抒情小曲集 — 室生犀星
序曲 芽がつつ立つ ナイフのやうな芽が たつた一本 すつきりと蒼空につつ立つ 抒情詩の精神には音楽が有つ微妙な恍惚と情熱とがこもつてゐて人心に囁く。よい音楽をきいたあとの何者にも経験されない優和と嘆賞との瞬間。ただちに自己を善良なる人間の特質に導くところの愛。誰もみな善い美しいものを見たときに自分もまた善くならなければならないと考へる貴重な反省。最も秀れた精神に根ざしたものは人心の内奥から涙を誘ひ洗ひ清めるのである。 いとけなかりし日のおもひでに 室生君。 時は過ぎた。『抒情小曲集』出版の通知を受取つて、私は、今更ながら過ぎ去つた日の若い君の姿が思ひ出される。初めて会つた頃の君は寂しさうであつた、苦しさうであつた、悲しさうであつた。初めて君の詩に接した時、私はその声の 清清 ( すがすが ) しさに、初めて湧きいでた同じ泉の水の鮮かさと歓ばしさとを痛切に感じた。君はまた自然の儘で、稚い、それでも銀の 柔毛 ( にこげ ) を持つた栗の若葉のやうに真純な、 感傷家 ( センチメンタリスト ) であつた。それは強い特殊の真実と自信と正確さを持つた若葉だ。その栗の木は日を追うて完全な樹木の姿となつた。日を追うて君自身本然の愛と啼泣と情念の発露とが激しくなつた。かう云つては悪いかも知れぬが、私は『愛の詩集』よりも此の『抒情小曲集』に、より深い純正を感じ愛着を感じ、追憶の快味をも感ずる。而して君の是等の小曲を初めて発見して少からぬ驚異にうたれた既往の私自身の姿さへ思ひ出す。君も私も既に華華しかつた青春は過ぎて了つた。憶ふと今昔の感に堪へぬ。 改めて云ふ。今度の小曲集こそ私の待ちに待つたものであつた。私は真に君の歓びを自分の歓びとして一日も早くその上梓の日を鶴首して待つ。 願くばわが室生犀星に再び光栄あれ。 八月十四日 小田原にて 北原白秋 抒情詩信条 (1) 汝の瞳孔いま微かなる運動を為す。空現はれたり。瞳孔全く開きつくしたる時汝は甚しく羽ばたきを為す。 (2) 汝は多くの人間の期待せるときに生れたることを信ず。願くば汝の上に真摯なるものの数個の批評をもつて汝の精神の糧をおくられむことを祈れ。 (3) 過ぎし日の愛人をおもふこと真に雪の下の若草を思ふに似たりとつげよ。 (4) 詩はわれにとつて永遠の宗教なり。 (5) われ登らんとするとき崖より血しほ流れたり。 抒情詩信条 (1) 詩より詩作の 瞬間 ( モメント ) を愛す。 (2) 祈れば樹の上の果実かつと鳴りて落つ。祈れば青きもの紅くなり形無きもの顕はる。 (3) 瞳と瞳とを合掌す。 (4) 山は静止す。そのさまざまなるものに富み胎めるかを見よ。真に生けるものの静けさを聴けよ。 (5) 爾のわれの接吻をうける時つねにつねに爾の輝くを見たり。 私にとつて限りなくなつかしく思はれるは、この集にをさめられた室生の抒情小曲である。彼の過去に発表したすべての詩篇の中で、此等の抒情詩ほど、正直ないぢらしい感情にみちてゐるものはない。それは実に透明な青味を帯びた、美しい貝のやうな詩である。そしてそのリズムは、過去に現はれた日本語の抒情詩の、どれにも発見することのできない珍しい鋭どさをもつて居る。そしてこの詩集は、北原兄の『思ひ出』以後における日本唯一の美しい抒情小曲集である。かういふ種類の芸術では、これ以上のすぐれたものを求めることは、今後とも容易にあるまいと思つてゐる。 