The Well — William Wymark Jacobs
古い田舎の邸の撞球室で、二人の男が立ち話をしていた。気合の入らなかった玉突きは終って、二人はひらかれた窓ぎわに腰をおろし、窓の下からひろがっている庭園を眺めながら、けだるそうに話しあった。 「君ももう、いよいよだな、ジェム」とうとう、一人が言った。「今度は六週間あくびしながら蜜月をすごして、客を招いた男を――いや、女をというつもりだったが――さぞかし呪うだろうな」 ジェム・ベンスンは椅子に腰かけたまま長い手足をのばして、なにやらぶつぶつ異議をとなえた。 「てんで理解できないね」ウィルフレッド・カーは、あくびしてつづけた。「僕の性には合わないな。僕なんざ、一人でいたって二人でいたって、生活に必要なお金をついぞ持ったことがない。もし君かクリーサス( 大冨豪の代名詞 )くらい金持だったら、見方も違っていたかもしれないが」 その言葉の終りの方には、彼のいとこが返事をさし控えるような或る意味があった。いとこは窓の外をみつめたままで、ゆっくり葉巻をふかしつづけた。 「クリーサスみたいに――また、君みたいに金持ではないけれども」ミスタ・カーは目をほそめて窺うように見ながら、また話しだした。「僕は僕なりに、自分のカヌーに乗って“時”の流れを漕ぎくだりながら、友だちの家の側柱にカヌーをつないでは、中へはいって食事の御相伴にあずかって暮しているよ」 「まったくヴェネチヤふうだね」まだ窓の外を眺めながら、ジェム・ベンスンは言った。「君には、まんざらでもないことだろうな、ウィルフレッド。カヌーをつなぐ側柱があり、食事があり――そして、友だちがあるというのは」 今度はミスタ・カーが、ぶつぶつ言った。「しかし真面目に言ってだよ、ジェム」彼は、ゆっくり言った。「君は幸せなやつだよ、とても幸せなやつだ。オリーヴよりもいい娘がこの世にいるのなら、一遍お目にかかってみたいもんだ」 「うん」もう一人の方は、静かに言った。 「彼女はたぐい稀な娘だよ」カーは窓の外をみつめながら、つづけた。「あれほど善良で、優しい娘はいないね。彼女は君を、ありとあらゆる美徳をかねそなえた男だと思ってるよ」 彼はあけっぴろげに、いかにも愉しそうに笑ったが、相手は調子にのってこなかった。 「とはいうものの、善悪のけじめははっきりつける娘だ」カーはもの思いにふけるようにつづけた。「ねえ君、もしも彼女がだよ、君がそういう人間でないと知ったら――」 「そういう人間でないと?」ベンスンは、あらあらしく向きなおって、「そういう人間でないとは、なんだ?」 「君という人間の、すべてがだよ」いとこは言葉とうらはらに、にやりと笑ってやり返した。「きっと彼女は、君を捨てるだろうと思うな」 「なにかほかの話をしたまえ」ベンスンはゆっくり言った。「君の冗談は、いつも趣味がいいとはいえないよ」 ウィルフレッド・カーは立ちあがって、キュー台からキュー(玉突き棒)をとり、玉突き台の上にかがみ込んで、会心の玉を一つ二つ突いてから、「いま話せるほかの話題といえば、僕自身の経済状態のことしかないんだがね」と、玉突き台をまわりながら言った。 「なにかほかの話をしたまえ」ベンスンは、ぶっきらぼうに繰り返した。 「それに、いま言った二つの話題には、つながりがあるんだよ」カーは言って、キューの尻をすとんと床へ落し、玉突き台に浅く腰かけて、じっといとこをみつめた。 長い沈黙があった。ベンスンは葉巻の吸いさしを窓の外へほうり出し、椅子の背にもたれかかって目をとじた。 「聞いているのかい?」とうとう、カーが訊いた。 