2.5 第二活用の現在と、である・持つ — Epoché
この 課 か でできるようになること 第 だい 二 に 活用 かつよう の 動詞 どうし の 現在 げんざい を、 六 むい つの 人称 にんしょう すべてで 作れる つくれる 。 二 ふた つの 活用 かつよう を、 強勢 きょうせい の 位置 いち で 聞き分け ききわけ られる。 である と 持つ もつ の 二 ふた つを 使っ つかっ て、 短い みじかい 文 ぶん を 自分 じぶん で 作れる つくれる 。 前提 ぜんてい : 2.4( 第 だい 一 いち 活用 かつよう の 動詞 どうし の 現在 げんざい )。 2.4 で 第 だい 一 いち 活用 かつよう を 終え おえ ました。 残る のこる のが 第 だい 二 に 活用 かつよう です。この 二 ふた つで 現代 げんだい ギリシア 語 ご の 動詞 どうし のほぼ 全部 ぜんぶ が 覆え おおえ ます。そのうえで、どちらにも 収まら おさまら ない 二 ふた つの 動詞 どうし —— である と 持つ もつ ——をこの 課 か で 片づけ かたづけ ます。 二 ふた つとも 頻出 ひんしゅつ 語 ご の 最 さい 上位 じょうい にあり、これが 使える つかえる と 文 ぶん の 数 かず が 一気 いっき に 増え ふえ ます。 この 課 か で 形 かたち 編 へん の 第 だい 1 期 き は 終わり おわり です。ここまでで、 名詞 めいし に 冠詞 かんし を 付け つけ 、 形容 けいよう 詞 し を 合わせ あわせ 、 動詞 どうし を 人称 にんしょう に 合わせ あわせ て 置ける おける 。 短い みじかい 文 ぶん なら 自分 じぶん で 組み立て くみたて られる ところまで 来 き ます。 第 だい 二 に 活用 かつよう の 表 ひょう — 六 むい つの 語尾 ごび 愛する あいする という 動詞 どうし で 六 むい つを 並べ ならべ ます。 表 ひょう は 六 ろく 行 ぎょう で、 真ん中 まんなか がギリシア 語 ご 、 右 みぎ が 語尾 ごび の 音 おと です。 2.4 の 表 ひょう と 見くらべ みくらべ てください。 誰 だれ のことか ギリシア 語 ご 語尾 ごび の 音 おと 私 わたくし が 一人 ひとり αγαπάω で 私 わたくし が 愛する あいする アオで 終わる おわる あなたが 一人 ひとり αγαπάς で あなたが 愛する あいする アスで 終わる おわる あの 人 ひと が 一人 ひとり αγαπάει で あの 人 ひと が 愛する あいする アイで 終わる おわる 私 わたくし たち αγαπάμε で 私 わたくし たちが 愛する あいする アメで 終わる おわる あなたたち αγαπάτε で あなたたちが 愛する あいする アテで 終わる おわる あの 人 ひと たち αγαπούν で あの 人 ひと たちが 愛する あいする ウンで 終わる おわる 六 むい つのうち 五 いつ つが アの 音 おと を 含ん ふくん でいます 。2.4 の 第 だい 一 いち 活用 かつよう ではエとウが 混じっ まじっ ていました。ここが 耳 みみ での 見分け みわけ どころです。アが 並ん ならん で 聞こえ きこえ たら 第 だい 二 に 活用 かつよう 、エとウが 混じっ まじっ ていたら 第 だい 一 いち 活用 かつよう 。 そして 一 いち 人称 にんしょう の 単数 たんすう には、もう 一 ひと つの 形 かたち があります。アオと 二 ふた つに 割ら わら ず、 長い ながい オ 一 ひと つで 言う いう 形 かたち です。 書き言葉 かきことば と 改まっ あらたまっ た 話し はなし 方 かた ではそちらが 多く おおく 、くだけた 話し はなし 方 かた ではアオのほうが 多い おおい 。 どちらも 正しく ただしく 、 意味 いみ は 同じ おなじ です。 辞書 じしょ には 短い みじかい ほうが 見出し みだし として 載り のり ます。この 課程 かてい では、 聞く きく ときに 両方 りょうほう を 受け取れる うけとれる ようにしておいて、 自分 じぶん で 言う いう ときはアオのほうを 使い つかい ます。 二 ふた つの 活用 かつよう をくらべる 表 ひょう 第 だい 一 いち 活用 かつよう と 第 だい 二 に 活用 かつよう の 違い ちがい を 三 みっ つにまとめます。 表 ひょう は 三 さん 行 ぎょう です。 