春と修羅 第三集 — 宮沢賢治
七〇六 村娘 一九二六、五、二、 畑を過ぎる鳥の影 青々ひかる山の稜 雪菜の薹を手にくだき ひばりと川を聴きながら うつつにひととものがたる [#改ページ] 七〇九 春 一九二六、五、二、 陽が照って鳥が啼き あちこちの楢の林も、 けむるとき ぎちぎちと鳴る 汚ない掌を、 おれはこれからもつことになる [#改ページ] 七一一 水汲み 一九二六、五、一五、 ぎっしり生えたち萱の芽だ 紅くひかって 仲間同志に影をおとし 上をあるけば距離のしれない敷物のやうに うるうるひろがるち萱の芽だ ……水を汲んで砂へかけて…… つめたい風の海蛇が もう幾脈も幾脈も 野ばらの藪をすり抜けて 川をななめに溯って行く ……水を汲んで砂へかけて…… 向ふ岸には 蒼い衣のヨハネが下りて すぎなの 胞子 ( たね ) をあつめてゐる ……水を汲んで砂へかけて…… 岸までくれば またあたらしいサーペント ……水を汲んで水を汲んで…… 遠くの雲が幾ローフかの 麺麭にかはって売られるころだ [#改ページ] 七一四 疲労 一九二六、六、一八、 南の風も酸っぱいし 穂麦も青くひかって痛い それだのに 崖の上には わざわざ今日の晴天を、 西の山根から出て来たといふ 黒い巨きな立像が 眉間にルビーか何かをはめて 三っつも立って待ってゐる 疲れを知らないあゝいふ風な三人と せいいっぱいのせりふをやりとりするために あの雲にでも手をあてて 電気をとってやらうかな [#改ページ] 七一五 〔道べの粗朶に〕 一九二六、六、二〇、 道べの粗朶に 何かなし立ちよってさはり け白い風にふり向けば あちこち暗い家ぐねの杜と 花咲いたまゝいちめん倒れ 黒雲に映える雨の稲 そっちはさっきするどく斜視し あるいは嘲けりことばを避けた 陰気な幾十の部落なのに 何がこんなにおろかしく 私の胸を鳴らすのだらう 今朝このみちをひとすぢいだいたのぞみも消え いまはわづかに白くひらける東のそらも たゞそれだけのことであるのに なほもはげしく いかにも立派な根拠か何かありさうに 胸の鳴るのはどうしてだらう 野原のはてで荷馬車は小く ひとはほそぼそ尖ってけむる [#改ページ] 七一八 蛇踊 一九二六、六、二〇、 この萌えだした柳の枝で すこしあたまを叩いてやらう 叩かれてぞろぞろまはる はなはだ艶で無器用だ がらがら蛇でもない癖に しっぽをざらざら鳴らすのは それ響尾蛇に非るも 蛇はその尾を鳴らすめり 青い 青い 紋も青くて立派だし りっぱな 節奏 ( リズム ) もある さう そのポーズ いまの主題は 「白びかりある攻勢」とでもいふのだらう しまひにうすい桃いろの 口を大きく開くのが 役者のこはさ半分に 所謂見栄を切るのにあたる もすこしぴちゃぴちゃ叩いてやらう 今日は廐肥をいぢるので 蛇にも手などを出すわけだ けれども蛇よ、 どうも、おまへにからかってると 酸っぱいトマトをたべてるやうだ おまへの方で遁げるのか それではひとつわたしも遁げる [#改ページ] 七一八 井戸 一九二六、七、八、 こゝから 草削 ( ホウ ) をかついで行って 玉菜畑へ飛び込めば 宗教ではない体育でもない 何か仕事の推進力と風や陽ざしの混合物 熱く酸っぱい阿片のために 二時間半がたちまち過ぎる そいつが醒めて まはりが白い光の網で消されると ぼくはこゝまで戻って来て 水をごくごく呑むのである [#改ページ] 七二六 風景 一九二六、七、一四、 松森 蒼穹 ( そら ) に後光を出せば 片頬黒い県会議員が ひとりゆっくりあるいてくる 