詩ノート — Kenji Miyazawa
七四四 病院 一九二六、一一、四、 途中の空気はつめたく明るい水でした 熱があると魚のやうに活溌で そして大へん新鮮ですな 終りの一つのカクタスがまばゆく燃えて居りました 市街も橋もじつに光って明瞭で 逢ふ人はみなアイスランドへ移住した 蜂雀といふ風の衣裳をつけて居りました あんな正確な輪廓は 顕微鏡分析 ( ミクロスコープアナリーゼ ) の晶形にも 恐らくなからうかと思ふのであります [#改ページ] 七四五 〔霜と聖さで畑の砂はいっぱいだ〕 一九二六、一一、一五、 霜と聖さで畑の砂はいっぱいだ 影を落す影を落す エンタシスある氷の柱 そしてその向ふの滑らかな水は おれの病気の間の幾つもの夜と昼とを よくもあんなに光ってながれつゞけてゐたものだ 砂つちと光の雨 けれどもおれはまだこの畑地に到着してから 一つの音をも聞いてゐない [#改ページ] 一〇〇一 汽車 一九二七、二、一二、 プラットフォームは眩ゆくさむく 緑いろした電燈の笠 きららかに飛ぶ氷華の列を ひとは偏狭に老いようし 汽車近づけば その窓が Ice-fern で飾られもしよう 車のなかはちひさな塵の懸垂と そのうつくしいティンダル現象 日照はいましづかな冬で でんしんばしらや建物や鳩 かゞやいて立つ氷の樹 青々けぶる山と雲 髪をみだし 黒いネクタイをつけて 朝の汽車にねむる写真師 ……これが小さくてよき梨を産するあの町であるか…… ……はい閣下 今日は多量の氷華を産して居りまする…… ……それらの樹群はみなよき梨の母体であるか…… ……はい閣下 あれは夏にはニッケル鋼の鏡をつるす はんの木立でございます…… ……この町の訓練の成績はどうぢゃ…… ……はい閣下 寒冷ながら 水は風より より濃いものと存じます…… けむりは凍えていくつにもちぎれて 松の林に落ちこむし アカシヤの木の乱立と 女のそのうつくしいプロファイル もう幾百 目もあやに 風や磁気に交叉する電線と〔以下空白〕 [#改ページ] 一〇〇二 〔氷のかけらが〕 一九二七、二、一八、 氷のかけらが 海のプランクトンのやうに ぴちぴちはねる朝日のなかを 黒いペンキのまだ乾かない 電車が一つしづかに過ぎる 兵隊みたいな赤すぢいりの帽子をかぶった電気工夫や またつゝましくかゞやいてゐる朝の唇 ……ハムマアを忘れて来たな…… ……向ふには電気炉がない…… 江釣子森が暗く濁ったそらのこっちを 白くひかって展開する そのぶちぶちの杉の木が 虫めがねででも見たやうに 今日は大へん大きく見える ……雪の野原と ぼそぼそ燃える山の雲…… 東は茶いろな松森の向ふに 巨きな白い虹がたつ [#改ページ] 〔凍ったその小さな川に沿って〕 凍ったその小さな川に沿って 幾つもの暗い小さな段丘が 日の裏側を 木のないとがった岩頸まで 寒さうに寒さうにつゞいてゐた [#改ページ] 一〇〇三 〔ソックスレット〕 一九二七、二、 ソックスレット 光る加里球 並んでかゝるリービッヒ管 みんなはどこへ行ったのだらう 暖炉が燃えて 黄いろな時計はつまづきながらうごいてゐる 塩酸比重一・一九( ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82) セリンを持って来てください) タンニン定量用 Conc. アルコール (今日はそのエーテルを全部回収してしまってください) このレッテルはわたくしの字だ 十年前のごくおぼつかないわたくしの字だ けれどもこんなに紙が白くて 蝋も塗られてゐないのは