論文の指導を受ける — Epoche B2
場面設定: オックスフォード・ボドリアン図書館北側、ホリウェル通り十八番地のオールド・コートにある十六世紀の学寮、その三階奥にあるヘンリー・ウィットコム博士の研究室。火曜午後二時、雨上がりの薄明かりが窓から入る。本棚には植民地行政の青色公文書集が天井まで。机にはカマウ氏の博士論文中間草稿(三百八十頁、青色のクリップ留め)、教授の赤鉛筆、紅茶の白い磁器カップが二客。 ベンジャミン、来てくれてありがとう。三百八十頁、週末に通読しました。まず全体としては、私は、これは博論として十分に成立すると考えています。その上で、一点、構造的に気になることがあるので、最初にそこから始めましょう。 ウィットコム先生、お時間を割いていただきありがとうございます。構造的なご指摘、伺います。 第三章 142 頁、ティカ地区のキクユ族首長カラニア・ワ・ワヌアの英国行政官との協力について、あなたは「1925 年から」と書いている。一方、第五章 257 頁、ニェリ地区のキクユ族首長について、「1933 年に至るまで実質的な協力は確認されない」と書かれている。ここで読者は混乱します。同一民族の首長層について、八年の時間差は、論旨の一貫性を損ねる。 (数秒、紅茶のカップを置いて) 先生、たいへん率直に申し上げてよろしいですか。それは混乱ではなく、私の論証の核心部分です。第三章 142 頁の「カラニア・ワ・ワヌア」と、第五章 257 頁の「キクユ首長」は、別人なのです。 (赤鉛筆を持つ手が止まる) 別人。——どちらも「キクユ族首長」ですね。 両者ともキクユ族の首長です。しかし、地区が違います。第三章のティカ地区のカラニアは 1925 年に英国行政官に協力。第五章のニェリ地区のキングオリは 1933 年まで実質的協力を拒否。これは八年の矛盾ではなく、キクユ社会内部での地域間多様性の証拠です。 (数秒、机の上の草稿を黙って見つめる) ……ベンジャミン、私はキクユ族首長層を、過去三十年の自分の研究で、一塊として扱う癖が抜けていなかった。あなたの章は、それを意図的に解体している。私が「矛盾」と読んだのは、私自身の「キクユ族首長 = 単一の歴史アクター」という前提を、無意識に持ち込んでいたからです。お赦しください。 お赦しいただくこと、何もございません。むしろ、先生のその「単一アクターとして読む」前提こそ、私が論文全体で挑戦しようとしている植民地史学の旧い読みの典型例なのです。先生の今日のフィードバックは、私の論文の意義を、私自身が予想していた以上に明確にしてくれました。 それなら、私の側からひとつ、構造的な提案をさせてください。あなたの論文は現在、章立てが「第一章=理論的枠組み、第二章=方法論」と古典的に始まります。でも、私の今日の「誤読」を踏まえると——あなたの真の方法論的貢献は「植民地アーカイブそのものを、地域差を消去する装置として読み解く」ことではありませんか。 ……ええ、その通りです。植民地区委員 (District Commissioner) の年次報告書は、ロンドンへの送付の便宜上、しばしば「カルチュラル・グループ」単位で記述され、地区内の差異は意図的に丸められる。私はその「丸め」を史料批判の対象にしてきました。 では構造的改稿の提案。現行第二章の方法論を、第一章として持ち上げる。タイトルは「植民地アーカイブとしてのキクユ族——抽象化の装置を読み解く」。理論的枠組みは、その後ろに「現に運用されている装置を理論化する」という形で続ける。読者は、まず「あなたが読み解いている当のものが何か」を知った上で、各地区の固有性に入っていく。私が今日午後やってしまった誤読を、構造的に防ぐ。 (深く頷いて) 先生、その改稿は、論文の論旨を一段強くします。さらに申し上げれば、第八章の比較史的結論も、その方法論をそのまま「結びの方法論」として呼び戻すことができます。論文全体が「アーカイブとしてのキクユ→各地区の固有性→アーカイブの再批判」という三部構造になります。 それです。ベンジャミン、過去三十年、私が指導した博士論文で、構造の根本改稿を中間草稿の段階で「指導の側から」提案できたことは、これが初めてです。普段は学生の側がよろよろと辿り着くか、辿り着かないかですが、今日は——指導が逆の方向に動きました。 ありがとうございます。一つだけ伺ってもよろしいですか。今日の「私が指導された」のは、構造改稿の提案だけではありません。「先生がご自身の三十年来の読み癖を私に向かって率直に認めてくださった」その振る舞い自体が、ケニアから来た一介の博士課程学生にとっては、論文の中身以上の指導でした。 それは、ベンジャミン、私が指導するのではなく、こちらが教わったお返しです。次は六月、最終草稿で。それまでに、第二章を第一章へ上げる作業、お願いします。今日のお茶、最後の一口、冷めていますね——次回は熱いうちにお出しします。 解説: オックスフォードの教授研究室における博士論文中間草稿のフィードバック。イギリス人歴史学教授ウィットコムが第三章と第五章の「キクユ族首長の対英協力時期」を「八年の矛盾」と指摘するが、ケニア人博士課程学生カマウが冷静に「両章のキクユ首長は別地区の別人物であり、八年差は矛盾ではなくキクユ社会内部の地域間多様性の証拠だ」と説明する。教授は自身の三十年来の「キクユ首長=単一の歴史アクター」という読み癖を率直に認め、議論は反転して「植民地アーカイブ自体を方法論として論文冒頭に持ち上げる」構造改稿の提案へ。落ちは二段——(1) 教授が三十年の研究人生で初めて「指導が逆方向に動いた」と認める瞬間。(2) カマウが「先生がご自身の読み癖を率直に認めてくださった振る舞い自体が、論文の中身以上の指導だった」と返す瞬間。論理展開: 帰納的推論 (個別論証の弱点指摘→論文全体の構造的問題の発見→改稿提案) を保ちつつ、「方法論として植民地アーカイブを論文冒頭に置き、結論部で再批判する」三部構造への昇格を達成する。 参考文献 J. S. Nye (2004).『ソフトパワー (Soft Power: The Means to Success in World Politics)』. PublicAffairs. 白石隆 (2000).『海の帝国: アジアをどう考えるか』. 中央公論新社. F. クーパー (2002).『アフリカと植民地史 (Africa Since 1940: The Past of the Present)』. Cambridge University Press. A. ストーラー (2009).『アーカイブの結 (Along the Archival Grain)』. Princeton University Press.