考える かんがえる 手がかり てがかり です。 질풍신뢰 ・ 광대무변 疾風 しっぷう 迅雷 じんらい ・ 広大 こうだい 無辺 むへん 。 地球 ちきゅう の 速 はや さと 空間 くうかん の 広がり ひろがり を 語る かたる 言葉 ことば 。 탕고도오랑 ・ 지리가미 ・ 사루마다 化粧 けしょう 品 ひん の 名 な ・ 塵紙 ちりし ・ 猿股 さるまた 。 匂い におい や 衣服 いふく を 通し とおし て 暮らし くらし が 描か えがか れます。 벙어리 ・ 저금통 本文 ほんぶん では 貯金 ちょきん 箱 ばこ のこと。 今 いま 、 物 もの を 指す さす ときは 저금통 を 使い つかい ます。 벙어리 は 人 ひと を 呼ぶ よぶ と 侮蔑 ぶべつ 的 てき になる 語 ご です。 책보 ・ 손수건 ・ 장지 本 ほん を 包む つつむ 布 ぬの ・ハンカチ・ 部屋 へや を 仕切る しきる 引き戸 ひきど 。 布 ぬの の 大き おおき さで 日ざし ひざし をたとえます。 책보만한 底本 ていほん の 古い ふるい 分かち書き わかちがき 。ふつうは 책보만 한 と 分け わけ て 書き かき ます。 文法 ぶんぽう メモ — 語りかけ かたりかけ と 見込み みこみ 冒頭 ぼうとう の 하오 体 からだ の 오 ・ 소 は、 相手 あいて へ 語りかける かたりかける 文末 ぶんまつ です。 유쾌하오 は「 愉快 ゆかい だ」、 맑소 は「 澄ん すん でいる」、 말이오 は「という 話 はなし だ」。 物語 ものがたり に 入る はいる と 없다 ・ 잔다 のような 한다 体 からだ が 中心 ちゅうしん になります。 하오 体 からだ の 오 と 해요 体 からだ の 요 は、それぞれ 違う ちがう 文末 ぶんまつ の 一部 いちぶ です。 今 いま の 해요 体 からだ へ 移す うつす なら、 名詞 めいし は 이에요 ・ 예요 、 形容 けいよう 詞 し は 아 ・ 어 を 用いる もちいる 形 かたち にします。 名詞 めいし の 後 あと の 오 だけを 요 に 取り替える とりかえる のでなく、 文末 ぶんまつ 全体 ぜんたい を 変え かえ ます。 모르고 말려나보다 は「 知ら しら ないまま 終わり おわり そうだ」。 自分 じぶん の 行く末 ゆくすえ を 外 そと から 眺める ながめる ような 推量 すいりょう です。 있으리까 ・ 누가 알랴 は「いるだろうか」「 誰 だれ が 知ろう しろう か」という 問い とい を 通し とおし て、 語り手 かたりて の 考え かんがえ を 強め つよめ ます。 推量 すいりょう は、どうなりそうかという 見込み みこみ です。 려고 하다 は 自分 じぶん がしようとする 意図 いと を 示し しめし ます。「 分から わから ないまま 終わり おわり そうだ」という 文 ぶん では、 知ら しら ないことを 目的 もくてき に 選ん えらん でいるわけではなく、 先 さき を 見込ん みこん でいます。 만 하다 は「〜ほどの 大き おおき さだ」。 朝 あさ の 日ざし ひざし と 午後 ごご の 日ざし ひざし を、それぞれ 違う ちがう 布 ぬの にたとえています。 버리고 버리고 や 뿐이고 뿐이고 の 重なり かさなり は、 行き詰まり いきづまり や 同じ おなじ 状態 じょうたい の 繰り返し くりかえし を 響か ひびか せます。 読み よみ どころ — 分かる わかる ことと 想像 そうぞう すること 妻 つま の 部屋 へや には 日ざし ひざし と 服 ふく と 化粧 けしょう 品 ひん があり、「 私 わたくし 」の 部屋 へや は 暗く くらく 、 服 ふく も 乏しい とぼしい 。それでも「 私 わたくし 」は 部屋 へや が 体 からだ と 心 こころ にぴったり 合う あう と 語り かたり ます。 