Evenings on a Farm Near Dikanka, Part II — Nikolai Gogol
これは、ガデャーチからよくやつて来たステパン・イワーノ ッチ・クーロチカに聞いた 物語 ( はなし ) ぢやが、これには一つの故事来歴がついてゐる。ところで、元来このわしの記憶といふやつが、何ともはやお話にならぬ代物で、聞いたも聞かぬもとんとひとつでな。いはば、まるで 篩 ( ふるひ ) の中へ水をつぎこんだのと変りがないのぢや。我れながら、それを百も承知なので、わざわざ彼にその 物語 ( はなし ) を帳面へ書きつけておいて呉れるやうに頼んだ次第ぢや。――いや、どうか達者でゐて貰ひたいもので――あの先生わしには何時もじつに親切な男でな、筆をとるなり、さつそく書いておいて呉れたわい。わしはその帳面を 小卓 ( こづくゑ ) の押匣へしまつておいたのぢや。そら、諸君も御存じぢやらう、あの、戸口を入つた直ぐとつつきの隅にある 小卓 ( こづくゑ ) なんで……。いやはや、これはしたり、すつかり忘れてをつたが――諸君はまだ一度もわしの家へ来られたことがなかつたのぢやな。ところで、わしがもう三十年このかた連れ添ふうちの婆さんぢやが、恥をいへば目に一丁字もない女なんで。この婆さんがある時、何かの紙を下敷にして 肉饅頭 ( ピロシュキ ) を焼いてござるのぢや。時に親愛なる読者諸君、うちの婆さんときたら、その 肉饅頭 ( ピロシュキ ) を焼くのがめつぱふ上手なのぢや、あれくらゐ 美味 ( うま ) い 肉饅頭 ( ピロシュキ ) はどこへ行つても食へつこない。それはさて、何気なくその 肉饅頭 ( ピロシュキ ) の下敷にしてある紙を見ると――なにか文字が書いてある。へんに思ひあたる節があるので、 小卓 ( こづくゑ ) のところへ行つてしらべて見ると、どうぢやらう――くだんの帳面が半分くらゐの丁数になつてをるではないか! あとは残らず婆さんめ、 肉饅頭 ( ピロシュキ ) を焼くたんびに、引きちぎつては使つてしまひをつたのぢや! だが、どうしやうがあらう、まさかこの 老齢 ( とし ) で、掴みあひができるではなしさ! 去年のことぢやが、たまたまガデャーチをとほつたので、まだその 市 ( まち ) へさしかかる前に、この一件についてステパン・イワーノ ッチをたづねることを忘れまいとて、わざわざ * 忘れな結びをしておいたほどぢや。それだけならまだしも、 市 ( まち ) なかでくしやみが出たら、それをしほに必らずあの仁のことを想ひ出さうと、しかと我れと我が胸に約束しておいたのぢやが、それもこれも無駄ぢやつた。市をとほりながら、くしやみもしたし、ハンカチで 鼻汁 ( はな ) もかんだけれど肝腎のことはすつかり忘れてしまつてゐたのぢや。で、やつと気がついた頃は、市の関門を六 露里 ( ウェルスト ) ばかりも距たつてゐた。どうもしかたがない。尻切蜻蛉のままで印刷にまはすことになつてしまつた。だが、この物語のさきがどうなるか、是非とも知りたいとお望みの方には、ひとつガデャーチへ出むいて、ステパン・イワーノ ッチに訊ねていただくまでのことぢや。あの仁は大悦びでこの物語を、恐らくは初めからしまひまで、お話しすることぢやらう。住ひは石造の教会堂のつい近所でな。あすこのとつつきに小さい横町があるが、その横町へ曲るとすぐ、二つめか三つめの門がそれぢや。