羊歯やこならの丘いちめんに ことしも燃えるアイリスの花 [#改ページ] 七二七 〔アカシヤの木の 洋燈 ( ラムプ ) から〕 一九二六、七、一四、 アカシヤの木の 洋燈 ( ラムプ ) から 風と睡さに 朝露も月見草の花も萎れるころ 鬼げし風のきもの着て 稲沼 ( ライスマーシュ ) のくろにあそぶ子 [#改ページ] 七二八 〔 驟雨 ( カダチ ) はそそぎ〕 一九二六、七、一五、 驟雨 ( カダチ ) はそそぎ 土のけむりはいっさんにあがる あゝもうもうと立つ湯気のなかに わたくしはひとり仕事を忿る ……枯れた羊歯の葉 野ばらの根 壊れて散ったその塔を いまいそがしくめぐる蟻…… 杉は驟雨のながれを懸け またほの白いしぶきをあげる [#改ページ] 七三〇 〔おしまひは〕 一九二六、八、八、 「おしまひは シャーマン山の第七峰の別当が 錦と水晶の袈裟を着て じぶんで出てきて諫めたさうだ」 青い光霞の漂ひと翻る川の帯 その骨ばったツングース型の赭い横顔 [#改ページ] 七三〇ノ二 増水 一九二六、八、一五、 悪どく光る雲の下に 幅では二倍量では恐らく十倍になった北上は 黄いろな波をたててゐる 鉄舟はみな敝舎へ引かれ モーターボートはトントン鳴らす 下流から水があくって来て 古川あとの田はもうみんな沼になり 豆のはたけもかくれてしまひ 桑のはたけももう半分はやられてゐる かたつむりの痕のやうにひかりながら 島になって残った松の下の草地と 白菜ばたけをかこんでゐる いつの間にどうして行ったのか その温い恐ろしい磯に 黒くうかんで誰か四五人立ってゐる 一人は網をもってゐる はゞきをはいて封介もゐる 水はすでに この秋のわが糧を奪ひたるか 屋根にのぼって展望する 廐肥の束はみなことごとく高みに運び 鍬と笊とは先刻腰まで水にひたって 辛くも奪ひかへして来た [#改ページ] 七三一〔黄いろな花もさき〕 一九二六、八、二〇、 黄いろな花もさき あらゆる色の種類した 畦いっぱいの地しばりを レーキでがりがり掻いてとる 川はあすこの瀬のところで 毎秒九噸の針をながす 上を見ろ 石を投げろ まっ白なそらいっぱいに もずが矢ばねを叩いて行く [#改ページ] 七三三 休息 一九二六、八、二七、 あかつめくさと きむぽうげ おれは羆熊だ 観念しろよ 遠くの雲が幾ローフかの 麺麭にかはって売られるころだ あはは 憂陀那よ 冗談はよせ ひとの肋を 抜身でもってくすぐるなんて [#改ページ] 七三四 〔青いけむりで唐黍を焼き〕 一九二六、八、二七、 青いけむりで唐黍を焼き ポンデローザも皿に盛って 若杉のほずゑの chrysocolla を見れば たのしく豊かな朝餐な筈であるのに こんなにも落ち着かないのは 今日も川ばたの荒れた畑の切り返しが 胸いっぱいにあるためらしい ……エナメルの雲鳥の声…… 強ひてもひとつ ふさふさ紅いたうもろこしの毛をもぎり その水いろの莢をむけば 熱く苦しいその仕事が 百年前の幽かなことのやうでもある [#改ページ] 七三五 饗宴 一九二六、九、三、 酸っぱい胡瓜をぽくぽく噛んで みんなは酒を飲んでゐる ……土橋は曇りの午前にできて いまうら青い榾のけむりは 稲いちめんに這ひかゝり そのせきぶちの杉や楢には 雨がどしゃどしゃ注いでゐる…… みんなは地主や賦役に出ない人たちから 集めた酒を飲んでゐる ……われにもあらず ぼんやり稲の種類を云ふ こゝは天山北路であるか…… さっき十ぺん あの赤砂利をかつがせられた 顔のむくんだ弱さうな子が みんなのうしろの板の間で 座って 素麺 ( むぎ ) をたべてゐる ( 紫雲英 ( ハナコ ) 植れば米とれるてが 藁ばりとったて間に合ぁなぢゃ) こどもはむぎを食ふのをやめて ちらっとこっちをぬすみみる [#改ページ] 七三六 〔濃い雲が二きれ〕 一九二六、九、五、 濃い雲が二きれ シャーマン山をかすめて行く (何を 吐 ( ぬか ) して行ったって?) (雷沢帰妹の三だとさ!) 