翻訳の自由と忠実 — Epoche C2
場面設定: 東京・神保町の出版社の編集室、入稿締切3日前の夜。米国人作家アン・グレイスの長編小説『沈黙の地理学』の日本語訳稿を巡って、ベテラン翻訳家の美咲(48)と日本支社編集者ベンジャミン(35)が向き合う。「忠実」と「自由」を巡る議論が、編集行為そのものへと反転していく。 美咲先生、訳稿を拝読いたしました。文学的には素晴らしいです。とはいえ、編集者として一点、申し上げたい箇所がございます。第3章の冒頭、原文で「She walked into the room as if she had never been alive」を「彼女は生きたことがないかのように部屋に入った」と直訳されておりますが、これは日本語として違和感が残ります。 ベンジャミンさん、その違和感こそ、原文が読者に与える違和感と等価のものとして、日本語に再現したいのです。グレイスの英語自体が、ネイティブの英語読者にも違和感を残す文体です。それを「自然な日本語」に均してしまえば、原文の文学的な切れ味が失われます。 原文の違和感を訳文の違和感として保つ、というご方針は理解いたします。とはいえ、日本語の市場の現実を踏まえれば、最初の3ページで読者を取り逃がしては、文学的な切れ味も伝わらないのではございますまいか。本書は単行本初版5000部、半年で売り切らねば次の翻訳権の更新が困難です。 市場の現実を持ち出されますと、議論は「翻訳とは何か」から「商品とは何か」に移ります。私は商品としての訳書を否定しているわけではございません。ただ、翻訳家たるもの、原文への忠実と読者への配慮の間で、どこに線を引くかが職業的良心の問題です。 「職業的良心」と申されますが、編集者の私にも編集者の良心がございます。日本の文学市場で、外国文学のシェアは2010年の8.2%から2024年には3.1%まで縮小しております。「原文に忠実」を貫く翻訳が、結果として外国文学そのものを日本市場から消す結果を招いているのではないか、という危機感が私の世代にはございます。 シェア縮小のデータは存じております。とはいえ、「読みやすい翻訳」を提供して市場を取り戻した試みも、過去にいくつもございました。村上春樹氏の翻訳は確かに美しく自然です。しかし、彼の訳によってフィッツジェラルドが「村上的」になりすぎた、という批判も同時に存在いたします。これも翻訳の倫理問題です。 村上氏の例は、両刃でございますね。彼の訳のおかげでフィッツジェラルドが日本で広く読まれた事実と、彼の文体に染められて原作の独自性が薄れた事実は、両立しております。翻訳の二律背反、と申しましょうか。本書については、この緊張関係をどう扱うか、編集者としての提案がございます。 提案、伺わせてください。市場性を確保しつつ、原文の異質性を保つ方法、というご趣旨でしょうか。 左様でございます。冒頭の100ページについて、2バージョンご用意いただけませんか。第1バージョンは、美咲先生の現在の方針を貫いたもの。第2バージョンは、最初の3ページを「読者を引き込む」修正で滑らかにしたもの。両方を並べて、編集会議で議論したいのです。 2バージョン作成は、3日の締切では物理的に困難です。とはいえ、ご提案の意図は理解いたします。代替案として、現在の訳稿の冒頭3ページに、巻頭の「翻訳家ノート」で「原文の違和感を保つ訳出方針」を明示する形ではいかがでしょうか。読者の予期形成を、訳文ではなく解説で行うのです。 翻訳家ノートで予期形成、という案は新鮮でございます。読者を裏切るのではなく、最初から異質性の地図を渡す。これは編集としても面白い。さらに、電子書籍版では、原文と訳文を対訳で並べたバージョンと、訳文単体バージョンを2系統用意し、読者が選べる仕様にする、という案もございます。 対訳併設の電子書籍、これは画期的です。原文の違和感の根拠を、読者が自分で確認できる仕組みになります。私の訳が「直訳」に見える箇所も、原文と並べていただければ「なぜそう訳したか」の意図が見える。翻訳家ノートと対訳の組み合わせ、これでよろしいでしょうか。 承知いたしました。それと、白状しなければならないことがございます。実は、私が御訳稿に対して「日本語として違和感」と申し上げましたが、その違和感は、私のアメリカ人としての英語感覚を日本語に持ち込んでいる部分があるのです。私が「自然」と感じる日本語は、私の感覚にとって自然なだけで、ネイティブにとってのそれとは別かもしれません。 ……それは、興味深い告白でございますね。ベンジャミンさんが日本語編集者として「自然さ」を判定しておられるのは、二言語の間で常に微細な翻訳作業を行っておられる、という事実の上に成り立っております。すなわち、編集自体が翻訳の一種、ではございますまいか。 ……まさに。私の編集判断は、私自身の翻訳の連続です。書き直すたびに、私はこの本を私の言語感覚に翻訳している。これは、認めねばならない事実でございます。先生の今のご指摘は、私の編集者としての職業観そのものに反転を迫られました。 では、最後に皮肉を一つ申し上げてもよろしいでしょうか。あなたの編集も翻訳の一種、ということは――今夜の私たちの会話も、あとで議事録になるとき、誰かが翻訳することになります。これも書き直されますか?それとも、原文の違和感を保ったまま、議事録に残しますか? 解説: 「忠実な翻訳vs読者本位の翻訳」という古典的二項対立を、編集行為自体が翻訳の一種であることの認識で脱構築する例。最後に翻訳家が「あなたの編集も翻訳、これも書き直されますか?」と編集者を逆に翻訳対象として返す。対訳併設の電子書籍と翻訳家ノートのハイブリッド解は、市場性と原文性の両立。〜たるもの・〜まいか・〜にしては・〜ようでは等の上級表現が、職業論争の品格を支える。