The Diary of Lady Murasaki — Murasaki Shikibu
紫式部日記 (黒川本) 他の版の作品については、紫式部日記をご覧ください。 紫式部日記 (渋谷栄一校訂) 作者:紫式部 寬弘七年 1010年 秋のけはひ入りたつままに、土御門殿のありさま、いはむかたなくをかし。池のわたりの梢ども、遣水のほとりの草むら、おのがじし色づきわたりつつ、大方の空も艷なるにもてはやされて、不断の御読経の声々、あはれまさりけり。やうやう凉しき風のけはひに、例の絶えせぬ水の音なひ、夜もすがら聞きまがはさる。 御前にも、近うさぶらふ人びとはかなき物語するをきこしめしつつ、悩ましうおはしますべかめるを、さりげなくもて隠させたまへる御ありさまなどの、いとさらなる事なれど、憂き世の慰めには、かかる御前をこそ、尋ね参るべかりけれと、現し心をばひき違へ、たとしへなくよろづ忘らるるも、かつはあやし。 まだ夜深きほどの月さし曇り、木の下をぐらきに、 「御格子参りなばや。」 「女官は、今までさぶらはじ。」 「蔵人参れ。」 など言ひしろふほどに、後夜の鉦打ち驚かして、五壇の御修法の時始めつ。われもわれもと、うち上げたる伴僧の声々、遠く近く、聞きわたされたるほど、おどろおどろしく尊し。 観音院の僧正、東の対より、二十人の伴僧を率ゐて、御加持参りたまふ足音、渡殿の橋のとどろとどろと踏み鳴らさるるさへぞ、ことごとのけはひには似ぬ。法住寺の座主は馬場の御殿、浄土寺の僧都は文殿などに、うち連れたる浄衣姿にて、ゆゑゆゑしき唐橋どもを渡りつつ、木の間をわけて帰り入るほども、遥かに見やらるる心地してあはれなり。斎祇阿闍梨も、大威徳を敬ひて、腰をかがめたり。人びと参りつれば、夜も明けぬ。 渡殿の戸口の局に見出だせば、ほのうち霧りたる朝の露もまだ落ちぬに、殿歩かせたまひて、御隨身召して、遣水払はせたまふ。橋の南なる女郎花のいみじう盛りなるを、一枝折らせたまひて、几帳の上よりさし覗かせたまへる御さまの、いと恥づかしげなるに、我が朝顏の思ひ知らるれば、 「これ、遅くては悪ろからむ。」 とのたまはするにことつけて、硯のもとに寄りぬ。 女郎花盛りの色を見るからに 露の分きける身こそ知らるれ 「あな、疾。」 と、ほほ笑みて、硯召し出づ。 白露は分きても置かじ女郎花 心からにや色の染むらむ しめやかなる夕暮に、宰相の君と二人、物語してゐたるに、殿の三位の君、簾のつま引き上げてゐたまふ。年のほどよりはいと大人しく、心にくきさまして、 「人はなほ心ばへこそ、難きものなめれ。」 など、世の物語、しめじめとしておはするけはひ、幼しと人のあなづりきこゆるこそ悪しけれと、恥づかしげに見ゆ。うちとけぬほどにて、 「多かる野辺に」 とうち誦じて、立ちたまひにしさまこそ、物語にほめたる男の心地しはべりしか。 かばかりなる事の、うち思ひ出でらるるもあり、その折はをかしきことの、過ぎぬれば忘るるもあるは、いかなるぞ。 播磨守、碁の負けわざしける日、あからさまにまかでて、後にぞ御盤のさまなど見たまへしかば、華足などゆゑゆゑしくして、洲浜のほとりの水に書き混ぜたり。 紀伊の国の白良の浜に拾ふてふ この石こそは巌ともなれ 扇どもも、をかしきを、そのころは人びと持たり。 八月二十余日のほどよりは、上達部、殿上人ども、さるべきはみな宿直がちにて、橋の上、対の簀子などに、みなうたた寝をしつつ、はかなう遊び明かす。琴、笛の音などには、たどたどしき若人たちの、読経あらそひ、今様歌どもも、所につけてはをかしかりけり。 