六百句 — 高浜虚子
序 さきに『ホトトギス』五百号を記念するために、改造社から『五百句』という書物を出し、また『ホトトギス』五百五拾号を記念するために、桜井書店から『五百五十句』という書物を出した。今度また 菁柿堂 ( せいしどう ) の 薦 ( すす ) めによって、『ホトトギス』六百号を記念するために『六百句』という書物を出すことになった。 これは昭和十六年から、昭和二十年までの句の中から選んだものである。『五百句』の時と同じく句数は厳格に六百句と限ったわけではなく多少超過しているかもしれぬ。 昭和二十一年九月十一日 小諸山廬 ( こもろさんろ ) にて 高浜虚子 [#改丁] [#ページの左右中央] 昭和十六年 [#改ページ] 初凪 ( はつなぎ ) や大きな浪のときに来る 一月元日 由比 ( ゆい ) ヶ 浜 ( はま ) 散歩。 大仏に 袈裟掛 ( けさがけ ) にある冬日かな 一月三日 家庭俳句会。鎌倉八幡宮初詣。南浦園。 枯菊を 剪 ( き ) らずに 日毎 ( ひごと ) あはれなり 一月十日 草樹会。一ツ橋。学士会館。 苞 ( つと ) 割れば笑みこぼれたり 寒牡丹 ( かんぼたん ) 寒燈にいつまで人の 佇 ( たたず ) みぬ 一月十三日 笹鳴会。丸之内倶楽部日本間。 冬日濃き所を選みたもとほる 一月十六日 杣男 ( そまお ) 招宴。東品川、玉泉閣。 過ぎて行く日を惜みつつ春を待つ 餅花 ( もちばな ) に出しひつこめし顔 綺麗 ( きれい ) 一月十七日 大崎会。丸之内倶楽部別室。 映画出て火事のポスター見て立てり 一月二十一日 銀座探勝会。 金春 ( こんぱる ) 映画館。 喰積 ( くいつみ ) にとき/″\動く老の 箸 ( はし ) 一月二十二日 「玉藻五句集(第四十八回)」。 この辺の 人気 ( じんき ) は荒し 海苔 ( のり ) を干す 一月二十二日 物芽会。品川漁師町、洲崎館。 之 ( これ ) を 斯 ( か ) く龍の玉とぞ人は呼ぶ 一月二十三日 丸之内倶楽部俳句会。 凍蝶 ( いてちょう ) の 翅 ( はね ) におく霜の重たさよ 一月二十八日 二百二十日会。木挽町、田中家、水竹居招宴。 煤 ( すす ) けたる都鳥とぶ隅田川 二月八日 清三郎送別会。向島、弘福寺境内。普茶料理。 書乏しけれども梅花書屋かな 二月二十六日 三陽送別会。発行所。 書を置いて開かずにあり 春炬燵 ( はるごたつ ) 三月十一日 二百二十日会。築地、新喜楽。 雛納 ( ひなおさ ) め雛のあられも色 褪 ( あ ) せて 三月十三日 七宝会。小田原、斎藤香村宅。 破 ( や ) れ 傘 ( がさ ) を笑ひさしをり春の雨 三月十四日 草樹会。一ツ橋、学士会館。 人影の映り去りたる水 温 ( ぬる ) む 三月十五日 「玉藻五句集(第五十四回)」 経の声和し高まりつ花の寺 三月十七日 玉藻俳句会。上野寛永寺、渋沢堂。 春水 ( しゅんすい ) をせせらぐやうにしつらへし 唄 ( うた ) ひつつ 笑 ( え ) まひつつ行く春の人 春草を踏み越え/\ 鳩 ( はと ) あるく 三月十九日 物芽会。芝公園蓮池、田川亭。 春雨や茶屋の 傘 ( からかさ ) 休みなく 三月二十三日 日本探勝会。 鶴見 ( つるみ ) 、花月園。 春泥 ( しゅんでい ) に映りすぎたる 小提灯 ( こぢょうちん ) 維 ( これ ) 好日 ( こうじつ ) 日あたたかに風さむし 三月二十七日 丸之内倶楽部俳句会。 