居心地 いごこち がよいという 評価 ひょうか と、 見え みえ ている 暮らし くらし を 比べ くらべ ましょう。 「 私 わたくし 」は 妻 つま の 職業 しょくぎょう も 金 かね の 理由 りゆう も 分から わから ないと 言い いい ます。 客 きゃく の 出入り でいり 、 時刻 じこく 、 二 ふた つの 部屋 へや 、 銀貨 ぎんか を 重ね かさね て 読む よむ と、 本人 ほんにん の 説明 せつめい を 越え こえ た 関係 かんけい がうかがえます。かんざしの 登場 とうじょう も、 貯金 ちょきん 箱 ばこ の 金 かね が 減っ へっ た 証拠 しょうこ なのかと 語り手 かたりて が 疑う うたがう 形 かたち です。 妻 つま が 開け あけ たところを 見 み たという 事実 じじつ とは 分け わけ ます。 銀貨 ぎんか を 受け取り うけとり 、 入れ いれ 、 最後 さいご には 貯金 ちょきん 箱 ばこ を 捨てる すてる 。 金 かね の 意味 いみ を 考える かんがえる ことと、 指 ゆび に 触れる ふれる 感触 かんしょく を 楽しむ たのしむ ことの 隔たり へだたり が 現れ あらわれ ます。 叱ら しから れるのを 待つ まつ 「 私 わたくし 」に 妻 つま が 何 なん も 言わ いわ ない、その 沈黙 ちんもく まで 読み よみ ましょう。 対訳 たいやく 「 剥製 はくせい になってしまった 天才 てんさい 」をご 存じ ぞんじ か。 私 わたくし は 愉快 ゆかい である。こんなとき、 恋愛 れんあい までが 愉快 ゆかい である。 肉 にく 身 み がぐったりぐったりするほど 疲れ つかれ たときだけ、 精神 せいしん が 銀貨 ぎんか のように 澄む すむ 。ニコチンが 回虫 かいちゅう による 腹痛 はらいた を 抱え かかえ た 私 わたくし の 腹 はら の 中 なか に 染みこむ しみこむ と、 頭 あたま の 中 なか には 決まっ きまっ て 白紙 はくし が 用意 ようい されるものである。その 上 うえ に 私 わたくし は、ウィットとパラドックスを 碁 ご の 布石 ふせき のように 並べる ならべる 。 憎む にくむ べき 常識 じょうしき の 病 やまい である。 私 わたくし はまた、 女人 にょにん と 生活 せいかつ を 設計 せっけい する。 恋愛 れんあい の 技法 ぎほう にまでも 打ち解け うちとけ なくなった 知性 ちせい の 極致 きょくち を、ちらりとのぞいてみたことのある、 言っ いっ てみれば 一種 いっしゅ の 精神 せいしん 分 ぶん 逸 いつ 者 もの という 意味 いみ である。こういう 女人 にょにん の 半分 はんぶん ——それはあらゆるものの 半分 はんぶん である——だけを 受け取る うけとる 生活 せいかつ を 設計 せっけい する、という 話 はなし である。そういう 生活 せいかつ の 中 なか に 片足 かたあし だけを 踏み入れ ふみいれ て、あたかも 二 ふた つの 太陽 たいよう のように 向かい合っ むかいあっ て 見上げ みあげ ながら、けらけら 笑う わらう のである。 私 わたくし はおそらく、いいかげん 人生 じんせい のもろもろの 行い おこない が 味気なく あじけなく て 耐え たえ られなくなって、やめてしまったらしい。グッバイ。 グッバイ。あなたはときどき、あなたがいちばん 嫌う きらう 食べ物 たべもの を むさぼり食う むさぼりくう というアイロニーを 実践 じっせん してみるのもよさそうだ。ウィットとパラドックスと……。 あなた 自身 じしん を 偽造 ぎぞう するのも、やってみるだけのことはある。あなたの 作品 さくひん は、 一 いち 度 ど も 見 み たことのない 既製 きせい 品 ひん によって、むしろ 手軽 てがる に、そして 高邁 こうまい になるだろう。 