Against Empathy, and Keeping It — Feeling Lights the Fire, Justice Aims It — Epoche C2
場面設定: 夜更けの、ある小さな財団の、会議室。長い一日の審査が、終わりに近づいている。長机には、申請書のファイルが、二つの山に分けられ、片方は厚く、片方は薄い。空になったポットと、紙コップ、そして、最後に残った、たった一枠分の資金。最終候補は、二件——一件は、写真と名前のある、一人の子どもの、一回の手術。もう一件は、名もなき遠い土地への、蚊帳の一括購入。効果的利他主義を研究する若き道徳哲学者コール博士(三十代、縁なし眼鏡、几帳面に角を揃えた書類、声に、明晰さと、抑えた熱)と、四十年、紛争地と被災地の野戦病院で働いてきた、引退した人道支援の看護師アディソンさん(七十代、白髪を短く刈り、節くれだった手、その目は、無数の顔を見てきた者の、静かな深さをたたえている)。窓の外は、街の灯が、まばらに、ともっている。 残った配分は、これで最後です。最終候補は、二つ。(と、一つのファイルを、こつこつと叩く)名前のある、写真のある、胸の張り裂けるような物語を持った、たった一人の子ども。一回の手術。そして——(と、もう一つを叩く)誰一人、その名を知ることのない、退屈な、蚊帳の一括購入。数字の上では、おそらく、二百の命を、救う。この部屋の誰もが、その子に、出したがっている。そして、まさにそれが、アディソンさん、問題なんです。共感は、誰が生きるかを決めるには、ひどい方法だ。 野戦病院で四十年、コール博士。利口な若い人が、それを言うのを、何度も聞いてきましたし、それを、本気で信じてしまった者たちに、何が起きるかも、見てきました。だから、最後まで聞かせていただきましょう——でも、心に留めておきなさい。あなたは、そもそも、誰かを、野戦病院に向かわせた、ただ一つのものに、反対の論を、立てているのですよ。さあ、お話しなさい。 共感——他者が感じることを、感じること——は、道徳の指針としては、三つの致命的な欠陥を持っていて、ブルームが、それを並べてみせました。それは、偏っている。あなたは、可愛い子に、自分に似た子に、近くの子に、共感するのであって、遠くの子には、しない。それは、数に弱い。一人の、名のある犠牲者は、統計上の一千人よりも、あなたを動かす——スロヴィックは、人々が、特定された一人の子に、八人に対してより『多く』与えることを、示した。そして、それは、燃え尽きる——共感疲労です。一つの顔を照らし、残りの苦しむ世界を、暗闇に置き去る、スポットライト。病院を、慈善事業を、国を、共感で動かしてごらんなさい。あなたは、この上なく温かい心で、途方もない害を、なすでしょう。 その三つの、どれもこれも、私自身の胸の内で、感じてきましたし、一言たりとも、否定しません。私は、母親の顔が見える子に、最後の一床を、与えてきた——その間に、もっと静かな家族が、自分の床を、失った。百体目の遺体のあとで、私は、麻痺してしまった。スポットライトは、本物です。けれど、あなたが、何をしたかに、お気づきなさい、お若いの——あなたは、スポットライトを、それが投光器でないという罪で、告発して、そして、明かりを、消すべきだと、結論した。教えてください。四十年で、いったい何が、ただ一人の寄付者を、ただ一人の看護師を、ただ一人の志願者を、最初に、地球の裏側の見知らぬ者を、気にかける気にさせた、とお思いですか。それは、表計算ソフトでは、決してなかった。それは、一つの顔でした。共感は、ひどい投光器です。それは、たった一つの、火種なのですよ。 でも、その火種は、間違ったものに、火をつける。それが、私の論点のすべてです。聖人よりも、扇動家のほうが、これをよく知っている——群衆に、外集団の、泣いている犠牲者を一人、見せれば、戦争を始められる。あなたを、子どもに与えさせる、その同じ仕掛けが、あなたに、移民を、憎ませる。共感は、正義を、追跡しない。それは、鮮烈さを、追跡する。そして、鮮烈さは、製造できる。私は、私たちの道徳が、カメラがたまたま選んで見せる、どの顔によってであれ、舵を取られることを、望まないんです。 そこで——さあ、あなたは、真実で、大切なことを言いました。そして、私を切るための刃を、あなたに渡しましょう。ええ、共感は、兵器化されうるし、鮮烈な犠牲者は、嘘でありうる。けれど、あなたの治療法は、あなたが思うより、たちが悪い。あなたは、その感情を、計算で——ブルームの言う『理性的な思いやり』で——置き換えたがっている。そして、私は、計算だけを頼りに、導く人々に、会ってきました。彼らは、怪物ではない。ある意味で、もっと悪い——彼らは、理にかなっているのです。