Four Days — Vsevolod Garshin
忘れもせぬ、其時味方は森の中を走るのであった。シュッシュッという 弾丸 ( たま ) の中を 落来 ( おちく ) る小枝をかなぐりかなぐり、 山査子 ( さんざし ) の株を縫うように進むのであったが、 弾丸 ( たま ) は段々烈しくなって、森の 前方 ( むこう ) に何やら赤いものが 隠現 ( ちらちら ) 見える。第一中隊のシードロフという未だ 生若 ( なまわか ) い兵が 此方 ( こッち ) の戦線へ 紛込 ( まぎれこん ) でいるから 如何 ( どう ) してだろう? と 忙 ( せわ ) しい中で 閃 ( ちら ) と 其様 ( そん ) な事を疑って見たものだ。スルト 其奴 ( そいつ ) が矢庭にペタリ尻餠を 搗 ( つ ) いて、 狼狽 ( うろたえ ) た眼を円くして、ウッとおれの 面 ( かお ) を看た其口から血が 滴々々 ( たらたらたら ) ……いや眼に見えるようだ。眼に見えるようなは 其而已 ( そればかり ) でなく、其時ふッと気が付くと、森の殆ど 出端 ( ではずれ ) の 蓊鬱 ( こんもり ) と 生茂 ( はえしげ ) った 山査子 ( さんざし ) の中に、 居 ( お ) るわい、敵が。大きな 食肥 ( くらいふとッ ) た奴であった。俺は痩の 虚弱 ( ひよわ ) ではあるけれど、やッと云って 躍蒐 ( おどりかか ) る、バチッという音がして、何か斯う大きなもの、トサ其時は思われたがな、それがビュッと飛で来る、耳がグヮンと鳴る。打たなと気が付た頃には、敵の奴めワッと云て 山査子 ( さんざし ) の 叢立 ( むらだち ) に 寄懸 ( よりかか ) って了った。 匝 ( まわ ) れば 匝 ( まわ ) られるものを、恐しさに度を失って、 刺々 ( とげとげ ) の枝の中へ片足 踏込 ( ふんごん ) で 躁 ( あせ ) って 藻掻 ( もが ) いているところを、ヤッと 一撃 ( ひとうち ) に銃を叩落して、やたら 突 ( づき ) に銃劔をグサと 突刺 ( つッさ ) すと、 獣 ( けもの ) の 吼 ( ほえ ) るでもない 唸 ( うな ) るでもない変な声を出すのを聞捨にして駈出す。味方はワッワッと 鬨 ( とき ) を作って、 倒 ( こ ) ける、 射 ( う ) つ、という真最中。俺も森を 畑 ( はた ) へ駈出して 慥 ( たし ) か二三発も撃たかと思う頃、忽ちワッという 鬨 ( とき ) の声が一段高く聞えて、皆一斉に走出す、皆走出す中で、俺はソノ…… 旧 ( もと ) の処に居る。ハテなと思た。それよりも 更 ( もッ ) と不思議なは、忽然として 万籟 ( ばんらい ) 死して 鯨波 ( ときのこえ ) もしなければ、銃声も聞えず、音という音は皆消失せて、唯何やら 前面 ( むこう ) が蒼いと思たのは、大方空であったのだろう。 頓 ( やが ) て其蒼いのも 朦朧 ( もやもや ) となって了った…… どうも変さな、何でも 伏臥 ( うつぶし ) になって居るらしいのだがな、眼に 遮 ( さえ ) ぎるものと云っては、唯 掌大 ( しょうだい ) の地面ばかり。 小草 ( おぐさ ) が 数本 ( すほん ) に、その一本を伝わって 倒 ( さかしま ) に 這降 ( はいお ) りる蟻に、去年の 枯草 ( かれぐさ ) のこれが 筐 ( かたみ ) とも見える 芥 ( あくた ) 一摘 ( ひとつま ) みほど――これが其時の眼中の小天地さ。それをば片一方の眼で視ているので、片一方のは何か堅い、木の枝に違いないがな、それに 圧 ( お ) されて、そのまた枝に頭が 上 ( の ) っていようと云うものだから、ひどく工合がわるい。 身動 ( みうごき ) を 仕 ( し ) たくも、不思議なるかな、 些 ( ちッ ) とも出来んわい。其儘で暫く 経 ( た ) つ。 竈馬 ( こおろぎ ) の 啼 ( な ) く 音 ( ね ) 、蜂の 唸声 ( うなりごえ ) の外には何も聞えん。 少焉 ( しばらく ) あって、一しきり 藻掻 ( もが ) いて、体の下になった右手をやッと 脱 ( はず ) して、両の 腕 ( かいな ) で体を支えながら起上ろうとしてみたが、何がさて 鑽 ( きり ) で揉むような痛みが膝から胸、 頭 ( かしら ) へと貫くように 衝上 ( つきあ ) げて来て、俺はまた倒れた。また真の闇の 跡先 ( あとさき ) なしさ。 ふッと眼が覚めると、薄暗い空に星影が 隠々 ( ちらちら ) と見える。