萩原朔太郎 人間の手の五本の指は都ハレルムの花壇にかつて咲いた珍らしい五弁の匂ひ阿羅世伊止宇 ルイ・ベルトラン 君の第三の著作『抒情小曲集』が、上梓されるに就て、子供の時からの友達としての僕は、奈何なる言葉でこの喜びを表したらよいか、実にその術をしらない。ことに今度集められた小曲はみな其当時にとつてお互に感銘の深いものばかりだ。君の詩のよいところは、敏感な美しい繊細な感情が概念的でなく、全くリズム的に本当と力とにあらはれてゐる所にあるのだらう。これを読んだ人人に本当に美しいよい感情を移植する所が一番貴いところではあるまいか……。 七月十七日 田辺孝次 雪のしたより燃ゆるもの かぜに乗り来て いつしらずひかりゆく 春秋ふかめ燃ゆるもの 自分は五月ころから原稿をまとめ初めて七月十二日の大颱風が都の空をおそうた夕方に総ての仕事を終つた。二百篇あまりあつた中から抜いてあとは棄ててしまつた。古い雑誌や小さい紙片や破れた原稿紙の綴りから掘り出すやうにして集めて見て胸の高まる気がした。ちやうどその時連日連夜の暴風が恐ろしい颱風となつて郊外に荒れ狂うた。小さい庭の ダリーヤ ・日まはり・菊などを微塵にしようとした。一丈余も伸びた日まはりの葉は裂けて穴だらけになつた。けれども倒れずに最後までしつかりと大地の底にしがみついてゐた。自分はこの日原稿を綴ぢあげて作曲家にてがみを書いた。そしてこの本を街に出したり友人の机上に置かれることを考へて酷く緊張した。 自序 私は本集に輯めた詩を自分ながら初初しい作品であること、少年の日の交り気ないあどけない 真心 ( まごころ ) をもつて書かれたこととを合せて、いくたびか感心をして朗読したりした。ほんとに此詩集にある小品な詩は、恰も『小学読本』を朗読するやうに、卒直な心で読み味つてもらへれば、たいへん心うれしく感じる。このやうな幼ない「抒情詩時代」が再び私にやつて来るものでもなく、また、それを再び求めることも出来ないことを知つてゐる。人間にはきつと此「美しい抒情詩」を愛する時代があるやうに、だれしも通る道であるやうに、ほんとにこれらの詩をあつめて置きたいと思つたのも、みなここにあるのだ。 この本をとくに年すくない人人にも読んでもらひたい。私と同じい少年時代の悩ましい人懐こい苛苛しい情念や、美しい希望や、つみなき悪事や、限りない嘆賞や哀憐やの諸諸について、よく考へたり解つてもらひたいやうな気がする。少年時代の心は少年時代のものでなければわからない。おなじい内容は私のこれらの詩と相合してそして、初めて理解され得るやうに思ふ。みながみなで感じる悩ましさや 望 ( のぞみ ) を追ふ心は、きつと此中でぶつかり合ふやうに思ふ。 誰でも云ふ「 少年時代 ( こどものとき ) は楽しかつた」と。「 少年 ( こども ) は神より人間より最つと別な神聖な生物だ。」とドストイエフスキイも云つてゐる。若若しい木のやうに伸びゆく 力 ( ちから ) は、ほんとにあの時代に限つて横溢してゐる。頭のよい「頭のいちばん幸福な」時代だ。いちど見たり感じたりしたら、それにすぐ根が生え、植ゑ込まれる時代だ。 私はいまでも感じる。 少年時代に感じた季節の 変移 ( うつりかはり ) の鋭い記臆とその感覚の敏活とは、ほんとに何にたとへて言つていいか解らない。まるで「 触 ( さは ) り 角 ( つの ) 」のある虫のやうに、いつもひりひりと さとり 深い魂を有つてゐるものだ。それはまだ 小児 ( こども ) の 時代 ( とき ) の純潔や叡智がそのまま温和にふとり育つて、それが正確に保存されてゐるからである。「小児に就て人に接することを学べ小児は未だ汚されず、小児にとつては人みな同じ」とトルストイも言つてゐる。 