The Oscar Brozsky Case — Freeman Richard Austin
犯罪編 良心という言葉は、いろいろの意味に解釈されている。ある人はこれを苛責と解釈しているが、この苛責すなわち remorse の re は再びを意味し、morse は噛むを意味しているところから、学究的にむつかしく考える人は、良心のことを「再び噛む」というのである。それからまた、一方では良心をごく気楽に考える人もあって、そんなことが、幸福と幸福でないことの、決定的な要素のように思われている。 むろん、良心というものを気楽に考える人にも、理窟がないことはないが、そこに大きな問題があるのである。こちこちの固い良心をもった人は、柔かい良心の人だったら「再び噛む」に痛めつけられるようなみじめな状態におちいっても、案外けろりとしているようなこともある。それからまた、ある少数の不運な人は、良心というものを全然もっていないのもあるが、これは普通人の精神的有為転変を超越できるマイナスの賜物といえるだろう。 そのいい例が、サイラス・ヒクラーである。善意にかがやく、いつもにこにこ笑っている彼のほがらかな丸顔をみては、だれだって彼を犯罪者とは思わない。わけても、しょっちゅう機嫌がよくて、家のなかで気がるに喋り、食事の時に気のきいた冗談をとばす彼を、いつも見ているはずの、彼のうちの尊敬すべき高教会派の家政婦は、彼を信じきっていたのである。 だが、このサイラスという男は、じつのところは、その控えめではあるが不自由のない収入を、泥棒の技術でえていたのである。それは不安定で危険な仕事にはちがいなかったが、判断をあやまらず慎重にふるまえば、そう危険とばかりはいえなかった。そして、もともとサイラスは、判断力をもった男だったのだ。彼はいつも一人で行動した。だれにも相談しなかった。これが共犯者のある犯罪者だったら、法廷で困ってきたりすると、共犯者をおとしいれるような証言もしようが、彼には共犯者がないので、そんな心配もなかったし、また、なにかの拍子に怒って密告するために、警視庁にとびこむような女ももっていなかった。それかといって、多くの犯罪者のように、強慾でもなければ、つかんだ金を湯水のように使うくせもなかった。周到な計画のもとにひそかに行なう彼の犯罪のみいりは、わりにすくなく、かつ犯罪と犯罪とのあいだに、相当の期間をおくというふうだったが、そのかわり彼はそのみいりを控えめに生活費につぎこんだ。 若いころ、ダイアモンド関係の仕事をしたことのあるサイラスは、いまでも時々ではあるがそれに手をだすので、どうかするとダイアの密売者とうたがわれたり、また二三の不謹慎な業者は、彼のことを盗品故買者だと蔭でささやいたりする。でもサイラスはにこにこ笑いながら自分の道をすすんだ。彼には彼の考えがあったし、アムステルダムの宝石商人は彼と取り引きしながら、べつに彼のことをせんさくしもしなかった。 サイラス・ヒクラーはそんな男だった。ある十月の夕方、ほのぐらい自分のうちの庭を歩きまわる彼は、どうみても、つつしみぶかい中産階級の人としかみえなかった。大陸へ渡る時に着るいつもの旅行用の服を着て、荷造りのできた鞄は、シティングルームのソファのうえにおいてあった。彼のチョッキのポケットのなかには、ダイアの包みがあったが、それはこっそりではあったが、とにかくサザンプトンで正直に買った品物だった。右の靴のかかとの、くりぬいた穴のなかには、もっと高価な包みがかくしてあった。一時間半ほどしたら、船に連絡する汽車にのらねばならぬが、それまでは、こうして薄暗い庭をそぞろあるきしながら、来るべき商談をどう進行させるべきかというようなことを、考えるよりほかになすべきことがなかった。家政婦は週にいちどの買物でウェラムへ行き、十一時ごろまでは帰らぬはずだったので、彼は家のなかに一人でやや退屈だった。 家のなかにはいろうとしていたら、庭さきの道、それは、時々人が歩くので自然に道のようになったところだったが、そこに人の足音がきこえた。立ちどまって耳をすました。近くに人のすみかはないし、またその道は庭のそばだけで、ちょっと行くと立ち消えになっているような道だった。来客だろうか? だが、サイラス・ヒクラーのうちには、めったに来客がないので、いまどきそんな者が来ようとも思われなかった。石だらけの固い土を踏む足音はしだいに近くなる。 サイラスが好奇心にかられて、門に近づいて外をのぞいてみたら、煙草の火にてらされた人の顔がみえ、それからその人影は、うす暗がりを近づいて、彼のまえにたちどまった。その男は口にくわえていた巻煙草をとり、ぷっと煙をはきだして、 「この道を行くと、バドシャム駅へ出られますか。」ときいた。 「いいや、」とヒクラーはこたえた。