フーコー――権力は知と組んで身体を規律する(知と権力・規律と監視) — Epoché
現代 構造主義とポスト構造主義 約 26 分 本文 約 10,600 字 図 7・表 2 原典 2 節 この課の要点 知・規律・監視の 3 つ 知 人間について知ることと、人間を従わせることは一つに組み合わさっている、とフーコーは言います(権力/知)。学校の試験や病院の検査は、その人の真実を明らかにすると同時に、その人を動かします。権力は禁じて抑えるだけでなく、私たちの考え方や自分のとらえ方を生み出します(『監獄の誕生』1975、『性の歴史 I』1976)。 規律 近代の処罰は、体を痛めつける見せしめから、監獄で時間と動きを細かく決めて直すことへ移りました。このやり方は工場・病院・学校にも広がり、人を「ふつう」の基準で測って、役に立ち扱いやすい「従順な身体」をつくった、とフーコーは論じます(『監獄の誕生』)。 監視 ベンサムのパノプティコンでは、囚人はいつ見られているか分からないので、いつも見られているかのようにふるまいます。フーコーはこれを近代の規律の権力の型としました。ただし抵抗の無い完全な支配を描いたのではなく、権力のあるところには抵抗があるとしています(1975、1976)。 はじめに ミシェル・フーコー(1926〜1984)は、フランスの哲学者・思想史家です。著作の多くは医学や社会科学の歴史の形をとりました [1] 。1970 年にコレージュ・ド・フランスの「思考体系の歴史」の教授に選ばれました(講座の創設は前年の 1969 年) [4] 。1970 年代からは監獄情報グループの創設者の一人として、社会の端に置かれた人々のために抗議しました [1] 。 前の世代のサルトルとは、個人の主体を出発点に置く点と、普遍の道徳原理で社会を裁く「普遍的知識人」の役割の点で、はっきり距離を取りました [1] 。この課では、二つの主著『監獄の誕生』(1975 年)と『性の歴史 I 知への意志』(1976 年)を中心に読みます [1] 。 この課の問い 学校の試験や病院のカルテ、会社の勤務評定のように、私たちは毎日測られ、記録され、「ふつう」かどうかを見られています。それは、私たちのことを「知る」ためでしょうか。それとも、私たちを「従わせる」ためでしょうか。フーコーは、この二つは切り離せないと答えました。権力は王や政府が上から振るうものだけではない、とはどういうことなのでしょうか。 この課のことば 系譜学(けいふがく) ニーチェから名を借りたフーコーの方法。いまの考えや制度が、理性の必然の進歩ではなく、ささいで誇れない偶然の曲がり角から生まれたことを、歴史をたどって示します。 権力/知 人間について知ることと、人間を動かし従わせることが、別々にあるのではなく、一つに組み合わさって働く、というフーコーの考えです。学校の試験がよい例です。 規律(きりつ) 人の体の動き・時間・場所を細かく決め、見張り、基準に合わせて直していく近代の権力のやり方。監獄・軍隊・工場・病院・学校に共通します。 規格化(きかくか) 法に照らして「許される/許されない」と裁くのでなく、細かな基準に照らして「ふつう/ふつうでない」と測り、ふつうへ寄せていくことです。 パノプティコン ベンサムが考えた監獄の設計。中央の塔から、周りの独房の囚人をいつでも見られますが、囚人からは看守が見えません。フーコーは近代の規律の権力の型としました。 生権力(せいけんりょく) 生命を管理し、整え、増やす権力。17 世紀以来、殺す権利に立つ王の権力(主権)を補いました。個人の体を整える規律と、人口全体を調整する働き(生政治)の二つの極を持ちます。 知と権力――知ることは支配と無関係か 前の課のレヴィ=ストロースは、神話や親族の決まりの下に、人々が意識しないまま従う構造を探しました。フーコーも、意識する主体を出発点に置かず、人が考え語るときの見えない枠を掘り出すことから始めます [1] 。しかしやがて、その枠がどうして変わるのかを問い、枠を、知と権力が結びついた歴史の産物として描くようになりました。この章では、考古学から系譜学への歩み、試験に見る権力/知、権力は禁じるだけでなく生み出すという考えを、順に読みます。 考古学から系譜学へ――考えの枠はどこから来たか フーコーは 1966 年の『言葉と物』を、思考の歴史への「考古学」の取り組みとして示しました。3 年後の 1969 年には『知の考古学』を出し、その方法を言葉にしています [1] 。考古学の要は、ある時代・ある分野の知の体系(フーコーの言葉ではエピステーメー、言説の形成体)が、文法や論理を越える決まりに従っている、という見方です。