アーレント――人は共に活動するとき公共の世界をつくる(活動・公共性) — Epoché
現代 現代の倫理学と政治哲学 約 16 分 本文 約 6,700 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 三つの営み・始まり・現れの場の 3 つ 三つの営み 人間の活動的生は、生命を保つ労働、長持ちする物で世界を作る仕事、人と人とが言葉と行いでじかに関わる活動に分かれる。三つは別の物差しで測られ、アーレントは活動を人間に固有のものとみた(『人間の条件』1958 年)。 始まり 活動の自由とは、選択肢から選ぶことではなく、新しく始める力であり、人が一人ひとり生まれてくるという出生に根ざす。活動は複数の人々の前で「誰」を現すが、結果は見通せず取り消せないので、約束と赦しがそれを支える。 現れの場 人々が共に語り活動するところに、皆が互いに現れる空間と、人々の間の権力が生まれる。権力は蓄えられず、人々が散れば消える。ただし、経済や社会の問題を政治から締め出しすぎだ、という批判も強い。 はじめに ハンナ・アーレントは、1906 年にドイツのハノーファーで生まれ、1975 年にニューヨークで亡くなった政治思想家です [1] 。マールブルク大学でハイデガーに、ハイデルベルク大学でヤスパースに学びました [1] 。学位を得たのは 1928 年で、その論文『アウグスティヌスの愛の概念』は翌 1929 年に刊行されています。 1933 年、ヒトラーの政権掌握でドイツを逃れ、パリで難民の支援に携わりました。1941 年にニューヨークへ移り、亡くなるまでニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチで政治哲学を教えました [1] 。 1951 年の『全体主義の起原』で、彼女はナチスとスターリンの体制を分析しました。1958 年には、最も重要な哲学の著作とされる『人間の条件』を、1963 年には『エルサレムのアイヒマン』と『革命について』を出しました [1] 。 この課で読む『人間の条件』で、アーレントは、政治とはどんな営みかを根本から問い直します [1] 。答えの中心にあるのは、人々が共に語り、共に何かを始めるときにだけ、公共の世界が生まれる、という考えです。 この課の問い 選挙の日に一票を入れれば、それで政治に加わったと言えるでしょうか。それとも公共の世界は、人々が顔を合わせて語り合い、共に何かを始めるたびに、新しくつくられるものなのでしょうか。 この課のことば 活動 物を介さず、人と人とが言葉と行いでじかに関わり、何かを新しく始める営みです。 複数性 地上に住むのが一人の「人間」ではなく、多くの人々だという事実です。皆が同じ人間でありながら、誰一人として他の誰とも同じではありません。 出生(ネイタリティ) 人が生まれるたびに、新しい誰かが世界に来るという事実です。アーレントは、新しく始める力の根をここに見ました。 現れの空間 私が他人に現れ、他人が私に現れる場です。人々が言葉と行いで共にあるところに生まれ、活動がやめば消えます。 権力 人々が共に活動するときに、その間に生まれる力です。一人の持ち物の「強さ」や、強いる「暴力」とは違い、同意と説得に基づきます。 共通の世界 人が作った物や制度や場から成る、皆で分け合う長持ちする世界です。人々を結びつけ、同時に隔てます。 活動と公共性――人はどこで「誰」として現れるのか 前の編のフリッカーの課では、偏見のせいで人の言葉が信用されない不正を読みました。この編では、人がどう共に生きるかを問う、現代の倫理学と政治哲学を読みます。最初のアーレントは、正しい原理を立てる前に、そもそも政治とはどんな営みかを問い直しました。この章では、三つの営みの区別、始める自由と複数性、現れの空間と権力を、順に読みます。 労働・仕事・活動――人の営みを三つに分ける アーレントは、考えることに対して、世界の中で手と言葉を使って営む生活を「活動的生」( vita activa )と呼びます。そしてそれを、労働・仕事・活動の三つに分けます [1] 。労働は生命という条件に、仕事は世界性という条件に、活動は複数性という条件に対応します。三つはそれぞれ自分の原理を持ち、別の物差しで測られます [1] (表 1) 。 この表で分かること: 三つの営みは、対応する条件も、測る物差しも、後に残るものも違います。一人ひとりが「誰」として現れるのは活動だけです。 営み 対応する条件 何で測られるか 後に残るもの 労働(米を炊いて食べる) 生命 生命の必要を満たすか 残らず、また繰り返す 仕事(本棚を作る) 世界性 使える世界を作り保つか 作り手より長く残る物 活動(集まりで語り始める) 複数性 「誰」を現し、自由を実現するか 物語として覚えられれば残る 表 1 三つの営みの区別と物差しはアーレントの論点で、SEP の整理によります [1] 。