大菩薩峠 鈴慕の巻 — 中里介山
一 天井の高い、ガランとした 田舎家 ( いなかや ) の、大きな炉の 傍 ( はた ) に、 寂然 ( じゃくねん ) として座を占めているのが弁信法師であります。 時は夜であります。 弁信の坐っている後ろには、六枚 屏風 ( びょうぶ ) の 煤 ( すす ) けたのがあって、その左に 角行燈 ( かくあんどん ) がありますけれど、それには火が入っておりません。 自在鉤 ( じざいかぎ ) には 籠目形 ( かごめがた ) の鉄瓶がずっしりと重く、その下で木の根が一つ、ほがらほがらと赤い炎を立てている。 この田舎家の木口というものが大まかな 欅作 ( けやきづく ) りで、 鉋 ( かんな ) のはいっていない、 手斧 ( ちょうな ) のあとの鮮かなところと、 桁梁 ( けたはり ) の 雄渾 ( ゆうこん ) (?)なところとを見ても、慶長よりは古くなく、元禄よりも新しくない、 中通 ( ちゅうどお ) りの農民階級の 家 ( や ) づくりであることはたしかであります。 さてまた、弁信の頭の上の高い天井は、炉の煙を 破風 ( はふ ) まで通すために、丸竹の 簀子 ( すのこ ) になっていて、それが年代を経ているから、磨けば黒光りに光るいぶしを包んだ 煤 ( すす ) が、つづらのように 自在竹 ( じざいだけ ) の太いのにからみついて落ちようとしている。 そこで、弁信は、熊の皮の毛皮でもあるような敷物をしき込んで、寂然として、何物にかしきりに耳を傾けているのであります。 特に念を入れて何物をか聞き出そうとしないでも、ただこうして坐っていさえすれば、弁信そのものの形が、非相非々相界のうちの何物かのささやきを受入れようとして、身構えているもののようにも受取られることであります。 果して、こうしていると、弁信の耳に、あらゆる雑音が聞え出しました。 聞えるのではない、起るのであります。それは非常なるあらゆる種類の雑音が、弁信の耳の中から起りました。 そうでしょう、この田舎家の存在するところは、内部から見ては、日本の国のドノ地点にあるかわからないが、通常の人がこの中に坐っていれば、それは深山幽谷の中か、そうでなければ、人里に遠い平野の中の一つ家としか思われないことであります。 この一つ家の中には、弁信その人のほかには、絶えて人間の気配のするものを 容 ( い ) れていないと同じく、その 煤 ( すす ) けた天井には鼠の走る音もあるのではなく、その外壁のあたりに、 鶏犬 ( けいけん ) の声だも起らない。周囲に谷川のせせらぎすらも聞えない。軒端を渡る夜風のそよぎすら聞えないところを以て見れば、 万籟 ( ばんらい ) 死したりと感ずるのは無理もありません。 しかし、夜というものは一体に、沈静と、回顧とを本色とするものですから、普通平凡な景色も、夜の衣をかけて見ると、少なくも一世紀の昔へ返して見ることができるものですから、まして夜更け、人定まった際においては、都会の真中にあってさえ、太古の色をぼかして見せることもあるのですから、ここの深夜の弁信のいるところも、存外、人間臭いところであるかも知れません。 ところで、空寂と、沈静と、茫漠と、暗黒と、孤独とは、形の通りで、弁信なればこそ、仔細らしく耳を傾けて何物をか聞き取ろうと構えているように見えるものの、余人であってみれば、聞き取るべき一言もなく、澄まし込むべき 四方 ( あたり ) の 混濁 ( こんだく ) というものの全然ない世界ですから、もし弁信の耳が、この間から何物をか聞き得たとすれば、それは彼の耳の中からおのずから起ってくる雑音を、彼自身が、自己妄想的に聞き操っているに過ぎないので、この点は、かの清澄の茂太郎が、 反芻的 ( はんすうてき ) に即興の歌をうたうのと同じことなのであります。 といっても、これを一概に妄想扱いにするのは心無き 業 ( わざ ) です。 チチアンの眼より見れば、あらゆる普通の人間は、みな色盲に過ぎないそうであります。もし地上に特別の人があって、普通の人の見えない色を見ることができるならば、特別の人があって、特別の音を聞き出さないという限りはありません。 すでに特別の色を見、特別の音を聞き得る人がありとすれば、この普通の人の見得る世界において、普通以上の、或いは以外の世界を――つまり天国といい、地獄というような世界を見ている人がないとは言えないはずです。 城松という盲人は、 鳴滝 ( なるたき ) の下で 簫 ( しょう ) を吹くと、人ただ簫声あるを聞いて、瀑声あるを聞かなかったそうであります。 