スターリンは、一人の死は悲劇だが、百万人の死は統計だ、と言ったとされている。彼は、算術の失敗を、告白していたのではない。彼は、その『成功』を、告白していたんです。一千人を、冷たく眺めること——それこそが、彼らを平然と使い潰せるように、なる、その道筋なのですよ。 それは、卑怯な一撃で、あなたも、そうと分かっている——スターリンの問題は、算術が多すぎたことでは、なかった。それは、理性的であれ何であれ、いかなる思いやりも、無かったことです。私は、何も感じないことを、論じているのではない。私は、目の前に、たまたま誰がいるか、という偶然によってではなく、理性によって導かれる、思いやりを、論じている。シンガーの、溺れる子ども——足元で溺れる子を救うために、あなたが、自分のスーツを台無しにするのなら、距離と数が、遠くの子どもたちを、より重要でなくする理由には、なりえない。理性は言う、一千人は、一人と、同じだけ重い、と。感情には、その足し算が、できない。だから、理性に、それを、させればいい。 そして、シンガーは、正しい。それは、理性が、これまでに口にした中で、最も大切な一文です——一千人は、一人と同じだけ重い。けれど、その次の問いを、お尋ねなさい。哲学者たちが、飛ばす問いを。『誰にとって』、重いのですか。一つの足し算には、それが、正しく出ることが、大切だと思う、誰かが、必要なんです。感じ合うことの痕跡を、ことごとく剥ぎ取ってごらんなさい。あなたが手にするのは、より純粋な、いたわり手では、ない。あなたが手にするのは、会計士です。バトソンは、そこに、生涯を費やした——彼は、実験につぐ実験で、人を、助けるべきだと『知っている』状態から、実際に『助ける』状態へと、傾けるのは、共感だ、現実の、その感情だ、と示した。あなたの理性は、一千人が、重要だと、あなたに告げることは、できる。けれど、それは、午前三時に、その一人のためにすら、暖かい寝床から、あなたを、出させることは、できない。それを、するのは、感情だけなんですよ。 (と、ひと呼吸おいて)……理性は、知る。感情は、動かす。その分業は、認めましょう。けれど、それなら、感情を、その持ち場に、留めておきなさい——舵輪ではなく、機関として。共感に、私を寝床から、出させなさい。そして、それから、理性に、どちらへ歩くかを、決めさせなさい。私を起こすものに、行き先まで、選ばせては、いけない。なぜなら、それは、いつだって、一番近い簡易ベッドを、一番可愛い患者を、たまたま私が見た家族を、選ぶのだから。 今、私たちは、旗を振る代わりに、何かを、実際に、築き上げています。ええ——機関であって、舵輪ではない。けれど、あなたは、もう半分を、私に認めなければ、なりません。なぜなら、あなたの陣営は、それを忘れるからです。機関のない理性は、慎重に運転したり、しません。そもそも、運転を、しないんです。『効果的な』寄付の、まるごと一つの哲学があって、聡明な若者たちが、運営している——一ポンドあたり、最も多くの命を救うところまで、理屈で辿り着いた。そして、私は、その蚊帳を、祝福しますよ、本当に——けれど、私は、彼らの幾人かが、自分を始めさせたその当のものを、失っていくのを、見てきました。ついには、人々が、『統計上の命』に、なるまで。そして、一人の子どもを、統計上の命と呼べる人は、共感を、超越したのでは、ない。彼は、その不在によって、静かに、不具にされて、そして、それを、厳密さと、呼んだのですよ。 不具に、ですか。それは、私なら『大人になること』と呼ぶものへの、きつい言葉ですね。 それが、正しい言葉で、そして、その違いの、見分け方を、教えましょう。これを研究しているザキは、こう論じている。共感は、あなたが、抱えて動けなくなっている、固定された量では、ない。それは、築くことも、萎えるに任せることも、できる、一つの技術なのだ、と。そして、数字の名のもとに、自分を、感じ合うことから『訓練して抜け出す』人は、より賢く、なっているのでは、ない。彼は、小さく、なっているんです。使うのをやめた手が、丸まっていくように。あなたが、正しく名指した危険——スポットライト、偏り、燃え尽き——それらは、共感を『律する』理由、それを『広げる』理由、それを、理性の手綱に、つなぐ理由です。それらは、それを、切断する理由では、ない。あなたは、熱を、患者を治療して、治すのであって、血を、抜いて、治すのでは、ないのですよ。 では、私たちが、ぐるりと回って近づいている立場は——動かされるために、その一人に、感じ合う。けれど、動かされることが、見えざる者たちを裏切らぬよう、数字によって、その多数のために、決める、ということですか。 それが、それです。そして、それは、純粋な感情よりも、純粋な計算よりも、難しい規律で、だからこそ、その両方が、あれほど人気なんです。