あ、さうさう、それよりもよい 目標 ( めじるし ) は、庭に太い棒が立つてゐて、それに鶉がかけてあり、草いろの 女袴 ( スカート ) を穿いた、ふとつちよの女が出迎へる(ステパン・イワーノ ッチが独り者だといふことを御承知おき願ふのも妨げにはなるまい)と、それが彼の邸なのぢや。それとも市場で先生をつかまへることも出来る。奴さんはそこへ毎朝、九時までには必らず出かけて、自分の食膳を賑はす魚菜をみたてたり、アンティープ神父や、それから請負商の猶太人などと話し込んでゐるのが 平素 ( いつも ) のならはしなんでな。それにあんな派手な花模様のズボンを穿いたり、 鬱金 ( うこん ) の南京繻子で出来たフロックコートを著てゐる人間は、あの男のほかには一人もゐないから、すぐに見分けがつく。もう一つの 目標 ( めじるし ) は、歩く時にきまつて両腕をぐるぐる振りまはす癖のあることぢや。今は亡き 彼地 ( あちら ) の陪審官デニス・ペトロー ッチは、遠くから彼の姿を見かけると、 御覧なさい、御覧なさい、そら、あすこへ 製粉場 ( こなひきば ) の風車が歩いて来ますぜ! と、きまつてさう言つたものぢや。 忘れな結び 用事を忘れず思ひ出すよすがに、ハンカチに結びこぶを作ること。 一 イワン・フョードロ ッチ・シュポーニカ イワン・フョードロ ッチ・シュポーニカは、もう四年まへから軍職を退いて、 所有農園 ( もちむら ) のウイトゥレベニキに住んでゐる。彼がまだワニューシャと呼ばれた少年時代には、ガデャーチの郡立小学校へかよつてゐたが、特筆すべきことは、彼がきはめて品行方正な、ぬきんでて勤勉な児童だつたことで、露西亜文法の教師ニキーフォル・ティモフェー ッチ・デェプリチャースティエは、いつも、受持児童が残らずシュポーニカのやうな勤勉家ばかりだつたら、自分は 楓樹 ( かへで ) の定規などを教室へ持つて来るには及ばぬのだがと、言ひ言ひしたものだ。いつも彼は、彼自身が告白したとほり、怠け者や悪戯つ児の手をその定規で打ち 草臥 ( くたび ) れてしまふ有様だつた。シュポーニカの筆記帳はいつもきれいで、いつぱいに罫がひいてあつて、どこを開いて見ても 斑点 ( しみ ) 一つついてゐなかつた。彼はいつでもおとなしく席につくと、手を拱んで、じつと教師に目をそそぎ、決して、自分の前の席に坐つてゐる級友の背中へ 紙片 ( かみきれ ) をぶら下げるとか、腰掛に彫刻をするとか、それから、先生が来るまで目白押しをやるといふやうなことがなかつた。もし誰かが 鵞筆 ( ペン ) を削るのにナイフの要るやうな場合には、イワン・フョードロ ッチが何時もナイフを用意してゐることがわかつてゐたので、取敢へず彼に借用を申し込んだものだ。するとイワン・フョードロ ッチは――いやそのころは単にワニューシャだつたが、――鼠色の制服の 釦孔 ( ぼたんあな ) にさげてゐた小さい 革袋 ( ケース ) からナイフを取り出して、但しペンを削るのにナイフの 刄尖 ( はさき ) をつかはないで欲しい、それにはちやんと、適当な刄の鈍い個所があるからと、断るのだつた。かうした美点は、あの粗羅紗の外套と 痘瘡 ( あばた ) だらけの顔を入口へにゆつと現はす前に昇降口でやる咳払ひ一つで、全教室を恐怖のどん底におとし入れる、拉典語の教師の注意をすら、忽ち彼の上へ牽きつけずにはおかなかつた。いつも教壇に二振りの枝笞を用意して、生徒の半数に 膝立 ( ひざだち ) の罰を喰はせる、この怖ろしい教師が、クラスのうちには遥かに良く出来る連中が沢山あつたにも拘らず、イワン・フョードロ ッチを 指導委員 ( アウディートル ) に任命した。