The Bear — Anton Chekhov
――N・N・ソロフツォーフに捧げる 人物 ポポー (エレーナ・イ ーノヴナ) 両頬にエクボのある若い未亡人、女地主 スミルノーフ(グリゴーリイ・ステパーノヴィチ) 中年の地主 ルカー ポポー の従僕、老人 舞台は、ポポー の地主屋敷の客間。 一 ポポー (大喪の服をきて、一葉の肖像写真から眼をはなさない)とルカー ルカー 困りますなあ、奥さま。……それじゃ御自分の身を、じりじり滅ぼしておいでになるだけですよ。小間使も、おさんどんも、イチゴを採りに行きましたし、およそ息のあるものは、結構みんな楽しんでおりますよ。現にあの小猫でさえ、慰みごとはちゃんと心得ていて、庭をほつきまわっては、小鳥をとらまえていますのに、あなた様は日がな一んち、まるで尼寺にはいったみたいに、お部屋にこもりきりで、どだい気散じというものを、なさらない。全く、ほんとでございますよ! なにせ、もうこの一年というもの、うちから一あしも、おでましにならないなんて!…… ポポー ああ、二度とふたたび、外へなんか出ないよ。……出てどうするのさ? わたしの一生は、もう終ったんだよ。あの人はお墓のなかに 臥 ( ね ) ている。わたしは、この四つの壁のなかに、自分を埋めている。……ふたりとも、死んでしまったのさ。 ルカー ほれ、またそれだ! ほんとに、もう聞きたくもない。 ニコライ・ミハイロヴィチ ( だんなさま ) が亡くなったのは、そうなる因縁ごとで、つまり神さまの思召しでございますよ。――天国に安らわせたまえ。……あなた様も、これまでお歎きになりゃ、もう沢山で、世間体というものも、少しはお考えにならなけりゃあ。一生がい泣きとおしたり、喪服を着どおしたりで、暮らせるものじゃござんせん。……わたしも昔、ばあさんに死なれましたっけが……なあに、もう! ひと月ほどは、歎きも泣きもしましたけれど、それでまあ沢山でして、一生がい泣いて暮らすほど、有難いばあ様でもありませんでしたよ。(ため息をつく)ほんとに、近所のつきあいも、すっかり忘れてしまいなすった。……こっちからもお出かけがないし、向う様を呼ぼうともなさらない。こう申しちゃ 失礼 ( なん ) ですが、わしらの暮らしは、とんと蜘蛛みたようで、――日の目もろくろく拝めませんですよ。一張羅のお仕著せだって、 鼠公 ( ねずこう ) に食われる始末で。……それで、立派なお人がいなさらんのならまだしも、この郡内と来たら、殿がたがキラ星のようにお揃いじゃござんせんか。……ルィブロヴォにゃ、聯隊が駐屯しとりまして、その士官さんたちといや――色とりどりのボンボンみたようで、見ても見飽きることじゃねえ! その営舎じゃ、金曜といや、かならず舞踏会があるし、それに、なにせ毎にち、軍楽隊がぶかぶかやっておりますよ。……やれまあ、奥さま! そのお若さで、そのご器量で、血にミルクをまぜたみたいな血色で、――いっそ面白おかしく、お暮らしになったらどうですかね。……きれい盛りは、いつまで続くもんでもござんせん! これで十年もしたら、いくら孔雀みたいにめかしたてて、士官さんたちの目をくらまそうとなすったところで、はや手おくれでござんすよ。 ポポー (きっぱりと)いいから、もう二度とわたしに、そんな話はしないでおくれ! お前だって知ってるじゃないか―― ニコライ・ミハイロヴィチ ( だんなさま ) が亡くなって以来、この世はわたしにとって、一文の値うちもなくなったんだよ。お前には、わたしが生きてるように見えるだろうけど、ただそう見えるだけなのさ! わたしはお墓にはいるその日まで、この喪服を脱がない、世間へも出ないって、心に誓ったんだよ。……いいかい? わたしがどんなにあの人を愛しているか、あの人の幽霊に見せてやりたい。……そりゃ、わたしも知ってるし、お前に今さら匿したって始まらないことだけれど、あの人はちょいちょい、わたしを邪慳に扱ったり、むごい仕打ちをしたり、おまけに……その、不実なまねまでしたわ。でもね、わたしはお墓にはいるまで操を立てとおして、わたしがちゃんと愛のまことを心得ている女だという証拠を、あの人に見せてやるのさ。やがてあの世で再会したら、わたしがあの人の死ぬ前と、ちっとも変らないでいることを、あの人は思い知るだろうよ。…… ルカー まあ、そんなことを仰しゃるひまに、ひとつお庭を散歩でもなさるか、いっそトビーかヴェリカン〔 (ともに馬の名) 〕を馬車につなげと言いつけて、ご近所へ訪問におでかけになっては…… ポポー ああ! (泣く) ルカー 奥さま!……奥さまったら!……どうなさいました? びっくらするじゃございませんか! ポポー あの人は、トビーをあんなに可愛がっていた! いつもあの馬に乗って、コルチャーギンやヴラーソフのところへ、出かけてらしたものだっけ。