私は雪の深い北国に育つた。十一月初旬の しぐれ は日を追うて霙となつてそして美しい雪となり山や野や街や家家を包んだ。町の人人は家家の北に面した窓や戸口を藁や蓆をもつて覆うた。 道のふた側に積まれた雪は、屋根とおなじい高さにまでなつて、夜は窓や戸口の雪の、中から燈灯が漏れてゐた。戸外運動といふものが雪の為めに自然なくされてゐた小供の私らは、いつも室に座つたり暖炉にあたつたりして、恐ろしい吹雪の夜を送つてゐた。そのころ私は俳句をかいたりコマ絵をかいたりして、自然にたいする心をだんだんに開いてゆくやうになつてゐた。極度に人懐こい、もの恋しげな心を不断に有つてゐた私は、また一面に於ては烈しい一人ぽつちが好であつた。本をよんだり物を考へたりしたあと、よく自分で自分が作つた甘美な哀愁にひたりながら、雪あかりのする窓際で「小供らしくない」事を考へてゐた。それが私だち少年のいつも隠れてする心の隠れ家みたいに楽しく又悲しいものであつた。 四月まで続く降雪を我慢しきれないやうに、雪の下では春の浮動するものが生き初めるころは、わけても悩ましい 力 ( ちから ) がからだに湧いてくるのであつた。私だち少年らは、おたがひに女の子のやうな深い情愛をかんじ合つて、かく詩や俳句の対象はいつもそれらの友に於て選んだ。美しい少年の友だちらは、ある時は、詩のことを話したりして、熱い握手や接吻をしたり、蒼い日暮の飽くことをしらない散歩をしたりしてゐた。 私どもは、そこここの散歩や、草場のあたりでいろいろな詩をうたつた。風のやうにうたひながら自分でつい感心してしまつて、ほろりとするといふやうなこともあつた。見るものが悲しくひしひしと迫つてくるのであつた。あの何物にもたとへることの出来ない、弱弱しい美しいセンチメンタルな瞬間に、私どもは、自分が其処に生きることを幸福に考へ、また必然さうあるべきことが自分らの若い使命のやうに、この全世界でいちばん偉い詩人ででもあるやうに考へてゐた。謙譲や はにかみ もなかつた。傲慢と自愛とにたえず圧倒されてゐて、それを当り前のやうに思つてゐた。それほど、世間の本をよまない仲間にたいしては遠慮がなかつた。 私は抒情詩を愛する。わけても自分の踏み来つた郷土や、愛や感傷やを愛する。「くちばし青き小鳥」の囀りは可愛い。それを讃へたい。人間にたつた一度より外ない時代を紀念したい。それをそのまま次ぎに味ひつつある若い人人らの胸にたたみ込んで置きたいと思つてゐる。 もとより詩のよいわるいは すききらひ より外の感情で評価できないものだ。これらの詩がどれほどハアトの奥の奥に深徹してゐるかについて、今私は何もいへないけれど、人人はきつとよき微笑と親密とを心に用意して読んでくれるだらうと思ふ。むづかしい批評や議論ぬきの「優しい心」で味つてくれるだらうと思ふ。それでこそ私がこの本を世に送り出した甲斐のあることを感じるのだ。 一月に『愛の詩集』を出してからもう一年に近くなる。『愛の詩集』まで歩んだ自分を知るにはどうしても此の「抒情詩時代」の自分をも知つてほしくおもふ。自分にもなほ美しい恋を恋したり、甘美な女性的なリズムを愛したりした時代のあつたことを物語りたいのである。ほんとはこの『抒情小曲集』は『愛の詩集』と併せて読んで、僕の心持のたてとよことに 縒 ( よ ) れ込んだリズムをほぐして見てほしいのだ。よく読んでくれる人人は、この小曲集の終りのペエジに近づいてゆくごとに、だんだんに人間の感情がひびれたり、優しく荒れて行つたりしてゐることを考へてくれるだらう。