さて、茲に彼の全生涯に影響を及ぼすに至つた一大事件の出来したことを見逃しにする訳にはゆかぬ。彼の指導に委ねられた生徒の一人が、或る学課がまるで出来なかつた時に、 指導委員 ( アウディートル ) を買収して採点簿に甲を入れさせようと思つて、バタを塗つた 揚煎餅 ( ブリーン ) を紙にくるんで教室へ持つて来たのだ。イワン・フョードロ ッチは公明な心の持主だつたが、をり悪しくその時はひどく空腹だつたため、この誘惑に打ち克つことが出来なかつた。彼は 揚煎餅 ( ブリーン ) を受け取ると、本を前に立てかけておいてムシャムシャやり出したが、ひどくそれに夢中になつてゐたものだから、不意に教室の中がまるで死んだやうにしいんと鎮まり返つたことにも気がつかなかつた。彼がハッと我れに返つた時には、すでに粗羅紗の外套の袖口からぬつと出た怖ろしい手が彼の耳を掴んで、教室の真中へ引きずり出してゐた。『 揚煎餅 ( ブリーン ) をこちらへお出し! お出しと言つたら、この碌でなしめ!』さう言ふなり、怖ろしい教師はバタつきの 揚煎餅 ( ブリーン ) を指で摘んで、窓から外へ投げ棄てた。そして運動場を駈け つてゐる児童たちに向つて、それを拾つちやならんぞと厳しく禁じておいてから、すぐにその場でイワン・フョードロ ッチの両手をいやといふほど鞭打つた。――いかさま 揚煎餅 ( ブリーン ) を受け取つたのはその手で、からだの他の部分には罪がないとでもいふのだらう。それは兎も角、このことがあつて以来、それでなくても生まれつき小胆な彼に、なほさら臆病風が染みこんでしまつたのだ。恐らくこの事件そのものが因を成して、後年、彼をして絶対に役所勤めに入らうといふ望みを起させなかつたものに違ひない――この経験から、誤魔化といふことの難かしさをつくづく悟つたがために。 彼が二学年に進級して、それまでの簡易釈義書や四則算の代りに、詳細釈義書だの、修身だの分数だのを習ひかかつた時には、年ももう満十五歳になつてゐた。だが、深く進めば進むほどいよいよ学課は煩瑣になるばかりだつたし、ちやうど、父の訃報にも接したりしたので、それからあと二年のあひだ在学してから、母の諒解を得て、P××歩兵聯隊へ入隊した。 このP××歩兵聯隊は、他の多くの歩兵聯隊が属してゐる類ひとは全く趣きを異にして、たいてい村落に駐屯してゐたにも拘らず、へたな騎兵聯隊などの及びもつかぬくらゐ、素晴らしく景気のいい聯隊であつた。大部分の士官が竜騎兵にも負けず 凍火酒 ( ウィモロズキ ) をあふり、猶太人の 鬢髪 ( ペイス ) を掴んでは引きずり した。中にはマヅルカを踊る者さへあつて、P××歩兵聯隊の聯隊長は社交の席で人と談話を交はすやうな場合には、いつも口癖のやうに、それを吹聴することを忘れなかつた。『自分の聯隊には、』と、彼はいつでも一言いつては腹を撫でながら、語るのだつた。『マヅルカを踊る者が沢山をりますぢや、いや実に沢山をりますぢや、非常に沢山!』このP××歩兵聯隊の発展ぶりを更によく読者に示すため、士官のうちに、途方もない 賭博者 ( ばくちうち ) で、軍服や軍帽から外套はおろか、 下緒 ( さげを ) から、まだその上に、どんな騎兵連の間を捜し つても到底見つかりさうにない下著の端に至るまで、すつかり賭けてしまふといつた、恐ろしい豪傑が二人もゐたことを、つけ加へておく。 かうした同僚にとりまかれてをりながら、イワン・フョードロ ッチの臆病さ加減には少しも変りがなかつた。