括弧の中の例は本教材の作例です。 労働は繰り返します。米を炊いて食べれば、明日また炊かねばなりません。労働は、生命を保ち、食べることと産むことの必要を満たせるかで測られます。ここでは皆が同じ体の必要に縛られるので、人は同じ種の一員として役割を果たすだけで、一人ひとりの違いは沈みます [1] 。 仕事は残ります。職人は設計図に導かれて本棚を作り、本棚は作り手より長く残ります。仕事は、人が使える世界を作り保てるかで測られます。作品には作り手の印がありますが、示すのは、作り手にその技量があったことだけです。作り手が誰であったかまでは語りません [1] 。 活動は物を介しません。人と人とが言葉と行いでじかに関わるときにだけ、一人ひとりは、才能や欠点のような「何であるか」ではなく、「誰であるか」を現します [1] 。だから活動は言葉と結びつきます。言葉の伴わない行いは意味を失い、誰の行いかも分からなくなります。 本教材の作例で、ある人の一日を考えましょう。朝、米を炊いて食べ、洗い物をします(労働)。昼、木工所で注文の本棚を図面どおりに組み立てます(仕事)。夜、町内の集まりで、取り壊されそうな古い図書館を残そうと立ち上がって話し、周りの人が応じて会ができます(活動)。三つは同じ一人の中にあります。 アーレントは三つとも人間の生に欠かせないとしながら、活動を、動物の生とも神々の生とも人間を分けるものとみました [1] 。SEP は、ここに、行うこと(プラクシス)と作ること(ポイエーシス)を分ける古代の考えの復活を読み取ります [1] 。政治を、設計図どおりに物を作る制作と取り違えないことが、要になります。 ここで間違えやすい 労働を「つまらない仕事」、活動を「立派な仕事」のように、職業の上下と取らないようにしましょう。三つは、同じ人が日々営むことの種類の区別で、アーレントは三つとも人間の生に欠かせないとしました [1] 。もう一つの誤解は、「仕事」を日常語の「勤め」と取ることです。ここでの仕事は、長持ちする物を作る営みに限られます。 始める自由と複数性――「あなたは誰か」に答える 活動の中心にあるのは、自由と複数性です。アーレントの言う自由は、いくつかの選択肢から選ぶ力ではありません。自分から何かを始め、予期されないことを行う力です [1] 。この力は、人が生まれるたびに新しい始まりが世界に来るという「出生」に根ざします(『人間の条件』177〜178 頁) [2] 。だから彼女が近代の活動の例に挙げるのは、アメリカ革命、1871 年のパリ・コミューン、1956 年のハンガリーの蜂起のような、革命や民衆の立ち上がりです [1] 。 複数性とは、地上に住むのが一人の「人間」ではなく、多くの人々だという事実です。皆が人間として同じでありながら、誰一人として他の誰とも同じではありません(同 7〜8 頁) [2] 。同じだから分かり合え、違うから取り替えがききません。活動は、演じ手に観客が要るように、違う見方から判断する他人の前でだけ意味を持ちます [1] (図 1) 。 出生 人が生まれるたびに、新しい誰かが 世界に来る 活動(始める自由) それまでの成り行きから予期できない ことを始める 複数性 同じ人間で、誰も同じでない人々の前で 「誰」が現れる 関係の網 結果は誰にも見通せず、取り消せない 約束と赦し 約束が未来を縛り、赦しが過去から 解き放つ 物語と記憶 覚えられなければ、言葉と行いは消える 図 1 活動はどう始まり、何に支えられるか(本教材の整理)。各段の論点はアーレントのもので [1] 、並べ方は本教材によります。点線の段は、言葉と行いが覚えられて残るには、語り手と聞き手が要ることを示します。 新しく来た人には、誰もがまず「あなたは誰か」と問います。肩書きや能力を並べても、この問いには答えきれません。答えは、その人が他人の前で何を言い、何をしたかの中に現れます [1] 。しかも、その人が誰であったかは、後から語られる物語のほうがよく伝える、とアーレントは言います [1] 。言葉と行いは物のように残らないので、語り手と、それを聞いて覚える共同体がなければ消えてしまいます [1] 。 行いは、他人の行いの網の中に入ります。だから結果は誰の意図からも見通せず、作った物のように壊してやり直すこともできません。その薬としてアーレントが挙げるのが、過去の行いから人を解き放つ赦しと、見通せない未来に安心の島をつくる約束です(同 237 頁) [2] 。どちらも、ひとりでは成り立ちません。自分で自分を赦すことも、自分だけにした約束に縛られることもできないからです [1] 。 