ソクラテス――知らないことを知らないと自覚する(無知の知・問答法) — Epoché
古代 ソクラテスとプラトン 約 31 分 本文 約 13,700 字 図 6・表 2 原典 2 節 この課の要点 伝え・自覚・問答の 3 つ 伝え ソクラテスは何も書かず、アリストパネス・クセノポン・プラトンの描く像は食い違う。この課の言葉と場面の多くは、プラトンの対話篇に出てくる作中人物のものであり、歴史上の本人の言葉そのままとは限らない。 自覚 プラトン『ソクラテスの弁明』のソクラテスは、「ソクラテスより知恵のある者はいない」という神託の意味を確かめるために知者と評判の人々を訪ね、自分は「知らないことを、知っているとも思わない」点で少しだけ知恵がある、と結論する(21d)。「無知を知っている」という流布した言い方は、この否定の形の文と比べると、「知を持つ」形になっている。 問答 作中のソクラテスは、勇気や敬虔とは何かを相手に答えさせ、相手自身が認めた別の考えとの食い違いを問いで示す(エレンコス)。『メノン』でメノンはそれをシビレエイに触れたしびれにたとえ、ソクラテスは自分もしびれていると答える(80a–d)。 はじめに ソクラテスは、前 5 世紀のアテナイで暮らした人です。前 469 年ごろの生まれと伝えられ、前 399 年に裁判にかけられて死刑となりました。町の広場など人の集まる所で、出会った人に問いかけ続けたとされます [1] 。 ところが、ソクラテス自身は哲学の著作を書き残していません。私たちが知るソクラテスは、ほかの人が書いたソクラテスです。主な伝え手は三人います。喜劇作家のアリストパネス、軍人で著述家のクセノポン、そして弟子のプラトンです。三人の描く姿は大きく食い違っています [1] 。この課では主にプラトンの対話篇を読みますが、そこで語るのはあくまで作中の人物としてのソクラテスだということを、いつも頭に置いておきます。 この編のプロタゴラスの課では、謝礼を取って「よく思案し、よく語る力」を教えたソフィストを読みました。ソクラテスは同じ町で、似たように人とポリスの事を問いました。しかし謝礼を取らず、自分は誰の教師でもないと言いました(『ソクラテスの弁明』33a–b) [2] 。その代わりに、「知っている」と思っている人を問いで確かめて回りました。 この課では二つの面からソクラテスを読みます。一つは、デルポイの神託をきっかけに、ソクラテスが自分は「知らないことを、知っているとも思わない」と気づく話です。日本では「無知の知」という言い方で広く知られていますが、原文の言い方とは少しずれがあります。もう一つは、相手に答えさせ、その答えを問いでたどる問答のやり方です。行き詰まった相手が、ソクラテスをシビレエイにたとえる場面も読みます。 この課の問い 「自分はそれを知っている」と思っていることを、人はどうすれば確かめられるのでしょうか。そして、確かめた結果「実は知らなかった」と分かることは、知恵が減ることなのでしょうか。それとも、知恵の始まりなのでしょうか。 この課のことば デルポイの神託 ギリシア中部のデルポイにあったアポロンの神殿で、巫女が神の答えを告げたもの。国の大事から個人の悩みまで尋ねられました。 吟味 相手や自分の言い分を、問いを重ねて確かめること。ふだん使っている「勇気」などの言葉の意味を、本当に分かっているかを試します。 エレンコス ギリシア語で「論駁・吟味」。相手の言い分から出発し、問いと答えで、相手自身の別の考えと食い違うことを示すやり方です。研究者がソクラテスの方法をこう呼びます。 アポリア もとは「道が無い」こと。問答の末に、どう答えてよいか分からず行き詰まった状態です。 徳(アレテー) 人や物が、そのものとして優れていること。よく切れるのがナイフの優れた在り方であるように、人については勇気・節制・正義などを指します。 ソクラテス問題 書き残さなかったソクラテスについて、伝える人ごとに像が食い違うため、歴史上の本人の考えと方法をどう見定めるかという問題です。 神託と吟味の旅――知らないことを、知っているとは思わない この編のプロタゴラスの課で見たように、前 5 世紀のアテナイには、知恵を教えると名乗る人々が集まっていました。ソクラテスは教える側に立たず、「知っている」と思っている人を問いで確かめて回りました。その出発点としてプラトンが描くのが、デルポイの神託の話です。 ただし、その話に入る前に、私たちがソクラテスについて何をどこまで知りうるのかを確かめておきます。これが第一の節です。 書かなかった人――三人の伝えとソクラテス問題 ソクラテスは何も書き残しませんでした。同時代の主な伝えは三つあります。