温かい心だけなら、近くを愛し、遠くを忘れる、偏狭で、操られやすいもの。冷たい算術だけなら、百万人を使い潰して、それでも、眠れる、怪物のようなもの。人間らしい人とは、その二つの、不自然な結婚です——このファイルの中の子どものために、泣ける、本当に泣ける、そして、それでもなお、目を濡らしたまま、蚊帳に、資金を出せる人。なぜなら、その人は、自分が決して会うことのない二百人の子どもが、自分が会える一人と、寸分たがわず現実だと知るように、自分の心を、訓練してきたからです。共感が、火をつける。正義が、狙いを定める。どちらか一方を取り去れば、あなたは、より善い人を、手にするのでは、ない。あなたは、感傷家か、計算機を、手にするのですよ。 (と、二つのファイルを、見て)……そして、私は、大人の一手とは、蚊帳に資金を出し、その子について、何も感じないことだと、確信して、ここへ来た。あなたは、大人の一手とは、蚊帳に資金を出し、それでもなお、その子に、打ちのめされることだと、言っている——傷を、意図して、開いたままにしておくことだ、と。 (と、その子のファイルを取り上げ、それから、そっと『蚊帳』の山の上に、置く)蚊帳に、資金を出しなさい——数字は、数字で、二百は、一より多く、そして、それを忘れる財団に、この金を、預かる資格は、ありません。けれど、この一人について、自分を、免罪しては、いけません。(と、その子の写真を、こつこつと叩く)痛むまで、その子の顔を、見つめなさい。その子を、抱えていきなさい。それが、表計算を、変えるからでは、ない——変えては、いけないのです——そうではなく、その日、あなたが、このファイルを、何の代償もなく『却下』の山へ動かせるようになった日こそ、あなたが、あなたの哲学が、まさに防ぐはずだった、その当のものに、なってしまった日だからです。私たちは、その子に、資金を出さない。そして、出さなかったことを、嘆くのを、やめる、ということも、私たちには、許されない。それが、仕事のすべてなんです、コール博士——両方の半分を、同時に、あなたの、残りの生涯をかけて。片手に数字、もう片手に、その子の顔を、そして、決して、どちらも、手放さずに。さあ——蚊帳に、署名なさい。そして、家に帰って、安らかには、眠らないこと。安らかに眠る人たちこそ、私が、恐れるように、なった人たちなのですから。 解説: 夜更けの財団の会議室を舞台にした C2 級・十六ターンの弁証法。机の上の、写真ある一人の子(一回の手術)と、名もなき二百人を救う蚊帳という、二つの申請が、論証の生きた実例になっている。正:効果的利他主義を研究する道徳哲学者コールの立場——共感は道徳の指針として三つの致命的欠陥を持つ。ブルームの言う通り、偏り(近く・可愛い・内集団)、数への弱さ(スロヴィックの身元の判る犠牲者効果・心理的麻痺)、燃え尽き(共感疲労)。共感は正義でなく鮮烈さを追跡し、扇動家に兵器化される。シンガーの溺れる子が示すように、理性は一千人を一人と同じだけ重いと告げる。反:四十年現場の人道看護師アディソンの立場——三欠陥は本物だが、スポットライトを投光器でない罪で告発し明かりを消すのは誤り。共感は唯一の火種で、バトソンの示す通り『知る』を『助ける』に変える当のもの。スターリンの『一人は悲劇、百万は統計』は算術の成功の告白であり、計算だけの人は会計士。ザキの言う通り共感は萎える技術で、訓練して抜け出す人は賢くなるのでなく小さくなる。危険は切除でなく規律・拡張・理性の手綱の理由だ。合:火をつけるのは情(機関)、狙いを定めるのは理(舵輪)——その一人に感じ合って動かされ、見えざる多数のために数字で決める。温かい心だけは偏狭で操られやすく、冷たい算術だけは百万を使い潰して眠れる怪物。人間らしさは両者の不自然な結婚で、二百人を一人と同じだけ現実と知るよう心を訓練する。最後は『蚊帳に資金を出すが、却下した子の傷を意図して開いておく/片手に数字、もう片手にその子の顔/安らかに眠る者こそ恐ろしい』へ収束する。 参考文献 Bloom, P. (2016). 『Against Empathy: The Case for Rational Compassion』. New York: Ecco. Batson, C. D. (1991). 『The Altruism Question: Toward a Social-Psychological Answer』. Hillsdale, NJ: Erlbaum. Slovic, P. (2007). 「『If I Look at the Mass I Will Never Act』: Psychic Numbing and Genocide」. Judgment and Decision Making, 2(2), 79-95.