宮の大夫<斉信>、左の宰相中将<経房>、兵衛の督、美濃の少将<済政>などして、遊びたまふ夜もあり。わざとの御遊びは、殿おぼすやうやあらむ、せさせたまはず。 年ごろ里居したる人びとの、中絶えを思ひ起こしつつ、參り集ふけはひ騒がしうて、そのころはしめやかなることなし。 二十六日、御薫物合せ果てて、人びとにも配らせたまふ。まろがしゐたる人びと、あまた集ひゐたり。 上より下るる道に、弁の宰相の君の戸口をさし覗きたれば、昼寝したまへるほどなりけり。萩、紫苑、色々の衣に、濃きが打ち目、心ことなるを上に着て、顏は引き入れて、硯の筥に枕して臥したまへる額つき、いとらうたげになまめかし。絵に描きたるものの姫君の心地すれば、口おほひを引きやりて、 「物語の女の心地もしたまへるかな。」 といふに、見上げて、 「もの狂ほしの御さまや。寝たる人を心なく驚かすものか。」 とて、すこし起き上がりたまへる顏の、うち赤みたまへるなど、こまかにをかしうこそはべりしか。 大方もよき人の、折からに、又こよくなくまさるわざなりけり。 九日、菊の綿を兵部のおもとの持て来て、 「これ、殿の上の、とり分きて。『いとよう、老い拭ひ捨てたまへ』と、のたまはせつる。」 とあれば、 菊の露若ゆばかりに袖触れて 花のあるじに千代は譲らむ とて、返したてまつらむとするほどに、「あなたに帰り渡らせたまひぬ」とあれば、用なさにとどめつ。 その夜さり、御前に参りたれば、月をかしきほどにて、端に、御簾の下より裳の裾など、ほころび出づるほどほどに、小少将の君、大納言の君などさぶらひたまふ。御火取りに、ひと日の薫物取う出て、試みさせたまふ。御前のありさまのをかしさ、蔦の色の心もとなきなど、口々聞こえさするに、例よりも悩ましき御けしきにおはしませば、御加持どもも参るかたなり、騒がしき心地して入りぬ。 人の呼べば局に下りて、しばしと思ひしかど寝にけり。夜中ばかりより騒ぎたちてののしる。 十日の、まだほのぼのとするに、御しつらひ変はる。白き御帳に移らせたまふ。殿よりはじめたてまつりて、君達、四位五位どもたち騒ぎて、御帳の帷子かけ、御座ども持てちがふほど、いと騒がし。 日一日、いと心もとなげに起き臥し暮らさせたまひつ。御もののけども駆り移し、限りなく騒ぎののしる。月ごろ、そこらさぶらひつる殿のうちの僧をば、さらにもいはず、山々寺々を尋ねて、験者といふかぎりは残るなく参り集ひ、三世の仏もいかに翔りたまふらむと思ひやらる。陰陽師とて、世にあるかぎり召し集めて、八百万の神も、耳ふりたてぬはあらじと見えきこゆ。御誦経の使、立ち騒ぎ暮らし、その夜も明けぬ。 御帳の東面は、内裏の女房参り集ひてさぶらふ。西には、御もののけ移りたる人びと、御屏風一よろひを引きつぼね、局口には几帳を立てつつ、験者あづかりあづかりののしりゐたり。南には、やむごとなき僧正、僧都、重りゐて、不動尊の生きたまへるかたちをも呼び出で現はしつべう、頼みみ恨みみ、声みな涸れわたりにたる、いといみじう聞こゆ。 北の御障子と御帳とのはさま、いと狹きほどに、四十余人ぞ、後に数ふればゐたりける。いささかみじろぎもせられず、気あがりてものぞおぼえぬや。今、里より参る人びとは、なかなかゐこめられず。裳の裾、衣の袖、ゆくらむかたも知らず、さるべきおとななどは、忍びて泣きまどふ。 十一日の暁に、北の御障子、二間はなちて、廂に移らせたまふ。御簾などもえかけあへねば、御几帳をおし重ねておはします。僧正、定澄僧都、法務僧都などさぶらひて加持まゐる。