三国志 図南の巻 — 吉川英治
日輪 ( にちりん ) 一 呉侯の妹、玄徳の夫人は、やがて呉の都へ帰った。 孫権はすぐ妹に 質 ( ただ ) した。 「周善はどうしたか」 「途中、江の上で、張飛や趙雲に 阻 ( はば ) められ、斬殺されました」 「なぜ、そなたは、 阿斗 ( あと ) を抱いてこなかったのだ」 「その阿斗も、 奪 ( と ) り上げられてしまったのです……それよりは、母君のご病気はどうなんです。すぐ母君へ会わせて下さい」 「会うがよい、母公の 後宮 ( こうきゅう ) へ行って」 「ではまだ……ご容体は」 「至極、お達者だ」 「えっ。お達者ですって」 「女は女同士で語れ」 いぶかる妹を、 膠 ( にべ ) もなく後宮へ追い立て、孫権はすぐ政閣へ歩を移して、群臣に宣言した。 「予の妹は、玄徳の留守に、その家臣どもから追われ、今日、呉へ立ち帰った。かくなる上は、呉と荊州とは、事実上、なんらの縁故もないことになった。即時、大軍を起して、荊州を収め、多年の懸案を一挙に解決してしまおうと思う。それについて、策あらば申し立てよ」 すると、議事の半ばに、江北の 諜報 ( ちょうほう ) がとどいて、 「曹操四十万の大軍を催し、赤壁の仇を報ぜんと、刻々、南下して参る由」と、あった。 俄然、軍議は緊張を呈した。 ところへまた、内務吏から、 「重臣の 張紘 ( ちょうこう ) 、先頃から病中にありましたが、今朝、息をひきとるにあたり、遺言の一書を、わが君へと、 認 ( したた ) め終って果てました」 「なに、張紘が死んだ」 折も折である。呉の建業以来の功臣。孫権は涙しながらその遺書を見た。 張紘の遺書には 縷々 ( るる ) として、生涯の君恩の大を謝してあった。そして、自分は日頃から、呉の都府は、もっと中央に地の利を占めなければならぬと考え、諸州にわたって地理を按じていたが、 秣陵 ( まつりょう ) ( 南京 ( ナンキン ) 附近)の山川こそ実にそれに適している。万世の 業礎 ( ぎょうそ ) を固められようとするなら、ぜひ 遷都 ( せんと ) を実現されるように。これこそいま終りに臨んでなす最後のご恩報じの一言であると結んであった。 「忠義なものである。この忠良な臣の遺言をなんで 反古 ( ほご ) にしてよいものではない」 孫権は、一方には、刻々迫る戦機を見ながら、一面直ちに、その居府を、建業( 江蘇省 ( こうそしょう ) ・南京)へ 遷 ( うつ ) した。 かくてその地には、白頭城が築かれ、旧府の市民もみな移ってきた。 また、 呂蒙 ( りょもう ) の意見を容れて、 濡須 ( じゅしゅ ) ( 安徽省 ( あんきしょう ) ・ 巣湖 ( そうこ ) と 長江 ( ちょうこう ) の中間)の水流の口から一帯にかけて、 堤 ( つつみ ) を築いた。これに使役される人夫は日々数万人、呉の国力の 旺 ( さかん ) なることは、こうした土木建築にも遺憾なくあらわれた。 もちろんこれは、やがて来るべきものに対する国防の一端である。来るべきもの、それは曹操の南下だ。 曹操はそれよりもずっと早くから宿望の南征と呉への報復にもっぱら軍備の拡充を計っていた。 すでに四十万の大編制は、 「いつでも」と、いう態勢を整えたので、いよいよ許都を発しようとすると、長史 董昭 ( とうしょう ) が 諂 ( おも ) ねって彼にこうすすめた。 「およそ古来から、臣として、丞相のような大功をあげられた御方は、これを歴史に見ても、求めることはできません。