やっぱり誰か相似形の一つが つめたい風にはあはあ息をつきながら 一生けん命ねらって書いたに相違ない ……雪の反射とポプラの梢…… よくまあこんなうすいろの陰暗だの がさつな藪にかこまれながら 感量〇・〇〇〇二といふ風な こまかな仕事をしてゐるもんだ ……そらをかけてゐるものは オーパルの雲か それとも近い氷のかけらの系列か…… 風がふけば またひとがあるけば 目盛フラスコの そのいちいちの色異った溶液が めいめいきれいにひかってゆれる ……色のついた硝酸がご用ですか…… ……いゝえ わたくしの精神がいま索ねて居ますのは 水に落ちた木の陰影の濃度を測定する 青い試薬がほしいんであります…… ぎらぎら砕けるポプラの枝と雲の影 [#改ページ] 一〇〇四 〔今日は一日あかるくにぎやかな雪降りです〕 一九二七、三、四、 今日は一日あかるくにぎやかな雪降りです ひるすぎてから わたくしのうちのまはりを 巨きな重いあしおとが 幾度ともなく行きすぎました わたくしはそのたびごとに もう一年も返事を書かないあなたがたづねて来たのだと じぶんでじぶんに教へたのです そしてまったく それはあなたの またわれわれの足音でした なぜならそれは いっぱい積んだ梢の雪が 地面の雪に落ちるのでしたから 雪ふれば昨日のひるのわるひのき 菩薩すがたにすくと立つかな [#改ページ] 一〇〇五 〔暗い月あかりの雪のなかに〕 一九二七、三、一五、 暗い月あかりの雪のなかに 向ふに黒く見えるのは 松の影が落ちてゐるのだらうか ひるなら碧くいまも螺鈿のモザイク風の松の影だらうか やっぱり雪が溶けたのだ あすこら辺だけあんなに早く溶けるとすれば もう彼岸にも畑の土をまかないでいゝ やっぱり砂地で早いのだ 毎年斯うなら毎年こゝを苗床と 球根類の場所にしよう その球根の畦もきれいに見えてゐる みちをふさいで巨きな松の枝がある このごろのあの雨雪に落ちたのだ 玉葱とペントステモン行って見よう あゝちゃうどあの十六のころの 岩手山の麓の野原の風のきもちだ 雪菜は枯れたがもう大丈夫生きてゐる なにかふしぎなからくさもやうは この月あかりの網なのか 苗床いちめんやっぱり銀のアラベスク ヒアシンスを埋めた畦が割れてゐる やっぱり底は暖いので 廐肥が減って落ち込んだのだ ヒアシンスの根はけれども太いし短いから 折れたり切れたりしてないだらう さうさうこゝもいちめん暗いからくさもやう うしろは町の透明な灯と楊や森 まだらな草地がねむさを噴く 巨きな松の枝だ この枝がさっき見たのだったらうか 昆布とアルコール 川が鼠いろのそらと同じで 南東は泣きたいやうな甘ったるい雲だ 音なくながれるその川の水 五輪峠やちゞれた風や ずうっとみなかみの すきとほってくらい風のなかを 川千鳥が啼いてのぼってゐる 「いちばんいゝ透明な青い絵具をもう呉れてしまはう」 どこか右手の偏光の方では ぼとしぎの風を切る音もする 早池峰は雲の向ふにねむり 風のつめたさ 「水晶の笛とガラスの笛との音色の差異について」 町は犬の声と ここは巨きな松の間のがらん洞 風がこんどはアイアンビック [#改ページ] 一〇〇六 〔こんやは暖かなので〕 一九二七、三、一五、 こんやは暖かなので この坂みちの 淡い月光にひかる石ころの間を 夜どほし 雪どけの水がながれるのだ ……氷の雲とひばの列…… その振作の大きな木小屋は 北側の屋根がなくなったのか そらのうつろが映ってゐるのだ (ばらを十五本植ゑた そのばらが芽を出さない) [#改ページ] 一〇〇七 〔たんぼの中の稲かぶが八列ばかり〕 一九二七、三、一六、 