11.43 蘇軾 記承天寺夜遊 — 但だ閑人の吾兩人の如き者少なきのみ — Epoché
この篇でできるようになること 出かけて友と歩くまでの動作と、気持ちを述べる所を分けられます。 水のように見えた庭から、影の正体に気づく順を示せます。 反語を平叙文へ替え、二人を述べる結びを説明できます。 前提 :11.42「陶弘景 答謝中書書」。景色の後で書き手の位置が現れる結びを、月夜の記でも読みます。 寝ようとして、月に誘われる 本文は元豐六年十月十二日の夜という日付から始まります。蘇軾は詩をめぐる罪で黄州へ移され、官職はあっても実権のない身に置かれていました。友の張懷民も黄州にいて、承天寺に身を寄せていました。 寝ようとしたところへ月の光が入り、起きて出かけます。大きな事件が起こる話ではなく、月を見て友を訪ね、庭を歩く夜です。実際に何をしたかと、その間に何を思ったかを、短い句で追えます。 二人とも官職はありましたが、実権はありませんでした。この背景を置くと、最後の暇な人という語に、ただ休日を楽しむ以上の響きがあると読めます。 動きの間にある気持ち 解衣欲睡 は衣を脱いで寝ようとすることです。 月色入戶 で戸口へ月の光が入り、 欣然起行 で喜んで起き、出かけます。 欣然 は、その動きの気持ちを述べます。 念無與為樂者 も、気持ちに関わります。ともに楽しむ者がいないと考えることで、友を訪ねる次の動きへつながります。 念 は、考えることです。最初の段を動作だけの一覧にはしないようにします。 遂 はそこで、 亦 はまた、 相與 はともに、という意味で、行くこと、まだ寝ていないこと、歩くことをつなぎます。 型編 33課 の副詞の位置とも比べ、どの動作や状態にかかるかを読みます。 相與步於中庭 では、歩く動詞の後に庭という場所が続きます。現代語へ直すときは、 在 の後に場所を置き、そのまとまりを歩く動詞より前へ移せます。二人でともに歩く点も残しましょう。 水に見える庭、草に見える影 庭下如積水空明 は、庭に差す月の光が、たまり水のように澄んで明るく見えることです。 如 の後ろに、見立てる相手が続きます。現代語の 像 を使う形と比べられます。 さらに 水中藻荇交橫 と、水草が入り交じる景色を続けます。この段階では、読み手も水と水草を思い浮かべます。初めから竹の影を説明している、と順を逆にして訳さないでください。 蓋竹柏影也 で、思うに竹や柏の影だったのだ、と正体が示されます。 蓋 で気づきを出し、 也 で結びます。見えたものを先に置き、正体を後にするため、読み手も同じ順で気づけます。 特別編 16篇 で光を霜のように受け取った場面とも結び付けられます。見えた景色と、その物が実際に何かを分けて読みます。すると、たとえが単なる飾りでなく、目の動く順を作ることが分かります。 日本語のカシワとは違う木 柏 は、ここではヒノキ科の常緑樹です。日本語の柏餅の葉になるカシワと同じ木ではありません。広い葉の形を先に思い浮かべず、細かな枝葉の影が水草に見えた景色を受け取ります。 戶 は戸口、 藻荇 は水草、 空明 は澄んで明るいことです。水が本当に庭を満たしていたという報告ではなく、月の光と木の影を水の景色として読ませています。 同じ漢字でも、日本語で指す植物とは違うことがあります。 柏 の語釈から、影の細かさと水草への見立てをつないでください。 二つの問いから、見る人へ 何夜無月? と 何處無竹柏? は、月のない夜や木のない場所を探す問題ではありません。どの夜にも月はあり、どこにも竹や柏はある、と述べる反語です。問いの形を使って、景色が特別ではないと伝えます。 二つを平叙文として受け取ってから、最後へ進みます。月や木の少なさではなく、この景色を味わう人の少なさが述べられます。問いの答えを物や場所の一覧にすると、この移り方が見えなくなります。 但少閑人如吾兩人者耳 の 但 と 耳 は、ただ〜だけ、と範囲を限る組です。 閑人如吾兩人者 は、私たち二人のような閑人という意味です。人を指す語の後ろから説明し、 者 でまとめています。 現代語の修飾なら、私たちのような、という説明を人の前へ置けます。庭の景色に使った 如 が、ここでは二人を比べる形にも現れます。そのため、何を何に重ねるかを分けて読んでください。 反語を、本当に知らないことを尋ねる問いとして読まないでください。