風にいためられた生活の花と実とを今まとめて見ることを嬉しく悲しく思ふ。 千九百十八年七月十三日 郊外田端にて 室生犀星 『抒情小曲集』覚書 年譜 二十歳頃より二十四歳位までの作にして、就中「小景異情」最も古く、「合掌」最も新しきものなり。時折折の心持ちによりて五年間の春秋の季節の詩は入り乱れたるも、出来得る限り年譜は正しく編しぬ。 創作地 郷里金沢市千日町雨宝院といへる金比羅神社、寂しき栂、榎の大樹に寺領の四方はとりかこまれ、昼なほ暗き前庭のほとり極めて幽遠なり。その奥の間よりは直ちに犀川をのぞむ。美しき清流寺院の岸を灑ひて夏といへども涼しきことかぎりなし。川を隔てて医王、戸室の山さては遠く飛騨の連峯をも望むことを得。 野及び散歩の地として 最も好みしは犀川べりなる蛤坂新道、下つては犀川鉄橋のほとり等。これらの地は絶えず予の若き其頃の胸裡を去来して、シーズンの移り変り目ごとには高き鼓動を覚えたるものなり。「秋思」は有名なる兼六公園にての作にして、園の入口なる青く柔かき芝生の生えし様、其の色いまも忘れがたきものの一つなり。 旅行 京都、上州前橋市近郊に旅せし時の作、及び「足羽川」の一篇等なり。足羽川は越前福井市を流るる川なり。京都よりの帰るさにここ福井の街に約一ヶ月ばかり滞在せし事のあり、その時になれる詩にして、美しき足羽の川の土手の 上 ( へ ) の、若き桜樹はいまも尚春くる毎に花咲けりときく。なつかしき事のきはみ。旅行は凡て予が幼き日の我儘なる事より、慈愛あつき父母にそむきての事なりき。今ははや父もみまかりて世に空し。哀感極まりなし。 上州前橋には三度ゆけり。ここにて予が畏友萩原を知る。小出磧といへる利根の河畔、小さき砂山、櫟の若き林、牧牛、赤城山、公園等、皆予が心に今もなほ生けり。旅はおもしろけれどもはかなく哀し。利根の砂山、氷の扉、さくらと雲雀、土筆、前橋公園の五篇を得たり。(外になほ数多けれども収録せず) 海浜 海の詩はすべて金沢市より二里を隔つる 金石 ( かないは ) といへる所にて作る。ここは二千戸を数へ人心すべて質純なり。町より五丁程を隔てられて釈迦堂といへる僧院あり。静かなる院にして有名なる銭屋五兵衛の墓碑あり。静かなる院にしてここのとある一室に一年有余転地療養せしことあり。院は砂丘の蔭、涼しき松林のはづれにありて、お花畑よりいでて町に通ず。予ここにてはじめて「屋上庭園」を友白秋より送らる。此頃より予が詩の心やうやく動き且つ固められたり、かへりみればもはや十一年を閲しぬ。世にも静かにして、優しく、美しき尼僧らによりて、病気の予は毎日新しき野菜と、親切にして充分なる静養を与へられたり。友萩原もまた、遠く前橋市より来りてこの寂しき僧院を訪づれぬ。時は大正四年五月のことなりし。ここにてはかもめ、海浜独唱、砂山の雨、魚とその哀歓、松林の中に座す、砂丘の上、静かなる空、水すまし等を得たり。 降雪 十月下旬より時雨となり、十一月終りは冷たき霙となる。霙となりて永き冬に入れば漸て霰となり、雪となる。二三尺も積るは例年の事にして、時に丈余にもなる事ありて、犬等は皆屋根の上にて遊び戯る。雪降れば却つて温く、人人は夜炬燵を囲みて団欒す。雪降れど霰凍れども故郷の冬は忘れがたかり。 暗黒時代 小曲集第三部は主として東京に於て作らる。本郷の谷間なる根津の湿潤したる旅籠にて「蝉頃」の啼く蝉のしいいといへるを聞きて、いくそたび蹉跌と悪酒と放蕩との夏を迎へしことぞ。銀製の乞食、坂、それらは皆予の前面を圧する暗黒時代の作なり。幾月も昼間外出せずして終夜なる巷にゆき、悪酒