ある夜、 忽然 ( こつぜん ) として立って人にいって曰 く ( いわ ) く、ああ、今夜は自分の吹く簫の声が尋常でない、おそらくはこの都下に大変が起ろうも知れぬ、と 馳 ( は ) せて 愛宕山 ( あたごやま ) に上って僧院に泊ったところが、その夜、洛中洛外に大震があって、圧死するもの無数、それは慶長年間のことであったという話。 間斎という 伯楽 ( はくらく ) は、年四十になって明を失したが、人の馬に乗って戸外を過ぐるものを聞いて、その 蹄 ( ひづめ ) の音で馬の 駑 ( ど ) と 駿 ( しゅん ) と、大と小と、形と容と、毛の色とを判断して、少しも誤らなかったということであります。 深草の 検校 ( けんぎょう ) というのは、享保年間、京都に住んで三絃をよくした盲人であったが、老後におよんで人にいって 曰 ( いわ ) く、「私の聞き得たところでは、天地の間には三百六十音がある」 今、弁信というおしゃべり坊主は、その 異形 ( いぎょう ) なる 法然頭 ( ほうねんあたま ) の中で何の世界のことを考え、その見えざる眼で、どれだけの色彩を味わい、これのみは異常に発達した聴管のうちに、どれだけの音声を聞きわけるの官能を与えられているか知れませんが、この 万籟 ( ばんらい ) 死したるところの底において、ついに何物をか聞き出そうとして聞き出し得たものの如く、 「誰やら尺八を吹いておりますね、あれは 鈴慕 ( れいぼ ) の曲でございます」 かく 無雑作 ( むぞうさ ) に言って、また仔細らしく小首を傾けたものであります。 ただし、弁信が感心をはじめた時分には、もう曲は済んでしまったものと見えて、弁信は姿勢をくずして、炉辺の 火箸 ( ひばし ) を取って、火をかきならしました。 二 弁信が鈴慕の一曲を聞き終って、ホッと息をついた時に、天井の 煤竹 ( すすたけ ) の 簀子 ( すのこ ) から、自在竹を伝ってスルスルと下りて来たピグミーがありました。 籠目形 ( かごめがた ) の 鉄瓶 ( てつびん ) のつるへ足をかけて、ひょいと炉べりへ下り立つと、無遠慮に弁信と向い合ったところへムズと小さなあぐらをかいてしまい、十年の親しみがあるようになれなれしく、 「弁信さん、 淋 ( さび ) しいね」 「あい」 「弁信さん、いやに澄ましこんでるじゃないか」 「ええ、そういうわけでもありません」 「もう少し火をお 焚 ( た ) きよ、おいらがこの杉の葉をかぶせてやらあ」 ピグミーは、杉の枯葉を一つ一つ取って炉の火に加えると、火の色が 珊瑚 ( さんご ) のように赤くなりました。 そこでピグミーは、仔細らしくあごの下へ手を当てて、火の光をながめて、何か弁信の話しかけるのを待っているかのように見えます。 ところが、弁信がいっこう気乗りがしないようでしたから、ピグミーが、また何かハズミをつけてやらないことには、手持無沙汰でたまらない はめ となって、 「ねえ、弁信さん、今までお前、何を聞いていたの」 「尺八を聞いておりましたよ」 「へえ、おいらにはいっこうそんなものは聞えなかったが、どこで、誰が吹いていたんだい」 「信濃の国の、白骨の温泉で、尺八を吹いているのが、いま私の耳に聞えました」 「じょ、じょうだんじゃねえ!」 ピグミーが 反 ( そ ) っくり返ってしまいました。 「弁信さん、お前、ここをどこだと思ってるんだい――信濃の国というのは、これから一百里も離れているんだぜ、なんぼお前の 勘 ( かん ) がいいからといって、信濃の白骨で吹く尺八が、お前の耳に聞えるはずはあるめえ。でも、お前のことだから何とも知れねえ。そうして、その尺八は何を吹いていたんだい、それを聞かしてもらいてえ」 「 鈴慕 ( れいぼ ) の曲を吹いていたのですよ」 「鈴慕の曲というのは、どんなんだい、 面白 ( おもしろ ) かったかい」 「ええ、ずいぶん感心を致しましたよ、今までに覚えのないほど、感じてしまいました」 「そうかね、お前がそれほど感心するくらいならずいぶん面白かったろう。そうしてそれは、どんなに面白かったんだい、それを聞かしておくれな。いやいや、それより先に、その鈴慕の曲ってやつはいったい、何だね、何を意味しているんだか、弁信さん、お前はものしりだから、そいつから先に教えておくんなさいな」 「それは、わたしでなくったって、少しでも尺八のことに心得のある人は、鈴慕の名前ぐらいは誰でも知っていますよ、また相当に稽古をした人は、吹けといえば誰でも吹きましょう、別に珍しい名前でもなければ、秘曲というほどのものでもございません。ですから、私共のようなものでさえ、こうして耳を澄ましていますと、ははあ、あれは鈴慕だな、と 忽 ( たちま ) ちに 合点 ( がてん ) を致すのでございます。