はてな、これは 天幕 ( てんと ) の内ではない、何で俺は 此様 ( こん ) な処へ出て来たのかと 身動 ( みうごき ) をしてみると、足の痛さは骨に 応 ( こた ) えるほど! 何 ( なに ) さまこれは負傷したのに相違ないが、それにしても 重傷 ( おもで ) か 擦創 ( かすり ) かと、 傷所 ( いたみしょ ) へ手を 遣 ( や ) ってみれば、右も左もべッとりとした 血 ( のり ) 。 触 ( ふれ ) れば益々痛むのだが、その痛さが 齲歯 ( むしば ) が痛むように 間断 ( しッきり ) なくキリキリと 腹 ( はらわた ) を ( むし ) られるようで、耳鳴がする、頭が重い。両脚に負傷したことはこれで 朧気 ( おぼろげ ) ながら分ったが、さて合点の行かぬは、 何故 ( なぜ ) 此儘にして置いたろう? 豈然 ( よもや ) とは思うが、もしヒョッと味方敗北というのではあるまいか? と、まず、 遡 ( さかのぼ ) って当時の事を憶出してみれば、初め 朧 ( おぼろ ) のが 末 ( すえ ) 明亮 ( はっきり ) となって、いや 如何 ( どう ) しても敗北でないと収まる。何故と云えば、俺は、ソレ倒れたのだ。尤もこれは 瞭 ( はき ) とせぬ。何でも皆が駈出すのに、俺一人それが出来ず、何か 前方 ( むこう ) が青く見えたのを憶えているだけではあるが、兎も角も小山の上の 此 ( この ) 畑 ( はた ) で倒れたのだ。これを指しては、 背低 ( せびく ) の大隊長殿が占領々々と 叫 ( わめ ) いた通り、此処を占領したのであってみれば、これは敗北したのではない。それなら何故俺の始末をしなかったろう? 此処は 明放 ( あけばな ) しの 濶 ( かつ ) とした処、見えぬことはない筈。それに此処でこうして転がっているのは俺ばかりでもあるまい。敵の射撃は 彼 ( あ ) の通り猛烈だったからな。 好 ( よ ) し一つ頭を 捻向 ( ねじむ ) けて 四下 ( そこら ) の 光景 ( ようす ) を視てやろう。それには丁度 先刻 ( さっき ) しがた眼を覚して例の 小草 ( おぐさ ) を 倒 ( さかしま ) に 這降 ( はいおり ) る蟻を視た時、 起揚 ( おきあが ) ろうとして 仰向 ( あおむけ ) に 倒 ( こ ) けて、 伏臥 ( うつぶし ) にはならなかったから、勝手が 好 ( い ) い。それで此星も、成程な。 やっとこなと起かけてみたが、何分両脚の 痛手 ( いたで ) だから、なかなか起られぬ。 到底 ( とて ) も 無益 ( むだ ) だとグタリとなること二三度あって、さて 辛 ( かろ ) うじて半身起上ったが、や、その痛いこと、覚えず 泪 ( なみだ ) ぐんだくらい。 と視ると頭の上は薄暗い空の一角。大きな星一ツに小さいのが 三 ( み ) ツ 四 ( よ ) ツきらきらとして、 周囲 ( まわり ) には何か黒いものが 矗々 ( すっく ) と立っている。これは即ち 山査子 ( さんざし ) の灌木。俺は灌木の中に居るのだ。さてこそ置去り…… と思うと、 慄然 ( ぞっ ) として、 頭髪 ( かみのけ ) が 弥竪 ( よだ ) ったよ。しかし待てよ、 畑 ( はた ) で 射 ( や ) られたのにしては、この灌木の中に居るのが 怪 ( おか ) しい。してみればこれは傷の痛さに夢中で此処へ 這込 ( はいこん ) だに違いないが、それにしても其時は此処まで 這込 ( はいこ ) み得て、今は 身動 ( みうごき ) もならぬが不思議、或は 射 ( や ) られた時は一ヵ所の負傷であったが、此処へ 這込 ( はいこん ) でから 復 ( ま ) た一発 喰 ( く ) ったのかな。 蒼味 ( あおみ ) を帯びた 薄明 ( うすあかり ) が 幾個 ( いくつ ) ともなく 汚点 ( しみ ) のように 地 ( じ ) を 這 ( は ) って、大きな星は薄くなる、小さいのは全く消えて了う。ほ、月の 出汐 ( でしお ) だ。これが 家 ( うち ) であったら、さぞなア、好かろうになアと…… 妙な声がする。 宛 ( あだか ) も人の 唸 ( うな ) るような……いや 唸 ( うな ) るのだ。誰か同じく 脚 ( あし ) に 傷 ( て ) を負って、 若 ( もし ) くは腹に 弾丸 ( たま ) を 有 ( も ) って、 置去 ( おきざり ) の 憂目 ( うきめ ) を見ている奴が其処らに 居 ( お ) るのではあるまいか。 唸声 ( うなりごえ ) は 顕然 ( まざまざ ) と近くにするが 近処 ( あたり ) に人が居そうにもない。はッ、これはしたり、何の 事 ( こッ ) た、おれおれ、この俺が 唸 ( うな ) るのだ。