その決まりは一人ひとりの意識の下で働き、その分野で何が考えられるかの境を定めます [1] 。 たとえば『狂気の歴史』は、17 世紀から 19 世紀にかけて、狂気について語り考える枠がまるで違っていたことを掘り出した本として読める、とフーコーは言います [1] 。いま私たちは「心の病は医者が治すもの」と当たり前に思っています。けれども、昔の人々が別の枠で狂気を考えていたと知れば、いまの枠も必然ではないと気づきます(この言い換えは本教材のものです)。 考古学は、意識する主体を歴史の出発点に置かない書き方を支えました。現象学や従来の歴史学が主体を第一に置くのを退ける点で、ソシュールやラカンの構造主義と響き合っています [1] 。けれども考古学にできるのは、時代ごとの体系を比べることまででした。ある考え方から別の考え方へなぜ移ったのかは、比べるだけでは言えません [1] (図 1) 。 考古学 ある時代の知の決まりを掘り出す (1966・1969) 考古学の限り 時代を比べられても、なぜ移ったかは 言えない 系譜学 いまの枠が偶然の曲がり角から 生まれたとたどる 体の歴史 体が権力の技術の的になり、知と権力が 結びつく 図 1 考古学から系譜学への歩みです(SEP の整理による。段の立て方は本教材)。考古学は捨てられず、系譜学の中に残ります [1] 。 この欠けを埋めるために、1975 年の『監獄の誕生』で初めて使われたのが 系譜学 です [1] 。名はニーチェの『道徳の系譜』から来ており、立派に見えるものが、入り組んだ、ありふれた、誇れない始まりを持つことを示します。いまの考え方の体系は、理性の必然の歩みの行き着いた所ではなく、歴史の偶然の曲がり角から生まれた、というのです [1] 。考古学は捨てられず、体系の骨組みを掘り出す手立てとして系譜学の中に残ります [1] 。 系譜学はまた「体の歴史」でもあります。心や考えの歴史ではなく、体が権力の技術の的になっていく実践の歴史を調べるのです。そこから、知と権力の結びつきが見えてきます [1] 。 ここで間違えやすい 系譜学を、物事の「本当の正しい始まり」を見つけて、いまの姿にお墨付きを与える方法と取らないようにしましょう。フーコーの系譜学は逆に、いまの制度や考えが偶然の曲がり角から生まれたことを示し、それが必然でないことを明らかにします [1] 。また、主体を中心に置かない点で構造主義と重なっても、フーコーが扱うのは時代とともに移る歴史の枠で、時代を超えた構造ではありません(本教材の整理)。 試験と権力/知――知ることがそのまま従わせることになる では、知と権力はどう結びつくのでしょうか。フーコーがよい例とするのが、学校の生徒や病院の患者に行う 試験 です [1] 。試験は、受ける人の真実を明らかにします。何を知っているか、体の具合はどうか、です。同時に、その人の行いを動かします。勉強させ、治療の道筋に従わせるのです [1] 。フーコーは試験を、「力の展開と真理の確立」を一つにまとめるものと言いました(『監獄の誕生』英訳 1977: 184) [1] [2] 。こうした結びつきを、フーコーは「権力/知」と呼びます [1] 。 試験の結果は書類に残ります。学校の欠席簿、病院のカルテです。それらは一人ひとりについての細かな情報になり、管理する側はその人を動かせるようになります [1] 。たまった記録からは分類・平均・基準が作られ、それがまた新しい知の土台になります。その基準で、また人が測られるのです [1] (図 2) 。 試験・検査 見張ることと、基準で裁くことを一つに する 記録の場 欠席簿やカルテに、一人ひとりの情報が 残る 分類・平均・基準 たまった記録から、新しい知の土台が 作られる 「ケース」としての個人 学問の事例であり、世話の対象でもある ふたたび試験へ 新しい基準で、また人が測られる 図 2 試験を軸にした、知ることと従わせることの輪です(SEP 3.4 の論点を本教材が段に並べたもの)。点線の段は、新しい基準でふたたび試験に戻ることを示します [1] 。 こうして試験は、個人を「ケース」にします。学問の一つの事例であると同時に、世話を受ける対象でもある、という二つの意味です。世話をすることは、いつも同時に管理する機会でもある、とフーコーは見ます [1] 。 教材の作例で考えましょう。ある中学生が期末試験を受けると、点数が成績表に残り、学年の平均と比べて「平均より下」に分けられます。それをもとに補習に回され、放課後の時間割が決まります。点数はその子の学力を「知る」ための数字ですが、同時にその子の放課後を「動かす」力にもなっています(場面は本教材の作例です)。 ここで、近世のベーコンの「知は力なり」と比べてみましょう。