神域の心得読むや花の下 神前に花あり帽をとり進む 三月二十八日 鎌倉俳句会。 大塔宮 ( だいとうのみや ) 社務所。 松の間の桜は 幽 ( かす ) かなるがよし 四月四日 家庭俳句会。上野公園。丸之内倶楽部日本間。 花にゆく老の歩みの 遅 ( おそ ) くとも 風吹いて摘草の人居ずなりぬ 四月七日 調布小集。 山辺 ( やまのべ ) の 赤人 ( あかひと ) が好き 人丸忌 ( ひとまるき ) 春泥やわが知る家の門の前 日当りて電燈ともり町桜 四月八日 二百二十日会。木挽町、灘万。白山招宴。 炉の 隅 ( すみ ) に 物捨甕 ( ものすてがめ ) も置かれあり 四月九日 暁烏 ( あけがらす ) 敏 ( はや ) より書状あり、その末に、 嘗 ( かつ ) て石川県北安田に其寺を訪ひたる時の句しるしあり。 春雨の傘の 柄漏 ( えも ) りも 懐 ( なつか ) しく 四月十三日 日曜日、大雨の中を妙本寺に 海棠 ( かいどう ) を見る。 門内の庭の広さや 蚕飼宿 ( こがいやど ) 四月十八日 大崎会。丸之内倶楽部別室。 散る花を 悼 ( いた ) む心も 慌 ( あわただ ) し 四月二十一日 雉子郎を悼む。 閻王 ( えんおう ) の眉は 発止 ( はっし ) と逆立てり 四月二十五日 鎌倉俳句会。北鎌倉山ノ内、新居山円応寺、子育 閻魔 ( えんま ) 。 窓外の 風塵 ( ふうじん ) 春の行かんとす 四月二十六日 水無月会。日比谷公園、松本楼。 春水 ( しゅんすい ) に落るが如くほとりせり 花の茶屋知りたる義理に立ち寄りぬ 五月一日 家庭俳句会。植物園、丸之内倶楽部日本間。 山荘の日々の掃除や余花の 塵 ( ちり ) 元禄の昔男と春惜む 五月五日 二百二十日会。日本橋区 茅場町 ( かやばちょう ) 一番地、喜可久。 其角 ( きかく ) の三日月の文台、 藜 ( あかざ ) の軸を見る。 病人に結うてやりけり 菖蒲髪 ( しょうぶがみ ) 五月八日 七宝会。植物園。宝生会食堂。 この里の 苗代寒 ( なわしろざ ) むといへる 頃 ( ころ ) 五月九日 草樹会。一ツ橋、学士会館。 牡丹散る 盃 ( はい ) を 銜 ( ふく ) みて 悼 ( いた ) まばや 五月十二日 笹鳴会。丸之内倶楽部日本間。 苗売の立ちどまりつゝ三声ほど セルを着て白きエプロン 糊 ( のり ) 硬 ( かた ) く 五月十五日 木ノ芽会主催。二百二十日会招待。 牛込 ( うしごめ ) 若宮町、中村 吉右衛門 ( きちえもん ) 邸。 晴間見せ 卯 ( う ) の 花 ( はな ) 腐 ( くだ ) しなほつづく 山荘の庭に 長 ( た ) けけり 夏蕨 ( なつわらび ) 五月十六日 大崎会。丸之内倶楽部別室。 ベンチあり 憩 ( いこ ) へば 蜘蛛 ( くも ) の下り来る 五月二十一日 物芽会。品川神社社務所。 戻 ( もど ) り 漕 ( こ ) ぐ船を手招ぐ人 跣足 ( はだし ) 石段を登り漁村の寺涼し 干魚 ( ほしうお ) の上を 鳶 ( とび ) 舞ふ浜暑し 五月二十三日 鎌倉俳句会。小坪、小坪寺。 老侯のマスクをかけて 薔薇 ( ばら ) に立つ 五月二十四日 原宿、池田侯邸句会。 軽暖 ( けいだん ) に病むといふ 程 ( ほど ) にてはなし 五月三十一日 昨夜新大阪ホテルに一泊。甲子園に佐藤紅緑を見舞ふ。 夏潮の今 退 ( ひ ) く平家亡ぶ時も 六月一日 満鮮旅行への途次、門司着。福岡の俳人達に擁されて上陸。 和布刈 ( めかり ) 神社に至る。