「この道はだめですが、もっと向うのほうに、駅へ出る細い道がありますよ。」 「細い道ですか?」と、その男はうんざりしたようにいった。「もう細い道にはこりこりしました。町から駅へ出ようと思って、キャトリーへまわったのですが、途中で近道があると教えられて迷いこんだのがもとで、もう三十分もこんなところをうろうろしているのです。目がわるいもんですからね。」 「何時の汽車におのりになるんです?」ヒクラーはきいた。 「七時五十八分です。」 「そんなら、私も同じ汽車にのるのですが、まだ一時間いじょうもありますよ。駅はここから一マイルもないんです。なんでしたら、うちへはいってお休みなさい。いっしょに行きましょう。そしたら道を迷う心配はないですよ。」 「そうですか、それはどうも――」その男は眼鏡ごしに暗い家をみて、「でも――まあ――」 「駅でお待ちになるのも、ここでお待ちになるのもおなじでしょう。」 そうサイラスは愛想よくいった。ドアを大きくあけると、その男はちょっとためらったあとで門をはいり、煙草のすいがらをすてて、すたすた彼のあとについて、カテージふうの家へ歩きだした。 シティングルームはまっくらで、煖炉に消えのこる火が赤くみえるだけだったが、サイラスはさきにはいって、マッチをすって、天井からぶらさがるランプに灯をつけた。ランプに灯がついて小さい部屋が明るくなると、二人ははじめて好奇的な目で相手をみあった。 「なんだ、この男はブロズキーじゃないか! なるほど目がわるいというし、もう長年あわずにいるから、おれが分らないとみえる。」そう心につぶやいたが、口にだしてはていねいに、「まあお掛けなさい。いまウィスキーでもだしますから。」といった。 ブロズキーは口のなかでなにやらつぶやきながら、この家の主人が戸棚をあけているまに、部屋のすみの椅子に固い鼠色の中折帽をおき、テーブルの端に鞄をのせ、そのそばに蝙蝠傘をたてかけて、小型の腕椅子に腰をおろした。 「ビスケットをおあがりになりますか?」 ヒクラーはそういいながら、ウィスキーの壜と、サイフォンと、とっときのグラスを二つテーブルのうえにおいた。 「それはどうもありがとう。これから汽車にのるのですし、ずいぶん歩きましたから――」 「腹がへっていちゃいけませんよ。オートケイキをめしあがりますか? ほかになにもないのですが。」 そうヒクラーがいうと、ブロズキーはそれがなによりの好物だといって、自分でウィスキーにサイフォンのソーダ水を入れて、さも美味そうにオートケイキを食べはじめた。 ブロズキーはゆっくり物を食べる流儀らしかったが、この時はかなり食べることに気を取られているらしく、始終口をもぐもぐ動かすので、話が留守になりがちだった。自然喋ることはヒクラーにお鉢がまわるわけだが、そんなに話題があるはずはなかった。こんな場合当然ブロズキーの旅行先の地名や旅行の目的をきくべきものだろうが、ヒクラーはそれをきくきになれなかった。というのは、彼にはその二つともがよく分っているからだった。 ブロズキーは大がかりにダイアを取り扱う、かなり名をしられた商人で、主としてまだ加工しない原石を買いとるが、目がよくきくというので評判だった。彼はいつも普通より大型の、値も高い石を買いとり、そんなのが一定の量に達すると、自分でアムステルダムへ持っていって、そこの職人が磨くのを監督した。そんなことをよく知っているヒクラーは、こちらからきかなくても、彼がなんのため、どこへ行こうとしているかよく分った。どちらかというと、見すぼらしいこの男の服のどこかには、数千ポンドの高価な紙包みが隠してあるにちがいなかった。 あまりものをいわないで、ブロズキーは機械的に口を動かしながら坐っていた。彼とむきあって坐るヒクラーは、魅惑されたように相手をみながら、しょっちゅう神経質らしく喋りつづけ、時々大声をだした。彼は金物、たとえば銀食器なぞは取扱わなかった。金も金貨以外は手を触れようとしなかった。ただ靴の踵に入れて運ぶことができ、絶対安全に売却することのできる、宝石だけが彼の専門だった。だのに、いますぐ目の前に、彼の十回分の収獲を一つにしたような貴い包みを、ポケットにいれた男が坐っているのだ。その宝石の値段はおそらく――そこまで考えて、彼はわれにかえって、まとまりもないことを、急速度に喋りだした。彼の言うことにまとまりがないのは、話のあいまに、話とはまったく別のことを考えているからだった。 「晩方になると冷えるようですな?」ヒクラーはいった。 「そう、冷えますね。」ブロズキーはそれだけいうと、またゆっくりと噛みはじめ、呼吸するごとに、相手に聞えるほど鼻をならした。 「すくなくも五千ポンド。」意識の奥のほうで考えた。「ことによると六千ポンド。それとも一万ポンドかな。」椅子にすわってサイラスはもじもじした。