ベンスンは目をあけ、窓の方に頷いてみせてから、「僕が葉巻をほうり出したのを見たかい?」 「出ていけというなら、まともな出口から出て行くよ。君のためを思ってね」相手は平気のへっちゃらで、しっぺい返しをした。「もし僕が窓から出て行ったりしたら、あれやこれやとうるさく質問されるぜ。それに、僕がどんなお喋り屋なのか知ってるだろ」 「僕個人のことを喋らないかぎり」相手はいかにも苦しげに、ぐっと怺えてやり返した。「声が嗄れてつぶれるまで、喋りまくったっていいよ」 「僕は、にっちもさっちもゆかないんだ」ゆっくり、カーは言った。「そりゃあもう、ひどいんだよ。さ来週のきょうまでに千五百ポンドつくらないと、食べるものも住むところもなくなっちまうかもしれないんだ」 「そうなったって、かくべつ変りがあるわけじゃないんだろ?」ベンスンが訊いた。 「いや、格が違ってくるんでね」相手は言いかえした。「住所も、柄がわるくなってくるし。真剣なんだ、ジェム、千五百ポンド貸してくれないか?」 「だめだよ」相手はあっさり言った。 カーは真っ蒼になり、「それが僕の身を破滅から救ってくれるんだよ」と、陰にこもって言った。 「僕は君をずっと助けてきたが、もう飽き飽きした」ベンスンはふり向いて、彼をみつめて言った。「それが、なんの役にも立たなかったからさ。にっちもさっちもゆかないのなら、自力でなんとか脱け出してみるんだな。いい気になって、署名入りの無心の手紙を方々へ出したりするんじゃないよ」 「それがばかげていることは、僕も認める」カーは、いやに落着いて言った。「もう金輪際、そんなことはしないよ。ところで僕は、売れるものを持ってるんだがね。いや、そう嘲笑うことはないぜ。僕のものじゃないんだから」 「じゃ、誰のものだ?」相手は訊いた。 「君のさ」 ベンスンは椅子から立ちあがり、彼の方へ横ぎって行って、「なんだ、それは?」と、そっと訊いた。「脅迫するのか?」 「どう呼ぼうと、それは君の勝手さ」カーは言った。「僕は、売りものの手紙を持ってるんだ、値段は千五百ポンド。それから、オリーヴを君から奪いとりたいばっかりに、こちらの言い値どおりに買いとろうという男を知ってるよ。だが、先に君に提供してあげようというわけだ」 「僕の署名のある手紙を持ってるのなら、渡してくれたっていいじゃないか」ベンスンは、非常にゆっくり言った。 「手紙は僕のものだぜ」カーは屈託なげに言った。「君が書いて送った相手の御婦人から、もらったんだよ。いやはや全く、どうにもいい趣味とはいいかねる代物だね」 突然いとこは手をのばし、彼の胸ぐらをつかみ、頭を玉突き台へ押しつけて、 「よこすんだ、手紙を」と顔をいとこの顔にくっつけるようにして、小声で言った。 「ここにはないよ」カーは、もがきながら言った。「僕は阿呆じゃないぞ。放せったら。放さないと、売り値をつりあげるぞ」 相手はあきらかに彼の頭を玉突き台に叩きつけるつもりで、力の強い両手で首を引き起した。が突然、郵便物を持った女中が仰天した表情で部屋に入ってきたので、手の力を抜いた。カーも、あわててからだを起した。 「ざっと、こういうふうにやっつけたものさ」ベンスンは郵便物を受けとりながら、女中の前をとりつくろって言った。 「じゃ、その男に金を出させることは間違いなしだね」カーが、穏やかに言った。 「その手紙を渡してくれないか?」女中が部屋から出ると、ベンスンは思い出させるように言った。 「さっき言った買い値でなら、イエスだ」カーは言った。「だが、はっきり言っとくぞ。