院源僧都、昨日書かせたまひし御願書に、いみじきことども書き加へて、読み上げ続けたる言の葉のあはれに尊く、頼もしげなること限りなきに、殿のうち添へて、仏念じきこえたまふほどの頼もしく、さりともとは思ひながら、いみじう悲しきに、みな人涙をえおし入れず、 「ゆゆしう、かうな。」 など、かたみに言ひながらぞ、えせきあへざりける。 人げ多く混みては、いとど御心地も苦しうおはしますらむとて、南、東面に出ださせたまうて、さるべきかぎり、この二間のもとにはさぶらふ。殿の上、讃岐の宰相の君、内蔵の命婦、御几帳の内に、仁和寺の僧都の君、三井寺の内供の君も召し入れたり。殿のよろづにののしらせたまふ御声に、僧も消たれて音せぬやうなり。 いま一間にゐたる人びと、大納言の君、小少将の君、宮の内侍、弁の内侍、中務の君、大輔の命婦、大式部のおもと、殿の宣旨よ。いと年経たる人びとのかぎりにて、心を惑はしたるけしきどもの、いとことわりなるに、まだ見たてまつりなるるほどなけれど、類なくいみじと、心一つにおぼゆ。 また、この後ろの際に立てたる几帳の外に、尚侍の中務の乳母、姫君の少納言の乳母、いと姫君の小式部の乳母などおし入り来て、御帳二つが後ろの細道を、え人も通らず。行きちがひみじろく人びとは、その顏なども見分かれず。 殿の君達、宰相中将<兼隆>、四位の少将<雅通>などをばさらにもいはず、左宰相中将<経房>、宮の大夫など、例はけ遠き人びとさへ、御几帳の上よりともすれば覗きつつ、腫れたる目どもを見ゆるも、よろづの恥忘れたり。頂きにはうちまきを雪のやうに降りかかり、おししぼみたる衣のいかに見苦しかりけむと、後にぞをかしき。 御頂きの御髮下ろしたてまつり、御忌む事受けさせたてまつりたまふほど、くれ惑ひたる心地に、こはいかなることと、あさましう悲しきに、平らかにせさせたまひて、後のことまだしきほど、さばかり広き母屋、南の廂、高欄のほどまで立ちこみたる僧も俗も、いま一よりとよみて額をつく。 東面なる人びとは、殿上人にまじりたるやうにて、小中将の君の、左の頭中将に見合せて、あきれたりしさまを、後にぞ人ごと言ひ出でて笑ふ。化粧などのたゆみなく、なまめかしき人にて、暁に顏づくりしたりけるを、泣き腫れ、涙にところどころ濡れそこなはれて、あさましう、その人となむ見えざりし。 宰相の君の、顏変はりしたまへるさまなどこそ、いとめづらかにはべりしか。まして、いかなりけむ。されど、その際に見し人のありさまの、かたみにおぼえざりしなむ、かしこかりし。 今とせさせたまふほど、御もののけのねたみののしる声などのむくつけさよ。源の蔵人には心誉阿闍梨、兵衛の蔵人には妙尊といふ人、右近の蔵人には法住寺の律師、宮の内侍の局には千算阿闍梨を預けたれば、もののけに引き倒されて、いといとほしかりければ、念覚阿闍梨を召し加へてぞののしる。 阿闍梨の験の薄きにあらず、御もののけのいみじうこはきなりけり。宰相の君のをき人に叡効を添へたるに、夜一夜ののしり明かして、声も涸れにけり。御もののけ移れと召し出でたる人びとも、みな移らで騒がれけり。 午の時に、空晴れて朝日さし出でたる心地す。平らかにおはしますうれしさの類もなきに、男にさへおはしましける慶び、いかがはなのめならむ。昨日しほれ暮らし、今朝のほど、秋霧におぼほれつる女房など、みな立ちあかれつつ休む。御前には、うちねびたる人びとの、かかる折節つきづきしきさぶらふ。 殿も上も、あなたに渡らせたまひて、月ごろ、御修法、読経にさぶらひ、昨日今日召しにて参り集ひつる僧の布施賜ひ、医師、陰陽師など、道々のしるし現れたる、禄賜はせ、内には御湯殿の儀式など、かねてまうけさせたまふべし。 