向ふは寒く日が射して 蛇紋岩 ( サーペンテイン ) の青い鋸 [#改ページ] 七三八 はるかな作業 一九二六、九、一〇、 すゝきの花や暗い林の向ふのはうで なにかちがった風の品種が鳴ってゐる ぎらぎら縮れた雲と青陽の格子のなかで 風があやしい匂ひをもってふるへてゐる そらをうつして 空虚 ( うつろ ) な川と 黒いけむりをわづかにあげる 瓦工場のうしろの台に 冴え冴えとしてまたひゞき ここの畑できいてゐれば 楽しく明るさうなその仕事だけれども 晩にはそこから忠一が つかれて憤って帰ってくる [#改ページ] 七三九 〔霧がひどくて手が凍えるな〕 一九二六、九、一三、 霧がひどくて手が凍えるな ……馬もぶるっとももをさせる…… 縄をなげてくれ縄を ……すすきの穂も水霜でぐっしょり あゝはやく日が照るといゝ…… 雉子が啼いてるぞ 雉子が おまへの家のなからしい ……誰も居なくなった家のなかを 餌を漁って大股にあるきながら 雉子が叫んでゐるのだらうか…… [#改ページ] 七四〇 秋 一九二六、九、二三、 江釣子森の脚から半里 荒さんで甘い乱積雲の風の底 稔った稲や赤い萱穂の波のなか そこに鍋倉上組合の けらを装った年よりたちが けさあつまって待ってゐる 恐れた歳のとりいれ近く わたりの鳥はつぎつぎ渡り 野ばらの藪のガラスの実から 風が刻んだりんだうの花 ……里道は白く一すぢわたる…… やがて幾重の林のはてに 赤い鳥居や 昴 ( スバル ) の塚や おのおのの田の熟した稲に 異る百の因子を数へ われわれは今日一日をめぐる 青じろいそばの花から 蜂が終りの蜜を運べば まるめろの香とめぐるい風に 江釣子森の脚から半里 雨つぶ落ちる萱野の岸で 上鍋倉の年よりたちが けさ集って待ってゐる [#改ページ] 七四一 煙 一九二六、一〇、九、 川上の 煉瓦工場の煙突から けむりが雲につゞいてゐる あの脚もとにひろがった 青じろい頁岩の盤で 尖って長いくるみの化石をさがしたり 古いけものの足痕を うすら濁ってつぶやく水のなかからとったり 二夏のあひだ 実習のすんだ毎日の午后を 生徒らとたのしくあそんで過ごしたのに いま山山は四方にくらく 一ぺんすっかり破産した 煉瓦工場の煙突からは 何をたいてゐるのか 黒いけむりがどんどんたって そらいっぱいの雲にもまぎれ 白金いろの天末も だんだん狭くちゞまって行く [#改ページ] 七四一 白菜畑 霜がはたけの砂いっぱいで エンタシスある柱の列は みな水いろの影をひく 十いくつかのよるとひる 病んでもだえてゐた間 こんなつめたい空気のなかで 千の芝罘白菜は はじけるまでの砲弾になり 包頭連の七百は 立派なパンの形になった こゝは船場を渡った人が みんな通って行くところだし 川に沿ってどっちへも抜けられ 崖の方へも出られるので どうもこゝへ野菜をつくっては 盗られるだらうとみんなで云った けれども誰も盗まない 季節にはひとりでにかういふに熟して 朝はまっ白な霜をかぶってゐるし 早池峰薬師ももう雪でまっしろ 川は爆発するやうな 不定な湯気をときどきあげ 燃えたり消えたりしつづけながら