門司甲宗八幡宮にて披講。「船見えて霧も瀬戸越す嵐かな 宗祇」の句を刻みたる碑あり。 壱岐 ( いき ) の島途切れて見ゆる夏の海 西日今沈み終りぬ 大対馬 ( おおつしま ) 壱岐低く対馬は高し夏の海 六月一日 門司より再び乗船、出帆。 タービンの響き 籐椅子 ( といす ) に伝はり来 籐椅子 ( とういす ) に背中合せに 相識 ( あいし ) らず 六月二日 朝濃霧、多島海の沖を通り大連へ向ふ。 牛も馬も人も橋下に野の 夕立 ( ゆだち ) 六月四日 「あじあ」にて出発。鞍山駅にて土地の俳人諸君に面接。 網戸 嵌 ( は ) め 只 ( ただ ) 強くこそ住みなせり 六月四日 新京俳句会。兼題に「網戸」あり。 寄 ( よ ) せ 書 ( がき ) の葉書の上を 柳絮 ( りゅうじょ ) 飛ぶ 六月五日 新京ヤマトホテルに滞在。南湖に吟行。 沼ありて 大江 ( たいこう ) 近き夏野かな 六月六日 哈爾賓 ( ハルビン ) に向ふ。ニユーハルピンに止宿。 燕 ( つばくろ ) やヨツトクラブの窓の外 江上の 燕 ( つばめ ) は 緩 ( ゆる ) くボート 迅 ( と ) し 部屋涼し奏楽起り着席す 六月七日 ヨツトクラブにて午餐舟遊。大和ホテルにて晩餐会。 鵲 ( かささぎ ) も 稀 ( まれ ) に飛ぶのみ大夏野 松花江 ( しょうかこう ) 流れて丘は避暑地とや 昼寝覚め又大陸の旅つづく 六月八日 奉天大和ホテル止宿。 緑蔭に入り北陵の 側門 ( そくもん ) へ 北陵の内庭草の茂るまゝ 龍彫りし陛の割目の夏の草 六月九日 午前北陵に行く。 朝鮮は初めてならず 古簾 ( ふるすだれ ) 六月十日 お牧の茶屋。有志招宴。 水くねり流るる 邑 ( むら ) や柳かげ 茂山 ( しげやま ) や植林治政三十年 田を植うる白き衣をかかげつつ 六月十一日 京城着、半島ホテルに入る。喜久井茶寮招宴。 牛 曳 ( ひ ) きて春川に 飲 ( みずか ) ひにけり 六月十四日 東莱温泉、鳴門投宿。 梅雨晴 ( つゆばれ ) の波こまやかに 門司 ( もじ ) ヶ 関 ( せき ) 六月十六日 山陽ホテルに少憩。 暫 ( しばらく ) は 止 ( や ) みてありしが梅雨の漏り 六月二十四日 銀座探勝会。京橋 交叉点 ( こうさてん ) 、片倉ビル前、明治製菓ビル別館二階パーラー。 露の中毛虫よろぼひ歩きけり 襖 ( ふすま ) みなはづして 鴨居 ( かもい ) 縦横に 七月四日 家庭俳句会。麹町永田町、 日枝 ( ひえ ) 神社東鳥居前。小泉亭。 ハンケチに 雫 ( しずく ) をうけて 枇杷 ( びわ ) すする 七月六日 日本探勝会。杉並区浜田山、松本覚人邸。 夕闇 ( ゆうやみ ) の迷ひ来にけり 吊荵 ( つりしのぶ ) 七月八日 玉藻句会。鎌倉、妙本寺庫裏。 山川にひとり髪洗ふ神ぞ知る 肌脱いで髪洗はんとしたるとき 七月九日 鎌倉俳句会。北鎌倉駅裏、中村七三郎宅。 静 ( しずか ) に居 団扇 ( うちわ ) の風もたまに 好 ( よ ) し 箱庭の 反 ( そ ) り 身 ( み ) の漁翁君に 如 ( し ) かず 忘れられあるが如くに 日向水 ( ひなたみず ) 夫婦 ( めおと ) らし 酸漿市 ( ほおずきいち ) の戻りらし 七月十日 七宝会。 西巣鴨 ( にしすがも ) 、近藤いぬゐ邸。丸之内倶楽部俳句会。丸之内倶楽部日本間。 紙魚 ( しみ ) の書を惜まざるにはあらざれど よく 化粧 ( けわ ) ひよく 著 ( き ) こなして日傘さし 七月十一日 草樹会。