The Tale of Genji, Chapter 48: 椎が本 — Murasaki Shikibu
源氏物語 朝の月涙のごとくましろけれ 御寺 ( みてら ) の鐘 の水渡る時 (晶子) 二月の 二十日 ( はつか ) 過ぎに 兵部卿 ( ひょうぶきょう ) の宮は 大和 ( やまと ) の 初瀬 ( はせ ) 寺へ 参詣 ( さんけい ) をあそばされることになった。古い御宿願には相違ないが、中に宇治という土地があることからこれが今度実現するに及んだものらしい。宇治は 憂 ( う ) き里であると名をさえ悲しんだ古人もあるのに、またこのように心をおひかれになるというのも、八の宮の姫君たちがおいでになるからである。高官も多くお供をした。殿上役人はむろんのことで、この行に漏れた人は少数にすぎない。 六条院の御遺産として右大臣の 有 ( ゆう ) になっている土地は 河 ( かわ ) の向こうにずっと続いていて、ながめのよい別荘もあった。そこに往復とも中宿りの接待が設けられてあり、大臣もお帰りの時は宇治まで出迎えることになっていたが、謹慎日がにわかにめぐり合わせて来て、しかも重く慎まねばならぬことを 陰陽師 ( おんようじ ) から告げられたために、自身で伺えないことのお詫びの 挨拶 ( あいさつ ) を持って代理が京から来た。宮は 苦手 ( にがて ) としておいでになる右大臣が来ずに、お親しみの深い 薫 ( かおる ) の宰相中将が京から来たのをかえってお喜びになり、八の宮邸との交渉がこの人さえおれば都合よく運ぶであろうと満足しておいでになった。右大臣という人物にはいつも気づまりさを 匂宮 ( におうみや ) はお覚えになるらしい。右大臣の 息子 ( むすこ ) の右大弁、侍従宰相、権中将、 蔵人兵衛佐 ( くろうどひょうえのすけ ) などは初めからお 随 ( つ ) きしていた。 帝 ( みかど ) も 后 ( きさき ) の宮もすぐれてお愛しになる宮であったから、世間の尊敬することも大きかった。まして六条院一統の人たちは末の末まで私の主君のようにこの宮にかしずくのであった。別荘には山里らしい風流な 設備 ( しつらい ) がしてあって、碁、 双六 ( すごろく ) 、 弾碁 ( たぎ ) の盤なども出されてあるので、お供の人たちは皆好きな遊びをしてこの日を楽しんでいた。宮は旅なれぬお 身体 ( からだ ) であったから疲労をお覚えになったし、この土地にしばらく休養していたいという 思召 ( おぼしめ ) しも十分にあって、横たわっておいでになったが、夕方になって楽器をお出させになり、音楽の遊びにおかかりになった。こうした大きい河のほとりというものは水音が横から楽音を助けてことさらおもしろく聞かれた。 聖人の宮のお 住居 ( すまい ) はここから船ですぐに渡って行けるような場所に位置していたから、追い風に混じる琴笛の音を聞いておいでになりながら昔のことがお心に浮かんできて、 「笛を非常におもしろく吹く。だれだろう。昔の六条院の吹かれたのは 愛嬌 ( あいきょう ) のある美しい味のものだった。今聞こえるのは音が澄みのぼって重厚なところがあるのは、以前の太政大臣の一統の笛に似ているようだ」 など 独言 ( ひとりごと ) を言っておいでになった。 「ずいぶん長い年月が私をああした遊びから離していた。人間の愉楽とするものと遠ざかった寂しい生活を今日までどれだけしているかというようなことをむだにも数えられる」 こんなことをお言いになりながらも、姫君たちの人並みを 超 ( こ ) えたりっぱさがお思われになって、宝玉を埋めているような遺憾もお覚えにならぬではなく、源宰相中将という人を、できるなら婿としてみたいが、かれにはそうした心がないらしい、しかも自分はその人以外の浮薄な男へ 女王 ( にょおう ) たちは与える気になれないのであるとお思いになって、物思いを八の宮がしておいでになる対岸では、春の夜といえども長くばかりお思われになるのであるが、右大臣の別荘のほうの客たちはおもしろい旅の夜の酔いごこちに夜のあっけなく明けるのを歎いていた。 匂宮はこの日に宇治を立って帰京されるのが物足らぬこととばかりお思われになった。遠くはるばると 霞 ( かす ) んだ空を負って、散る桜もあり、今開いてゆく桜もあるのが見渡される奥には、晴れやかに起き伏しする河添い柳も続いて、宇治の流れはそれを倒影にしていた。都人の林泉にはないこうした広い風景を見捨てて帰りがたく思召されるのである。薫はこの機会もはずさず八の宮邸へまいりたく思うのであったが、多数の人の見る前で、自分だけが船を出してそちらへ行くのは軽率に見られはせぬかと 躊躇 ( ちゅうちょ ) している時に八の宮からお使いが来た。