クーン――科学はパラダイムの転換で変わる(パラダイム・科学革命) — Epoché
現代 科学哲学と認識論 約 19 分 本文 約 7,800 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 通常科学・革命・通約の 3 つ 通常科学 成熟した科学の研究者たちは、手本となる業績(パラダイム)を共有し、それが示すパズルを、それが示すやり方で解く。手本は新しいパズルを示し、解き方を示し、解けたかどうかの物差しになる、とクーンは言う(『科学革命の構造』1962、第 2 版 1970)。 革命 手本に合わない変則は、ふだんは無視されるか言い繕われ、一つで理論を倒しはしない。通常科学の実践を揺るがす変則が積み重なると危機が起き、新しい手本が古いものに取って代わる。古い説明の一部は失われるが、問題を解く力は全体として増す、とクーンは言う。 通約 異なる手本のもとの理論には、両方を測る共通の物差しが無い。評価の基準も、何が見えるかも、語の意味も、手本とともに変わる。ただしクーンは、比べられないとは言わず、世界そのものが理論で作られるとも言わなかった。 はじめに 理科の教科書を開くと、科学は昔の誤りを少しずつ正し、正しい知識を一つずつ積み上げてきたように見えます。この課で読むクーンは、その見取り図に歴史の側から疑いを向けました。 物理学者だったクーンの転機は、ハーバード大学で人文系の学生に歴史上の事例で科学を教えていたころに来ます。初めて昔の科学の本を細かく読み、アリストテレスの自然学に当惑したのち、のちの知識に歪められずに、ほとんど突然それを正しく理解できるようになったのです [1] 。昔の科学は、今の科学の出来の悪い下書きではなく、それ自体で筋の通った一つの見方だった、という気づきでした。 この経験から生まれたのが、1962 年の『科学革命の構造』です [1] [2] 。クーンは、科学はふだん一つの手本(パラダイム)に従って地道に問題を解き、ときに手本そのものが入れ替わる「革命」を経て変わる、と論じました。 この本は、科学を非合理な営みにするものだ、という批判も受けました [1] 。科学は合理的なのか、進歩するのか、という問いへのクーンの答えを、この課で読みます。 この課の問い 理科の教科書を読むと、科学は正しい知識を一つずつ積み上げてきたように見えます。けれども、天文学が地球中心から太陽中心へ、化学が燃素から酸素へと変わったとき、起きたのは本当に積み上げだったのでしょうか。手本が入れ替わるとき、科学者にとって何がどう変わるのでしょうか。 この課のことば パラダイム 一つの分野の研究者たちが、よい研究の手本として共有する業績(ニュートンの『プリンキピア』など)。理論だけでなく、それで実際に解いた問題と使った技法を含みます。広い意味では、共有する前提の全体(専門母型)も指します [1] 。 専門母型(せんもんぼけい) 英語の disciplinary matrix。一つの分野の研究者たちが共有する、理論・価値・道具・技法・世界についての前提のひとまとまり。『構造』第 2 版の補章で、クーンが広い意味のパラダイムを言い直した語です [1] 。 通常科学 手本を疑わずに受け入れ、それが示す問題を、それが示すやり方で解いていく、ふだんの科学の営み。クーンはこれをパズル解きにたとえました [1] 。 変則(へんそく) 英語の anomaly。手本のもとで期待される結果に合わない、手ごわいパズル。ふだんは無視されるか、言い繕われます [1] 。 科学革命 危機のあと、古い手本が新しい手本に取って代わられること。それまでの信念や研究のやり方を作り直すので、ただの積み上げではありません [1] 。 通約不可能性(つうやくふかのうせい) 異なる手本のもとの理論どうしに、両方を測る共通の物差しが無いこと。正方形の辺と対角線にちょうど測れる共通の単位が無い、という数学の言い方から来ました。比べられないという意味ではありません [1] 。 パラダイムと科学革命――科学は知識の積み上げで進むのか ポパーは、再現できる反証の結果が出れば理論は論理の上で反証される、と考えました。クワインは、予言が外れたとき直す所は一つに決まらない、と論じました。物理学から科学史へ移ったクーンは、歴史の記録を開いて、科学者たちが実際に何をしてきたかを確かめます [1] 。この章では、ふだんの科学が手本に倣ってパズルを解くこと、手本が変則と危機を経て入れ替わること、入れ替わる前と後の理論には共通の物差しが無いことを、順に読みます。 通常科学とパラダイム――手本に倣ってパズルを解く クーンによれば、成熟した科学には、ふだんの 通常科学 の時期と、まれに来る科学革命の時期があります [1] 。