くらべるところ 第 だい 一 いち 活用 かつよう では 第 だい 二 に 活用 かつよう では 辞書 じしょ に 載る のる 形 かたち γράφω で 書く かく αγαπώ で 愛する あいする 強勢 きょうせい の 置きどころ おきどころ 語幹 ごかん にとどまって 動か うごか ない かならず 語尾 ごび に 来る くる 六 むい つの 語尾 ごび の 母音 ぼいん エとウが 混じる まじる ほとんどアでそろう いちばん 確か たしか な 手がかり てがかり は 強勢 きょうせい の 位置 いち です。 書く かく ならグラフォと 頭 あたま に 山 やま があり、 愛する あいする ならアガポと 末尾 まつび に 山 やま がある。 日本 にっぽん 語 ご には 強弱 きょうじゃく の 強勢 きょうせい が 無い ない ので 最初 さいしょ は 掴み つかみ にくいのですが、ここは 意味 いみ を 分ける わける 違い ちがい なので、 聞き分け ききわけ られるようにしておく 価値 かち があります。 なぜ 二 ふた つに 分かれ わかれ たのか、 理由 りゆう も 言っ いっ ておきます。 第 だい 二 に 活用 かつよう の 動詞 どうし は、もともと 語幹 ごかん の 最後 さいご に 母音 ぼいん を 持っ もっ ていて、その 母音 ぼいん が 語尾 ごび の 母音 ぼいん と くっついて 一 ひと つになった ものです。 二 ふた つの 母音 ぼいん が 融け とけ たので、そこに 強勢 きょうせい が 残っ のこっ た。 古 こ 編 へん で 古典 こてん 語 ご に 橋 はし を 架ける かける とき、 融ける とける 前 まえ の 形 かたち を 見 み ます。いまは「そういう 成り立ち なりたち だから 語尾 ごび に 山 やま がある」と 押さえ おさえ ておけば 十分 じゅうぶん です。 である と 持つ もつ の 表 ひょう 二 ふた つの 動詞 どうし を 並べ ならべ ます。 表 ひょう は 六 ろく 行 ぎょう で、 真ん中 まんなか が である、 右 みぎ が 持つ もつ です。 誰 だれ のことか である 持つ もつ 私 わたくし が 一人 ひとり είμαι で 私 わたくし は〜だ έχω で 私 わたくし は 持っ もっ ている あなたが 一人 ひとり είσαι で あなたは〜だ έχεις で あなたは 持っ もっ ている あの 人 ひと が 一人 ひとり είναι で あの 人 ひと は〜だ έχει で あの 人 ひと は 持っ もっ ている 私 わたくし たち είμαστε で 私 わたくし たちは〜だ έχουμε で 私 わたくし たちは 持っ もっ ている あなたたち είστε で あなたたちは〜だ έχετε で あなたたちは 持っ もっ ている あの 人 ひと たち είναι で あの 人 ひと たちは〜だ έχουν で あの 人 ひと たちは 持っ もっ ている 右 みぎ の 欄 らん をよく 見 み てください。 持つ もつ は 第 だい 一 いち 活用 かつよう そのままです。 2.4 の 六 むい つの 語尾 ごび がそっくり 付い つい ています。だから、この 動詞 どうし について 現在 げんざい では 新しく あたらしく 覚える おぼえる ものがありません。 不 ふ 規則 きそく なのは 過去 かこ のほうで、それは 2.7 で 扱い あつかい ます。 左 ひだり の 欄 らん が 本当 ほんとう の 不 ふ 規則 きそく です。 二 ふた つ、 押さえる おさえる ところがあります。 一 ひと つ、 一 いち 人称 にんしょう の 単数 たんすう がオで 終わり おわり ません。 ギリシア 語 ご の 動詞 どうし でこれが 起きる おきる のはこの 語 ご だけです。 二 ふた つ、 三 さん 人称 にんしょう の 単数 たんすう とたくさんが 同じ おなじ 形 かたち です。あの 人 ひと だ と あの 人 ひと たちだ が 区別 くべつ できない。 文 ぶん の 他 ほか のところ—— 名詞 めいし の 数 かず や 形容 けいよう 詞 し の 語尾 ごび ——で 判断 はんだん します。 読み よみ 方 かた — である を 落とせ おとせ ないこと 日本 にっぽん 語 ご は「 元気 げんき 」と 言う いう だけで 文 ぶん になります。「だ」を 落とし おとし ても 通じる つうじる 。ギリシア 語 ご では である を 落とせ おとせ ません 。 元気 げんき だ と 言う ゆう には、 元気 げんき という 語 ご と である という 動詞 どうし の 両方 りょうほう が 要り いり ます。