プラトン――哲学者が統治すべきである(哲人王・理想国家) — Epoché
古代 ソクラテスとプラトン 約 23 分 本文 約 9,800 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 理由・制度・批判の 3 つ 理由 『国家』第 5 巻の作中のソクラテスは、いちばん大きな「三つ目の波」として、哲学者が王となるか王が本当に哲学するまで国々の禍いはやまない、と言う(473c–e)。SEP の整理では、哲学者が治めるべき理由は二つで、何が善いかを知っていること、そして治めることを望まないことである(520e–521b)。 制度 作中の理想の国家では、守護者は音楽・体育の教育を受け、選ばれた者はさらに数学・問答法へ進む。守護者の層は私有財産をほとんど持たず、私的な家族も持たない(415d–417b、457c 以下)。この共有を守護者の層に限るのは、とくに家族については SEP の読みである。女性も、禿げた人と長髪の人の違いが靴作りに関係ないのと同じく、性別は仕事の割り当てに関係ないとして、守護者になれる(451c–457c)。 批判 作中のソクラテスは、船のたとえで、舵取りの技を知らない水夫たちが船主を取り込んで舵を奪い合う様子を描き、哲学者が国で役立たずに見える理由を語る(488a–489a)。後にポパーは『国家』を全体主義的だと批判した。SEP は、統治への同意を作る宣伝などに全体主義的な面を認めつつ、自らは理想の国家を実現しうる手本と読み、心の説の投影と読む立場(アナス)や、実現できないことを示すと読む立場(シュトラウス派)も紹介する。 はじめに プラトンは、前 5 世紀の終わりから前 4 世紀の半ばを生きたアテナイ市民の哲学者です。生没年は前 428/427 年ごろから前 348/347 年ごろと伝えられます(SEP の「プラトン」の項目は、前 429 年?〜前 347 年とします) [3] 。この課では、前の課に続いて対話篇『国家』を読みます。中心になるのは第 5 巻から第 7 巻です。 『国家』の話し手はソクラテスです。グラウコンとアデイマントスの兄弟を相手に、言葉の上で一つの国家を作ってみせます。作者のプラトン自身は、どこにも登場しません。ですからこの課では、哲人王も、財産と家族の共有も、「作中のソクラテスの提案」として読みます。それがどこまでプラトン本人の政治の主張なのかは、研究者の間で読みが分かれる問いとして、本文で取り上げます [1] [3] 。 前の課では、正しい人の魂では理知が治め、気概がそれを助け、欲望が従う、という議論を読みました。この課の問いは、その続きです。国家の側で「理知が治める」とは、具体的に誰が、どう治めることなのでしょうか。作中のソクラテスの答えは「哲学者が治める」でした。作中の聞き手でさえ、世の人々が武器を取って襲いかかってくるぞと言い返すほど、常識外れに響いた答えです(473e–474a) [2] 。 この課は三つの節で進みます。一つ目の節では、なぜ哲学者が治めなければならないのかを見ます。二つ目の節では、理想の国家の仕組み、つまり守護者の教育と、財産・家族の共有と、女性の守護者を見ます。三つ目の節では、哲学者が国で役立たずに見える理由を語る「船のたとえ」と、20 世紀のポパーによる批判、それに対する読みの幅を見ます。そのあと、哲人王の主張そのものを、ギリシア語の原文から読みます。 この課の問い 国の舵取りは、誰に任せるべきなのでしょうか。多くの人が望む人か、力のある人か、それとも何が善いかを知っている人か。もし知っている人に任せるべきだとしたら、その人たちの暮らしや教育は、どんな形でなければならないのでしょうか。 この課のことば 哲人王 「哲学者が王となって治める」こと、またその統治者。『国家』473c–e の、哲学者が王となるか、王が本当に哲学するかしない限り、国々の禍いはやまない、という言葉から来る呼び名です。一人とは限りません。 守護者(ピュラクス) 国を守り治める人々。実際に治める「統治者」と、それを助けて戦う「補助者」に分けられます。前の課で見た三つの階層のうち、上の二つにあたります。 三つの波 第 5 巻で作中のソクラテスが、笑いと反発を招く三つの提案を、次々に押し寄せる大波にたとえたもの。女性も守護者になること、守護者の妻子の共有、哲学者による統治の三つです。 善のイデア 正しいことや美しいことが「なぜ善いのか」を知らせる、いちばん大事な学びの対象。この編の、太陽と洞窟のたとえの課で読んだものです。 高貴な嘘 人々に、生まれつき金・銀・鉄・銅の混ざり方が違うので役が違うのだ、と信じさせるための作り話(414b–415d)。統治のための宣伝として、後に強く批判されます。 