アリストパネスの喜劇『雲』(前 423 年上演)、クセノポンの『ソクラテスの思い出』などの回想、そしてプラトンの対話篇です。この三つは、ソクラテスの考えと方法について大きく食い違います。どれが歴史上のソクラテスを正しく伝えるかを見定めることを、「ソクラテス問題」と呼びます [1] (図 1) 。 ソクラテス 哲学の著作を書かなかった。どの 像が本人に近いか決着しない アリストパネス 喜劇『雲』。自然を調べ言いくるめを 教える知識人 クセノポン 回想。実際的な相談役。起こりえない 場面も混じる プラトン 対話篇。問いで吟味する哲学者。この 課の主な資料 図 1 書き残さなかったソクラテスは、三人の伝え手を通してだけ見えます(本教材の整理。内容は SEP による)。上から、壮年期を見た劇作家、晩年に短く接した回想の書き手、少年のころからソクラテスの晩年を知る弟子の順です。 アリストパネスは、壮年のソクラテスを知る唯一の伝え手です。『雲』の「ソクラテス」は、「思索所」で若者に天体などを調べさせ、言いくるめの技を教え、伝統の神々を笑います。しかし喜劇は誇張が本性です。研究者のドーヴァーは、この役に当時のほかの知識人の特徴がまとめて押し込まれているとみました [1] 。 クセノポンのソクラテスは、家の切り盛りまで助言する実際的な相談役です。ただしクセノポンは前 401 年にアテナイを離れ、その後そこで暮らすことはなく、ソクラテスと過ごした時間は多くありません。その回想には、実際には起こりえない場面も混じることが分かってきました [1] 。 プラトンは裁判のとき 25 歳ほどで、若いころからソクラテスを知っていたとみられます。対話篇の人名や時代設定は、ほかの資料とよく合います。しかし、プラトンが自分の哲学や文学の目的のために作中のソクラテスを形づくった可能性は消せません [1] (表 1) 。 この表で分かること: 三つの伝えは関わった時期も書き方も違い、描かれる像が食い違います。どれもそのままでは歴史上のソクラテスとは言えません。 伝え手 書いたもの ソクラテスとの関わり 描く像 読むときの注意 アリストパネス 喜劇『雲』(前 423 年) 壮年期を見た劇作家 自然を調べ詭弁を教える男 喜劇の誇張・他人の特徴の混入 クセノポン 『ソクラテスの思い出』ほか 晩年に短く・前 401 年に去る 実際的な相談役 起こりえない場面を含む プラトン 対話篇(『弁明』など) 少年期から・ソクラテスの晩年を知る 問いで吟味する哲学者 自分の目的で形づくった可能性 表 1 ソクラテスを伝える三人の比較。内容は SEP の整理によります [1] 。 プラトンの対話篇の中でさえ、ソクラテスは作品ごとに違う立場をとります。そこで、対話篇を一つずつ文学作品として読む立場と、執筆順にプラトンの考えの発展を読み、初期の「エレンコスの対話篇」にソクラテス本人の考えを見る立場(ヴラストスの分類)が対立してきました [1] 。今では、執筆順の区分を読みの前提にしない方がよいという考えも広まっています [1] 。本教材では、どちらかに決めず、「プラトンが描くソクラテスは」と主語を明示して読みます。 ここで間違えやすい 二つの誤解に気をつけましょう。一つは、プラトンの対話篇でソクラテスが語ることを、そのまま歴史上のソクラテスの言葉として引くことです。もう一つは逆に、喜劇の誇張だからと、アリストパネスの像を無意味とみることです。プラトン『弁明』の裁判の場面で、ソクラテスは、陪審員の多くが子どものころからある告発を信じ込まされてきたと嘆き(18b)、その告発の中身として、地下と天上のことを調べ、弱い言論を強くする男、という像を挙げます(19b)。そして、それはアリストパネスの喜劇で見た「ソクラテス」だと言います(19c) [2] 。喜劇の像は、裁判を理解する手がかりにもなるのです。ただし、これもプラトンの描く場面です。 神託の謎――「ソクラテスより知恵のある者はいない」 プラトン『弁明』のソクラテスは、陪審員に一つの話をします。友人のカイレポンがデルポイへ行き、ソクラテスより知恵のある者はいるかと尋ねた。すると巫女は「いない」と答えた、というのです(21a) [2] 。カイレポンはすでに亡く、その兄弟がこのことを証言できる、とソクラテスは付け加えます [2] 。 この答えを聞いて、ソクラテスは迷います。自分は、大きなことにも小さなことにも、知恵があるという覚えがない。一方で、神は嘘をつかない。それは神のおきてに反するからです(21b) [2] 。神は嘘をつかないという考えと、自分には知恵がないという考え。この二つが食い違うことが、謎の出発点です。ソクラテスは神託を捨てるのでなく、その意味を解こうとします。 