ここで間違えやすい アーレントの「自由」を、好きな物を選べる自由や、他人に邪魔されない私生活の自由と取らないようにしましょう。ここでの自由は、他人の前で何かを新しく始める力で、ひとりでは実現しません [1] 。もう一つの誤解は、活動を英雄の大きな行いだけと取ることです。一つの行い、ときには一言が、関係の網の全体を変えうる、と彼女は言います(同 190 頁) [2] 。 現れの空間と権力――共に活動するとき公共の世界が生まれる アーレントにとってポリスとは、私が他人に現れ、他人が私に現れる「現れの空間」です。この空間は、人々が言葉と行いで共にあるところなら、どこにでも新しくつくり直せます(『人間の条件』198〜199 頁) [2] 。けれども活動がつくるものなので壊れやすく、人々が皆に関わる事柄を論じ合うあいだだけあり、それがやめば消えます [1] (図 2) 。 集まって語るとき 古い図書館を残すには? 夜 7 時 現れの空間 あなたは誰か――ここで現れる 光の粒=人々の間に生まれる権力 散った後 古い図書館を残すには? 夜 10 時 輪の跡(点線)だけが残る 床に「次回:来週」の紙 建物も椅子も残るが、空間は消える 図 2 現れの空間は、人々が共に語り活動するときにだけあります。一つ目の絵「集まって語るとき」では、人々を包む光の輪と、人々の間の光の粒が、現れの空間と権力を表します。二つ目の絵「散った後」では、建物も椅子も残っているのに、輪は跡だけになっています。論点はアーレントのもので [1] 、集会所・議題・時刻は本教材の作例です。 現れの空間は、革命のように突然生まれることもあれば、ある法律を変えようとする努力から、ゆっくり育つこともあります。町の集会から労働者の評議会、デモや座り込みまで、公に論じ合う場が生まれるたびに、つくり直されてきました [1] 。 人々が共に活動する力を、アーレントは権力と呼びます。権力は、一人の持ち物である強さとも、強いる暴力とも違い、同意と説得に基づきます [1] [3] 。蓄えておくこともできず、言葉と行いが離れないところでだけ現実になります(同 200 頁) [2] 。制度も、人々の生きた支持を失えば固まって朽ちる、とアーレントは言います [3] 。 だから、私人がそれぞれ匿名で一票を入れるだけでは足りません。人々が公の場で互いを見て語り合い、違う見方から問題を見て、自分の見方を広げるときに、政治の意見が形づくられます [1] 。公共の領域には、この現れの空間と、人が作った物や制度から成る長持ちする「共通の世界」という、二つの面があります [1] 。この世界は、囲む人々を結びつけ、同時に隔てるテーブルにたとえられます(アーレントのたとえとされますが箇所は未確認) (図 3) 。 テーブルを囲む 結びつける 間で隔てる 共通の世界(人が作った物・制度) テーブルが消えたら 結びつけも隔てもしない 近くにいても、互いに関われない 図 3 共通の世界は人々の間のテーブルのようなものだ、というたとえを絵にしました。一つ目の絵では、テーブルが囲む四人を結びつけ、同時に隔てています。二つ目の絵ではテーブルが消え、四人は近くにいても関わりを持てません。このたとえはアーレントのものと紹介されますが、この課では原典の箇所を確かめていません。絵の組み立て・人数・卓上の物は本教材の作例です。 ただし、批判もあります。アーレントは経済の問題を政治以前のこととし、公と私を厳しく分けました。そのため、経済の力と搾取の問題や、私事とされてきた事柄を公の問題にしてきた正義と平等の闘いを捉えられない、とベンハビブやピトキンらは批判します [1] 。 ここで間違えやすい 「公共」を、役所や国家のこと、あるいは大勢が集まる場所なら何でも、と取らないようにしましょう。アーレントの公共の空間は、人々が互いに現れて語り合い、共に活動するときにだけあるものです。建物があるだけでは生まれず、人が散れば消えます [1] 。もう一つの誤解は、権力を「強い者が人を従わせる力」と取ることです。アーレントは、強いる力を暴力と呼び、権力から分けました [1] 。 原典を読む この章の三つ目の節で見た現れの空間と権力を、『人間の条件』の「活動」の章の論点に沿って確かめます。 アーレント『人間の条件』「活動」の章 権力は人々の間にだけある アーレントの著作はまだ著作権の保護期間内なので、訳ではなく、現れの空間と権力を論じる箇所の論点を、主張・理由・たとえの順に本教材の言葉でまとめました。 1 アーレントは、現れの空間は人々が言葉と行いで共にあるところならどこにでも生まれるが、活動が続くあいだしかない、と論じます。 2 集会所や議場は人が去っても残りますが、互いに現れて語り合う場そのものは、人々が散ったとたんに消えます。 3