ユートピア 「どこにもない所(ウ・トピア)」と「善い所(エウ・トピア)」を掛けた、後の時代の言葉。プラトンの語ではありません。実現できない夢か、目指すべき手本か、という二つの読みが重なります。 哲人王と理想国家――国を治めるべきなのは誰か 前の課で、『国家』の作中のソクラテスは、正しい人の魂では理知が治め、気概がそれを助け、欲望が従うと論じました。では、国家の側で「理知が治める」とは、誰がどう治めることなのでしょうか。 第 4 巻で魂の議論を終え、第 5 巻の冒頭でソクラテスが話を先へ進めようとすると、アデイマントスらが引き止めます(449c–450a)。少し前にさらりと言われた「友のものは共有」という言葉(423e–424a)の説明を求めたのです。そこから作中のソクラテスは、三つの大波にたとえた三つの提案を語り始めます [2] 。 三つ目の大波――なぜ哲学者が治めなければならないのか 第 5 巻で、作中のソクラテスは三つの提案を順に守ります。一つ目の波は、女性も男性と同じ教育を受けて守護者になること(451c–457c)。二つ目は、守護者の妻子の共有です(457c–471c)。三つ目がいちばん大きな波で、哲学者による統治です(471c–474c) [2] (図 1) 。 ① 一つ目の波 女性も守護者になる(451c–457c) ② 二つ目の波 守護者の妻子の共有(457c–471c) ③ 三つ目の波 哲学者が治める(473c–e) ④ 哲学者とは 思わくでなく知識を持つ者 (476a–480a) ⑤ 何を知るか いちばん大事な学び、善の イデア(505a–b) ⑥ 治める理由 善を知り、しかも治めることを望まない (520e–521b) 図 1 第 5 巻の三つの波と、三つ目の波(哲学者の統治)を支える理由の流れです(本教材の整理)。①〜③が三つの提案、④〜⑥が「なぜ哲学者か」の答えにあたります。 三つ目の波は、前の二つを含む国家が「そもそも実現できるのか」と問われたときの答えとして出てきます。作中のソクラテスはまず、言葉で描いた国家がそのとおりに実現すると示す必要はない、と断ります。それにいちばん近い国の作り方を示せば足りる、とグラウコンの同意を得るのです(473a–b) [2] 。描かれた国家は、実在の国がどれだけそれに近いかを測る手本( παράδειγμα 、パラデイグマ)でもあります(472c–473b) [1] [2] 。 そのうえで挙げられるのが、ただ一つの、しかし小さくも易しくもない変化です。哲学者が王となって治めるか、いま王や権力者と呼ばれている者が本当に十分に哲学するか。政治の力と哲学とが一つにならない限り、国々にも人類にも禍いの止むことはない、と言うのです(473c–e) [2] 。この一文は、後の「原典を読む」で原文から読みます。 では、哲学者とは誰なのでしょうか。作中のソクラテスは、美しい声や色をあちこちで楽しむ「見物好き」と、美そのものを見る人とを分けます。前者が持つのは思わく(ドクサ)で、後者だけが知識(エピステーメー)を持つとされます(476a–480a) [2] 。知識を持たない統治者は、心の中にはっきりした手本を持たない「目の見えない人」のようなもので、法を定めることも守ることもうまくできません(484c–d) [2] 。ただし同じ箇所で、経験や他の徳でも劣らないことが条件として添えられています。 そしていちばん大事な学びが、善のイデアです。正しいことも、善のイデアに照らしてはじめて有益になる、と作中のソクラテスは言います(505a–b) [2] 。この編の、太陽と洞窟のたとえの課で読んだ善のイデアが、ここで統治の資格に結びつきます。 SEP は、哲学者が理想の統治者である理由を二つにまとめます。何が善いかを知っていること、そして治めることを望まないことです(520e–521b) [1] 。今ある国の病は、その裏返しとして説明されます。善を知らない者が名誉や金銭を望んで権力を奪い合い、内乱が起きるのです [1] 。哲学者は治めることを見下しています。それでも、理想の国家で育てられた哲学者は、建国者と法に命じられて、治められる人々のために交替で治めます(519c–520a、540a–b) [2] 。他の国で自力で育った哲学者には、その義務はないとも言われます(520b) [2] 。 ここで間違えやすい 二つの誤解に気をつけましょう。一つは、「哲人王」を、議論の上手な人や、知識人の一人支配と取ることです。作中のソクラテスが言う哲学者は、長い教育を経て善のイデアを見た人々で、一人とは限らず、女性も含みます。もう一つは、哲学者が治めるのは、知っている者が得をするためだと取ることです。