どんどん針をながしてゐる 病んでゐても あるいは死んでしまっても 残りのみんなに対しては やっぱり川はつづけて流れるし なんといふいゝことだらう あゝひっそりとしたこのはたけ けれどもわたくしが レアカーをひいて この砂つちにはひってから まだひとつの音もきいてゐないのは それとも聞えないのだらうか、 巨きな湯気のかたまりが いま日の面を通るので 柱列の青い影も消え 砂もくらくはなったけれども [#改ページ] 七四二 圃道 一九二六、一〇、一〇、 水霜が みちの草穂にいっぱいで 車輪もきれいに洗はれた ざんざんざんざん木も藪も鳴ってゐるのは その重いつめたい雫が いま落ちてゐる最中なのだ 霧が巨きな 塊 ( こごり ) になって 太陽面を流れてゐる さっき川から炎のやうにあがってゐた あのすさまじい湯気のあとだ 気管がひどくぜいぜい云ふ かういふぜいぜい鳴る胸へ 焼酎をすこし呑みたいと思ひ ふかした芋をたべたいと思ひ 町に心を残しながら 野菜を売った年老りたちが みなこの坂を帰ったのだ [#改ページ] 七四三 〔盗まれた白菜の根へ〕 一九二六、一〇、一三、 盗まれた白菜の根へ 一つに一つ萱穂を挿して それが日本主義なのか 水いろをして エンタシスある柱の列の その残された推古時代の礎に 一つに一つ萱穂が立てば 盗人 ( ぬすびと ) がここを通るたび 初冬の風になびき日にひかって たしかにそれを嘲弄する さうしてそれが日本思想 弥 ( いや ) 栄主義の勝利なのか [#改ページ] 一〇〇一 〔プラットフォームは眩ゆくさむく〕 一九二七、二、一二、 プラットフォームは眩ゆくさむく 緑に塗られたシグナルや きららかに飛ぶ氷華のなかを あゝ狷介に学士は老いて いまは大都の名だたる国手 昔の友を送るのです ……そのきらゝかな氷華のはてで 小さな布の行嚢や 魚の包みがおろされますと 笛はおぼろにけむりはながれ 学士の影もうしろに消えて しづかに鎖すその窓は 鉛のいろの氷晶です かがやいて立つ氷の樹 蒼々けぶる山と雲 一つら過ぎゆく町のはづれに 日照はいましづかな冬で 車室はあえかなガラスのにほひ 髪をみだし黒いネクタイをつけて 朝の光にねむる写真師 東の窓はちひさな塵の懸垂と そのうつくしいティンダル効果 客はつましく座席をかへて 双手に二月のパネルをひらく しづかに東の窓にうつり いちゐの囲み池をそなへた小さな医院 その陶標の門をば斜め 客は至誠を面にうかべ 体を屈して殊遇を謝せば 桑にも梨にもいっぱいの氷華 [#改ページ] 一〇〇三 実験室小景 一九二七、二、一八、 (こんなところにゐるんだな) ビーカー、フラスコ、ブンゼン燈、 (この漆喰に立ちづくめさ) 暖炉はひとりでうなってゐるし 黄いろな時計はびっこをひきひきうごいてゐる (ガラスのオボーがたくさんあるな) (あれは逆流冷却器) (ずゐぶん大きなカップだな) (どうだきみは、苛性加里でもいっぱいやるか) (ふふん) 雪の反射とポプラの梢 そらを行くのはオパリンな雲 あるいはこまかな氷のかけら (分析ならばきみはなんでもできるのかい) (あゝ物質の方ならね) (はははは 今日は大へん謙遜だ まるでニュウトンそっくりだ) (きみニュウトンは物理だよ) (どっちにしてももう一あしだ 教授になって博士になれば 男爵だってなってなれないこともない) (きみきみ助手が見てゐるよ) 湯気をふくふくテルモスタット (春が来るとも見えないな) (いや、来るときは一どに来る 春の速さはまたべつだ) (春の速さは