月や木はあるという肯定を受け取ると、次に何が少ないと言うのかが見えます。 閑人という一語に重なるもの 暇があって景色の美しさを味わえる人、という肯定的な響きがあります。同時に、世に用いられず暇を持て余す身を笑う響きも重なると読まれます。どちらかだけに訳し切ると、結びの調子が変わります。 何も特別な事件がない夜でも、誰がどう景色を受け取ったかは書けます。最後の人の話から、前の庭へ戻って読みます。すると、水草のような影を楽しむゆとりと、そうしていられる境遇が一緒に浮かびます。 語釈 語 品詞 意味 日本語との差 例文 訳 戶 名詞 戸口 家の人数を数える意味ではない 月色入戶 月の光が戸口へ入る 欣然 副詞 喜んで 気持ちを添える 欣然起行 喜んで起きて出かける 念 動詞 考える 声に出して読むではない 念無與為樂者 ともに楽しむ者がいないと思う 相與 副詞 ともに ここでは一緒にする動作 相與步於中庭 ともに庭を歩く 空明 形容詞 澄んで明るい 水のような光の様子 庭下如積水空明 庭はたまり水のように澄んで明るい 藻荇 名詞 水草 影を見立てるもの 水中藻荇交橫 水中で水草が入り交じる 柏 名詞 ヒノキ科の常緑樹 日本語のカシワとは違う 竹柏影 竹と柏の影 蓋 副詞(文頭の語) 思うに・実は ここでは正体を明かす 蓋竹柏影也 思うに竹と柏の影だったのだ 閑人 名詞 暇な人 ゆとりと自嘲が重なる 閑人如吾兩人者 私たち二人のような閑人 耳 語気詞 〜だけだ 範囲を限る 但少閑人如吾兩人者耳 ただ私たち二人のような閑人が少ないだけだ 練習 空欄を埋めて本文の句を書いてください。 解衣_睡 空欄を埋めて本文の句を書いてください。 懷民_未寢 空欄を埋めて本文の句を書いてください。 _竹柏影也 空欄を埋めて本文の句を書いてください。 但少閑人如吾兩人者_ 相與步於中庭 と 庭下如積水空明 を現代語に置き換えてください。前者では場所を動詞より前へ、後者では月の光を水に見立てます。 何夜無月? を現代語の反語と平叙文の二通りにしてください。 初めの段から、動作と気持ちを述べる語句を分けて挙げてください。 前の課で学んだ語を使い、夜に目覚めて散歩した話を現代語の三文で書いてください。 醒 ・ 独自 、 步行 ・ 宁静 、 停下 ・ 放松 を組にして使います。 閑人 に重なる二つの響きを説明してください。 蓋竹柏影也 を訳し、その前の二句( 庭下如積水空明 ・ 水中藻荇交橫 )からの順を示してください。 閑人如吾兩人者 を訳し、修飾が置かれる位置を説明してください。 音読:次の原文の句を ▶ で聞き、声に出して読んでください。 庭下如積水空明,水中藻荇交橫,蓋竹柏影也。 ▶ の手本を聞いて、この三句を音読します。 庭下如積水空明 と 水中藻荇交橫 はゆっくり続けて読み、 蓋竹柏影也 の前で一度止めてから、正体に気づくように読みます。 この篇のまとめ 動作と気持ちを追い、水のような庭から木の影へ気づく順を読みました。景色があるという反語から、それを味わう人の少なさへ進む結びを捉えます。 次の篇へ 次の11.44では周敦頤の愛蓮說を読みます。菊・牡丹・蓮を並べ、蓮を選ぶ理由を述べる文章です。 答え 解衣欲睡 懷民亦未寢 蓋竹柏影也 但少閑人如吾兩人者耳 我们一起在院子里散步。 院子像积水一样,又清又亮。 哪个晚上没有月亮呢? 每个晚上都有月亮。 動作は 解衣欲睡 、 起行 、 尋張懷民 、 相與步於中庭 などです。気持ちは 欣然 と 念無與為樂者 に表れます。 夜里醒的时候,我独自去散步。 我步行到河边,四周很宁静。 我在河边停下,心里很放松。 暇があり景色を味わえるというよさと、世に用いられず暇な身への自嘲が重なると読めます。 思うに竹や柏の影だったのだ、という意味です。まず庭がたまり水のように見え( 庭下如積水空明 )、次に水草が入り交じって見え( 水中藻荇交橫 )、最後に 蓋竹柏影也 で、それが竹や柏の影だったと正体が示されます。 私たち二人のような閑人、という意味です。 閑人 の後ろから 如吾兩人 が説明を加え、 者 でまとめています。現代語では、私たち二人のような、という説明を人の前に置きます。 参考文献 蘇軾『記承天寺夜遊』。パブリックドメイン(著者没後70年経過)。 出所: https://zh.wikisource.org/wiki/記承天寺夜遊