The Tale of Genji, Chapter 36: 柏木 — Murasaki Shikibu
源氏物語 死ぬる日を罪むくいなど言ふきはの涙 に似ざる火のしづくおつ (晶子) 右衛門督 ( うえもんのかみ ) の病気は快方に向くことなしに春が来た。父の大臣と母夫人の悲しむのを見ては、死を願うことは重罪にあたることであると一方では思いながらも、自分は決して惜しい身でもない、子供の時から持っていた人に違った自尊心も、ある一つ二つの場合に得た失望感からゆがめられて以来は 厭世 ( えんせい ) 的な思想になって、出家を志していたにもかかわらず、親たちの 歎 ( なげ ) きを顧みると、この 絆 ( ほだし ) が 遁世 ( とんせい ) の実を上げさすまいと考えられて、自己を紛らしながら俗世界にいるうちに、ついに生きがたいほどの物思いを同時に二つまで重ねてする身になったことは、だれを恨むべくもない自己のあやまちである、神も仏も 冥助 ( みょうじょ ) を 垂 ( た ) れたまわぬ境界に 堕 ( お ) ちたのは、皆前生での悲しい約束事であろう、だれも永久の命を持たない人間なのであるから、少しは惜しまれるうちに死んで、簡単な同情にもせよ、恋しい方に 憐 ( あわ ) れだと思われることを自分の恋の最後に報いられたことと見よう、しいて生きていて自己の悪名も立ち、なお自分をもあの方をも苦しめるような道を進んで行くよりは、無礼であるとお憎しみになる院も、死ねばすべてをお許しになるであろうから、やはり死が願わしい、そのほかの点で過去に院の御感情を害したことはなく、長く恩顧を得ていた以前の御愛情が死によって 蘇 ( よみがえ ) ってくることもあるであろうとこんなふうに思われることが多い哀れな衛門督であった。なぜこう短時日の間に自分をめちゃめちゃにしてしまったのであろうと 煩悶 ( はんもん ) して、苦しい涙を流しているのであるが、病苦が少し楽になったようであると、家族たちが病室を出て行った間に衛門督は 女三 ( にょさん ) の 宮 ( みや ) へ送る手紙を書いた。 もう私の命の 旦夕 ( たんせき ) に迫っておりますことはどこからとなくお耳にはいっているでしょうが、どんなふうかともお尋ねくださいませんことはもっともなことですが、私としては悲しゅうございます。 こんなことを書くのにも衛門督は手が 慄 ( ふる ) えてならぬために、書きたいことも書きさして先を急いだ。 今はとて燃えん煙も結ぼほれ絶えぬ思ひのなほや残らん 哀れであるとだけでも言ってください。それに満足します心を、暗い 闇 ( やみ ) の世界へはいります道の光明にもいたしましょう。 と結んだのであった。 小侍従にもなお懲りずに 督 ( かみ ) は恋の苦痛を訴えて来た。 直接もう一度あなたに 逢 ( あ ) って言いたいことがある。 とも書いてあった。小侍従も童女時代から 伯母 ( おば ) の縁故で親しい交情があったから、だいそれた恋をする点では、迷惑な主人筋の変わり者であると面倒には思っていたものの、生きる望みのなくなっている様子を知っては悲しくて、泣きながら、 「このお返事だけはどうかなすってくださいまし。これが最後のことでございましょうから」 と宮へ申し上げた。 「私だってもういつ死ぬかわからないほど命に自信がなくなっているのだから、そうした気の毒な容体でいる人としてだけに同情もされるけれど、私はもう苦しめられることに懲りているのだから、返事などをしてかかりあいになるのは非常にいやに思われる」 こうお言いになって、宮は書こうとあそばさない。自重心がおありになるのではなくて、これは院のお心に御自身のあそばされた過失の影がおりおりさして、悩ましい御様子をお見せになることもあるのを、恐ろしく苦しいことと深く思っておいでになるからである。小侍従はそれでも 硯 ( すずり ) などを持って来て責めたてるので、しぶしぶお書きになった宮のお手紙を持って、 宵闇 ( よいやみ ) に紛れてそっと小侍従は 衛門督 ( えもんのかみ ) の所へ行った。 大臣は 大和 ( やまと ) の 葛城 ( かつらぎ ) 山から呼んだ 上手 ( じょうず ) な評判のある修験者にこの晩は 督 ( かみ ) の 加持 ( かじ ) をさせようとしていた。 祈祷 ( きとう ) や 読経 ( どきょう ) の声も騒がしく病室へはいって来た。人が勧めるままに、世の中へ出ることをしない高僧などで、世間からもまたあまり知られていないような人も、遠い土地へ 息子 ( むすこ ) たちを派遣などして呼び迎えて衛門督の病気に効験の現われることを期している大臣であるから、見て感じの悪いような野卑な僧などがあとへあとへとこのごろはたくさん来るのである。