お手紙は薫へあったのである。 山風に 霞 ( かすみ ) 吹き解く声はあれど隔てて見ゆる 遠 ( をち ) の白波 漢字のくずし字が美しく書かれてあった。兵部卿の宮は、少なからぬ関心を持っておいでになる所からのおたよりとお知りになり、うれしく思召して、 「このお返事は私から出そう」 とお言いになって、次の歌をお書きになった。 遠近 ( をちこち ) の 汀 ( みぎは ) の波は隔つともなほ吹き通へ宇治の川風 薫は自身でまいることにした。音楽好きな 公達 ( きんだち ) を誘って同船して行ったのであった。船の上では「 酣酔楽 ( かんすいらく ) 」が奏された。 河に臨んだ廊の縁から流れの水面に向かってかかっている橋の形などはきわめて風雅で、宮の洗練された御趣味もうかがわれるものであった。右大臣の別荘も 田舎 ( いなか ) らしくはしてあったが、宮のお 邸 ( やしき ) はそれ以上に 素朴 ( そぼく ) な土地の色が取り入れられてあって、 網代屏風 ( あじろびょうぶ ) などというものも立っていた。 寂 ( さび ) の味の豊かにある室内の飾りもおもしろく、あるいは兵部卿の宮の初瀬 詣 ( もう ) での御帰途に立ち寄る客があるかもしれぬとして、よく清掃されてもあった。すぐれた名品の楽器なども、わざとらしくなく宮はお取り出しになって、参入者たちへ提供され、 一越 ( いちこち ) 調で「桜人」の歌われるのをお聞きになった。名手の 誉 ( ほま ) れをとっておいでになる八の宮の御琴の音をこの機会にお聞きしたい望みをだれも持っていたのであるが、十三絃を合い間合い間にほかのものに合わせてだけお 弾 ( ひ ) きになるにとどまった。平生お聞きし慣れないせいか、奥深いよい音として若い人々は承った。山里らしい御 饗応 ( きょうおう ) が 綺麗 ( きれい ) な形式であって、皆人がほかで想像していたに似ず王族の端である 公達 ( きんだち ) が数人、王の四位の年輩者というような人らが、常に八の宮へ御同情申していたのか、縁故の多少でもあるのはお手つだいに来ていた。 酒瓶 ( しゅへい ) を持って勧める人も皆さっぱりとしたふうをしていた。一種古風な親王家らしいよさのある御歓待の席と見えた。船で来た人たちには女王の様子も想像して好奇心の 惹 ( ひ ) かれる気のしたのもあるはずである。 兵部卿の宮はまして美しいと薫から聞いておいでになった 姉妹 ( きょうだい ) の姫君に興味をいだいておいでになって、自由な行動のおできにならぬことを、今までから 憾 ( うら ) みに思っておいでになったのであるから、この機会になりとも女王への初めの消息を送りたいとお思いになり、そのお心持ちがしまいに 抑 ( おさ ) えきれずに、美しい桜の枝をお折らせになって、お供に来ていた殿上の侍童のきれいな少年をお使いにされお手紙をお送りになった。 山桜にほふあたりに尋ね来て同じ 挿頭 ( かざし ) を折りてけるかな 野を 睦 ( むつ ) まじみ(ひと夜寝にける) というような御消息である。お返事はむずかしい、自分にはと二人の女王は譲り合っていたが、こんな場合はただ風流な交際として軽く相手をしておくべきで、あとまで引くことのないように、大事をとり過ぎた態度に出るのはかえって感じのよくないものであるというようなことを、古い女房などが申したために、宮は中姫君に返事をお書かせになった。 挿頭 ( かざし ) 折る花のたよりに 山賤 ( やまがつ ) の 垣根 ( かきね ) を過ぎぬ春の旅人 野を分きてしも これが美しい 貴女 ( きじょ ) らしい手跡で書かれてあった。 河風 ( かわかぜ ) も当代の親王、古親王の隔てを見せず吹き通うのであったから、南の岸の楽音は古宮家の人の耳を喜ばせた。 迎えの勅使として 藤 ( とう ) 大納言が来たほかにまた無数にまいったお迎えの人々をしたがえて兵部卿の宮は宇治をお立ちになった。若い人たちは心の残るふうに河のほうをいつまでも顧みして行った。宮はまたよい機会をとらえて再遊することを期しておいでになるのである。一行の人々の山と水の風景を題にした作が詩にも歌にも多くできたのであるが細かには筆者も知らない。 周囲に御遠慮があって宇治の姫君へ再三の消息のおできにならなかったことを匂宮は飽き足らぬように思召して、それからは薫の手をわずらわさずに、直接のお 文 ( ふみ ) がしばしば八の宮へ行くことになった。父君の宮も、 「初めどおりにお返事を出すがよい。求婚者風にこちらでは扱わないでおこう。交友として 無聊 ( ぶりょう ) を慰める相手にはなるだろう。風流男でいられる方が若い女王のいることをお聞きになっての軽い遊びの心持ちだろうから」 こんなふうにお勧めになる時などには中姫君が書いた。