周公も 呂望 ( りょぼう ) も、比較にはならないでしょう。乱世に立って、群盗乱臣を平らげ、風に 梳 ( くしけず ) り雨に 浴 ( ゆあ ) みし給うなど、三十余年、万民のために、また漢朝のために、身をくだかれて来たことは、ひとしく天人ともに知るところです。今はよろしく、 魏公 ( ぎこう ) の位に登って、 九錫 ( きゅうしゃく ) を加え、その威容功徳を、天下に見せ示すべきでありましょう」 二 どんな英傑でも、 年齢 ( とし ) と境遇の推移とともに、人間のもつ平凡な弱点へひとしく落ちてしまうのは是非ないものとみえる。 むかし青年時代、まだ宮門の一警手にすぎなかった頃の曹操は、胸いっぱいの志は燃えていても、地位は低く、身は貧しく、たまたま、同輩の者が、上官に 媚 ( こ ) びたり甘言につとめて、立身を計るのを見ると、(何たる さもしい 男だろう)と、その心事を 愍 ( あわれ ) み、また部下の甘言をうけて、人の 媚 ( こ ) びを喜ぶ上官にはなおさら、 侮蔑 ( ぶべつ ) を感じ、その愚をわらい、その 弊 ( へい ) に 唾棄 ( だき ) したものであった。 実に、かつての曹操は、そういう颯爽たる気概をもった青年だった。 ところが、近来の彼はどうだろう。赤壁の役の前、観月の船上でも、うたた自己の老齢をかぞえていたが、老来まったく青春時代の逆境に 嘯 ( うそぶ ) いた姿はなく、ともすれば、耳に甘い近側のことばにうごく傾向がある。 彼もいつか、むかしは 侮蔑 ( ぶべつ ) し、 唾棄 ( だき ) し、またその愚を笑った上官の地位になっていた。しかも、今の彼たるや人臣の栄爵を極め、その最高にある身だけに、その 巧言令色 ( こうげんれいしょく ) にたいする歓びも受けいれかたも、とうてい、宮門警手の一上官などの比ではない。 いま重臣 董昭 ( とうしょう ) から、 (この際、魏公の位に登って九錫を加えられては如何ですか) と、すすめられると、曹操はなにをはばかる考えもなくすぐに、 (そうだ、なぜ自分は、今まで九錫を持たなかったろう) と、すぐその気になって、朝廷にそのゆるしを求めた。もちろんその意のままになる。彼は以後、魏公と称し、出るも入るも、九錫の儀仗に護られる身となった。 九錫の礼というのは、 一 車馬 大輅 ( タイロ ) 、 戎輅 ( ジュウロ ) 。大輅ハ金車、戎輅ハ兵車ノ事。黄馬八匹。 二 衣服 王者ノ服。 袞冕赤 ( コンベンセキセキ ) 。 朱 ( シュ ) ノ 履 ( クツ ) タル事。 三 楽県 ( ガッケン ) 軒県 ( ケンケン ) の 楽 ( ガク ) 、堂下ノ楽。昇降必ズ楽ヲ奏ス。 四 朱戸 ( シュコ ) 門戸ハ 紅門 ( コウモン ) ヲ以テ 彩 ( イロド ) ル。 五 納陛 ( ノウヘイ ) 朝陛 ( チョウヘイ ) ヲ登ル自由。 六 虎賁 ( コホン ) 常時門ヲ衛ル軍三百人、 虎賁軍 ( コホングン ) トイウ。 七 鉞 ( フエツ ) 鉞各 一、 ハスナワチ 金斧 ( キンプ ) 、銀斧ナリ。 八 弓矢 弓 ( トウキュウ ) 一、 矢 ( トウシ ) 百、 ※弓 ( ロキュウ ) [#「玄+旅のつくり」、U+7388、151-2] 十、 ※矢 ( ロシ ) [#「玄+旅のつくり」、U+7388、151-2] 一千、朱弓、 黒弓 ( コッキュウ ) ナリ。 九 秬鬯 ( キョチョウ ) 祭祀 ( サイシ ) ヲ行ウタメノ酒。 これをみた 荀 ( じゅんいく ) はかなしんだ。