たんぼの中の稲かぶが八列ばかり 雪からとけて東の方へならぶのは せんころみんながあすこの盛りを 崩して土を運んだあとになってゐる 赤い毛布を足にも巻けば 藍 ※(「靜のへん+定」、第4水準2-91-94) いろの影もおとした そこに一本仕とげた仕事の紀念のやうに 新らしい杭が立ってゐる まはりはぐみと楊の木 なあに金出す人ぁ困らなぃ人だがらと たくましくそしてほのかにわらひながら あいつが夜に云ってゐた 風が吹いて松並木に雪もふれば 稀薄な山と新道の松の間を くっきり白いけむりを吐いて汽車も行く [#改ページ] 一〇〇八 〔赤い尾をしたレオポルドめが〕 一九二七、三、一六、 赤い尾をしたレオポルドめが また鶏をとらうとして 田圃の雪をはしって行く 山は吹雪のうすあかり 松の林の足なみに 麻酔をかけてレオポルドめが せはしくひとりくぐって行く 林はうすい 冠毛 ( コロナ ) をかぶる ちゞれて酸えた北の雲 [#改ページ] 〔いろいろな反感とふゞきの中で〕 一九二七、三、一六、 いろいろな反感とふゞきの中で いま東の雲はうるんで甘く クレオソートを塗られた電しんばしらも鳴り 町の上では 赤れん瓦の農業倉庫も 黒い陸橋も はげしい風の火も燃える [#改ページ] 一〇〇九 運転手 一九二七、三、一九、 電信ばしらの乱立と ……ベンベロ取りさ行がなぃが…… ……あしたやすみだべ…… Type a form on off ………洋電機株式会社 おれはいま巨きな演奏家たちが ピアノを弾き出す前のやうに 平らにだ輪に掌を置く ファーストスロープ こゝを過ぎればもう一キロほど 見とほしの利く直線なんだ 藍いろの山のこっちの 蕈のかたちの松ばやし 防火線白くめぐり Up 一 二 五 ……子供らそばで電車を見ようとかけるかける その雪ばかまの短い脚したこどもらよ 黝ずむ松のむらばやし…… 第二スロープ ダウン 一 三 二 M―― ※(2分の1、1-9-20) ← 三 三 はん、材料置場第二号 もうはんのきとかはやなぎ 瀬川の岸にもうやってきた 寒さで線路はよれて 平夷な岡と三角山 注意鳴笛 それやった 橋だ橋だぞ 濁った川だ 誰か泥棒のやうに 黒い脚で横へそれた ひばのかきね [#改ページ] 一〇一〇 〔火がかゞやいて〕 一九二七、三、一九、 火がかゞやいて けむりも青くすきとほってあがる よくみがかれた板の間と ぼそぼそ煤けた火棚の鍵 この家は おかっぱの 頬の赤いこどもらでいっぱいだ 雪はしづかに外でとけ またその雪のほの白い反射 その一人のこどもが 紺の雪ばかまをはき羽織を着て 板の間に別々影と影法師を落して だまって立っておれを見てゐる おれを見てゐる 見てゐる おれもだまって見てゐると むすめの頬はゆがむゆがむ どうして おれはぼろぼろの服を着て 銀の鉛筆をさげたえらい先生なのだ 向ふへ行くのに 肩をそびやかして そんなにくるっとまはるのは まるでほんとの剣 舞 ( ばひ ) の風だ ……曇ったガラス障子の向ふは、 何かをかしな廊下になってゐて その黄な粗壁の土蔵の前には もうたくさんのこどもらがあつまってゐる…… さっきのおかっぱのあのむすめが 膳をわざわざみんなの前へ持ってきて 板の間へちゃんと座って食べはじめる 白い粥を盛った二つの椀を前に置いて だまって箸をなめてゐる 影は二っつ 横目でそっとこっちを見ながらたべはじめる たべてゐる 榾火はいまおきにかはって あっちもこっちも影法師 さあ さあ 向ふへいかゞですか [#改ページ] 一〇一一 〔ひるすぎになってから〕 