通常科学の研究者たちは、理論や価値、道具、世界についての前提をまとめて共有しています(専門母型) [1] 。 その中心にあるのが、よい研究の手本として皆が認める業績、つまり狭い意味の パラダイム です。 クーンが挙げる手本には、プトレマイオスの『アルマゲスト』、ニュートンの『プリンキピア』、ラヴォアジエの化学、マクスウェルの電磁場の理論などがあります [1] (表 1) 。 この表で分かること: 手本は理論だけではありません。理論で重要な問題を実際に解いてみせた業績が、後の研究を導きます。 人 手本の業績 中心の考え プトレマイオス 『アルマゲスト』 地球を中心とする惑星の運動 ニュートン 『プリンキピア』 運動の法則と万有引力 ラヴォアジエ 新しい化学 燃焼と化学反応を量で扱う マクスウェル 電磁場の理論 電気と磁気を場として扱う 表 1 クーンが手本の例に挙げる業績です(SEP の整理による [1] )。中心の考えの言い方は本教材の要約です。 まだ手本の無い分野では、いくつもの学派が、違う手順と前提で基礎をめぐって争います。ある学派が皆の問題を見事に解くと、ほかの学派から人が移り、解き方ごと広い合意が生まれます [1] (図 1) 。合意された手本は、まだ解けていない問題を示し、解き方を示し、解けたかどうかの物差しにもなります。手本に似た解が、成功と認められるのです [1] 。 前パラダイム期 学派がいくつも並び、基礎をめぐって 争う 手本の成立 ある学派の見事な解に、皆が合意する 通常科学 手本に倣ってパズルを解き、解が 積み重なる 変則 手本に合わない結果。まず無視か 言い繕い 危機 実践を揺るがす変則が積もり、信頼が 失われる 科学革命 新しい手本へ。前の説明の一部は 失われうる 新しい通常科学 新しい手本のもとで、再びパズル解きへ 図 1 クーンの描く科学の変わり方です。段階と語は本人のもの [1] 、一列の流れにした描き方は本教材の整理です。実際の歴史で、段階がいつもこの順にはっきり分かれるとは限りません。点線の段は、革命のあとに再び始まる通常科学です。 クーンは、通常科学の営みを パズル解き にたとえました。クロスワードの解き手は、答えがあると信じ、解けるかどうかを自分の腕の問題として受けとめます。クーンはジグソーパズルも挙げます(次の場面は本教材の作例)。はまらないピースがあっても、人はパズルが壊れているとは思わず、自分の置き方を疑います。通常科学の研究者も同じで、手本が解けるはずだと保証する問題が解けなければ、理論ではなく自分の腕を疑います。 ここで、ポパーの描く科学者の像と分かれます。ポパーの科学者は、理論を反駁しようと試み続けます。クーンの科学者は、共有の前提に深く身を入れ、それを守ることで着実に進みます。新しさを求める心と、伝統を守る心とのこの緊張を、クーンは論文「本質的緊張」で論じています [1] [3] 。 ここで間違えやすい 「パラダイム」を、日常の言い方のように、ただの「ものの見方」や「時代の常識」と取らないようにしましょう。狭い意味のパラダイムは、具体的に問題を解いてみせた手本の業績で、真似られることに要があります。語が多くの意味で使われていると指摘されたクーンは、第 2 版の補章で、広い意味を「専門母型」、狭い意味を「模範例」と言い分けました [1] 。また、通常科学を二流の仕事と取るのも誤りです。クーンにとって、それは科学が着実に進むための本体です [1] 。 変則・危機・革命――一つの反例では手本は倒れない 通常科学の研究者は、自分たちを導く理論そのものを試そうとはしません [1] 。手本に合わない結果、つまり 変則 が出ても、それを理論の反証とは見なさず、できるかぎり無視するか言い繕います。クーンによれば、通常科学の中で反証されうるのは、個々のパズルへの試みの解だけです [1] 。 ポパーも、論理の上の反証と、それを受け入れるかという方法の上の判断とを分けていました(この編のポパーの課)。クーンが歴史に見たのは、変則が出ても理論が手放されない場面の多さでした [1] 。 クーンは、変則がまず見えないことを、ブルーナーとポストマンの心理学の実験で示します。被験者にトランプを一枚ずつ短く見せ、何の札かを答えさせます。中には、赤いスペードの 6 や黒いハートの 4 のような、ありえない札が混ぜてあります。見せる時間が短いと、被験者は迷わず見慣れた札として答えます。時間を延ばすと、ためらいと混乱が起き、やがて多くの人が正しく見分けます (図 2) 。 一瞬だけ見る 一瞬 赤いスペードの6 実験者 ハートの6! 被験者 期待の枠に押し込んで見る 長く見る 長い時間 赤いスペードの6 実験者 赤いスペード?