ソクラテスより知恵のある者はいない デルポイの神殿と巫女 カイレポン ? ソクラテス ① 政治家 ② 詩人 ③ 職人 知恵があると思う 知恵があると思う 知恵があると思う 本当は知らない 本当は知らない 本当は知らない 技は知っている 憎まれる 憎まれる 憎まれる 知らないことを、知っているとも思わない (『弁明』21d) 『弁明』21a–22e の場面 図 2 『弁明』21a–22e の神託と吟味の旅を絵にしたものです(本教材の絵)。神託は「いない」と答えただけで、ソクラテスはその謎を解こうと、政治家・詩人・職人を順に訪ね、そのたびに憎まれます。旅の終わりの答えは「知っている」ではなく、「知っているとも思わない」です。 最初に訪ねたのは、知恵があると評判の政治家でした。ソクラテスは「この人の方が私より知恵がある」と神託に示して反証するつもりだった、と語ります(21c) [2] 。ここで使われる動詞は「論駁する( ἐλέγχειν )」です。吟味の旅は、まず神託そのものを吟味することとして始まります (図 2) 。 政治家は、多くの人にも本人にも知恵があると思われていましたが、実際にはそうではありませんでした。ソクラテスがそれを本人に示そうとすると、本人にもその場の多くの人にも憎まれました(21c–d) [2] 。次に悲劇などの詩人を訪ねると、詩人は美しいことを多く語るのに、自分の詩を説明させると、その場のほとんどの人のほうが詩人本人よりうまく説明できました。詩は知恵でなく、生まれつきの資質と神がかりで作られる、とソクラテスは考えます(22a–c) [2] 。 最後に職人を訪ねると、職人は自分の技については確かに知っていました。しかしその技のゆえに、最も大きな事柄についても知っていると思い込んでおり、その思い込みが知恵を覆い隠していました(22c–e) [2] 。ソクラテスは、自分の巡り歩きを「労苦を重ねる者のような放浪」と呼び、それは神託が自分にとって反駁されないものとなるためだった、と語ります(22a) [2] 。 ここで間違えやすい 神託がソクラテスに「人々を吟味せよ」と命じた、と思うのは誤りです。神託は問いに「いない」と答えただけです。吟味は、ソクラテスがその意味を確かめようとして自分で始めたものとして描かれます。それを神から課された務めと受け止めたのは、作中のソクラテスの解釈です(『弁明』)。また、この話が史実かどうかは確かめられません。 知らないと思う知恵――「無知の知」との違い 政治家との問答の帰り道、ソクラテスはこう考えます。私もこの人も、美しく善いことを何も知らないらしい。だがこの人は、知らないのに何かを知っていると思っている。私は、知らないとおりに、知っているとも思わない。この小さな一点で、私の方が少し知恵があるようだ――「知らないことを、知っているとも思わない」という点で(21d) [2] 。 この文の要は、「知る( εἰδέναι )」と「思う( οἴεσθαι )」の区別です (図 3) 。政治家とソクラテスは、「知らない」という点では同じです。違うのは、知らないのに「知っていると思う」かどうかだけです。ソクラテスが持っているのは、何かを知っているという知ではありません。知らないことを知っていると思い込まない、という在り方として描かれています。 政治家 ソクラテス 善いことを知らない 善いことを知らない 知っていると思う 知るとは思わない 知者と思われている 少しだけ知恵がある 流布する「無知の知」は一つの知を持つように 聞こえますが、21d は否定の形で書かれています。 図 3 『弁明』21d の比べ方です(本教材の整理)。どちらも「美しく善いこと」を知らない点は同じで、違うのは、知らないのに知っていると思うかどうかだけです。 日本でよく言われる「無知の知」は、「自分が無知であることを知っている」という言い方です。文字どおりに取ると、ソクラテスは一つの知を持っていることになります。ところが 21d の文は「知っているとも思わない」と、否定の形で書かれています。「無知を知る」という知をことさら主張してはいません。このため、日本語では「不知の自覚」などと言い直す研究者もいます。 ソクラテスは続けて、神託の意味をこう解きます。神が言いたかったのは、人間の知恵はほとんど、あるいはまったく価値がないということだ。ソクラテスの名は、一つの例として使われたにすぎない(23a–b) [2] 。知恵ある者とは、自分の知恵が本当は何の値打ちもないと分かった者のことだ、というのです。 SEP は、ソクラテスの「皮肉( εἰρωνεία )」を、少なくとも、大事なことは何も知らないと言い、他人の話を聞きたがりながら、議論ではいつも主導権を握ることだ、とまとめています [1] 。何も知らないという言