病人は何という名の病患でもなくて、ただ心細いふうに時々泣き入っていたりするのを、 陰陽師 ( おんようじ ) なども多くは女の霊が 憑 ( つ ) いていると占っているので、そうかもしれぬと大臣は思い、他へ憑きものを移そうとしてもなんら 物怪 ( もののけ ) の手がかりが得られないのに困り、こうして遠国の修験者などを呼び集めることもするのであった。今度山から来た僧も大男で、恐ろしい目つきをして荒々しく 陀羅尼 ( だらに ) を読んでいるのを、衛門督は、 「ああいやになる。私は罪が深いせいなのか、陀羅尼を大声で読まれると恐ろしくて、ますますそれで死ぬ気がする」 と言いながら病床を出て、小侍従のいる所へ来た。大臣はそんなことを知らず、病人は寝入っていると女房たちに言わせてあったのでそう信じて、ひそかにこの山の僧と語っていた。大臣は年がいってもなおはなやかな 派手 ( はで ) な人で、よく笑う性質なのであるが、こうした 侮蔑 ( ぶべつ ) するに 価 ( あたい ) する山の修験僧と向き合って、衛門督の病気の当初から、その後なんということなしに重くばかりなってゆくことなどをこまごまと語っていた。 「どうかあなたの力で物怪が正体を現わして来るようにやってほしいものです」 とも信頼したふうで言っているのも哀れであった。 「小侍従、聞いてごらん。何の罪で私がこうなっているかをご存じないものだから、女の霊が 憑 ( つ ) いているなどとごまかされておいでになるが、あの方以外に女として 惹 ( ひ ) くもののない私の心へ、あの方の霊が真実憑いていてくれるのなら、いやでならない自分の身もありがたくなるだろうよ。それにしてもだいそれた恋をして、あるまじい過失を引き起こして、人のお名を 穢 ( けが ) し、自身を顧みないようになる人は自分だけではない、昔の人にもあった罪なのだとみずから慰めようとするがね、そんなことで私の心は救われないのだよ。相手があの方なのだから、自責の念に堪えられまいではないか。生きていることももうまぶしくてならなくなったというのは、昔から世の中の人が言うように、一種特別な光の添った方らしい。大罪人でもないのに、お顔を見合わせた瞬間から私の心は混乱してしまって、 脱 ( ぬ ) け出した魂魄が六条院をさまよっているようなことに気がついた時には君、まじないをしてくれたまえ」 などと、衰弱して 殻 ( から ) のようになった姿で、泣きも笑いもして 衛門督 ( えもんのかみ ) は語るのであった。宮が非常にお恥じになっている御様子、物思いばかりをしておいでになるということも小侍従は告げた。自身が今 冗談 ( じょうだん ) で言い出したことではあるが、その宮をおいたわしく、恋しく思う魂魄はそちらへ行くかもしれぬというような気も衛門督はしていっそう思い乱れた。 「もう宮様のお話はいっさいすまい。不幸で短命な 生涯 ( しょうがい ) に続いて、その執着が残るために未来をまた台なしにすると思うのがつらい。心苦しいあのことを無事にお済ましになったとだけはせめて聞いて死にたい気もするがね、私たちを 繋 ( つな ) ぎ合わせた目に見えぬものを私が夢で見た話なども申し上げることができないままになるのが苦痛だよ」 と言って深く 督 ( かみ ) の悲しむ様子を見ていては、小侍従も堪えきれずなって泣きだすと、その人もまた泣く。 蝋燭 ( ろうそく ) をともさせてお返事を読むのであったが、それは今も弱々しいはかない筆の跡で、美しくは書かれてあった。 御病気を心苦しく聞いていながらも、私からお尋ねなどのできないことは推察ができるでしょう。「残るだろう」とお言いになりますが、 立ち添ひて消えやしなましうきことを思ひ乱るる煙くらべに 私はもう長く生きてはいないでしょう。 内容はこんなのであった。衛門督は宮のお手紙を非常にありがたく思った。 「このお言葉だけがこの世にいるうちのもっともうれしいことになるだろう。はかない私だね」 いっそう強く督は泣き入って、またこちらからのお返事を、横になりながら休み休み書いた。鳥の足跡のような字ができる。 「行くへなき空の煙となりぬとも思ふあたりを立ちは離れじ とりわけ夕方には空をおながめください。人目をおはばかりになりますことも、対象が実在のものでなくなるのですからいいわけでしょう。そうしてせめて永久に私をお忘れにならぬようにしてください」 などと乱れ書きにした。病苦に堪えられなくなって、 「ではもういいから、あまりふけないうちに帰って行って、宮様に、こんなふうに死が迫っているということを申し上げてください。どうした前生の因縁からこんなに道にはずれた思いが心に 染 ( し ) みついた私だろう」 泣く泣く病床へ衛門督は 膝行 ( いざ ) り入るのであった。