変だ 被験者 変則として見えてくる 図 2 ブルーナーとポストマンの実験を絵にしたものです。実験の帰属とクーンの使い方は本人のもの、部屋や装置、吹き出しの言葉の細部は本教材の作例です。一つ目は一瞬だけ見たとき、二つ目は長く見たときです。 一つ目の絵では、被験者は赤いスペードを「ハートの 6」と答えています。二つ目の絵では、長く見るうちに「何か変だ」と気づきます。クーンは、科学の発見もこれに似ていると論じます。変則は、まず期待の枠に押し込まれ、枠が揺らいだときに初めて変則として見えてくるのです。 重い問題になるのは、通常科学の実践を揺るがす変則です [1] 。たとえば、皆が使う装置の裏にある理論を疑わせる変則が出ると、その装置に頼る研究は自信を持って続けられません [1] 。こうした変則が積み重なり、手本の解く力への信頼が広く失われた状態を、クーンは 危機 と呼びます。危機への応答として専門母型が作り直されるのが、科学革命です [1] 。 どの変則がどれほど重いかを量る規則はありません。だから、作り直しに踏み切るかも、どの作り直しを選ぶかも、規則で強いられはしません。革命の時期には、理にかなった意見の食い違いが起きます [1] 。革命では、前に説明できていたことが説明できなくなる場合もあります(クーンの損失と呼ばれます) [1] 。それでも新しい手本は、重い変則の多くを解き、前の解く力の多くを保つので、問題を解く力は全体として増す、とクーンは言います。ただしそれは、真理に近づくことではありません。生物の進化が理想の形をめざさないように、科学も出会う問題への応答として進むのです [1] 。 ここで間違えやすい クーンが科学を非合理なもの、社会の力や流行で決まるものとした、と取るのは誤りです。クーンが退けたのは、理論の選択が規則で一つに決まる、という見方です。争いを決めるのはほとんどいつも科学の内、とくに問題を解く力だ、とクーン自身は言い、社会や政治の力ですべて決まるという後の説を退けました [1] 。また、クーンは「科学は進歩しない」と言ったのでもありません。否定したのは、進歩を真理への接近と見ることです [1] 。 通約不可能性と世界の変化――同じ振り子に違うものを見る 理論のよさを量る物差しは、理論から独立した不変の規則ではない、とクーンは言います。物差しそのものが、手本とともに変わるのです [1] 。17 世紀の多くの人には、仕組みを示さない遠隔の力で重力を語るニュートンの説は、デカルトの渦の説などに比べて、その点で劣って見えました。ところがニュートンの説が手本になると、仕組みの無い基本の力は欠点と見なされなくなりました [1] 。 こうして、異なる手本のもとの理論には、両方を測る共通の物差しが無くなります。これが 通約不可能性 です。SEP の整理では、その源は三つあります [1] 。一つ目は方法で、評価の基準や、解くべき問題の考えが変わります。二つ目は観察で、何が見えるかが理論に左右されます。三つ目は意味で、鍵になる語の意味が変わります。 観察についてのクーンの例が、紐で吊るした揺れる石です。アリストテレス派は、それを束縛されてゆっくり落ちる物体として見ます。ガリレオは、同じ動きを何度もくり返す振り子として見ます [1] (図 3) 。一つ目の絵の人は、石が下の場所へ向かおうとして邪魔されていると見ています。二つ目の絵の人は、揺れの回数を数えています。クーンは、競い合う手本の側の人々は、ある意味で異なる世界で仕事をしており、同じ所から同じ方を見ても違うものを見る、と書きました(『科学革命の構造』150 頁) [1] [2] 。 アリストテレス派の目 下の場所へ向かう 邪魔されて落ちる物 アリストテレス派 束縛されてゆっくり落ちる ガリレオの目 1・2・3 振り子だ ガリレオ 同じ揺れをくり返す アヒル?ウサギ? 見え方の 切り替わり 図 3 同じ揺れる石を見る二人です。振り子の例とアヒルとウサギのたとえはクーン本人のもの [1] 、人物の服や吹き出しの言葉、砂時計の細部は本教材の作例で、史実の主張ではありません。一つ目はアリストテレス派、二つ目はガリレオです。 意味については、質量の例があります。ニュートンの質量は保存されますが、アインシュタインの質量はエネルギーに変わりえます。だから同じ語でも同じものを指すとは言えず、古い理論を新しい理論の近似と単純には言えない、とクーンは論じました [1] 。 ただしクーンは、通約できないことは比べられないことではない、と強調しました。正方形の辺と対角線も、多くの点では比べられます [1] 。また、正確さ・整合性・範囲の広さ・単純さ・実りの多さの五つは、理論選択の共有の基盤だとも言いました [1] [3] 。五つは選択を一つに決めはしませんが、選ぶ理由に