一九二七、三、一九、 ひるすぎになってから 東のそらはうす甘く赤くなり そこにたくさんの黒い実をつけたはんの梢や 古風な松の森が盛りあがったのです ……ひはうつくしい 孔雀石いろに着飾って あえかな雪を横切った…… みみづくの頭の形した鳥ヶ森もひかり テーブルランド テーブルランド 凍ったその小さな川に沿って いくつものさびしい雪のテレースが 日の裏側を 木のないとがった岩頸までつゞけば 天の焦点は雪ぐもの向ふの白い日輪 つらなる黒い林のはてに また亜鉛いろの雪のはてに ノスタルヂヤ農学校の ほそ長く白い屋根が見える [#改ページ] 一〇一二 〔野原はわくわく白い偏光〕 一九二七、三、二一、 ……野原はわくわく白い偏光 菫外線をたゞよへり…… その服は おれの組合から買ってくれたのかい いやありがたう すてきななりだ まるでこれからアフガニスタンへ馬を盗みに行くやうだ そこでそろそろ お嫁さんをもらったらどうだ もう貰った 気に入ったかい ……あっいけない 江釣子森だ 窓ガラス越し 氷醋弾をなげつけやがったんだ…… アムモホスの使ひ方だって うん [#改ページ] 一〇一三 〔洪積世が了って〕 一九二七、三、二一、 洪積世が了って 北上川がいまの場所に固定しだしたころには こゝらはひばや はんやくるみの森林で そのところどころには そのいそがしく悠久な世紀のうちに 山地から運ばれた漂礫が あちこちごちゃごちゃ置かれてあった それはその後八万年の間に あるいはそこらの著名な山岳の名や 古い鬼神の名前を記されたりして いま秩序よく分散する [#改ページ] 一〇一四 〔山の向ふは濁ってくらく〕 一九二七、三、二三、 山の向ふは濁ってくらく もう 恐慌 ( パニック ) が春といっしょにやってゐる 野はらはまだらな磁製の雪と 黝ぶり滑べる 夜見来川 みんなに明るく希望に充ち わたくしに暗く重い仕事が そこでまもなく起らうとする 鳥は雷気や 巨きな雲の尾を恐れない [#改ページ] 一〇一五 〔わたくしの汲みあげるバケツが〕 一九二七、三、二三、 わたくしの汲みあげるバケツが 井戸の中の扁菱形の影の中から たくさんの気泡と うららかな波をたゝへて いまアムバアの光のなかにでてくると そこにひとひらの ――なまめかしい貝―― ――ヘリクリサムの花冠―― 一ぴきの蛾が落ちてゐる なめらかに強い水の表面張力から 蛾はいま溺れようとする わたくしはこの早い春への突進者を 温んでひかる気海のなかへ掬ひだしてやらう ほう早くも小さな水けむり イリデ ※(小書き片仮名ス、1-6-80) センス 春の蛾は水を叩きつけて 飛び立つ 飛び立つ 飛び立つ Zigzag steerer, desert cheerer. いまその林の茶褐色の房と 不定形な雲の間を航行する [#改ページ] 一〇一六 〔黒つちからたつ〕 一九二七、三、二六、 黒つちからたつ あたたかな春の湯気が うす陽と雨とを縫ってのぼる ……西にはひかる 白い天のひときれもあれば たくましい雪の斜面もあらはれる…… きみたちがみんな労農党になってから それからほんとのおれの仕事がはじまるのだ ……ところどころ みどりいろの氈をつくるのは 春のすゞめのてっぱうだ…… 地雪と黒くながれる雲 [#改ページ] 一〇一七 〔日が照ってゐて〕 一九二七、三、二七、 日が照ってゐて そらはがらんと暗かった わたくしは笹のなかに陥ち込んでねむった 埋もれて 鷺の群がいっぱいに北へ渡った [#改ページ] 一〇一七 〔水は黄いろにひろがって〕 水は黄いろにひろがって いま