SEP の整理では、ベーコン流の見方では、知は力の道具であっても、二つは別々にあります。フーコーの言う結びつきはもっと近く、少なくとも人間を調べる学問では、知る目的と従わせる目的を切り離せません。知ることで従わせ、従わせることで知るのです [1] 。 ここで間違えやすい 「権力/知」を、権力を持つ者が知を独り占めして悪用するとか、知は権力の言いなりで中身はうそだ、という意味に取らないようにしましょう。フーコーが言うのは、人間についての知が、人を測って分け、直すという働きと切り離せない形で生まれ、働いている、ということです。知がみな偽りだと言うのではありません(本教材の整理)。 権力は生み出す――禁じるより先に形づくる 1976 年の『性の歴史 I 知への意志』は、ある通説を退けることから始まります。19 世紀のヴィクトリア朝の時代に性が抑えつけられ、語ることを禁じられた、という「抑圧の仮説」です [1] [3] 。フーコーによれば、実際には性は医学・法・心理学の新しい語りの的になり、語りはむしろ増えました [1] 。 フーコーの的は、同時代の考えでもありました。1960〜70 年代には、人には生まれつきの健やかな性があり、それが市民道徳や資本主義の仕組みに抑えつけられているので、解き放たねばならない、という見方が広まっていました [1] 。フーコーは、解き放つべき自然な性はもともと無いと論じます。一つの規範から逃れても、別の規範に移るだけなのです [1] (図 3) 。 抑圧の見方 フーコーの見方 権力は禁じ、 抑えつける 権力は語らせ、 形づくる 権力は上の 王・政府・階級に ある 家族・職場・日々の 実践に散らばる 解き放てば本当の 自分に戻る 別の規範に移るだけ 権力のあるところには、いつも抵抗があります。 図 3 権力は抑えるのか、生み出すのか(『性の歴史 I』)。一つ目の列はフーコーが退けた見方の要約で、行の立て方は本教材の整理です [1] 。 ここからフーコーは、権力のとらえ方を組み直します。権力は本来、抑えつけるものではなく、 生み出す ものだ、と言うのです。権力は自然な性を禁じるのでなく、文化の規範と学問の語りを通して、私たちが性を経験し考えるやり方そのものを生み出します [1] 。人は自分の性について本当のことを語るよう求められ、かつて司祭にした告白は、医者や心理学者に語ることへ移りました [1] 。さらに人は、学問が定めた基準を内に取り込み、自分で自分を見張って合わせようとします [1] 。 では、権力をどう調べればよいのでしょうか。中心や、支配する個人・階級を探すのではありません。家族・職場・日々の実践・社会の端の制度に散らばった無数の場を、下から調べる「権力のミクロ物理学」が要る、とフーコーは言います [1] 。権力には狙いと手立ての筋道がありますが、誰かがそれを意識して立てたわけではありません。そして権力のあるところには、いつも抵抗があります [1] 。 ここで間違えやすい 「権力はどこにでもある」を、抵抗しても無駄だ、人は操られる人形だ、という意味に取らないようにしましょう。フーコーは権力を不安定な実践の網と見て、権力のあるところには必ず抵抗があるとしました [1] 。また「生み出す」は「良いものだ」という評価ではありません。禁じるだけでなく、私たちのあり方を形づくる、という意味です。 規律と監視――人はなぜ見られていなくても従うのか 第 1 章で見たように、フーコーにとって知と権力は一つに組み合わさっています。その結びつきがはっきり見えるのが、『監獄の誕生』の描く近代の処罰の歴史です。罪人の体を痛めつける見せしめは消え、より「穏やか」な監獄が現れました。この章では、身体刑から監獄への移り変わり、規律の技術と従順な身体、パノプティコンという監視の型を、順に読みます。 身体刑から監獄へ――罰を減らし、よりよく罰する 『監獄の誕生』(1975 年)は、罪人を拷問したり殺したりするのでなく、監獄に閉じこめるという近代の「より穏やか」な処罰がどう生まれたかを調べる、系譜学の研究です [1] 。近代より前の処罰は、王に背いた者への仕返しでした。罪人の体を人々の前で痛めつけ、王の力を見せつけたのです。その王の力は、殺す権利に支えられていました [1] 。 フーコーは本の初めに、二つの資料を並べます。一つは 18 世紀の、国王を襲った罪人の公開の処刑の記録です。もう一つは、19 世紀の少年感化院の規則で、起床の太鼓から作業、授業、食事までが時刻で決められています [2] (図 4) 。見比べると、体を痛めつける見せしめが消え、時間割で毎日を縛る処罰が現れたことが分かります。 見せしめの処罰(18 世紀) 幕 王の力を、人々の前で体に刻む 感化院の一日(19 世紀) 時間割