微かな情ない声が出おるわい。そんなに痛いのかしら。痛いには違いあるまいが、頭がただもう 茫 ( ぼう ) と 無感覚 ( ばか ) になっているから、それで分らぬのだろう。また 横臥 ( ねころん ) で夢になって了え。 眠 ( ね ) ること眠ること……が、もし 万一 ( ひょっと ) 此儘になったら……えい、 関 ( かま ) うもんかい! 臥 ( ね ) ようとすると、蒼白い月光が隈なく 羅 ( うすもの ) を敷たように仮の 寝所 ( ふしど ) を照して、五歩ばかり先に何やら黒い大きなものが見える。月の光を浴びて身辺 処々 ( ところどころ ) 燦 ( さん ) たる 照返 ( てりかえし ) を 見 ( み ) するのは 釦紐 ( ぼたん ) か武具の光るのであろう。はてな、 此奴 ( こいつ ) 死骸かな。それとも 負傷者 ( ておい ) かな? 何方 ( どっち ) でも 関 ( かま ) わん。おれは 臥 ( ね ) る…… いやいや 如何 ( どう ) 考えてみても 其様 ( そん ) な筈がない。味方は何処へ往ったのでもない。此処に居るに相違ない、敵を 逐払 ( おいはら ) って此処を守っているに相違ない。それにしては話声もせず 篝 ( かがり ) の 爆 ( はぜ ) る音も聞えぬのは何故であろう? いや、 矢張 ( やッぱり ) 己 ( おれ ) が弱っているから何も聞えぬので、其実味方は此処に居るに相違ない。 「助けてくれ助けてくれ!」 と 破 ( や ) れた 人間離 ( にんげんばなれ ) のした 嗄声 ( しゃがれごえ ) が 咽喉 ( のど ) を 衝 ( つ ) いて 迸出 ( ほとばしりで ) たが、応ずる者なし。大きな声が夜の空を 劈 ( つんざ ) いて四方へ響渡ったのみで、 四下 ( あたり ) はまた 闃 ( ひッそ ) となって了った。ただ相変らず 蟋蟀 ( きりぎりす ) が鳴しきって 真円 ( まんまる ) な月が悲しげに人を照すのみ。 若 ( も ) し其処のが 負傷者 ( ておい ) なら、この 叫声 ( わめきごえ ) を聴いてよもや気の付かぬ事はあるまい。してみれば、これは死骸だ。味方のかしら、敵のかしら。ええ、馬鹿くさい! そんな事は 如何 ( どう ) でも好いではないか? と、また 腫 ( はれまぶた ) を夢に閉じられて了った。 先刻 ( さっき ) から覚めてはいるけれど、尚お眼を 瞑 ( ねむ ) ったままで 臥 ( ね ) ているのは、閉じた 越 ( まぶたごし ) にも 日光 ( ひのめ ) が 見透 ( みすか ) されて、 開 ( あ ) けば必ず眼を射られるを 厭 ( いと ) うからであるが、しかし考えてみれば、斯う 寂然 ( じっ ) としていた方が 勝 ( まし ) であろう。 昨日 ( きのう ) ……たしか 昨日 ( きのう ) と思うが、 傷 ( て ) を負ってから 最 ( も ) う一昼夜、こうして二昼夜三昼夜と 経 ( た ) つ内には死ぬ。何の 業 ( わざ ) くれ、死は一ツだ。 寧 ( いっ ) そ 寂然 ( じっ ) としていた方が 好 ( い ) い。 身動 ( みうごき ) がならぬなら、せんでも 好 ( い ) い。 序 ( ついで ) に頭の 機能 ( はたらき ) も 止 ( と ) めて欲しいが、こればかりは 如何 ( どう ) する事も出来ず、 千々 ( ちぢ ) に思乱れ 種々 ( さまざま ) に 思佗 ( おもいわび ) て頭に 些 ( いささか ) の隙も無いけれど、よしこれとても 些 ( ちッ ) との 間 ( ま ) の辛抱。 頓 ( やが ) て浮世の 隙 ( ひま ) が明いて、 筐 ( かたみ ) に遺る新聞の 数行 ( すぎょう ) に、我軍死傷少なく、負傷者何名、志願兵イワーノフ戦死。いや、名前も出まいて。ただ一名戦死とばかりか。兵一名! 嗟矣 ( ああ ) 彼 ( あ ) の犬のようなものだな。 在りし昔が 顕然 ( ありあり ) と目前に浮ぶ。これはズッと昔の事、尤もな、昔の事と思われるのは是ばかりでない、おれが一生の事、足を撃れて此処に倒れる迄の事は何も 彼 ( か ) もズッと昔の事のように思われるのだが……或日町を通ると、人だかりがある。思わずも足を 駐 ( とど ) めて視ると、何か哀れな悲鳴を揚げている 血塗 ( ちみどろ ) の白い物を皆 佇立 ( たちどまっ ) てまじりまじり視ている 光景 ( ようす ) 。何かと思えば、それは 可愛 ( かわい ) らしい小犬で、鉄道馬車に敷かれて、今の俺の身で死にかかっているのだ。すると、何処からか番人が出て来