以前の曹操とは次第に変ってくるのを冷静に彼のそばで眺めていたのは、彼よりは年下のこの荀 という忠良な一忠臣だった。 「丞相。すこしあなたも、お年をお召しになり過ぎはしませんか」 「なぜだ」 「愚に返ったところがお見うけされます」 「予が九錫の礼を持ったことをいうのか」 勃然 ( ぼつぜん ) と、曹操は、色をうごかした。荀 は、静かに、 「そうです。功いよいよ高きほど、ご自身は、 退謙 ( たいけん ) をお示しあるべきです。しからずんば、せっかく、三十余年、旗に漢室への忠誠をかざし、口に万民のためと称しながら、結局、あなたご自身の慾望に過ぎなかったということになりましょう。弱冠、生死の 迷妄 ( めいもう ) を捨て、百戦苦闘、今日を築いてきながら、その精神と節操を、門の飾りや往来の見得などと取替えるなどは、実に つまらぬ 人生の落ちではありませんか」 涙をふくんで 諫 ( いさ ) めると、曹操はぷいと席を去って、 「おいおい、 董昭 ( とうしょう ) をよべ」と、近侍へいいつけながら、大歩して去ってしまった。 以来、荀 は、病と称して、自邸にひき籠ってしまった。建安十七年冬十月、いよいよ南下の大軍は都を出ることになったが、彼はなお、曹操から呼びに来ても、 「このたびはお供できません」 と、参加を辞した。 ついに、使者が来た。 「 魏公 ( ぎこう ) からのお見舞いである」 と、使者は、食物の入っている一器を彼の前に贈った。 見ると、器の上には、「曹操 親 ( ミズカ ) ラ之ヲ 封 ( フウ ) ス」という紙がかけてある。あとで開いてみると、器の中には何も入っていなかった。 「お気持は分った。……ああ」 荀 ( じゅんいく ) は、その夜、自ら毒をのんで死んだ。 三 すでに南征の大軍は、水陸から続々と呉へ下っていた。 途中、曹操へ、都から知らせがあった。 「荀 が毒をのみました」 「……自害したか」 曹操は瞼をとじた。ほろ苦い眉をひそめて。 しばらく黙っていたが、やがて、 「荀 は、ちょうど五十歳だったな。不愍なことをした、 敬侯 ( けいこう ) と 諡 ( おくりな ) してやれ」 それきり何もいわなかった。多少、悔ゆる色がないでもない。 日をかさねて、行軍は 安徽省 ( あんきしょう ) に入り、 濡須 ( じゅしゅ ) の堤を前にして、二百余里にわたる陣を 布 ( し ) いた。 「まず、敵の大勢を見よう」 曹操は、山へ登った。そして遥かに、呉の陣を見わたすと、長江の支流は百 腸 ( ちょう ) のように 曠野 ( こうや ) を縦横にうねり、その一つの大きな江には数百艘の兵船が望まれる。 敵はその辺りを 中枢 ( ちゅうすう ) として水陸に充満していた。 船櫓 ( せんろ ) の鳴るところ旗ひらめき、剣槍のかがやくところ士馬の 声 ( こえ ) 震 ( ふる ) い、草木もこぞって、国を防ぐために 戦 ( おのの ) いているかと思われた。 「ああさすがに呉は南方の強国だ。この士気では油断はできぬ。汝らも努めてふたたび赤壁の不覚をくりかえすなよ」 左右の大将を戒めながら彼が山を降りかけた時である。 轟然 ( ごうぜん ) 、どこかで一発の石砲がとどろいた。その砲声からしてすでに北国にはない強力な 硝薬 ( しょうやく ) の威力を示している。 「すわ」 と、さわぎたつ間もない。山の麓近くの江から 忽然 ( こつぜん ) と 喊声 ( かんせい ) が起った。いつのまにか附近の 蘆荻 ( ろてき ) の陰から無数の小艇があらわれ、呉の精猛が煙のように堤をこえて突貫して来る。