SEP が言うように、統治は哲学者にとって報いではなく、正しさが命じる務めとして描かれています [1] 。 守護者の教育と共有――理想国家はどんな仕組みか 作中の理想の国家では、守護者はまず若いころに、音楽・文芸と体育による教育を受けます(376e–412b) [2] 。ここでの「音楽(ムーシケー)」は、楽器の演奏だけでなく、詩や物語を含む広い教養のことです。そのあと選ばれた者が、数学の諸学と問答法へ進みます(521c 以下)。三十歳を過ぎて問答法の選抜があり、五年の問答法のあと十五年の実務を経て、五十歳で善そのものを見て、交替で治める番につきます(537b–540b) [2] 。 暮らし方も特別です。守護者の層は、生活に欠かせないもの以外の私有財産を持たず、共同の食事をとって共に暮らします(415d–417b) [2] 。私的な家族も持ちません。結婚は統治者が管理する祭りとくじで決まり、生まれた子は共同で育てられます(459d–460b) [2] 。作中のソクラテスは、国にとって最大の善は国が一つにまとまることで、最大の悪は国が分かれることだ、と理由を述べます(462a–b) [2] 。 この表で分かること: SEP の読みでは、財産と家族の共有は守護者の層だけのもので、生産者は私有財産と家族を持ちます。 階層 役 財産 家族 教育 統治者(哲学者) 国全体のために治める 私有をほとんど持たない 持たず、子は共同で育つ 数学・問答法まで長く学ぶ 補助者(戦士) 統治者を助け国を守る 私有をほとんど持たない 持たず、子は共同で育つ 音楽・文芸と体育 生産者(農夫・職人) 食べ物や道具を作る 私有財産を持つ 私的な家族を持つ 初歩の教育(SEP の読み) 表 1 理想の国家の三つの階層。財産と家族の範囲、生産者の教育は SEP の整理によります [1] 。 共有がどこまで及ぶかは、アリストテレス以来の論点です。SEP は、財産については守護者の層だけが厳しく制限されると読みます。生産者は、富と貧しさが仕事を損なわないよう見張られるほどの私有財産を持つからです(421d–422a) [1] [2] 。家族の共有も、議論の焦点は守護者の層にあるので、SEP はこれも守護者に限ると読むのがもっとも妥当だとします [1] (表 1) (図 2) 。 守護者の層 生産者 統治者と補助者 農夫と職人 私有財産をほとんど 持たない 私有財産を持つ 私的な家族を 持たず子は共同で 育つ 私的な家族を持つ (SEP の読み) 女性も守護者に なれる 富と貧しさの 行き過ぎを 見張られる 層を分けるのは生まれでなく素質で、親と違う素質の子は 別の層へ移されます(415b–c)。 図 2 守護者の層と生産者の暮らしの違いです。SEP の読みに従い、共有を守護者の層に限って示しています [1] 。 女性の守護者について、作中のソクラテスは次のように論じます。禿げた人と長髪の人が、靴作りの仕事について生まれつき違うとは誰も言わない。それと同じく、男と女の違いは、守護の仕事の割り当てには関係がない(454c–456b) [2] 。SEP は、ここに、性別はおおむね教育や仕事の資格に関係ないという、もっともな意味でフェミニズム的と呼べる点を認めます [1] 。 ただし同じ箇所で、作中の二人は、多くの仕事で男のほうが優れているとも言います(455c–d)。同時に、多くの女が多くの点で多くの男より優れている、とも認めています [2] 。SEP は、『国家』をフェミニズムの書と言い切ることはできないが、フェミニズム的な主張を含む、とまとめます [1] 。 層の分け方についても一つ注意があります。作中のソクラテスは、人々に「高貴な嘘」を信じさせようと言います。神が人を形づくったとき、治めるのに向く者には金を、補助者には銀を、農夫や職人には鉄と銅を混ぜた、という作り話です(414b–415d) [2] 。ただし子が親と違う金属を持って生まれれば、その子は別の層へ移されます(415b–c) [2] 。層を分けるのは、生まれではなく素質だとされているのです。 ここで間違えやすい 「財産と家族の共有」を、国の全員が財産も家族も共有する制度と取らないようにしましょう。SEP は、共有は守護者の層に限られ、生産者は私有財産と家族を持つと読みます [1] 。また「妻子の共有」を、自由な性愛の勧めと取るのも誤りです。作中では、守護者の結婚は統治者が管理する祭りとくじで決められ、子は共同で育てられます(459d–460b) [2] 。 船のたとえと後の批判――哲人王の国をどう読むか 第 6 巻で、アデイマントスが鋭い反論をします。哲学に長く打ち込んだ者は国の役に立たないのに、どうして哲学者が治めるまで禍いがやまないと言えるのか(487b–e) [2] 。作中のソクラテスは、