大姫君は遊びとしてさえ恋愛を取り扱うことなどはいとわしがるような高潔な自重心のある女性であった。 いつでも心細い山荘住まいのうちにも、春の 日永 ( ひなが ) の退屈さから催される物思いは二人の女王から離れなかった。いよいよ完成された美は父宮のお心にかえって悲哀をもたらした。欠点でもあるのであれば惜しい存在であると歎かれることは少なかろうがなどと 煩悶 ( はんもん ) をあそばされるのであった。大姫君は二十五、中姫君は二十三になっていた。 宮のために今年は重く謹慎をあそばされねばならぬ年と占われていた。心細い気をお覚えになって、仏勤めを平生以上にゆるみなくあそばす八の宮であった。この世に何の愛着をも今はお持ちにならぬお心であったから、未来の世のためにいっさいを捨てて 仏弟子 ( ぶつでし ) の生活にもおはいりになりたいのであったが、ただ二女王をこのままにしておく点に御不安があって、深い信仰はおありになっても、このことでなすべからぬ 煩悶 ( はんもん ) をするようになるのは遺憾であると思召すらしいのを、奉仕する女房たちはお察ししていたが、そのことについて宮は、必ずしも理想どおりではなくとも、世間体もよく、親として、それくらいであれば譲歩してもよいと思われる男が求婚して来たなら、立ち入って婿としての世話はやかないままで結婚を許そう、一人だけがそうした生活にはいれば、それに大体のことは頼みうることにもなって安心は得られるであろうが、それほどにまで誠意を見せて婚を求める人もない。まれまれにはちょっとした機会と仲介人を得て、そうした話もあるが、皆まだ若々しい人たちが一時的に好奇心を動かして、 初瀬 ( はせ ) 、 春日 ( かすが ) への中休みの宇治での遊び心のような 恋文 ( こいぶみ ) を送って来る程度にとどまり、こうした閑居をあそばすだけの宮として、女王にはたいした敬意も持たず礼のない 軽蔑 ( けいべつ ) 的な交渉をして来るのなどには、その場だけの返事をすら女王にお書かせにならない。 兵部卿 ( ひょうぶきょう ) の宮だけはどうしてもこの恋を遂げたいという熱意を持っておいでになる。これも前生の約束事であったのかもしれぬ。 源宰相中将はその秋中納言になった。いよいよはなやかな高官になったわけであるが、心には物思いが絶えずあった。自身の出生した初めの因縁に疑いを持っていたころよりも、真相を知った時に始まった過去の肉親に対する愛と同情とともに、かの世でしているであろう罪についての苦闘を思いやることが重苦しい負担に覚えられ、その父の罪の軽くなるほどにも自身で仏勤めがしたいと願われるのであった。あの話をした老女に好意を持ち、人目を紛らすだけの用意をして常に物質の保護を怠らぬようになった。 中納言はしばらく宇治の宮をお 訪 ( たず ) ねせずにいたことを急に思い出して出かけた。 街 ( まち ) の中にはまだはいって来ぬ秋であったが、音羽山が近くなったころから風の音も冷ややかに吹くようになり、 槙 ( まき ) の尾山の木の葉も少し色づいたのに気がついた。進むにしたがって 景色 ( けしき ) の美しくなるのを 薫 ( かおる ) は感じつつ行った。 中納言をお迎えになった宮は平生にも増して喜びをお見せになり、心細く思召すことを何かと多くこの人へお話しになるのであった。お亡くなりになったあとでは女王たちを時々 訪 ( たず ) ねて来てやってほしいと思召すこと、 親戚 ( しんせき ) の端の者として心にとめておいてほしいと思召すことを、正面からはお言いにならぬのではあるが、御希望として仰せられることで、薫は、 「一言でも承っておきます以上、決して私はなすべきを怠る者ではございません。この世に欲望を持つことのないようにと心がけまして、世の中に対して人よりは冷淡な態度をとっておりますから、立身をいたすことも望まれませんが、私の生きておりますかぎりは、ただ今と変わりのない志を御家族にお見せ申したいと考えております」 とお答えしたのを、八の宮はうれしく思召し御満足をあそばされた。おそく 昇 ( のぼ ) るころの月が出て山の姿が静かに現われた深夜に、宮は 念誦 ( ねんず ) をあそばしながら薫へ昔の話をお聞かせになった。 「近ごろの世の中というものはどうなっているのか私には少しもわからない。御所などでこうした秋の月夜に音楽の演奏されるのに私も侍していて、その当時感じたことですが、名人ばかりが集まって、とりどりな技術を発揮させる御前の合奏よりも、 上手 ( じょうず ) だという名のある 女御 ( にょご ) 、 更衣 ( こうい ) のいる 局 ( つぼね ) 々で心の内では競争心を持ち、表面は風流に交際している人た