丸之内倶楽部。 縁台にかけし君見て 端居 ( はしい ) かな 水打てば夏蝶そこに生れけり 七月十四日 夏草会。愛宕山、嵯峨野。 示寂 ( じじゃく ) すといふ言葉あり 朴散華 ( ほおさんげ ) 七月十七日 午後零時五分。 川端茅舎 ( かわばたぼうしゃ ) 永眠。 霧 濃 ( こゆ ) し 姫向日葵 ( ひめひまわり ) のそよぎをり 投げ 棄 ( す ) てしマツチの火らし霧濃し 火虫 ( ひむし ) さへ燈下親しむべくなりぬ 八月十六日 句謡会。元箱根、松坂屋。 ほととぎす鳴きすぐ宿の 軒端 ( のきば ) かな 襷 ( たすき ) とりながら 案内 ( あない ) や避暑の宿 八月十七日 句謡会。元箱根、松坂屋。 残したる任地の墓に参りけり 墓の道 狭 ( せ ) ばめられたる参りけり 家建ちて 廚 ( くりや ) あらはや墓参り 九月一日 「玉藻五句集(第五十五回)」 自転車に 跨 ( また ) がり 蝉 ( せみ ) の木を見上げ 縁台を重ね掃きをり 葭簀 ( よしず ) 茶屋 九月五日 家庭俳句会。上野韻松亭。 夏木やゝ衰へたれど残暑かな 百姓の 木蔭 ( こかげ ) に休む残暑かな 秋の山首をうしろに仰ぎけり 九月六日 句謡会。鎌倉、香風園。 鰯雲 ( いわしぐも ) 日和 ( ひより ) いよ/\定まりぬ 九月八日 笹鳴会。丸之内倶楽部日本間。 暖かき茶をふくみつつ萩の雨 長待 ( ながまち ) の川蒸気やな秋の雨 九月十一日 七宝会。向島、百花園。 手を出せばすぐに引かれて秋の蝶 九月十五日 玉藻句会。 市 ( いち ) ヶ 谷 ( や ) 左内坂上、長泰寺。防子追憶。 胸出して鳩のぼり来る落葉坂 大寺の 戸樋 ( とひ ) を仰ぎぬ秋の雨 九月十八日 物芽会。芝山内、田川亭。 燭 ( しょく ) を継ぐ孫弟子もある子規忌かな その 後 ( のち ) の 日月 ( じつげつ ) 蝕 ( しょく ) す幾秋ぞ 九月二十一日 日本探勝会。根岸、子規庵。 帯結ぶ 肱 ( ひじ ) にさはりて 秋簾 ( あきすだれ ) 九月二十四日 銀座探勝会。銀座西八丁目、 小時 ( ことき ) 居。 本堂の 隅 ( すみ ) なる 蚊帳 ( かや ) の 吊手 ( つりて ) かな 本堂の柱に避くる西日かな 駈 ( か ) けり来し 大烏蝶 ( おおからすちょう ) 曼珠沙華 ( まんじゅしゃげ ) 九月二十六日 鎌倉俳句会。松葉ヶ谷、妙法寺。 藤袴 ( ふじばかま ) 吾亦紅 ( われもこう ) など名にめでて 九月二十九日 「玉藻五句集(第五十六回)」 松茸 ( まつたけ ) の香りも人によりてこそ 十月二日 天台座主渋谷慈鎧より松茸を送り来る。 秋風に噴水の色なかりけり 見失ひ又見失ふ秋の蝶 十月四日 家庭俳句会。日比谷公園、丸之内倶楽部日本間。 新聞をほどけば月の 芒 ( すすき ) かな 十月五日 観月句会。品川、 海晏寺 ( かいあんじ ) 。 菊其他キヤラメルも 亦 ( また ) 供へあり 小時 ( ことき ) 来て 柘榴 ( ざくろ ) を供へ拝みけり 十月十二日 実花、小時、はん、防子の弔ひに高木に来る。小句会。 露の宿仏のともしかんがりと 弓少し張りすぎてあり 鳥威 ( とりおど ) し 十月十三日 笹鳴会。丸之内倶楽部日本間。 客 稀 ( まれ ) に 葭簀 ( よしず ) 繕ふ茶屋 主 ( あるじ ) 十月十五日 物芽会。上野公園。東華亭。 栗 剥 ( む ) げと出されし 庖丁 ( ほう