十 じゅう 九 きゅう 世紀 せいき は、できることなら 封鎖 ふうさ してしまいなさい。ドストエフスキー 精神 せいしん というものは、ややもすれば 浪費 ろうひ であるようだ。ユゴーをフランスのパン 一 ひと 切れ きれ だと 言っ いっ たのは 誰 だれ だったか、 至言 しげん であるようだ。しかし 人生 じんせい 、あるいはその 模型 もけい において、「ディテール」のために 騙さ だまさ れるなどしてよいものか。 腹 はら を 立て たて ないでほしい。どうかあなたに 申し上げる もうしあげる のだから……。 「テープが 切れ きれ たら 血 ち が 出る でる 。 傷も いたも ほど 遠く とおく ないうちに 治る なおる と 信じる しんじる 。グッバイ。」 感情 かんじょう はある 種 しゅ の「ポーズ」。(その「ポーズ」の 元素 げんそ だけを 指し さし ているのではないか、 私 わたくし にも 分から わから ない。)そのポーズが 不動 ふどう の 姿勢 しせい にまで 高度 こうど 化 か したとき、 感情 かんじょう はぴたりと 供給 きょうきゅう を 停止 ていし いたします。 私 わたくし は 私 わたくし の 非凡 ひぼん な 発育 はついく を 回顧 かいこ して、 世 よ を 見る みる 眼目 がんもく を 規定 きてい した。 女王 じょおう 蜂 はち と 未亡人 みぼうじん —— 世 よ の 数 かず 多い おおい 女人 にょにん のうち、 本質 ほんしつ 的 てき にすでに 未亡人 みぼうじん でない 者 もの があろうか。いや、 女人 にょにん の 全部 ぜんぶ がその 日常 にちじょう において、 一人一人 ひとりひとり 「 未亡人 みぼうじん 」であるという 私 わたくし の 論理 ろんり が、 思いのほか おもいのほか 女性 じょせい に 対する たいする 冒瀆 ぼうとく になるか。グッバイ。 その 三十 さんじゅう 三 さん 番地 ばんち というものは、 構造 こうぞう があたかも 遊郭 ゆうかく のようだという 感じ かんじ がしないでもない。 一 ひと つの 番地 ばんち に 十 じゅう 八 はち 戸 こ がずらりと 肩 かた を 並べ ならべ て 連なっ つらなっ て、 窓 まど と 戸 と が 同じ おなじ で、かまどの 形 かたち が 同じ おなじ である。そのうえ、 各戸 かっこ に 住む すむ 人 ひと たちが 房 ぼう 々の 花 はな のように 若い わかい 。 日 ひ が 入ら はいら ない。 日 ひ が 入る はいる のを 彼 かれ らが 知ら しら ぬふりをするからである。 軒先 のきさき ( 窓 まど のすぐ 前 まえ )に 針金 はりがね を 張っ はっ て、 汚れ よごれ のついた 布団 ふとん を 干し ほし て 乾かす かわかす という 口実 こうじつ で、 障子 しょうじ に 日 ひ が 入る はいる のをふさいでしまう。 薄暗い うすぐらい 部屋 へや の 中 なか で 昼寝 ひるね をしている。 彼 かれ らは 夜 よる には 眠ら ねむら ないのか。 分から わから ない。 私 わたくし は 夜 よる でも 昼 ひる でも 寝 ね てばかりいるので、そういうことを 知る しる 手だて てだて がない。 三十 さんじゅう 三 さん 番地 ばんち 十 じゅう 八 はち 戸 こ の 昼 ひる は、まことに 静か しずか である。 静か しずか なのは 昼 ひる だけである。 薄暗く うすぐらく なると、 彼 かれ らは 布団 ふとん を 取り入れる とりいれる 。 電灯 でんとう がついたあとの 十 じゅう 八 はち 戸 こ は、 昼 ひる よりずっと 華やか はなやか である。 日 ひ が 暮れる くれる まで 障子 しょうじ を 開け閉め あけしめ する 音 おと がしきりだ。 忙しく いそがしく なる。いろいろな 匂い におい がしはじめる。にしんを 焼