馬がお上手だったわねえ! こう力いっぱい手綱を引きしめてらっしゃる時の姿の、優美なことといったら! おまえ、覚えてるかい? トビー、ああトビー! 今日はあれに、カラス麦を五百 匁 ( め ) 、おまけにやるように言っとくれ。 ルカー かしこまりました! けたたましい呼鈴の音。 ポポー (身ぶるいして)だれだろう? わたしはどなたにもお目にかかりませんて、そう言うんだよ! ルカー へ、かしこまりました! (退場) 二 ポポー (ひとり) ポポー (写真を見ながら)いまに見せたげますよ、ニコラス、わたしがどんなに愛のまことを心得た女か、どんなに人の罪を赦せる女か、ということをね。……わたしの愛は、この哀れな心臓の鼓動がとまった時はじめて、わたしと一しょに消えるのよ。(笑って、涙ごえで)でも、あなたは恥かしくないこと? わたしはこんなにいい児で、貞淑な奥さんで、じぶんにピンと錠をおろして、お墓へはいるまで操を立てとおすつもりなのに、あなたったら……よくも恥かしくないことねえ、おでぶちゃん? 浮気をしたり、もんちゃくを持ちあげたり、なん週間もうちを明けたり…… 三 ポポー とルカー ルカー (登場、おどおどして)奥さま、だれだか、たずねてまいりましたよ。お目にかかりたいって…… ポポー でもお前は、こう言ったんだろうね?――主人が亡くなって以来、わたしはどなたにもお目にかかりませんって。 ルカー 申しました。だけど、てんから耳にもかけねえで、大事な用件だ、とこうなんで。 ポポー わたしは、お目に、か・か・り・ま・せん! ルカー それは、よく申しましたが……何しろ、森の主みたいなどえらい男でして、大声でがなり立てて、ずかずかあがりこんで来ますんで……もう、食堂まで来ております…… ポポー (いらだって)じゃいい、お通し。……なんてまあ無作法な! ルカー退場。 ポポー ほんとに困った連中だこと! わたしに一体なんの用があるんだろう? せっかく人が静かにしているのを、なんだって邪魔するんだろう? (ため息をつく)だめ、だめ、こうなったらもう、ほんとに尼寺へでも行かなくちゃ……(考えこむ)そう、尼寺へ…… 四 ポポー 、ルカー、スミルノーフ スミルノーフ (入りながら、ルカーに)でくのぼうめ、つべこべご託をならべやがる。……頓馬野郎! (ポポー を見て、威容をつくり)これは奥さま、初めてお目にかかります。退職陸軍砲兵中尉、地主のグリゴーリイ・ステパーノヴィチ・スミルノーフであります! すこぶる重要な用件のため、ご静閑をわずらわしますが…… ポポー (手をあたえずに)どういうご用向きでしょう? スミルノーフ 亡くなられた御主人と、おつきあいを願っておった者ですが、その御主人に、約束手形二枚で合計千二百ルーブリ、御用だてしてあります。じつは 明日 ( みょうにち ) が、農業銀行へ利子を払いこむ日になっとりますので、ひとつ奥さん、その金を 今日 ( きょう ) のうちに御皆済ねがいたいので。 ポポー 千二百……。でも、どういうわけで宅は、そのお金を拝借したのでしょう? スミルノーフ わたしから、カラス麦を買われたのです。 ポポー (ため息をつきながら、ルカーに)いいかい、ルカー、お前わすれないでね――トビーにカラス麦を五百 匁 ( め ) 、おまけにやるように言うんだよ。(ルカー退場。スミルノーフに)それは、宅が拝借したものでしたら、もちろんわたくし、お支払い申しますわ。でも、あいにくと今日は、手もとに持ち合せがございません。 明後日 ( みょうごにち ) になれば、うちの支配人が町から戻って参りますから、さっそく申しつけて、然るべくお支払いをいたさせますが、さしあたって御希望に副いかねます。……それに今日は、宅が亡くなりましてちょうど七カ月に当りますので、わたくしどうも、金銭のことには一切かかずらわりたくない、そんな気分でおりますものですから。 スミルノーフ ところが、今のわたしの気分は、もし 明日 ( あした ) 、利子が払えんとなったら、しゃっちょこ立ちで夜逃げをせずばなるまいと、そういうわけなんで。わたしの領地が、差押えをくうんですぞ! ポポー 明後日 ( みょうごにち ) になれば、拝借のお金をお返しいたします。 スミルノーフ こっちが金のいるのは、明後日じゃない、今日なんです。 ポポー 今日はお支払い致しかねますから、あしからず。 スミルノーフ ところがこっちは、明後日まで待つわけにゃ行かんので。 ポポー いま手もとにないものを、どうしろと仰しゃるんです! スミルノーフ すると、払えんと言われるのですか? ポポー 致し方ございません…… スミルノーフ ふむ!……それがあなたの、ぎりぎりのお返事ですな? ポポー はい、ぎりぎりの。 