彼は 凍火酒 ( ウィモロズキ ) を嗜まず、ただ 午餐 ( ひるめし ) と 晩餐 ( ばんめし ) の前に 火酒 ( ウォツカ ) を一杯やるだけで、マヅルカも踊らなければ、 銀行 ( バンク ) もやらなかつたので、自然、いつも独りぼつちでゐる他はなかつた。そんな訳で、他の連中がそれぞれ土地の馬を雇つて小地主の家々へ出かけて行くやうな時にも、彼は自分の室にぽつねんと坐つて、ひとり、善良で、もの静かな気性に適つた所作に耽るのが常で、釦を磨いたり、占ひ本を読んだり、部屋の隅に鼠罠を仕掛けて見たりしたが、最後には、軍服を脱ぎ棄てて、寝台の上に横たはるのが 落 ( おち ) であつた。 その代り聯隊ぢゆうにイワン・フョードロ ッチくらゐ几帳面な者はなく、また自分の分隊の指揮が非常に良く行き届いてゐたので、中隊長はいつも彼を模範下士に選んだ。そんな次第で昇進もはやく、旗手の地位を贏ち得てから十一年たつて、少尉に任命された。 この 間 ( かん ) に母の亡くなつた知らせを受け取つたが、母の親身の妹で、彼の幼年時代に 乾梨 ( ほしなし ) や、非常に美味しい薬味麺麭などを持つて来たり、わざわざガデャーチへ送つて呉れたりまでしたので僅かに憶えてゐる叔母(この叔母は、母と仲違ひをしてゐたので、その後、イワン・フョードロ ッチは絶えて久しく会はなかつたが)――この叔母が、もちまへの親切気から、彼の小さい持村の管理を引き受けたといふことを、事の序でに手紙で彼の許へいつてよこした。 イワン・フョードロ ッチは、この叔母の行き届いた思慮分別を信じきつてゐたので、従前どほり引きつづき勤務につくことが出来た。他の者が彼の地位に在つたならば、これだけの官等を贏ち得ては、さぞかし思ひあがつたことであらうが、驕り高ぶるなどといふことは、まるで彼の与かり知らぬところで、少尉になつてからも、その昔、旗手の地位にあつた頃のイワン・フョードロ ッチといささかの変りもなかつた。この、彼にとつて特筆すべき出来ごとがあつてから四年の後、彼は聯隊と共に、マギリョフスカヤ県から大露西亜への行軍に出発しようとする間際になつて、次ぎのやうな手紙を受け取つた―― 拝啓、御許さま宛に肌着として毛糸の靴下五足と薄麻の襯衣四枚、お送り申しあげ候。なほ御相談申し上げ度き儀は、御承知の如く御許様にも最早重要なる官位を得られ候ことにもあり、且つ今ははや家事に携はるべき年配ともお成りなされ候こと故、このうへ軍隊に御奉公なさる筋はさらさら之無かるべく存じ候。妾ことも最早寄る年波にて御許さまに代りて家事万端のきりもりをするのにいたく難渋いたし居り候。なほ親しくお目もじ致し御許さまに申しあげ度きくさぐさの用件も之有り候へば、是非とも御帰省なさるべく申し入れ候。呉々も嬉しき嬉しきお目もじの叶ふことを念じて相待ち居り候。かしこ。 ワシリーサ・ツプチェ スカ 愛甥イワン・フョードロ ッチどの 二伸、うちの畠に誠に珍らしい蕪が出来ました。蕪といふよりはいつそじやがいもに似た恰好をしてをりますよ。 この手紙を受け取つてから一週間の後、イワン・フョードロ ッチは次ぎのやうな返事を書いた。 拝復、下着お送り下され有難く御礼申し上げ候。殊に小生の靴下は何れも甚だしく古もののみにて、既に再三再四従卒をして繕はしめ候ため、著しく窮屈を覚えをりし次第に候。さて御申越しの小生が服務に関しての御意見、一々御尤もと存じ候。就ては、一昨日退職願ひを差出し置き候へば、許可の辞令さがり次第、早速、幌馬車を傭ひ、帰郷の途に上るべき予定に御座候。先般御申越しの、西比利亜麦とか申す小麦の種子に就いての御依頼は、甚だ残念ながら、叔母上の御満足を充たし申すこと能はず候。当マギリョフスカヤ県下一帯、何処