で、私も、これまで 堪能 ( たんのう ) の方々から、鈴慕を聞かせていただいたことは幾度かわかりません、聞かせるには聞かせていただきましたけれど、不敏な私には、どうしても今まで、 掴 ( つか ) むものが掴めない心持でおりました、それを今晩という今晩は……身にしみじみと思い当ることがございました」 「おどかしちゃいけないぜ、弁信さん」 ピグミーが、突然に頓狂な声でこう言いましたから弁信が、ハッとして、両手で自分の胸をおさえました。 「な、なにを言うのです」 弁信としては珍しく、唇をわななかせながらピグミーの言葉を聞きとがめると、ピグミーがせせら笑って、 「ホンとにおどかしちゃいけないよ、弁信さん、お前の身体が二つに割れてらあ」 「え」 「そらそら、肩から胸へかけて、すっと糸を引いたように二つに割れて、そこから絹糸のような血が流れていらあ」 「有難う、私も、そんなことだろうと思いました、拭きましょう」 いったん、驚かされた弁信が、静かに懐中へ手を入れて、真赤に染った白布を引き出しながら、 「どうも折々、こういうことがあって困ります、いいえ、別段に痛むのなんのというのではございませんが……それはそうとしまして、今のその 鈴慕 ( れいぼ ) の曲ですな、 出過者 ( ですぎもの ) の私は、鈴慕の曲を聞かせていただくごとに、堪能の方々にこれをお尋ねを致してみたのでございます、いったい鈴慕の曲は、どなたの御作曲で、どういう趣を御表現になったのでございますか、そのお方は、その時代は――と生意気千万にも、繰返し繰返しておたずねを致してみましたが、不幸にして、どなたも私のために、明快な御返事を与えて下さる方がございませんでした。ただ伝来の本曲がこうと教えられているから、この手を吹いているのみだ――とこう御返事になるのが常でございました。そのうち、もう少し進んだのが、あれは尺八中興の祖黒沢琴古が、わざわざ長崎の松寿軒まで行って、ようやく伝えられて来た本手の秘曲である、琴古は、 虚空 ( こくう ) と、鈴慕の秘曲を習わんと苦心しましたが、当時の 先達 ( せんだつ ) が、誰も秘して伝えてくれないものですから、 遥々 ( はるばる ) と長崎までたずねて行って、ようやくあの『 草 ( そう ) 』の手を覚えて来て、伝えているのが今の琴古流の鈴慕だ、と教えて下さる方がありました。そこで私は例の出過者の癖と致しまして、では琴古さんが伝えたといわれるそれが『草』の鈴慕ならば、当然『 行 ( ぎょう ) 』と『 真 ( しん ) 』とが無ければならないはずでございますが、その行と真との鈴慕は、どなたが伝えておいでになりますか、それを秘して黒沢琴古に伝えなかったという先達は、誰からそれを許されたものでございますか、その次第相承のほどを承って、根元にさかのぼりたいとこう考えたものでございますから、随分しつこく、その都度都度に、人様にたずねてみましたけれど、ついにわかりません。これまで吹く人も知らないで吹き、聞く人も知らないで聞き、そうして、そこに疑いを起す人すらもなかったということに、かえって、私が驚かされたような有様でございました。 尤 ( もっと ) も私に、 臨済 ( りんざい ) と、 普化 ( ふけ ) との、消息を教えて下すって、臨済録の『勘弁』というところにある『ただ空中に 鈴 ( れい ) の響、 隠々 ( いんいん ) として去るを聞く』あれが鈴慕の 極意 ( ごくい ) だよ、と教えて下すった方はありました。その時、出過者の私は、その方に向って、ではあの尺八の鈴慕は、普化禅師の脱化の鈴の音そのままを取った響なのでございますか、或いは、臨済大師がお聞きになった鈴の音をうつしたのでございますか、とこう申しますと、その方が、イヤそうではない、そのいずれでもない、普化禅師に法を受けた張伯というものがあって、これが 洞簫 ( とうしょう ) ――今でいう尺八を好くし、普化禅師の用いた鈴の代りにその洞簫を用うることにした、それが鈴慕の起りである――と 斯様 ( かよう ) に教えて下さいました時、またしても出過者の私が、それではあの鈴慕は張伯の鈴慕でございますか、と尋ねました。つまり私の心持では、鈴慕は臨済大師の鈴慕か、普化禅師の鈴慕か、ただしはその張伯という方の鈴慕か、ぜひともそれがお聞き申してみたかったのですが、私のたずね方が要領を得なかったせいでしょう、かえって私が叱られてしまいました。ところが今晩になってみますと、そんなことをしつこくたずね廻った私というものの愚かさが、つくづくと身に 沁 ( し ) みて参りました」 「どうです、傷は痛みますか」 とピグミーが言いました。 「別段、痛みはしませんが、これが人様の眼に触れて困ります。甲州の上野原の月見寺の時の怪我なんだろうと思いますが、ふだんはなんともござい