スミルノーフ ぎりぎりですな? 断然そうですな? ポポー ええ、断然。 スミルノーフ ありがたい仕合せだ。ご恩は決して忘れません。(肩をすくめる)これでもまだこのおれに、冷静にしろって言うんだからなあ! さっきも途中で、税務署の男に逢ったら、「なんだってあんたは、いつもぷりぷりしてるんです、ええスミルノーフさん?」って聞きやがる。冗談じゃない、これがぷりぷりせずにいられるものか? 金につまって、にっちもさっちも行かんのですからね。……そもそもわたしが家を出たのは、きのうのことで、それも朝まだ薄ぐらいうちから飛びだして、貸しのある連中を片っぱしから訪ねて ったんですが、そのうちせめて一人でもが払うことか! 野良犬みたいにへとへとになって、泊った先がどこかといえば、いやはや、――ユダヤ人の居酒屋の、酒だるのそばでしたよ。……あげくの果てに、うちから七十キロもあるここまでたどり着いて、こんどこそ貰えるぞと当てにしていれば、とんだ「気分」とやらの御馳走だ! これが腹を立てずにいられますか? ポポー わたくし、はっきり申しあげたはずですわ、――支配人が町からもどり次第、お返しいたしますと。 スミルノーフ わたしは支配人を訪ねて来たのじゃない、あなたをですぞ! そんな支配人なんか、こう申しちゃなんだが、くそくらえだ! ポポー 失礼でございますが、わたくし、そういう妙な言葉づかいや、そういう口調に、馴染んでおりません。この上お話をうけたまわるのは、ご免をこうむります。(足ばやに退場) 五 スミルノーフ(ひとり) スミルノーフ ええ、どうだい! 気分だってさ。……七カ月まえ主人が亡くなりましたので、だとさ! ところでこっちは、利子を払わにゃならんのか、それとも払わんでいいのかい? ひとつ伺いますが、利子は払うのでしょうか、それとも払わんで宜しいのでしょうか? やれ主人が亡くなったの、やれ気分がどうのって、あの手この手でおいでなさる……支配人がどこぞお出かけですってか。へん、どうぞ御勝手に。だが、こっちは一体どうしろと仰しゃるんです? 軽気球にでも乗っかって、借金とりから逃げだすんですかい? それとも、めくらめっぽう駈けだして、脳天、壁でぶち割るんですかい? グルーズヂェフのところへ行けば、留守とくる。ヤロシェーヴィチは雲がくれしちまうし、クーリツィンとは、生きるか死ぬの大喧嘩をやらかして、すんでのことで奴を、窓からおっぽり出すところだった。マズートフは擬似コレラだし、ここの細君は、気分とおいでなさる。悪党ども、だれひとりとして払いやがらん! というのもみんな、このおれが奴らを甘やかしすぎた罰だ。おれが愚図で、いくじなしで、女の腐ったみたいだからだ! だいたいおれは、やつらの感情を尊重しすぎるんだ! ようし、待っとれよ! いまに思い知らせてやるからな! おれは断じて、ふざけた真似はゆるさんぞ、業つくばりめが! よし、ここにこのままいて、あの女が払わんうちは、こうして頑張っていてやる! ブルルッ!……今日という今日は、おれは 怒 ( おこ ) ったぞ、ほんとに怒ったぞ! あんまり怒ったもんで、膝がしらががくがくして、息がつまりそうだわい。……ふうっ、こりゃいかん、気持まで悪くなってきた! (どなる)おい、誰かおらんか! 六 スミルノーフ、ルカー ルカー (登場)何ご用で? スミルノーフ ク ス〔 (無色透明の清涼飲料) 〕か水を持ってこい! ルカー退場。 スミルノーフ いやはや、なんたる 論理 ( ロジック ) だ! 人が金につまって、にっちもさっちも行かず、あわや首っつりの瀬戸ぎわだというのに、あの女ときたら、なんのこったい、金銭のことにかかずらわりたくございませんので、払わないとぬかしやがる!……まさに典型的な女の論理――コルセット論理だ! そいだからおれは、昔から女と話すのは苦手だったし、今だって苦手なんだ。おれにとっちゃ、いっそ火薬の樽にでも腰かけてる方が、女と話すよりゃ気が楽だよ。ブルルッ!……ぞくぞく総毛だって来たわい――よくもおれを、ここまで怒らせやがったな、阿魔っちょめ! おれは、ああした詩的な存在を、遠くからちょいと見ただけでも、とたんに腹わたが煮えくり返って、ふくらはぎが痙攣してくるんだ。助けてくれえ――と、わめきたくなるんだ。 七 スミルノーフ、ルカー ルカー (登場して、水を差し出す)奥様はお加減がわるくて、お相手ができねえそうで。 スミルノーフ 出て失せろ! ルカー退場。 スミルノーフ お加減がわるくて、お相手が! いいよ、お相手なんか。……おれは金をよこさんうちは、ここにこうして坐りこんでいてやる。そっちが一週間病気なら、こっちも一週間いてやる。……一年病気なら、こっちも一年だ。……とにかく貰うものは貰いま