平生はいつまでもいつまでも小侍従を前に置いて、宮のお 噂 ( うわさ ) を一つでも多く話させたいようにする人であるのに、今日は言葉も少ないではないかと思うのも物哀れで、小侍従は出て行けない気がした。容体を 伯母 ( おば ) の 乳母 ( めのと ) も話して大泣きに泣いていた。大臣などの心痛は非常なもので、 「昨日今日少しよかったようだったのに、どうしてこんなにまた弱ったのだろう」 と騒いでいた。 「そんなに御心配をなさることはありません。どうせもう私は死ぬのですから」 と 衛門督 ( えもんのかみ ) は父に言って、自身もまた泣いていた。 女三の宮はこの日の夕方ごろから御異常の 兆 ( きざし ) が見え出して悩んでおいでになるので、経験のある人たちがそれと気づき、騒ぎ出して院へ御報告をしたので、院は驚いてこちらの御殿へおいでになった。お心のうちではなんら不純なことがなくて、こうしたことにあうのであったら、珍しくてうれしいであろうと 思召 ( おぼしめ ) されるのであったが、人にはそれを気どらすまいと思召すので、修験の僧などを急に迎えることを命じたりしておいでになった。修法のほうはずっと前から続いて行なわれているので、 祈祷 ( きとう ) の効験をよく現わすものばかりを今度はお集めになって加持をさせておいでになった。一晩じゅうお苦しみになって日の昇るころにお産があった。男君であるということをお聞きになって、また院は隠れた秘密を 容貌 ( ようぼう ) の似た点などでだれの目にも映りやすい男であることが、苦しい、女はよく紛らすこともできるし、多くの人が顔を見るのでないからいいのであるがとお思いになった。しかし素姓の紛らわしいことは男の身にあってもよいが、どんな高貴な方の母になるかもしれぬ女性は生まれが確かでなければならぬ点から言えば、これがかえってよいかもしれぬとまたお思い返しになった。忘れることもない自分の罪のこれが報いであろう、この世でこうした思いがけぬ罰にあっておけば、 後世 ( ごせ ) で受ける 咎 ( とが ) は少し軽くなるかもしれぬなどとお考えになった。 宮の秘密はだれ一人知らぬことであったから、尊貴な内親王を母にして最後にお設けになった若君を、院はどんなにお愛しになるだろうという想像をして、 家司 ( けいし ) たちは大がかりな 仕度 ( したく ) を御出産祝いにした。六条院の各夫人から産室への見舞い品、祝品はさまざまに意匠の凝らされたものであった。 折敷 ( おしき ) 、 衝重 ( ついがさね ) 、 高杯 ( たかつき ) などの作らせようにも皆それぞれの個性が見えた。五日の夜には 中宮 ( ちゅうぐう ) のお 産養 ( うぶやしない ) があった。母宮のお召し料をはじめとして、それぞれの階級の女房たちへ分配される物までも、お 后 ( きさき ) のあそばすことらしく 派手 ( はで ) にそろえておつかわしになったのである。産婦の宮への御 粥 ( かゆ ) 、五十組の弁当、参会した諸官吏への 饗応 ( きょうおう ) の 酒肴 ( しゅこう ) 、六条院に奉仕する人々、院の庁の役人、その他にまでも差等のあるお料理を交付された。院の殿上人とともに中宮職の諸員は 大夫 ( たゆう ) をはじめ皆参っていた。七日の夜には宮中からのお産養があった。これも朝廷のお催しで重々しく行なわれたのである。太政大臣などはこの祝賀に喜んで奔走するはずの人であったが、子息の大病のためにほかのことを思う間もないふうで、ただ普通に祝品を贈って来ただけであった。宮がたや高官の参賀も多かった。 院内にもこの若君を珍重する空気が濃厚に作られていながら、院のお心にだけは 羞恥 ( しゅうち ) をお感じになるようなところがあって、宴席をはなやかにすることなどはお望みになれないで、音楽の遊びなどは何もなかった。女三の宮は弱いお 身体 ( からだ ) で恐ろしい大役の出産をあそばしたあとであったから、まだ 米湯 ( おもゆ ) などさえお取りになることができなかった。御自身の薄命であることをこの際にもまた深くお思われになって、この衰弱の中で死んでしまいたいともお思いになるのであった。院は人から不審を起こさせないことを期して、 上手 ( じょうず ) に表面は繕っておいでになるが、生まれたばかりの若君を特に見ようともなされないのを、老いた女房などは、 「御愛情が薄いではありませんか。久しぶりにお持ちになった若様が、こんなにまできれいでいらっしゃるのに」 などと言っているのを、宮は片耳におはさみになって、この薄いと言われておいでになる愛情は、成長するにつれてますます薄くなるであろうと、院がお恨めしく、過去の御自身も恨めしくて、尼に