興味のある話題に精神を集中したいとおもった。なんだか、今までとはちがったことばかり考えようとする自分が腹立たしかった。 「あなたは園芸に趣味をおもちですか?」 そう彼はきいた。ダイア、それから毎週金をたくわえること、そのつぎに彼が好きなのはフクシアを栽培することだった。 ブロズキーは苦笑して、「べつに花をつくらなくても、すぐそばにハットン・ガードンがあるので――」といいかけたが、急に話をかえて、「私、ロンドンに住んでいるんです。」といった。 話しかけてやめたことが、サイラスにぴんときた。やめた理由はよく分った。大金を身につけて旅をする人間は、むやみなことはしゃべれない。 「そうですね。ロンドンに住んでいちゃ、花なんか作っちゃいられませんね。」 サイラスは気がなさそうにそういったあとで、また心のなかで勘定しはじめた。かりに五千ポンドとすれば、一週間の収入がどのくらいだろう? 自分は貸家の最後の仕上げに、一軒二百五十ポンドを支払い、それを一週十シリング六ペンスで貸したが、その計算でいくと、五千ポンドは一週十シリング六ペンスで二十軒もつことになり――一日一ポンド八シリング――一年五百二十ポンド――それが一生。かなりの資産だ。今までのものにこれだけ加えれば、なんの不足もない。それだけ収入があれば、商売道具を川にすて、余生を安全気楽にすごせようというもの―― そっと彼はテーブルのむこうに坐る男の顔を見たが、すぐその目をそらせた。目をそらせたのは自分の心のなかに、ある衝動、まがうべくもないある衝動をかんじたからだった。こんなことを考えてはならぬと彼はおもった。人間にたいする暴力は、気違いざただと考えてきた彼だった。なるほど、ウェイブリジで警官にたいするちょっとした事件があったことは事実だが、あれは不慮の避けがたい出来事、しかも責任は警官がわにあった。それからエプソムの老女中――あれは老女中の馬鹿が悲鳴をあげたのが悪かったのだ。つまり、あれは悲しむべき不慮の災難で、それをもっとも気の毒がっているのは自分なのである。だが、暴力で人の物をうばったり、計画的に人を殺したりすること――それは気違いじみた行いでなくてなんであろう? だが、もし自分がそんなことを問題にしない人間だったら、ここに生涯の幸運をつかめる機会があるわけだ。無限の富、空屋、付近に家がなく、人の通る大道から遠くはなれていて、時刻もおあつらえむきの薄暗い夕刻――ただ、死体の処置だけは考えなければならぬ。こいつがいつも問題なのだ。さて、死体はどうしたもんだろう? ――この時、家の裏の原っぱの、線路の彎曲したところを通過する、上りの急行の轟音がきこえた。その轟音をきいた彼は、あることを思いついた。なにもしらず、むっつり顔でウィスキーをすするブロズキーを見ながら、彼はつぎからつぎと考えた。やがて急に椅子から立ちあがると、消えかかった煖炉に両手をかざして、マントルピースの上の時計をみた。奇妙な感情のうずまきにたえかねて、家をでたくなった。寒さよりもむしろむし暑さを感じながら、ちょっと身震いして、ドアのほうに視線をむけた。 「風がはいるようですな。」いいながらサイラスはまた身震いした。「ドアはしまっているのかしら?」部屋をよこぎってドアをあけて庭をみた。むやみに彼は家の外へでたいという欲望をかんじた。家の外へとびだして、頭のなかのけがらわしい考えをふりすてたかった。 「まだ駅へ行くのは早いでしょう。」そういいながら星のない夜空をみあげた。 ブロズキーは体をおこしてマントルピースを見て、「この時計はあっているのですか?」ときいた。 サイラスはたぶんあっているだろうとこたえた。 「駅までどのくらいかかります?」ブロズキーはきいた。 「二十五分か三十分ですな。」無意識に距離を大袈裟にいった。 「まだ一時間いじょうあるんなら、駅で待つよりここで待つことにしましょう。あまり早く行ってもつまらん。」 「そうですとも。」サイラスは調子をあわせた。なかば得意、なかばむねんがるような、妙な感情が、頭のなかで渦をまいた。しばらく彼は戸口にたって、ぼんやり夜の闇をみつめていた。それから静かにドアをしめて、機械的に音のしないように鍵をかけた。 また彼はもとの椅子にかえって、だまりがちのブロズキーに話しかけたが、その言葉はしどろもどろで、とぎれがちになり、顔がほてって、頭が充血して、たえず耳のおくで、なにか鋭いものが、かすかに鳴っているようにおもわれた。彼はあらたな、恐ろしい興味でその男を見つめている自分にきがついた。むりにその男から目をはなすと、またいつのまにかいっそう恐ろしい興味で見つめていることにきがついた。そして、血もあれば腕力もあるこの目のまえの男が、どんな抵抗をするだろうと、たえずその光景を、想像で心にえがいた。そのおぞましい犯罪は、彼の想像のな