まさに、魏の中軍へいきなり 楔 ( くさび ) を打ちこんできたかたちだ。 「 退 ( ひ ) くな。奇襲の敵は少数ときまっている」 曹操は、山を降りると、敢然、陣頭に出て乱れ立つ味方をととのえた。 すると彼方の堤の上に、 青羅 ( せいら ) の 傘蓋 ( さんがい ) をかざし、星の如き群将に守られていた呉侯孫権が曹操を認めると、馬をとばして馳けてきた。 「赤壁の亡将、まだ生命をぬすんでいたか」 その声に、曹操は振り向いた。 碧眼 ( へきがん ) 、 紫髯 ( しぜん ) 、胴長く、脚短く、しかも南人特有な 精悍 ( せいかん ) の気満々たる孫権。槍をふるって、石弾の如く突いてきた。 「何者だっ」 わざと曹操は大喝した。自分よりはるかに若い孫権と、剣槍をもって闘う気はない。威だけを示して逃げようとした。 「逃ぐるなかれ。魏賊」 と、その気を察して、孫権の左右から、 韓当 ( かんとう ) 、 周泰 ( しゅうたい ) のふたりが分れて、曹操のうしろへ迫った。 危地に陥ったかと曹操の身が困難に見えたとき、彼の味方もまた、鼓を鳴らして、孫権のうしろを突きくずし、乱軍の 相 ( そう ) を呈しかけた 機 ( しお ) に、魏の 許 ( きょちょ ) は、刀を舞わして周泰、韓当を退け、辛くも曹操を救い出して、中軍へ帰った。 この晩、いちど退いたかとみえた呉軍が 夜半 ( よなか ) にまた、四面の野や小屋に火をはなって、夜襲して来た。 遠征の疲労にあった魏の兵は、不覚にも不意をくって、呉の勢に馳け破られ、おびただしい死者をすてて総軍五十里ほど陣を退くのやむなきに立ち至った。 「われながら、まずい 戦 ( いくさ ) 」 曹操は 悶々 ( もんもん ) 、自己を責めた。幾日かを空しく守りながら陣小屋の内にかくれて、じっと軍書にばかり眼をさらしていた。 なにか、天来の妙計を、それから求めようとしている悶えがわかる。 跫音 ( あしおと ) をしのばせて、そっと入ってきた 程 ( ていいく ) が、 「丞相。おつかれではありませぬか」と、声ひくく慰めた。 「……おお、程 か。呉の堅陣に対して打つ手がない。 初手 ( しょて ) の戦も、彼の攻勢に、味方はようやく防いだのみだ」 「そもそも。このたびのご出陣は 遷延 ( せんえん ) また遷延をかさね、ちと遅すぎました。ゆえに呉は国防に全力を 賭 ( と ) し、その期間に 濡須 ( じゅしゅ ) の堤まで築いてしまった程です。 如 ( し ) かず、一応引揚げて、ふたたびご出征を図られてはどうですか」 その晩、曹操は、ふしぎな夢を見た。 焔々 ( えんえん ) たる日輪が雲を捲いて、空中から大江の波間に落ちたとみて眼がさめたのである。 四 あくる日。 五、六十騎をつれて、彼は陣中を見まわり、何気なく 江 ( こう ) の 畔 ( ほとり ) を歩いてきた。 ちょうど真っ赤な夕陽が、江の上流の山に沈みかけていたので、曹操はゆうべの夢を憶い出して、 「昨夜ふしぎな夢を見たが、吉夢だろうか、凶夢だろうか」 と、左右の将に語っていた。 すると、夕陽の光線と、江の波光とが相映じて、まばゆいばかりぎらぎら燃えている彼方の赤い 靄 ( もや ) の中から、一旗、二旗、三旗、無数の旗が見え始めた。 「や。敵?」 いうまもない。 黄金の ( かぶと ) に、紅の 戦袍 ( ひたたれ ) を着、真っ先に進んできた大将が、鞭をあげて、曹操をさしまねきながら 揶揄 ( やゆ ) していう。 「国を 侵 ( おか