もし二度とその不細工な手を僕のからだにかけたら、売り値を倍にするからな。さあ、時間をやるから、その間にとっくり考えてみるんだな」 彼は箱から葉巻を一本とり、注意ぶかく火をつけながら部屋から出て行った。いとこはドアが後手にしめられるまで待ってから窓ぎわへ行き、あまりにも激しいために声にもならない憤怒の発作にかられて、どかっと椅子に腰をおろした。 庭園から流れてくる空気は、刈りたての草の匂いをたっぷりふくんで、すがすがしく、甘かった。今それに、葉巻の香ばしいかおりもまざりあった。窓の外を眺めている彼の目に、ゆっくり通りすぎるいとこの姿が映った。彼は立ちあがってドアまで行ったが、考えなおしたのか窓ぎわへ引返して、月の光の下へゆっくり歩いて行くいとこの姿を見まもった。それから、また立ちあがった。そして、しばらくの間、部屋の中は空っぽになっていた。 しばらくたって、ミセス・ベンスンが就寝前に息子におやすみなさいを言うために立ち寄ったときも、まだ部屋の中は空っぽだった。彼女はゆっくり玉突き台をまわり、窓ぎわに立ちどまって、ぼんやり考えながら外をみつめた。と、家の方へ大股でのっしのっしと歩いてくる息子の姿がみえた。彼は、窓を見あげた。 「おやすみなさい」彼女は言った。 「おやすみなさい」ベンスンは太い 低音 ( バス ) の声で言った。 「ウィルフレッドは、どこ?」 「ああ、行っちゃいましたよ」ベンスンは言った。 「行っちゃったんですって?」 「僕たちは、ちょっと話合いをしていました。また彼が、金がいるって言いだしたんです。僕は、率直な意見を言ってやりましたよ。もう二度と、うちへはこないだろうと思います」 「かわいそうなウィルフレッド!」ミセス・ベンスンは溜息をもらして、「あの子はいつもなんだかんだと困ってたわねえ。おまえ、あんまり辛く当りゃしなかっただろうね」 「彼にふさわしいように、あしらってやりましたよ」息子は断乎として言った。「おやすみなさい」 とっくの昔から使われなくなっていた井戸は、古い庭園のその片隅にやたらとはびこって、びっしり密生している下生えに、ほとんど隠れてみえなかった。井戸は、縮んで半分の大きさしかなくなった蓋で一部分を覆われ、その上には、風が強く吹くと松籟の音に和してぎいぎい軋る錆びた捲上げ機があった。白昼の日光も井戸の中にはとどかず、周囲の地面は、庭のほかの場所が熱さのためにひび割れるときでさえ、じめじめしていて、いつも緑色であった。 香ばしい夏の夕べの静けさの中を散歩していた二人は、井戸の方向へ迷いこんできた。 「こんな荒れたところを通ったって、つまらないよ、オリーヴ」ベンスンが松林のはずれに立ちどまり、かなたのうす暗がりを少し不愛想に見ながら言った。 「ここはお庭のいちばんすてきなところよ」娘は元気よく言った。「あたしの好きな場所だってこと、御存知のくせに」 「君が井戸の笠石に腰かけるのが好きなことは、よく知ってるよ」男は、ゆっくり言った。「あすこへは、腰かけてもらいたくないんだ。いつか、背をのけぞらして、落ちこんじゃうよ」 「そして、“真実”とお近づきになるのね」オリーヴは、はしゃいで言った。「さあ、いらっしゃいよ」 彼女はジェムをおいて駈けだし、駈けながら 蕨 ( わらび ) をぱりぱり踏みくだいて、松林の中へ姿を消した。彼女の連れは、ゆっくりあとから歩いて行き、うす暗がりから抜け出して、彼女がまわりにはびこった草や 蕁麻 ( いらくさ ) の中に両脚を隠して、井戸の端にすんなり腰かけているのを見た。彼女は手まねで連れを呼び寄せ、となりに腰かけさせ、力強い腕が腰にまわされるのを感じると、優しくほほえんだ。 