人の局々には、大きやかなる袋、包ども持てちがひ、唐衣の縫物、裳、ひき結び、螺鈿縫物、けしからぬまでして、ひき隠し、「扇を持て来ぬかな」など、言ひ交しつつ化粧じつくろふ。 例の、渡殿より見やれば、妻戸の前に、宮の大夫、春宮の大夫など、さらぬ上達部もあまたさぶらひたまふ。 殿、出でさせたまひて、日ごろ埋もれつる遣水つくろはせたまふ。人びとの御けしきども心地よげなり。心の内に思ふことあらむ人も、ただ今は紛れぬべき世のけはひなるうちにも、宮の大夫、ことさらにも笑みほこりたまはねど、人よりまさるうれしさの、おのづから色に出づるぞことわりなる。右の宰相中将は権中納言とたはぶれして、対の簀子にゐたまへり。 内裏より御佩刀もて参れる頭中将頼定、今日伊勢の奉幣使、帰るほど、昇るまじければ、立ちながらぞ、平らかにおはします御ありさま奏せさせたまふ。禄なども賜ひける、そのことは見ず。 御臍の緒は殿の上。御乳付は橘の三位<徳子>。御乳母、もとよりさぶらひ、むつましう心よいかたとて、大左衛門のおもと仕うまつる。備中守道時の朝臣のむすめ、蔵人の弁の妻。 御湯殿は酉の時とか。火ともして、宮のしもべ、緑の衣の上に白き当色着て御湯まゐる。その桶、据ゑたる台など、みな白きおほひしたり。尾張守知光、宮の侍の長なる仲信かきて、御簾のもとに参る。水仕二人、清子の命婦、播磨、取り次ぎてうめつつ、女房二人、大木工、右馬、汲みわたして、御瓮十六にあまれば入る。薄物の表着、かとりの裳、唐衣、釵子さして、白き元結したり。頭つき映えてをかしく見ゆ。御湯殿は、宰相の君、御迎へ湯、大納言の君<源廉子>。湯巻姿どもの、例ならずさまことにをかしげなり。 宮は、殿抱きたてまつりたまひて、御佩刀、小少将の君、虎の頭、宮の内侍とりて御先に参る。唐衣は松の実の紋、裳は海賦を織りて、大海の摺目にかたどれり。腰は薄物、唐草を縫ひたり。少将の君は、秋の草むら、蝶、鳥などを、白銀して作り輝かしたり。織物は限りありて、人の心にしくべいやうのなければ、腰ばかりを例に違へるなめり。 殿の君達二ところ、源少将<雅通>など、散米を投げののしり、われ高ううち鳴らさむと争ひ騒ぐ。浄土寺の僧都護身にさぶらひたまふ、頭にも目にも当たるべければ、扇を捧げて、若き人に笑はる。 文読む博士、蔵人弁広業、高欄のもとに立ちて、『史記』の一巻を読む。弦打ち二十人、五位十人、六位十人、二列に立ちわたれり。 夜さりの御湯殿とても、様ばかりしきりてまゐる。儀式同じ。御文の博士ばかりや替はりけむ。伊勢守致時の博士とか。例の『孝経』なるべし。又挙周は、『史記』文帝の巻をぞ読むなりし。七日のほど、替はる替はる。 よろづの物のくもりなく白き御前に、人の様態、色合ひなどさへ、掲焉に現れたるを見わたすに、よき墨絵に髮どもを生ほしたるやうに見ゆ。いとどものはしたなくて、輝かしき心地すれば、昼はをさをささし出でず。のどやかにて、東の対の局より参う上る人びとを見れば、色聴されたるは、織物の唐衣、同じ袿どもなれば、なかなか麗しくて、心々も見えず。聴されぬ人も、少し大人びたるは、かたはらいたかるべきことはとて、ただえならぬ三重五重の袿に、表着は織物、無紋の唐衣すくよかにして、襲ねには綾、薄物をしたる人もあり。 扇など、みめにはおどろおどろしく輝やかさで、由なからぬさまにしたり。心ばへある本文うち書きなどして、言ひ合はせたるやうなるも、心々と思ひしかども、齢のほど同じまちのは、をかしと見かはしたり。人の心の、思ひおくれぬけしきぞ、あらはに見えける。 裳、唐衣の縫物をばさることにて、袖口に置き口をし、裳の縫ひ目に白銀の糸を伏せ組みのやうにし、