ここは 日本 にっぽん 語 ご 話者 わしゃ が 最初 さいしょ に 落とす おとす ところです。 そして、である のあとに 来る くる 形容 けいよう 詞 し は 主語 しゅご の 性 せい と 数 かず に 合わせ あわせ ます 。2.3 で 学ん まなん だ 一致 いっち が、ここで 生き いき ます。 用意 ようい ができている、と 男 おとこ の 人 ひと に 言う いう のと 女 おんな の 人 ひと に 言う いう のとでは、 形容 けいよう 詞 し の 語尾 ごび が 違う ちがう 。 動詞 どうし は 同じ おなじ でも、 形容 けいよう 詞 し が 動く うごく 。 語順 ごじゅん についても 一 ひと つ。この 課 か の 頻出 ひんしゅつ 語 ご には、 である が 文 ぶん の 最後 さいご に 来る くる 文 ぶん がいくつも 出 で てきます。 元気 げんき です、 本当 ほんとう だ、お 医者 いしゃ さんですか——どれも 語 ご のほうが 先 さき で、 動詞 どうし が 後ろ うしろ です。ギリシア 語 ご の 語順 ごじゅん は 自由 じゆう で、 強調 きょうちょう したいものを 前 まえ に 置く おく のが 原則 げんそく です。 日本 にっぽん 語 ご も 動詞 どうし が 最後 さいご に 来る くる 言語 げんご なので、この 語順 ごじゅん はむしろ 自然 しぜん に 感じ かんじ られるはずです。 もう 一 ひと つ 気づい きづい てほしいことがあります。 頻出 ひんしゅつ 語 ご の 最初 さいしょ の 六 むい つの 文 ぶん は、どれも 目的 もくてき 語 ご が 動詞 どうし より 前 まえ に 置か おか れています。 彼女 かのじょ を 愛する あいする 、 私 わたくし を 愛する あいする 。 日本 にっぽん 語 ご とまったく 同じ おなじ 並び ならび です。これは 弱形 じゃっけい の 代 だい 名詞 めいし という 一群 いちぐん の 語 ご の 性質 せいしつ で、2.9 でまとめて 扱い あつかい ます。ギリシア 語 ご は 語順 ごじゅん が 自由 じゆう と 言わ いわ れますが、この 一群 いちぐん だけは 置く おく 場所 ばしょ が 決まっ きまっ ていて、しかもそれが 日本 にっぽん 語 ご と 同じ おなじ —— 型 がた 編 へん で 組み立て くみたて を 学ぶ まなぶ とき、 大きな おおきな 助け たすけ になります。 頻出 ひんしゅつ 語 ご で 通す とおす 十 じゅう 文 ぶん あります。 最初 さいしょ の 六 むい つは 愛する あいする という 同じ おなじ 動詞 どうし の 六 むい つの 人称 にんしょう で、 語尾 ごび だけが 変わり かわり ます。 続け つづけ て 聞く きく と、アの 音 おと がそろっていることと、 強勢 きょうせい が 語尾 ごび にあることが 分かり わかり ます。 訳 わけ は 本 ほん 課程 かてい で 起こし おこし た 日本 にっぽん 語 ご です。 文 ぶん 訳 わけ 見る みる ところ Την αγαπάω. [1] 彼女 かのじょ を 愛し あいし ている。 私 わたくし が 一人 ひとり 。 語尾 ごび はアオ。 目的 もくてき 語 ご が 動詞 どうし の 前 まえ にある Την αγαπάς; [2] 彼女 かのじょ を 愛し あいし ているの。 あなたが 一人 ひとり 。 語尾 ごび はアス Την αγαπάει. [3] あの 人 ひと は 彼女 かのじょ を 愛し あいし ている。 あの 人 ひと が 一人 ひとり 。 語尾 ごび はアイ Την αγαπάμε. [4] 私 わたくし たちは 彼女 かのじょ を 愛し あいし ている。 私 わたくし たち。 語尾 ごび はアメ Με αγαπάτε; [5] 私 わたくし を 愛し あいし ていますか。 あなたたち。 語尾 ごび はアテ。 目的 もくてき 語 ご が 変わっ かわっ ている Με αγαπούν. [6] あの 人 ひと たちは 私 わたくし を 愛し あいし ている。 あの 人 ひと たち。ここだけウンで 終わる おわる Καλά είμαι. [7] 元気 げんき です。 である の 一 いち 人称 にんしょう 。 副詞 ふくし が 先 さき 、 動詞 どうし が 後ろ うしろ Αλήθεια είναι. [8] それは 本当 ほんとう だ。 である の 三 さん 人称 にんしょう 。 名詞 めいし が 先 さき 、 動詞 どうし が 後ろ うしろ Δίκιο έχεις. [9] きみの