「あたし、ここが好きなのよ」長い沈黙をやぶって、彼女が言った。「すごく気味わるくて――すごく神秘的ですもの。ねえ、あたし一人だけでも、ここに腰かけていられると思うわ、ジェム。藪や林の向うに、ありとあらゆる怖ろしいものが隠れていて、あたしに襲いかかろうと待伏せしてるの、それを想像するのよ。ああー!」 「僕にうちへ連れ帰ってもらった方がいいよ」連れは優しく言った。「井戸は不衛生なことがあるんだ、殊に暑いお天気のときにはね。さあ、ほかへ行こうよ」 娘は強情に首をふって、一層しっかり腰を落着けた。 「ゆっくり葉巻をお吸いなさいな」オリーヴは、もの柔かに言った。「ここで落着いて、静かにお話したいの。ウィルフレッドから、なにか便りがあって?」 「ぜんぜんないよ」 「まったく劇的な失踪じゃなくって?」彼女はつづけた。「でも、そのうちにまた困りだして、いつものおなじ調子で、あなたに手紙を送ってくるわよね。『親愛なるジェムよ、僕を救い出してくれたまえ』って」 ジェム・ベンスンは香ばしい煙を空中にふうっと吐き出してから、葉巻を歯にくわえたまま、上着の袖に落ちた灰をはらいのけた。 「あの人って、あなたなしにどうなったのかしらねえ」娘は彼の腕を、愛情こまやかに押しながら言った。「もうとっくに、おちぶれてるんでしょうね。あたしたち結婚したらね、ジェム、あたしはいとこ同志の関係を利用して、あの人にうんとお説教したげるわ。たいへん我儘なんだけど、あの人には、いいところもあるのよ。かわいそうなひと」 「いいところってのは、ぜんぜん見たことないな」ベンスンは、びっくりするような苦々しさをこめて言った。「分るもんか、僕は見たことないよ」 「あの人って、ほかの誰の敵でもなく、自分自身の敵なのよ」連れの激しい感情の発作にびっくりして、娘は言った。 「あいつのことを、君はろくに知っちゃいないんだ」相手はそっけなく言った。「あいつは脅迫するのを恥とも思わないし、自分が得するためになら、友だちの一生を破滅させるのも恥と思わないんだよ。浮浪者で、人間の屑で、大嘘つきだ!」 娘はまじめになって、おずおずと彼を見あげ、ひとことも言わないで彼の腕をとり、そうして二人は、黄昏が深まって夜となり、木の枝々の間から月光がもれ落ちて、二人を銀色の網でとりかこむまで、口をきかずに腰かけていた。 「なんだったの、あれ?」彼女は息をきらせて叫んだ。 「なにがどうしたって?」ベンスンは跳びあがって、すばやく彼女の腕をつかみながら訊いた。 彼女はほっと息をついて、笑おうとした。 「いやな方ね、あなたって」 彼は手の力をゆるめた。 「いったい、どうしたんだい?」彼は優しく訊いた。「なにが君をびっくりさせたの?」 「あたし、仰天したのよ」彼女は両手をそっと彼の肩にかけながら、言った。「さっき自分が叫んだ言葉が、まだ耳の中でがんがん鳴ってるわ。だけど、あたしたちの後ろで、誰かが『ジェム、救い出しておくれよ』って、ささやいたような気がしたんですもの」 「そんな気がしただけさ」ベンスンはくりかえしたが、声が顫えていた。「だけど、そういう気の迷いは、君のためによろしくないね。君は――怯えたんだよ――暗やみと、この林の陰気さに。さあ、連れてってあげるから、家へ帰ろう」 「いいえ、あたし怯えちゃいないわ」娘は腰かけなおしながら、言った。「あなたが一緒にいてくださったら、どんなことにも、ほんとに怯えやしないわよ、ジェム。あんなばかげたことを言って、あたし自分で驚いてるの」 男はそれに答えずに立ちあがり、たくましい黒い姿と